33話「大学生のあたしはね」
「ねぇねぇ、深見くんは、どういう人が好き?」
「……好きな人?」
久しぶりの東京は広かった。高層ビルが立ち並んで空を覆って、鰯の集団が餌に群がるみたく数え切れないくらいの人が交差点を横切り歩く。青信号が点滅しても走る人はいない。
駆け足になる千秋を徒歩で追う。彼女はこっちを振り向いて待ってくれた。
「勝ったら喜んで、負けたら悔しがる人かな」
「ふむふむなるほど。じゃーんけーん」
「ぽい」
お互い出したのはパーだった。彼女はアハハと笑って、そのまま強引に俺の手を取る。
「次はどこ行こっか。どこでも行けるから、迷っちゃうね」
「……迷子にゃならねぇよ」
でも彼女は俺の手を握ったまま離そうとはしなかった。真昼の新宿、コンクリートやビルのガラスに反射する光に射されて暑かったからだろう、軽く汗をかいていた。
千秋の連れ出す先を、俺は歩く。
新宿御苑の奥にあるベンチで、小池の畔に真っ白にちょこんと咲く木槿や、鮮やかな桃色を揺らす百日紅を一緒に見た。しばらくして彼女がタピオカを飲んでクレープを食べたいと言い出したから、原宿に行った。バンクシー辺りが上陸したんじゃないかって落書きに囲まれた、ポールダンスを踊りそうな竹下通り。彼女は人の詰まった路地をとても楽しそうに味わっていた。
「答志島とは全然違うね。これぞ、異世界だね」
「元が田舎なだけだよ」
「だから、だよ」
それから千秋がアニメで観た秋葉原に向かおうなどと供述し、乗り換えが面倒くさくて山手線に乗り、ガタゴト揺れることもない車内で半時間ほど移動した。
途中で一人分席は空いて、彼女が怪我なんだからと無理やり座らせる。次の席で目の前の席が二人分空いた。彼女がほんの少しだけ困っていたので、迷惑だろうけど席を移った。彼女は嬉しそうに笑って隣に座る。うるさくするのはよくないので会話はなかった。
電気街口で降りると、彼女はたったと階段を駆け出し、上から秋葉原を見渡す。
「んー……なんかちょっと違うかなぁ」
ここから見える秋葉原の風景は一面アニメ色に染まっていて、ひっそりとしたオタク的な雰囲気はものの見事に消し飛んで、すっかり堂々と佇んでいた。彼女はがっかりらしい。
「なんか、こう、浅いんだよね……ディープでブラックで、どんよりアングラした街並みを期待してたんだけど……来てみるとこんなもんかぁって」
「言っとくけど、お前も浅い方の人間だからな」
「むむむ、ゲッタービーム!」
中央通りを練り歩き、建物の高さに上ばかり目を向ける彼女が転ばないよう声をかける。その頃にはすっかり秋葉原を抜けて末広町まで着き、疲れたから喫茶店でも入ろうかと店を探してうろうろしていると、まぁまぁ美人なスーツを着た女性に声をかけられた。
「こんにちは~。今そこのビルの二階で絵画展を開いているんですが、興味ありません?」
俗に言うエウリアンだった。エウリアンとは著名な芸術家の作品――の複製品を画廊に配置し、街中を彷徨う田舎者、学生及び気の弱そうな若人を持ち前の美しさと口八丁で襲撃する。テリトリーまで連れ込んだ後、相場千円前後のシルクスクリーンを五百八十万円くらいで売りつけるタイプの人種である。
「なんの絵ですか?」
「あ、興味おありですか? 時間もったいないですから、向かいながら説明しますね~」
だがそんなことを露ほども知らぬ千秋は完全に被捕食者側に回っていた。笑顔の張り付いたエウリアンの後ろを、呑気な顔でトコトコと、生まれたての雛みたいに付いていく。
「千秋! 時間ねえから行くぞ!」
「え、でもでも、手塚先生の生原稿が見れるって」
「いいから、ほら!」
俺は彼女の手を取って、後ろから喚き散らすエウリアンから早歩きで逃走する。
「ちょ、ちょっと。さっきの人に悪いんじゃない?」
「さっきの人が悪い人なんだよ。哀しきモンスターだ」
「あ、あと……」
「どうした?」
「……えへへ」
すぐそこにあったカフェに入り、俺はコーヒーを、彼女はキャラメルラテを頼む。彼女の服装もまた、ラテっぽい雰囲気を醸し出している。白とブラウンを基調にしたコーディネートは、話を聞くに今年のトレンドらしい。ボリュームのあるワイドパンツに茶クロシェという服だそうだ。なんだかよく分からないが、お洒落である。
飲みながら、ダラダラと先程の詐欺手口を話してやる。大学時代に――と言っても半年もしないつい最近のことだが――水泳部の吉田先輩から気を付けるよう言われた。吉田先輩はこれから十二年間、毎月三万円を指定の口座に振り込まないといけないらしい。お先真っ暗だ。警察なり弁護士なりに相談しに行かない頭のほうも。
「ひぇ~。と、東京は恐ろしいところだね」
「あぁ。転ばないようちゃんと下見て歩けよ」
「……でもさ」
「でも?」
「こんな世界を知っちゃったら、もう帰れないね」
「………………」
東京はいいところも悪いところもある。異世界はいいところなんだろうか。
あの島とは違って、まるで違う景色が広がっている。渋谷からは海も見えない。
「……あたし、東京の大学に行こうかな。うん、いいかもしれない」
「スローライフとはかけ離れてるけど、いいのか?」
「まぁ聞いてよ。大学生のあたしはね、お昼過ぎ三限からの講義だけ取るの。カーテンから木漏れ日が射し込んで――だから郊外かな、大学近くの。十時くらいにのんびり起きて、サンドイッチにサラダと、コーヒーを淹れるの。英語のレポートがあるから、勉強代わりに洋楽を――なにかなぁ、ちょっぴり古臭い感じのかな――小さめに流して、窓を開けるんだ」
なんだそれ。
「東京の必要あるか?」
「うん……それでね、まだまだ時間あるから、散歩するの。美味しい食パンを買いに隣の街まで。大通りを並んで歩いて、今日のバイト面倒だなぁとか、大江先生の講義は出席取らないらしいよとか話しながら、途中で見かけた美術館にふらっと寄って、変な絵だねって笑うの。歩いて大学行って、禁煙の喫茶店でバイトして、そのまま御茶ノ水で待ち合わせして、ご飯食べるの。それで……一緒に帰って、英語のレポートの続きをするんだ」
………………あぁ。
「ね、いいと思わない?」
彼女の語る将来は、とても退屈で、どこにも行かない、生きた化石みたいだった。そこから先が何もなくて、進化の必要のない、深海で眠るシーラカンスみたいだと思った。
ここが彼女にとっての異世界なら、今日はなんてうってつけの日なんだろう。
どこにも行けないのなら。道を選び進むほどに、大切な物を落としてしまうくらいなら。
ここは俺のゴールかもしれないと。




