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負け犬のくせになまいきだ  作者: 石山 雄規
三章 シーラカンスにうってつけの日 Your turn.
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26話「異世界『転生』」

 一日が、窒素や二酸化炭素のように平然と通り抜けていく。空気中にあることさえ気付かれない成分みたいに、確かに吸っているはずなのに、いつの間にか吐いている。それらの重要性に気付くのは多分、火事になったときくらいだった。


 誰かの家でも燃えればいいなと、そんなくだらないことを考える程度には暇だった。


 日々を今泉と釣りなんかして過ごした。魚は釣れない。待つだけだ。汗をかく。


 水泳部の活動の方も、使い古した鍵盤みたく伸び切っていた。全国大会という大きな目標を通り過ぎ、次の大会は春ということもあって、いまいち熱気のない気温だった。


「昨日は水族館行ったよ。一昨日は一緒にプリキュア見たし、おととといはお寿司食べた!」


 今や水泳部員の一人である楓は、練習後、共犯関係にある俺を呼び止め、日々を報告する。


 彼女は俺との約束通り、たくさん遊んでいた。


「そりゃよかった。なによりだ」


「明日は兄ちゃんの奢りで焼き肉なの。他人の金で食う肉はきっと美味しいよ」


 関係性を深め未練を残させる――芸はないが、それは極めて妥当で穏当な結論に思えた。


「兄ちゃんもこっち来てから遊んでくれるようになったし。入江家、順調です!」


 例えば、好きな人でも出来れば異世界なんて行こうとは思わないだろうし、こっちの世界で楽しいことでも見つければ、しばらく後回そうと考えるきっかけになるはずだ。


「だから、これで兄ちゃんも満足だよね」


 だから、俺はどうしても不安だった。彼がこの世界に満足してしまわないかと。


 今、彼女がやっていることが全て、裏目の、よくない方向に転がる坂道だとしたら――好きな人と手を繋いでゴールし、やり残したことを一つずつ消化して――彼の目的が退屈しのぎでないとすれば、むしろ退屈は歓迎すべき状態なのかもしれない、と。


「……あぁ、そうだな」


 だからと言って、俺になにが出来る? 二度と会えなくなるかもしれない兄と、これまで忙しく嫌うだけだった兄から距離を置き、誰も幸せにしないでくれと少女に頼む?


 世の中そんなもんだと斜に構えて浸れるほど若くもなければ、諦めきれず別の道を模索するほど馬鹿でもない。でも受け入れて心構えを整えるほど信仰深くもなく、何もかも嫌だと投げ出して逆走するほど夢見れない。だって、目の前に広がっているのは崖なんだから。


 ないない尽くしだ。立ち尽くして傍観するのが関の山だ。


 ……しょせんは他人の人生だ。俺には何の関係もない。


 そう思うのはとても簡単なことだった。実際、何も間違っちゃいない。三浦比呂が異世界転生したとき一瞬でも悲しんだか? いいや。俺はただ、そうかと思っただけだ。俺が心配したのは彼よりも今泉の方で、そのときですら、俺はやはり傍観者だった。


 入江純一がいなくなったからなんだ? 何が変わる? 楓は悲しむかもしれない。世間は三面記事のネタにするかな。競泳界は至宝を失い嘆くだろうし、俺は目標を失う。


 けれど嘆きはしない気がする。あるのはきっと落胆だ。超えるべき壁を永遠に超えられなくなれば、俺は多分、喜びはしないが、悲しみもしないだろうと思う。


 壁が残り続けるだけだ。残念ではあるが、彼の残影を追い求める道だってある。


「それでね、明後日は」


「なぁ」


 幸せを求める権利は誰にだってある。彼女と、彼の幸せが今の延長線上にあるのなら、部外者が出しゃばってどうこうする問題じゃあない。俺がすべきことは何もない。


「なーに?」


 …………でも。


 そんな結論は嫌だった。嫌気が差した。誰かじゃなく、俺には耐えられなかった。


 太陽の眩しさに目が眩んだんだ。夏の熱気に、不燃焼気味な退屈を燃やして欲しかった。


 だから俺は、気付かないフリをしていたことに目を向ける。


 彼を引き留めるに値するだけの理由を。俺がすべきことを見つけるだけの動機を。


 異世界『転生』。


「会わせてくれないか? お前の兄ちゃんに」


 生まれ変わるには、死ななくてはいけないことに。

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