35話「わたしのせいにしなよ」
夢を見た。昔の、遠い日々の記憶だ。
「皆さんは、誰でも特別です。人はそれぞれ誰もが、特別に生まれているのです」
担任の宮城先生が言っていた。
「普通の人なんていません。なので、他の人の個性を尊重しましょう」
先生はそう言って、みんなに教科書通りの道徳の授業を教えていた。イジメに関する問題だった。「イジメはよくないと思う」と十文字ほど書いた根本君には、よくできましたの花丸用紙が返ってきた。「特別扱いはいいことなので、だからイジメも多分悪いことじゃないと思います」と丁寧に書いた俺は、放課後呼び出されて叱られた。世の中は難しい。
「アンタ馬鹿ぁ? あんなの方便に決まってるじゃん。適当に優等生ぶってりゃいいのよ」
「でも、自分の意見はちゃんと言いましょうって言ってたよ?」
「大人は嘘つきなの。学校はね、大人になるまでに嘘を見破れるようになるためにあるの」
「僕は友達作るところだって聞いたけど」
「……そういうのは、わたし以外の友達作ってから言ってよね」
学校はあんまり好きじゃなかった。勉強も運動も苦手で、友達もあまりできなかった。
「……それで、この子誰?」
俺と泪の後ろをこっそり歩く女の子。まだ黄色の帽子を被っていたから、一年生だった。
泪はその子に向かって手を差し伸べて、俺と話すときはちょっぴり声色を変えて話す。
「千秋。ほら、柊吾は馬鹿だけど怖くないから。自己紹介」
けれど千秋は俺の顔をじっと見つめてから、フルフルと首を横に振ってたったと逃げる。
「……嫌われてるのかなぁ」
「友達が出来るのは先そうね……」
別の夢だ。ほんの少し近づいた、けれども遠い昔のこと。
「知ってるか? アイツの親父、蒸発したらしいぜ」
「なにそれ、気体になんの?」
「ベーリング海の蟹漁船に乗り込んだっきり、全然帰って来ないんだって」
「違えって。神隠しだよ神隠し。トンネル抜けたら雪国で」
「愛人囲って高飛びしたってオレは聞いたぞ」
「なんだよ、随分適当だな。なに、死んだの?」
そんな感じの噂がクラスに流れた時期があった。八割方間違いだった。
実際、俺が知っていたのは、親父は朝普通に起きて、普通に新聞読んで、普通に弁当貰って、普通に家を出て、でも普通に帰って来ないことだけだった。
「アンタたちの誰が柊吾のこと知ってんのよ! 柊吾がどんな奴かも知らないくせに、知ったような口効いて。わたし以外の奴が柊吾のこと、分かったように話すんじゃねーよ!」
教室に忘れ物を通りかかったらそんな泪の怒声が聞こえてきた。
飛び出すようにドアを勢いよく開いた彼女と目が合って、ケロッとしていつもみたいに澄ました顔で「今日の小テストどうだった?」と言ったのを、たまに思い出す。
「……僕さ、思うんだ」
「なにを?」
「多分、僕は皆じゃないんだ。ちっとも特別じゃない」
「そりゃそうでしょ。アンタ以外アンタじゃないなんて普通のことじゃん」
「でも皆、皆になってる。僕だけ外れてる」
先生が嘘吐きなら、みんなはきっと普通なんだろう。みんなじゃない僕は、普通じゃない。
「んー……よく分かんないけど、悩みすぎだって。落ち込んでるんだよ。そういう日もあるってだけなんだから。ほら、今日もいい天気だよ。雲ひとつない青空!」
「ぅぐ……ひっぐ……ふぐぅ」
俺が泣いていたとき、彼女は一緒に泣いてくれた。
彼女はそういう女の子だった。辛いとき、寄り添ってくれる。
こんな例え話とも、空想とも言えない不思議な話をしてくれた思い出がある。
それはたとえば、神様のことだった。
「――こほん。実はね、わたしね、本当は神様なの」
その証拠に、可愛く生まれて、家族にも恵まれているから。
「でね、神様だから、この世界を創ったのもわたしで、何でも出来るの」
でも俺は知っていた。彼女の理科の選択問題が23点だったことを。
「じゃあ、明日帰ってくる?」
「えーとえーと……それは無理なの」
だからどうも、神様は物理法則も理解できていない大馬鹿者らしかった。
そんな馬鹿な神様がこの世界を作ったんだから、この世界は欠陥品の紛い物だ。
「なんで?」
「それは……わたしが柊吾のお父さんを連れ出しちゃったから」
「神様なのに?」
「うん。全部、柊吾が泣いてるのはね、わたしが悪い神様だからなの」
「泪が?」
「だからね……わたしのせいにしなよ」
――――神様は、よく、間違える。馬鹿だから。
大人になる頃には、神様なんて居やしないことくらい分かってくる。
神様のいない、子羊のいない、振り上げた拳を下ろす余地のない不条理が、誰も悪くない、深海に溜まった泥のように無関心な沈黙だけが、色が、目の前を大迫力に染め上げる。
だから時々思うんだ。子供の頃を思い出して、何を思ってたっけ、と。




