27話「まるで」
その日は今泉が夏期講習で朝からおらず、午後の陽気は八月のライオン並に暇だった。プラダを着た小悪魔も服を脱ぎ、妹は微睡み扇風機の前に陣取る。暑さと退屈に追い出された俺は、彷徨えるユダヤ人の如く島を歩き回る。ちょうど四時を回ったところだった。
約束の地でもなんでもないが、俺が辿り着いたのは島の南西部にある波止場だった。漁船は沖から戻ってきて、魚の掛かった網を降ろしているところだった。
海に突き出た石造りの部分に腰掛け、彼らの作業をぼんやり眺めていたら、根本を見つけた。声をかけると彼は「暇そうだなぁ、羨ましいよ」と仕事を一時放り投げてくれた。
根本の家は浜の外れにあった。岩を背にして、前面の支えをする杭がすっかり水に浸かっている。出されたお茶を飲みながら、俺はぽつりと呟く。
「新見も三坂も、上京組なんだっけ?」
「あぁ。多分、東京で遊んでんだろ」
「船橋と岩佐は?」
「こないだ話したろ。向こうで就職するから成人式も戻らねぇって」
「じゃあなんだよ、異世界行ったのは沼田だけか」
「あ? 沼田?」
「行ったんだろ? 奴隷少女と仲良く農業やってるって聞いたぞ」
「あぁ、異世界か」と彼はお茶をすすり、はぁと大きくため息を溢した。
「なにも死ぬこたぁないよな」と同意を求めるように言う。「自殺はさ」
――――あまりに何気なく。
最近の政治家はどうとか、明日は雨らしいぞとか。誰もが頷く周知の事実のように。
鈍く、じわじわと遅れて浸透する。
彼の言葉は使い古したナイフのように、赤茶色に錆びついていた。
…………自殺?
心臓がドクリと鼓動するのを、強く感じた。
「自殺って……沼田が?」
「なに言ってんだお前、自分で言ったんだろ。異世界転生したって」
「だから転生したって……」
多分俺は、気付いていたんだろう。とっくの昔に知っていたのかもしれない。
ここじゃない世界。辛いことが一欠片もない素晴らしい世界。行ったら二度と帰ってこれない世界。あるかどうかも分からない世界。それでも皆があると知っている世界。
俺はそういう世界を、ずっと前から、子供の頃から知っていた。
けれど、深く考えることはしなかった。都合のいい答えが転がっていたから。
「……おい、汗かいてるぞ。冷房入れようか」
負ければ行ける――そこへ行く条件を、みんな知っている。
なんて皮肉な負け犬の遠吠えだろう。異世界を初めて聞いたとき、俺は思った。
まるで、天国みたいだと。




