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負け犬のくせになまいきだ  作者: 石山 雄規
三章 シーラカンスにうってつけの日 Your turn.
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23話「嫌いなんだよ」

「行ってらっしゃ~い!」


「お前も行くんだよ」


 俺たちは、理由もなく生まれて、根拠もなく生き、意味もなく死ぬらしい。


 そういうなんだか残念な諸々を一挙に解決してくれるアイディアもあるにはあるが、そういう諸々を信じきれるほど、俺たちはちゃんと生きていない。適当だ。


「ふぁ~。眠いなぁ」


「ほれ、ログインボーナス」


 そう、適当だった。


 我々はどこから来て、どこへ向かうのか――あぁ、昔の人たちは暇だったに違いない。


 そして俺も暇だった。こうして空を見上げて適当なことばかり考えている。


 空はよく晴れていた。一週間前まで中途半端な台風で風と雲と雨ばかりだったのに、今日は雲ひとつない晴天だ。夏。澄み渡る青に太陽が眩しかった。


「深見くん知ってる? 生き物の本体は、小腸なんだって」


 彼女が語る話はこうだった。元々生物は深海の熱水噴出孔から鉱物と混じり合い誕生した。そんな進化の過程で最初に発生した器官は小腸である。最も新陳代謝の多いそれは、効率のよい栄養吸収を求め、脳や意識を作り出した。俺たちは小腸の外殻に過ぎないらしい。


 その証拠に、人間の細胞数は約60兆だが、腸内細菌の数は100兆を超す。


 なんて説得力だろう。神様がいらない奴だって、腹痛の折にゃアイウォンチューである。


「……で、それがなに?」


「つまりね、気分が落ち込むときは、あたしたちのせいじゃなくて、全部小腸のせいなんだよ。腸内細菌がホルモンで変な司令を出すせいなの。小腸のくせになまいきだよね」


「多分、小腸もお前のことなまいきだと思ってるよ」


 そんなくだらない会話に飽きて、ざぶんと水に潜る。


 ――発達し切らなかった熱帯低気圧が過ぎ去った翌日、水泳部員と手作りの横断幕を乗せたバスが東京に向け出発した。俺の隣には特別応援団として楓が座り、涼太が真後ろの席から頻りに先日の泳ぎについて聞いてきた。松田先生はカラオケを歌い、俺は狸寝入る。


 JOCジュニア、涼太は結局、一番高い表彰台からの眺めを知ることになった。


 けれど彼はあまり納得がいっていないようで、首を捻っては、鬱陶しく俺に尋ねてくる。


『なぁ、あの泳ぎ教えてくれよ。もう一回、一回だけでいいから』


『ガキには十年早えよ。ってか、一位なんだからいいだろ』


『ケチンボ。こっちはコーチに負けてるから勝った気にならないんだよ。いい迷惑だ』


『そういうの好きなんだろ?』


『今しがた嫌いになったんだよ。ほら、ほら!』


 もちろんその後も、彼にドルフィンクロールを教えようとはしなかった。


 理由は単純に、無理したせいで腰が痛み、当分は泳げなくなったからである。体が出来上がっていない段階で教えて、俺の二の舞を踏んでほしくなかったというのもある。決して俺の取れなかった一位を平然と取ったことに僻んでいるわけじゃない。


 僻みはしない。ただ羨ましかった。


 それは隣でレースを見ていた楓もそうだったようで、彼の泳ぎに声を大きく声援を送っていた。一着でゴールしたとき、彼女は本当に嬉しそうに、自分のことみたく笑った。


 事の顛末は最後まで語らなければいけないだろう。たとえば、水泥棒の事件だ。


 あの日の間違いその二だ。誰が困ったか、損害はどうか、大人としての振る舞いは、常識的な判断を――そういう全部を蹴っ飛ばして、俺は全然正しくない選択をした。


『共犯だ』


『え?』


『プールの水は子ども一人じゃ抜けない。だから、本当は俺が手伝った』


『……なに言ってるの?』


『時効まで黙ってるには、充分な理由だろ?』


『……動機は?』


『ガキのお守りは嫌いなんだよ』


 あんな単純なトリック、教師ならすぐ気付く。ただ、今の彼女には補助輪が必要に思えた。


 足を引っ張るでも火を点けるでもなく、そっと後ろから押してやりたかった。


 罪の重みに潰される苦しさには、共感できてしまったから。


 助走をつけて、勢いをつけて、一人でも走れるようになるまでは。


 帰りのバスが答志島に向けて出発する。松田先生はカラオケを歌い、俺の隣で楓は眠る。


 涼太はそう言えばと、真後ろの席から話しかけてくる。


『コーチさ、入江純一って知ってる?』


『……知ってる』


『引退するらしいじゃん。今が全盛期なのに。なまいきだと思わない?』


『お前に比べりゃ大したことないよ』


『傲慢だよな。ムカつくって言うか、舐め腐ってるって言うか……思わない?』


『そうだな……』


 俺は、彼女の落っことしたラムネ瓶を思い出す。落として割れたラムネ瓶を。


『そう思うよ』


 楓はあまり多くを知らなかった。入江純一が多く語らなかったからだ。


 だから彼女は、自分の心情に沿った憶測を並び立てる。


『朝ね、コーヒー飲みながら突然、引退して、新しいことに挑戦するって言い出したの』


 彼女は朝食にハムエッグとトーストを食べたことまで丁寧に思い出し語った。


『お母さんは、やりたいことをやりなさいって言って、お父さんを起こしに行ったの。それで私が、なにするのって聞いたら、異世界に行くって。なんでって聞いたら、暇だって』


 まさか母親も、自慢の息子のやりたいことが異世界転生とは思いもしなかったろうに。


『退屈なんだって。みんな遅くて張り合いがないから、先にゴールして、別のレースに参加するんだって。でも、わざわざ異世界転生することないでしょ。馬鹿じゃんって言ったの』


『お前が正しいな』


『馬鹿じゃないと行けないって。異世界は』


『………………』


『でも、兄ちゃん瞬きしてたの。三回も。くせなんだよ。嘘吐くときの』


 兄弟してるなぁ。人のふり見て我がふり直せるのは鏡の前だけか。


『本当のことは言ってないと思うの。兄ちゃん、どうでもいいことでも嘘吐くから』


『それで、本当の理由はなんだと思う』


 彼女は分かんないと答えた。ごめんねとも付け加えて。


 俺もなんとなく分かるような、けれど分からない。


 とは言え、俺たちがどこから来たかを知らずとも、俺たちは生きている。出生不明の殺人犯でも裁かれるように、理由と根拠がなくとも、目の前の出来事に対応する必要がある。


 結局、俺は今泉の例を取り上げて、未練を残させるため、兄とたくさん遊ぶよう伝えた。


 そしてやはり、俺の出る幕なんてのはなかった。十年昔に一度会っただけの奴に感化される筋合いはないだろう。血の繋がった家族との触れ合い以上をもたらせる道理がない。


 ブクブクと、泡の飛ぶ水の中でそんなことを考えながら、俺は息を吸いに水面に上がる。


 一週間で腰が治るわけがない。あのすべてが間違ったレースの後、当然のように腰痛を再発した俺は、軽いリハビリに没頭することになった。二ヶ月の貯金が水の泡だ。


 つまり俺は今、少しばかり燃え尽きていた。不完全燃焼に息が詰まっていた。


「落ち込むときは誰にだってあるよ。焦らず行こう。ドントウォーリー、ビーハッピー!」


 俺のトーンダウンに、彼女は怒るでも発破をかけるでもなかった。


 時間をかけてじっくりとやろうという彼女の考え方からすると、むしろ今ぐらいがちょうどいいようで、俺が倦怠で溺れ死なないよう、適当な雑談をしてくれている。


「別に、神頼みしたいんじゃないけどな……」


「あたしが言いたいのはそういう事じゃないの」


「じゃあ、どういう事?」


「それはつまりですね、運動した後はちゃんと食事を取らないといけないって事」


「……奢らねえぞ?」


「任せてよ! お金かからないでお腹いっぱい食べられる、凄い場所知ってるから!」

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