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負け犬のくせになまいきだ  作者: 石山 雄規
二章 負け犬のくせになまいきだ (Make up for) lost time.
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19話「分からないことはなんでも聞いてね」

「分からないことはなんでも聞いてね! 遠慮せずに、さあ!」


「じゃあ、具体的なリハビリ方法を教えてくれないか?」


「うーん……難しいね!」


 なんでも話は聞いてくれるものの、ただ聞くだけで叶えてくれない彼女の存在は、正直なところ、そこらへんの壁と会話するのと大差ない。


 あれから三日経った。男子三日会わざればなんとやらと言うが、諺が嘘でないとすれば、俺は男ではないのかもしれない。腰の具合に変化はない。


 あるわけがないのだ。別に今泉は専門的な知識を持っているわけじゃない。彼女に出来ることと言えば、欠伸をしながらいちごミルクを飲み、頑張れ頑張れと応援するだけである。


 結局、ネットや図書館の本で調べた、あまりに基礎的な――それさえ合ってるのかさえ定かじゃない――トレーニングに勤しむだけ。合間に病院にも行ったが、医者の答えは二ヶ月前となんら変わらなかった。


「落ち込むことないよ。ほら、あたしと一緒に頑張ろう! ファイトだぜ!」


「………………」


 ほんとうに、彼女がいてくれてよかったと思う。


 壁と大差ないが、壁と話していたら、俺はきっと心が折れていたに違いない。


「泪が手伝ってくれたらいいのにね……でも大丈夫! あたしがいるよ!」


「今日はやけにテンション高いな」


「ご明察だね。実は昨日、色々調べているうちに、凄いことを発見してしまったの」


「凄いこと?」


 既にダメな雰囲気が漂っているが、一応聞いてみる。もしかすると、いい感じのリハビリを調べたのかもしれない。この話の流れの彼女のダメさ加減からすると、まぁ違うだろうが。


 今泉はよくぞ聞いてくれましたと胸を張り、ドヤっと長い髪をたなびかせる。


「実はこの島の神社、無病息災のご利益があるらしいの! 今日はお祈りに行こうね!」


 なんて予想を裏切らない女なんだろう。


 だが、藁でも神様にでも縋りたい気分ではあった。今泉に縋るよりか幾分マシな気がする。


 そういうわけで、俺達は日が昇る方角に、山あいに位置する神社へと足を運ぶ。


 本当に縋りたいのは神様でも他でもなく、夏目泪なのだが。


「――そうだ、あのニュース、どう思った?」


「なに」 


「ずっとしょぼくれてるからさ。やっぱりショックだった?」


「だから、ニュースって」


「知らないの? 入江純一」


「入江さ……あの人がどうしたの」


「だから、引退するって」


「……誰が」


「だーかーら!」


「兄ちゃんが引退するの」


 境内から声がした。白石の敷詰まった神社、真っ赤な鳥居の奥側、そのアンバランスで異質な空間に佇む、木造りの賽銭箱に寄りかかった、背の低い女の子。


 夏に相応しく真っ白なワンピース姿の、アシュリーだった。


 っていうか……兄ちゃん?


「おはよう、盟友アシュリー!」


「今日はいいよ、その呼び方。気分じゃないし」


「そっか。じゃあ、えぇと……アシュリーちゃんの名前、なんて言うの?」


「入江楓」


「へー。入江純一と同じ名字なんだね。凄い偶然だと思わない深見くん?」


 この女さっきまでの話の流れを読めてないのか。俺に感傷に浸る時間を与えてくれ。


「入江さんの妹なのか?」


「だからなに?」


「引退するって、どうして?」


「ニュース見なよ。千秋だって知ってるんだから」


「そうだよ、あたしだって知ってるよ! 記者会見だと確か、肉体的な衰えとか、自分の限界が云々かんぬんで、七月末の大会を最後に、後任の育成に専念するとか言ってたね」


 嘘だと思った。思ったというか、違うと分かった。


 彼は自分の限界に悩むような人間じゃない。


 なぜ――ただ、俺が感じたのはそれ以上に、中途半端に粘ついた空白感だった。


 上手く言葉にならない。人伝に聞いたからかもしれない。嘘が見え透けているのもある。


 唐突に崖の下に突き放されて宙にいるのに、数瞬後には確実な死が待ち受けているのに、なぜか自分だけは海に落ちないと思ってしまうような、そんな現実逃避の症候群。


 下を見る気にはなれなかった。俺は視線を落とすことなく、目の前の少女を見つめる。


「………………」


 何を聞くべきか、考えがよくまとまらず唇だけもごもご動く。


「……そういえば、こんな時間にこんなところで、なにしてんだ?」


「お主たちを待っていた」


「神社でか?」


「……別に後をこっそり追ったわけじゃないからな!」


 分かった分かった。もうそういうことでいいよ。


「とある女性……否、慈しみの女神より苦難を乗り越える預言書を託されたのじゃ。我に与えられし使命は、この預言書の内容を、今まさに苦難に直面する、天啓を授けるにふさわしき人物に伝えること……」


「気分じゃなかったのでは?」


「一々うるさいのぉ……黙って聞け」


 彼女はワンピースの裾を丁寧に掴んだまま、一段二段と上がり、賽銭箱の奥側に回り込んで、堂々と仁王立ちをかます。


 そして、わっはっはと高笑った。


「我は異世界では神の巫女的存在、神の代行者として神託を下す神的な存在だったのじゃ。控えおろう! 頭を下げ二拍してお金をくれれば、きっとご利益を下そうぞ」


「……賽銭泥棒?」


「違う! お小遣い貰えるからって、千秋たちにノート渡すよう伝えられたの!」


 俺は今泉と見合う。お互い首を傾げた。なにがどうなってんだか。


「楓ちゃんにお賽銭すればいいんだね。じゃあ、はい。御縁がありますように」


 そう言って、今泉は財布から穴のぽっかり空いた五円玉を手のひらに握らせる。


 楓は金額に不満げに顔を引きつらせるも、役割を思い出したか、こほんと一度咳を打ち、ではと鞄から一冊のノートを取り出して、最初の一文から朗読し始める。


「えぇと……よーついぶんりしょうかんじゃのりはびりてーしょんについて」


 ――腰椎分離症――リハビリテーション――


 すぐに気づき、慌てて楓の元まで走り寄り、キャンパスノートを確かめる。


 表紙には丁寧に、凄い預言書と書かれていた。それに並列して、大馬鹿に向けてとも。


 ………泪!


「か、貸してくれ!」


「ふっふ、まぁ慌てるな。今日は賽銭も頂いたし、初回サービスで出血大サービス、いい感じのところまでは教えてやろう」


 楓は二度ノートに目を落とし、書かれた文字を読み上げようとする。じっくりと眺め、文章を丁寧に指でなぞり、偉そうに笑みを浮かべる。


 だが。


「……えーと……んー、なにこれ?」


「漢字が読めないのか? いいから貸せ。俺が読むから」


 油断した少女から、泪特製のリハビリノートを瞬時に奪い取る。


 ぽかぽか叩かれるのにも慣れてきた頃で、じっくりと目を通す。そして――


「……えーと……んー、なにこれ?」


「深見くん漢字が読めないの? 馬鹿なんだね!」


「下手くそすぎるだろうが! 読めねぇよ!」


 みみずがリズミカルに踊ってやがる。走り書きってレベルじゃない。解読不可能過ぎる。まだキリル文字や古ヘブライ語の方が読める気がする。


 いや、元々泪の字は汚かった。正月に送られてくる年賀状はいつだって右肩上がりに好成績を叩き出していたし、書き初めの名前は大抵の場合、潰れて一本の線と化していた。


 しかし、考古学的な知識が必要なほどではなかったはずだ。


 まさか読ませる気がないんじゃないだろうな。一瞬だけ希望をちらつかせ、それが絶望に移り変わる瞬間を何よりの楽しみにしているんじゃないだろうな。


 あたしにも読ませてよと今泉がノートを手に取り、チラリと眺める。


「なんだ、全然読めるじゃん」


「この怪文書をか?」


「幼馴染の文字だもん。ちょっとくらい荒れてても分かるよ」


 俺も幼馴染なんだけど……いや、よそう。読めるなら越したことはない。


 悶々としながら、ちらりと今泉の方を見やると、勝ち誇った顔で鼻で笑われた。


 そして彼女はこほんと一度咳を打ち、改めてノートに向き合うと、真剣な眼差しでそこに書かれた泪の筆跡を朗読していく。



「――このノートが役に立たないことを祈ります」



 それが彼女のまとめた序文だった。


「ダンボールの奥底に眠らせて、引っ越しで捨てられたら何よりです。わたし以外は誰も読んではいけないノートなので、誰にも読めないような字で書こうと思う。読まれない文章を、誰かに向けて書きたくないからです。日々の日記のように、ただ綴ろうと思う」


 ………………誰か。


 その割には、そんな誰かに向けての前書きを残しておく。素直じゃない。


「腰の怪我、特に腰椎分離症に関して詳しく記述していくつもりです。スポーツ選手の慢性的な持病として主要なこの症状は、誰かのために必要になる日が訪れるかもしれないから」


 今泉は次のページ以降も読み上げる。主に俺の患っている腰椎分離症の学術的な説明から始まり、図解を交えて文字以外全てが丁寧に構成されていた。


 経過ごとに詳細に別けられた症状、リハビリテーションに取り組む上での基本的な方向性と、その注意点、必要な器具と場所。それ以降はひたすら具体的な方法論が載っていた。


 一区切りつく基礎的な部分まで読み終えた今泉が、ふぅと息を零す。


「よかったね。泪が偶然リハビリノートをまとめてくれて」


 明らかにお互い察してる流れだろうが。


「神頼みに来た甲斐があったね。それじゃ、早速ノート通りにリハビリを」


「ちょいと待てい!」


 声に呼ばれて振り返ると、そこにはまだ不満げな顔をした楓がいた。


「なんだ、まだいたのか」


「そのノート! 我の物なんだから、返してもらわねば困る」


「あぁ?」


「預言書が我の所有物である以上、その都度お賽銭をもらわなければ貸さん。神社の神様でさえ、お賽銭をケチる貧乏人の願いは聞いてくれまい」


 立派に役割を果たしたから安らかに二度寝してくれ……と思わんでもないが、ノートを受け取ったのが彼女である以上、言い分には根拠がある。既得権益を振りかざしやがって。


「俺の全財産出すからよぉ! 大人の財力を見くびるんじゃねーぞ!」


 そう言って俺は財布を引っくり返して差し出す。総額、381円。


「却下!」


「ケチ!」


 貧困は、罪だ。


「じゃあさ、あたしたち毎日この時間にリハビリするんだけど。楓ちゃんもね、それに付き合ってくれないかな? そしたらほら、お賽銭とノートで、ウィンウィンでしょ?」


「毎日……朝六時に!?」


 よく見ると、少女の目の下には軽く隈があった。寝坊できないということもあり、寝付けなかったのに早起きしたので、随分と眠たそうだった。無理もない。


「コピーさせてくれりゃ、それでいいよ」


「著作権をご存知でない!?」


 お前書いてないだろうが。


「ノンノン。神に頼み込んでばっちり共同著書ということになっておる」


 そう言いノートの裏面を自慢気に見せつける。名前欄には夏目泪と、余ったおまけスペースにこじんまりとアシュリーと書いてあった。まるで院生と教授の学術論文みたいだぁ。


 交渉の結果、結局、文字が読める今泉が前日の内にお賽銭をして、必要な分を書き写すという、非常に古典的かつ前時代的な結論に落ち着いてしまう。本当に、申し訳ない。


「話はまとまったな」


 手を叩き、楓はにっこりと笑う。不労所得が確定したら俺も笑いが止まらんだろうな。


「……そうだ忘れてた、涼太から伝言」


「言わんでいいぞ。胸の内にそっと秘めておくがよい。褒美だ」


「ありがと、だと」


 俺がそんな四文字を口にすると、しーんと目を逸していた彼女の視線がそっと俯く。


 そして、ワッハッハと声をあげて、喜びの舞いというか、謎の動きを始めた。


「感謝、感謝だぞ。脅しおってからに、我の偉大さを理解する人間がいようとはな。フフフ」


 こいつは京都には住めないだろうな。


「皮肉だろ、普通に考えて」


「……ただの冗談だ」


 そう言ってしょんぼりする。感情の移り変わりがアラスカの四季より激しい少女である。


「……それで、入江さんの引退の真相、知ってるんだろ」


「深淵の知識……グノーシスを望むか?」


「ぜひ」


「…………私がどうして魔法を使うか、分かったら教えてあげる」


「なんだそりゃ」


「そしたらついでに、私が水泥棒の真犯人だって、認めてあげてもいいよ」


「興味ないな」


「そっか」


 はっきりと、俺にはそんなことどうでもよかった。


 ただ、どうでもよくないのは彼女の方で、彼女はそれではきっと、困ってしまう。


 他人の気持ちを推し量るのは好きじゃないが、なんとなく、分かるもんは分かってしまう。


 裁かれることを望んでいるんだろう。だから彼女は自首をした。


 自分が間違っていることを誰かに認めてもらいたいなんて、そんな贖罪意識。


 そして、それと同じくらい、自分の過ちを認めることを怖がっている。


 その負債の押し付け役が俺ってわけだ。毎回、貧乏くじばかり引きやがる。


「……泳ぐの、好きなんだろ?」


 よく考えてみると、彼女は泳げる。


 ビート板を使った水泥棒――それには水中で紐を括り付ける作業が必要だ。


 そもそも目立ちたいにしても、なぜプールでなくてはいけなかったのか。


 どうでもいい。分かりもしない。ただ一つ。


 彼女は疑いなく泳げて、そして泳げないよう水を盗んだ。


「水泳なんて嫌い」


 彼女は言葉を続ける。


「一方的に期待されて、身勝手に失望されるのにはもう懲り懲り」


 そして期待されなくなった現状に失望し、その元凶に何を思うのか。


「分かった」


「なにを」


 だったら、俺が言える言葉なんてのは、一つしかない。


「認めさせてやる。水泥棒の犯人も、水泳の楽しさも、俺が誰よりも速い男だってことも!」


「……好きにすれば。それこそ、どうでもいいよ」


 楓はくぁーとあくびを噛み殺すことなく大口を開けて、プリキュアのため帰っていく。


 境内に残された俺と今泉の二人は、もう一度今日のリハビリメニューを確認する。


「よし、泳ぐぞ今泉!」


「うん……えへへ」


「……? なに笑ってんだ?」


 彼女は、「なんだか嬉しくて楽しくなっちゃって」と口角を上げる。


 そして、くるりと無駄に一回転して、後ろに手を組んで、柔らかく微笑んだ。


「これでやっと、役に立てるね」


 大会まで残り一週間。その間に梅雨は開けて、雨が降ることはなかった。

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