11話「喝采は」
『珍しい泳ぎ方だな。誰かに習ったのか?』
頂上から一段低い表彰台から降りて、控室に戻ろうとしたとき、声をかけられた。
ちらりと見て視線を外し、返事もせず、踏み外さないよう足元に目をやった。
『一位の城戸は、これから5秒は縮める』
『そんなの一緒に泳げば分かる。俺疲れてんだ、後にしてよ』
『お前は、その倍縮められる』
横を通り過ぎようとして立ち止まった。顔をよく見ても、ファンって顔じゃなかった。
『鳥羽出身なんだろ。同郷のよしみってことで』
『……俺はあんたのこと知らないし、自己紹介もしてない』
『さっきあっちで応援してた女の子が言ってただろ』
泳いでるときの声援なんて聞けねぇよ、プールサイドからなら弾幕が見えるけど。
『お前の家にテレビがありゃ、10日後には分かる』
『自己紹介しに来たのか?』
『全国水泳大会の文字に釣られたんだな。おかげで面白いものが見れた』
『小学生からかって面白いかよ』
『捻くれてるなぁ。素直に褒め言葉として受け取れよ』
『見下してんのが見え見えなんだよ。俺は、あんたみたいな傲慢な人間にはならない』
『やっぱり分かるか? 一番上からの眺めしか知らないからさ』
カチンときた。そいつは、明らかにわざと戯けた調子に喧嘩売ってやがった。
『喝采は、送るもんじゃなく浴びるもんだからな』
とはいえそいつは俺よりかなりデカく、殴り合っても勝ち目はなさそうだった。それに痛いのは嫌いだし、俺はラブアンドピースを重んじる平和主義者だから買わなかった。
『……今日のレースはもう終わりだ。後は片付けだけ』
ムカつく男は俺の上がって来たプールの第五レーンを親指で指差す。
『どうだ、泳ぎ方教えてやるぞ?』
『……小学生に鼻へし折られても後悔すんなよ』
ハンデをやると、7秒待つと吐かした。レーンを回収している女の子に頼み、時間の計測と合図をお願いする。三本残ったレーンの間の二つのコース。
珍しく飛び込みが上手くいって、隣に誰もいない水の中を進んで、しばらくして後方から音がした。素早いターン、すれ違い水を掻き分けた。
――――音が、近づいてきた。遥か遠くから聞こえるだけの飛沫音は徐々に、いや違う、グングンととんでもない速さで大きくなっていって、気付けば音は隣にあった。
そして音は前方へと吹っ飛んでいった。そしてそのときようやく気付いた。
彼が俺と同じ、けれども決して同じとは呼べない、綺麗なフォームをしていたのを。
『――これが完成形だ。覚えとくといい』
『……ずっと後ろ泳いでたんだから、見れるわけないだろ』
『…………そいやそうだな』
『あの~、そろそろ片付けても』
『もう一回! 今度はハンデなしで!』
『プールサイドから見たほうがフォームは分かると思うけど』
『逃げんな! いいからもう一回!』
『あの~……』
完膚なきまでに鼻をへし折られた小六の俺は、それでも後悔なんてまるでなかった。
あったのは、遥か前方を見事なフォームで泳ぐ彼の後ろ姿だけで、先頭を泳ぐ背中を追って思っていたのは、なんて遠いんだろう、って子供じみた単純な感想だけだった。
あまりに速くて、正直全然どんな風に泳いでるかは見えなくて、ただ背中が遠かった。
いつか追いつける日が来るんだろうか、距離はドンドン離れていくんじゃないだろうか。
それでも俺は、目指すべきゴール地点を見つけたような気持ちになった。あれが俺の辿り着く最終的な着地地点で、それさえ分かれば、後はひたすら泳ぎきればいい。
俺の原点の一つ、忘れない思い出。ラムネ瓶のビー玉に今も夢見る、古臭い憧憬だ。




