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負け犬のくせになまいきだ  作者: 石山 雄規
三章 シーラカンスにうってつけの日 Your turn.
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28話「負けるんならしなきゃいいのよ」

 海岸から徒歩五分にある、古ぼけた小さな古物商の入り口で、泪は退屈そうに座っていた。俺が来たことに気付くと、彼女はくぁあと欠伸をかいてぱたぱたと手で顔を仰ぐ。


「ただでさえ暑いのに、暑苦しいんだけど」


「なんで言わねぇんだよ!」


「口ならしょっちゅう挟むでしょ」


「異世界転生する方法が自殺だって! 今泉も。皆が皆言いやがらねぇ!」


「……とりあえず上がりなよ。ほら、ハンカチ」


 根本に異世界転生について聞かされた後、スマホを弄って見せられたのは、異世界転生を題材にした小説を掲載する、都市伝説の寄せ集めサイトのようなところだった。


 内容自体は色んな噂を纏めただけの、とりとめのない小説だ。どれも導入部から結末に至るまで書いてあることは同じだった。辛いことも苦しいことも起こらず、決まってやることが上手くいき、可愛い女の子に褒められる。


 異世界の姿も何故か共通していた。ゲームに出てくる中世風の世界観。行くまでの物語が描かれることは本当に稀で、重要なのは異世界でどんな素敵なことがあるのからしい。


 誰もそこに行ったことがないはずなのに、誰もが等しい共通認識を持って、その世界を描いてる。聖書の記述を解釈するみたく、皆が知る噂に矛盾しないよう、どんな世界かを夢想し追求する――見たこともない神様の正体が机上の討論によって決まったように。


 そして異世界小説群で必ず描かれる共通認識。そこへ行く方法。


 死ぬことだ。轢かれる、不治の病、過労死、通り魔に刺される、勘違いで神様に殺される、寿命、飛び降りて自殺。なんなら「俺は死んだ」の一言だけ。死因は色とりどりだ。


 死んで、転生し、異世界を謳歌する。


 とにかく、死ぬことだった。当然だ。異世界『転生』なんだから。


「……猫が死期を悟ると、姿を消すって話。聞いたことある?」


 猫は好きだから、よく知っていた。その理由も。猫は具合が悪くなると、安心して体を休めるよう、安全な場所に身を移す。家が猫にとって安らげる場所なら、むしろ猫は飼い主に元気な姿を見せるよう甘えるのだ。


 俺が猫の死期に関するメカニズムを披露すると、泪は「詳しすぎて逆にキモいわ……」とドン引きを禁じ得ないようで、椅子をよいしょと横にずらして距離を置く。「ただの喩えよ」


「実際に異世界転生のために自殺する人を見た人はいないの。いても、本当に行けるかどうかも分からないし。わたしはないって信じてるけどね。沼田さんも、三浦比呂もそう。報道で自殺しましたなんてニュース見ないでしょ。でも、行方不明届は出るの」


 ……あぁ、なるほど。


 公然の秘密なんだろう。一種のタブーだ。望んで異世界に向かう者を受け入れるには、触れてはいけない一線がある。


 異世界が負け犬にとって最後の祈りなら、それをわざわざ壊すほど、誰も彼も暇じゃない。


「でも、自分の意志でこの世界から退場するなら……自殺と大差ないよ」


 イコールと呼んで差し支えないだろう。少なくとも他人から見れば。


 俺は入江純一の話を彼女に聞かせた。一から十まで全て。八か九くらいは伝わったと思う。


「だから、止めなきゃいけない」


「誰のために?」


「決まってんだろ。俺の憧れだ。勝手に死なれてたまるか」


 俺の答えに、泪はテーブルをよしと嬉しそうに叩く。


 それからふーむと下唇に指を当てて、じっくりと考え込み、とぎれとぎれに、一拍ずつ置いて慎重に喋る。


「どうして、異世界転生しようと思ってるか、から考えるべきね。見当は?」


「見当は……」


 付きそうで付かない――そう言いかけたとき、店の扉がガラリと開く音が聞こえた。


「いやー負けた負けた、また負けだぁ。これだからパチンコは辞められんなぁ」


 夏目家でとびっきりのダメおじさんのご帰宅である。


「お、柊吾じゃないか。プリン食うか? 3万120円の高級品だぞ」


「美味そうだけど、お供えには止めときなよ?」


「お父さん! やるならせめて勝ってきてよ。今日ごはん抜きだかんね」


 論点が絶妙にズレている気がするのは気のせいだろうか。おじさんがパチンコを辞められない理由がなんとなく垣間見える気がする。


「分かっとらんなぁ。なぁ、柊吾もそう思うよな?」


「俺に振らないでよ。てか、いつも負けてるじゃん。いい加減学んだら?」


「おぅおぅ。成長したなぁ」


 なぜこのようなおじさんから泪が生まれたのか。きっと母親の遺伝がよかったんだろう。


「だがな、思うんだ。思うにパチンコの醍醐味は、負けることにあると!」


 なーに言ってんだこのトンチキ親父は。


「幸せを感じるわけよ。帰りの駄賃まで吹っ飛ぶとゾクゾクしてな。もう依存症だな」


 泪の方もはぁと深くため息を吐き、イライラした調子で、


「負けるんならしなきゃいいのよ。いつか、今日みたいに痛い目見るんだから」と。



 ――――負けるくらいなら、やらない。



 一面真っ白だったジグゾーパズルに色が付いた感覚だった。かちゃりと角からピースがハマっていって、徐々に描かれた絵画が見えてくる。


 入江純一は嫌な奴で、勝ち逃げしていくようなムカつく奴だってことだとか、彼は今が最盛期の、人生の幸せの頂点にいることとか、その後は下り坂を迎えるだけってことだとか。


 あぁそうか。そうなんだ。


「……負けるのが怖いんだ」


「え?」


 思うに、俺は認めたくなかったんだろう。彼の後ろ姿に自分の理想を映していた。


 そんな憧憬が崩れていくのが耐えられなかった。ずっとそのままであって欲しかった。


 けれど、物事には順番がある。栄光の後には没落がある。腕は下がる。天秤は傾く。


「勝ち逃げだ。一番幸せで、勝ってる今、人生を終えたい」


 ある種の確信があった。入江純一を追い続け、彼以外に彼のことを知っているのは自分だという確信が、そんな答えを導き出した。


 だとすれば俺がやれることは何だ。彼が負けを恐れるなら、幸福を享受しきっているのなら、俺がすべきことはなにか。


 返ってくるのは、とても簡単で、そして難しい解答だった。負かし、引きずり下ろす。


 それができりゃ苦労はない。だけど結局、そこに帰ってくる。


 目の前の一本道に広がる断崖絶壁に、ほんの少しの諦観を覚える。ほんの少しだけ、けれども確かな絶望だ。平坦な道のりに満足することを焦るよりもずっと。


 結局、俺は泪との約束を破ることにした。泳がないという約束を。

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