31話「それとも、ありえるかな?」
「コーチ、最近元気ないけど大丈夫?」
その日のコーチ業が終わり、ガキ共が浜辺で遊ぶのに連れ出され、走り回る少年少女をぼんやり眺めていると、そんな俺に気付いた涼太が何気なく話しかけてきた。
「ガキが心配することじゃねえよ」
「落ち込んでる暇があったらドルフィン教えろよ。勝ち逃げはズルいって」
勝ち逃げが許されないのなら、ゲームを降りるには負けなければいけないんだろうか。
それこそ負け犬の論理に思えた。卑怯で姑息な捨て台詞だ。
勝者には満足を抱えたままゴールする権利があるように、敗者には義務がある。
だったら、勝負に参加しない人間はどうなんだろう。
そういったエゴを嫌って、途中退場するような奴に、浴びせるべき言葉はなんなのか。
「……ズルいよな」
「調子狂うなぁ……」
また眺めていると、水泳競争は自然と鬼ごっこに移ったらしかった。逃げる健を先日まで泳げなかった俊介が追いかけ、徐々に差を縮めていく。タッチし鬼が変わり、若葉や楓が蜘蛛の巣でも散らすように沖合まで逃げ去っていく。
涼太は参加しないのかと聞きかけたが、コイツに追いつける奴は誰一人いないことに気付く。実際、彼の方も興味ないようで、くぁ~と欠伸をかいていた。
「恋話かエロ談義でもしない?」
「丸の内のOLかお前は」
「こないだの女子高生とかどうなの。付き合ってるんでしょ」
「アイツはリハビリに協力してくれてるだけだよ。暇なんだ」
「嫌だったらそんな面倒くさいことしないっしょ。逆もまた然り。はい、相思相愛」
マセガキかこいつ。水泳に恋愛なんて持ち込むなよな、不純だぜ、不純異性交遊。
「そりゃねえよ」
「なんで」
「なんでお前に教えねぇといけないんだよ。プライバシーの侵害だぞ」
考えるのも阿呆臭いが、今泉には大好きな彼氏がいたのだ。それをズルズル引きずるような性格でもある。傷心の女性ほど優しくされると落ちやすいとの情報もあるが、俺が彼女に与えている物などたかだか毎朝のいちごミルクくらいだ。そんなすぐに切り替えられるほど器用にも思えない。あぁ、馬鹿馬鹿しい。
なら俺は? 俺にとっての彼女の存在と言えば――
「あー! なにしてんの深見くん! 大層お暇そうですなぁ!」
…………騒がしい女だな。間違いない。
堤防から降りてきてトコトコ砂浜に足跡を付け、今泉が寄ってくる。
「こんにちは、涼太くん。なに話してたの」
「えぇ、コーチが本当は女子高生好きなんじゃないかって」
「マ! それは犯罪だよ! 悔い改めて神妙にお縄につくべきだね!」
「それと女子高生もコーチが好きなんじゃないかって」
「うーん、女子高生サイドは逮捕されないからいいんじゃない? グレーゾーンだね」
勝手に人を犯罪的な制服フェチにするな。
「で、なんの話?」
「……エロ談義」
「二人が付き合ってるんじゃないかって話。どうなの?」
「おいおい」
「違うんだろ、ならいいじゃん」
涼太のそんな問いかけに、今泉はちらとこちらを見る。
それから、彼女はにっこりと微笑んで言う。
「ありえないよ」
「犯罪だから?」
「深見くんには好きな人がいるんだよ。ね、そうでしょ」
彼女はそう言って俺に話題を振る。振るな。
「だから泪は幼馴染で、それ以上でも以下でも」
「あたし泪なんて言ってないよ。そっかそっか、深見くんは泪が好きなんだ」
「……言ってろ」
「いやぁ語るに落ちたね。今どんな気持ち?」
「ドルフィン絶対教えねえからな!」
「あとはお二人でご自由に!」
涼太は一人で爆笑しながら楽しそうに海へと走り、鬼の方へと向かっていく。わざと鬼にタッチされて、恐れおののき踵を返す周囲を見てまた笑い、一番遠くでコソコソ隠れていた楓を見つけて猛然と泳ぎ始める。楓はバタ足でパタパタと逃げ回っていた。
今泉の方に目をやる。彼女はじっと俺の方を見ていた。
「なんだよ、なんか文句でもあるか」
「あたしは深見くんのこと好きだよ」
――――――は、
「それとも、ありえるかな?」
混乱する俺をよそに、彼女は優しく微笑んで、言葉を続ける。
「今度会ったとき返事を聞かせてよ。それまで、待ってるから」
今泉は、うーんと伸びをしてから海を眺めて、綺麗だねと呟いた。
浜辺を噛む波打ち際、寄せては返す波は止めどなく変わりながら、けれど変わらない。
停滞なんて、その場に立ち尽くすことなんて、この世界にはありえなかった。
時間の濁流は有無も言わせず俺たちを押し流していく。永遠を望んだとしても。
涼太から逃げ切るため浜辺に上がった楓がこちらに気付き、走り寄ってくる。
俺はこれからどこに行けばいいんだろう。
そんなことを悩む暇もなく、今日は訪れる。




