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負け犬のくせになまいきだ  作者: 石山 雄規
二章 負け犬のくせになまいきだ (Make up for) lost time.
20/59

18話「ありがと」

 かくして、ニール・アームストロングが月面に足跡を残したように、俺も世界一という足跡を残すべく、小さくも大きな第一歩を踏み出すことになった。リハビリ開始だ。


 昼の間はコーチ業ということもあり、朝夕新聞が配達される時間帯に始める。


「ふぁ~……おふぁ~……よう、ございましゅ~」


「パンダのパジャマ着て行くつもりか?」


 ただ今泉は朝に弱いので、回覧板でも回す感覚で回収し、プールへ向かう。


 やはり海よりプールだろう。学校にも話をつけて、早朝の使用を認めてもらった。


「むにゃむにゃ……夏休みに六時起きはキツいよー。明日は七時にしない?」


「起きて二時間は使い物にならんだろうが。ほら、いちごミルク」


 糖分をチューチュー吸収し、徐々に頭が回り始めた今泉を連れて校門を開ける。


 そしてプールの方に歩き出したところ、フェンスの陰で、ササッと何かが動いた。


「……野良猫か?」


「やだなぁ。この島に猫なんていないじゃないですふぁ~」


 寝ぼけてんのか酔っ払ってんのか謎な語尾をスルーしつつ、とりあえず近づく。


 それも、可能な限り慎重に、足音を立てず、恐る恐るとだ。実はこれまで隠していたが、俺は猫が好きである。来世は猫がいい。踏まれたい。一時期、一人称は吾輩だった。


 後ろ手から忍び寄り、怖がらせないよう屈んで足下に視線を合わせる。腰が少しばかり痛んだが、猫の前には誤差だ誤差。


 そして草木の陰を下から覗き込む。いると言うよりかは、むしろあったと言うべきか。


「……お主、何をしておる?」


「……淡いピンクの水玉かぁ」


 俺は、隠れていたのが猫でなく、女子小学生の水玉パンティだったことに心底ガッカリし、ため息を吐きながら首を振り、その場を去る。


「お、おかしいだろうが! 我の秘密を暴いた代償、生涯を賭しても償いきれぬぞ!」


「盟友アシュリー! こんな時間にこんなところで会うなんて、奇遇だね~」


「我が眷属まで! 何故に!?」


 アシュリーと名前を聞いて思い出す。あぁ、あの厨二病全開の……被告人だ。


 また水泥棒をしに来たのか――と思ったかと聞かれれば、そうでもない。理由は服装だ。


 彼女はなぜか、なんというか魔女っ子と呼ぶべきか、日曜八時半の女児向けヒロインが着ているお人形みたいなドレスをシンプルにした感じの、へんてこな服を羽織っていた。


 水の中に入ろうとする服装では到底ない。夏休みの早朝に相応しい服装でもないが。


「フッフ。あたしたちはね、秘密のリハビリなのだ! 黙っててね!」


「リハビリ?」


「うん、そこの深見くんがね。もう一回泳げるようにトレーニング」


「どこか悪いのか?」


「腰だよ腰。トラックに轢かれて再起不能らしい」


「……フン。我には無縁の事象であったな。災難だが、それも運命と受け入れるがよい」


「それに抗うつもりなんだよ。で、お前は」


「え?」


「こんな時間に、こんなところで、そんな服装で、なにしてんだ?」


「……名もなき者に召喚された。独り、幼子の牢獄に浮かぶニライカナイにて待つとな」


 えぇと、匿名の誰かに一人で学校のプールに来るよう果たし状を伝えられたと。


「水泥棒の件か」


 今さら犯人に脅しをかけようとする人物に思い当たる節は特にない。あるいは別の理由かもしれないが、だとしても早朝に呼び出すのは不自然だ。


「わ、我ではないのだ。確かに我には水を奪うことなど容易いことだが、しかし、ほかの人が困るようなことをしてはいけないとママに教えられているのだから。し、しないのだ」


 彼女はあせあせと取り繕い、嫌疑を否定しようとする。


「なら呼び出しなんて無視すりゃよかったんじゃないの」


「それは……その」


 そう口をもごもご動かすが、結局言葉にはならず、しーんと黙り込んでしまう。


 俺にはその中途半端に破綻し矛盾した子供の心理が、なんとなく分かる気がした。


 おそらく、この小さな女の子が水泥棒なのは、その通りなのだろう。彼女が水を盗んだ。


 そしてその件で注目を浴び、呼び出されまでしたのだ。どれだけ否定しようと思っても、その功績と自分の決断の結果まで真っ皿にはしたくないと考えるのは、妥当だろう。


「……あんまり気にするな。涼太の奴はゲームして遊んでるし、大して影響もない」


 なにより――彼女はきっと、約束を破るのが好きじゃない。


 だから泳げもしないヘンテコドレスまで着てきた。半分は趣味かもしれないが。


 彼女とて悩んでいるのだろう。自責の念と、目的の分からない呼び出しに。


「とにかく一人じゃ不安なら俺たちも一緒に」


「お主たちだ! 早朝にプールは怪しい! きっとお主らが水泥棒の真犯人であろう!」


「は?」


「バルブと内蓋の二重構造を幼子独りで抜くことは不可能! その点、大人二人ならば容易いであろうに。謀りおって。尻尾を出したな。我を出し抜こうなど、一億光年早いわ!」


 しかし、あまり事情を知らない今泉は疑いをかけられ、驚きを隠しきれていない。


「ひ、酷いよ盟友! 共にゲームセンターで遊んだ時に交わした、真実の誓いは!?」


「眷属こそ、我を欺き水泥棒の主犯に仕立て上げるなどと巧妙な手口。裏切られるくらいならば、始めから人など信じぬほうがよかった!」


「あたしじゃないよ。あたしの目を見て! これが嘘を吐く美少女の目?」


「少なくとも美少女ではないと思うけど……」


「あーん」


 馬鹿ども二人は放っておき、プールへのパイプ扉をキキィと開ける。


 早朝のプールは東から注ぐ陽の光に照らされて、水のカーテンを作っていた。西の窪みに陰を落として、名前は知らない鳥の甲高い鳴き声が遠くから聞こえてくる。


 そんなのに混じって、プールサイドで音が鳴る。水が弾け飛ぶ音だ。誰かが泳いでいた。


 その匿名希望の誰かさんは、綺麗なフォームでスタートを決め、静かに水を掻く。


 水を切って泡の線が綺麗に伸びていく、一閃のような一泳ぎ。


 ――――確かに、これは、天狗になるだけのことはある。


「ふむ……」


 ふと隣に目をやると、不機嫌そうな顔でプールを見つめるアシュリーちゃんがいた。


 後ろを見ると、不毛な口論に敗北したであろう今泉がやってもいない水泥棒という自責の念にかられて、ぶつぶつと落ち込んでいた。


 ……なに小学生に負けてんだあいつ。


「興味あるか?」


「ない」


 小さく瞬きを三回。きっと癖なんだろう。


「あぁそう」


 生徒の詳しい事情に突っ込まないのが良き教育者の心がけだ。


「彼奴が神の信託者足る王を決する継承戦を争うのだな」


「どうだ、速いだろ?」


「全然遅いね」


 彼女の方を見直す。仏頂面に澄ましたまま、常識でも語るみたいにそう言った。


「そう思うなら泳いでみるか? あれでも結構」


「くだらぬ。疲れるであろう、努力など馬鹿馬鹿しい。泳げても……福音は訪れぬ」


「その割には疲れる努力してるみたいだけど」


「……いいことないね」


 どうも表面だけなぞっただけだが、彼女には複雑な事情があるらしい。


 あるらしいが、俺は別にロリコンではないので、いくら少女が構い聞いて欲しそうに憂鬱なため息を零していても、追随することはない。


「ビート板だ」


 俺が唐突にそう言うと、彼女はピクリと眉を動かし口を噤む。


 巧妙な道具を使用した犯行じゃない。そして、ここにあるものだけで、犯行は可能。だとしたら、おそらくこういった方法を取ったと考えるのが自然だ。


「何枚も、恐らく二十枚くらいビート板を紐でバラけないようにして、バルブに括り付けたんだ。成人女性の平均体重なら、簡単に引っこ抜ける」


 棒のような長い物だと目撃されるかもしれないが、ポケットにしまえる紐だったら、怪しまれることなく持ち運べる。


 それと、全ての水を抜かず、なぜか中途半端な水位まで抜かれた水。これも浮力を原動力にバルブを持ち上げたとしたら説明がつく。水が減ると浮力も減るのだ。重ねる関係上、ビート板の高さに制限があるのも理由の一つだろう。


「これが魔法の正体だ。納得できないなら試してみようか?」


「……凄いね」


「ガキじゃねぇんだ。先生たちだってそのうち気付く」 


 俺が一足先に気が付いたのは、単に、濡れたビート板を手に取ったからに他ならない。


 連日の晴れに翌日まで乾かないビート板なんて、十年来、見たことがない。


 それと、他なる理由。似たトリックの漫画を読んだ。こいつもそうかもしれない。


「じゃあ動機は?」


「俺が知るわけねえだろ」


「……ならば認められぬな。一から全の裏を暴いてこそ、探偵であろうに」


「どうせくだらない理由だよ」


 実際、彼女は泳げるし、服装や爪を見るに極度の潔癖ではない。そして人の足を引っ張ることをよしと考えているなら、多分こんな時間にこんなところまで来はしない。


 注目を集める――それは確かに一つの答えに思えた。


 思えたがどうも、彼女のビー玉みたいな目は、その逆を映しているように見えた。


「……お主はコーチ……闇を従えし者だったな」


 アシュリーちゃんは俺が黙る雰囲気を察したのか、唐突に俺の役職を口にする。


「我の代わりに、彼の者に話をつけてはくれぬか。我はお腹を壊して来れなくなったと」


「……………………」


「任せたぞ! 任せたからな!」


 そう言ってアシュリーちゃんはピューと走り去り、太陽の射す方へと帰っていった。


 俺はしぶしぶ扉を開け、眠気と欠伸を抑えつつ中へと入る。


 涼太は俺に気づくや否や、泳ぐのをピタリと止めて、のそのそと上がってくる。


「おはよう。こんな時間になにしてんだ?」


 彼は気恥ずかしそうだった。そりゃ早朝に隠れて練習してるのを目撃されたのだから、そんなことをする自意識を考えれば、咳の一つや二つするだろう。


「女の子とデート」


「その女の子ならさっき帰ったぞ」


「なんで?」


 怖くなったからだろう。が、彼にそのまま伝えるのは忍びない。頼まれ事もある。


 俺は適当にさっきまでのことを話し、彼は適度に頷きを混じえて聞いていた。


「じゃあ、代わりに伝えといてよ」


「一文字二十円どす」


「ありがと。手持ちないから今度ね」


 う、ぐらいちゃんと言ってくれ。


「……で、コーチはなにしてんの?」


「努力」


「ふーん」


 それから遅れて、自己のアイデンティティを取り戻した今泉がやって来る。


「いやー、よくよく考えたら、あたし魔法なんて使えなかったよ。犯人じゃないね」


「考える前に気づけよ。あ、こちら女子高生の今泉」


「ご紹介に預かりました。現役、女子高生の今泉千秋です!」


「……まぁいいや、来ないんならもう帰るよ」


 そう言って、彼は荷物を引き上げこの場を立ち去ろうとする。


 ただ、その前に俺には言っておかねばならないことがある。


「――一応伝えておくと、俺たち、これから毎日この時間帯にいるからな」


「……それがなに」


「いや、一応な」


「一応ね。邪魔しかしないな、深見コーチは」


 そう言われると耳が痛くなるが、俺だってお前が早朝狙って一人黙々と練習するような面倒くさい性格してるとは思ってもいなかったんだよ。


「ほんと、いい迷惑だ」


 バーンと盛大に扉を閉めていって、キィキィと錆びた留め具が鳴る。


 なにかを間違えたような、そうでもないような。


 …………まぁいいか。


「よし、泳ぐぞ今泉!」


「おー!!」


 掛け声と共に俺たちはドタバタと水着に着替え、バッシャーンと勢いよく着水する。


 そう、ガキ共の小賢しい思慮など、俺にはどうでもいいことだ。魔法少女が闇をチラ見せして来ようが、天才少年が陰で努力していようが、俺の腰は治らない。


 女とデートだ? 寝言を寝起きに言うんじゃねえよ。プールに恋愛なんぞ持ち込むんじゃねえ! 水泳という競技は孤独に、黙々と、非常にクールに行われるべきなのだ!


「行くぜ! クールにな!!」


「クール! クール!」


 三分後、俺は溺れ、今泉の決死の救助により事なきを得ることになった。

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