STORIA 91
「え……、あ、はい。小学生の頃からずっとです」
僕は焦りを隠しながら答える。
「そう、凄いね。俺が君の絵を見ていいなと想ったのも、その指先が長年掛けて作り上げて来た努力の賜物なんだろうなあ。やっぱり羨ましいよ」
絲岐さんの話す姿勢や、僕の願いに応えてくれる好意は、見ている此方が安心感を抱く位に気持ちの良い物で、やはり僕に真っ直ぐな視線を送り続けてくれる。
なのに……。
絲岐さんのこの瞳に惹かれて、その心を描き出したくて、正面から彼の姿を捕えていたいのに、この筆は願う方向から微かにずれていく。
僕はそんな想いを消し去りたいと、夢中で彼の肖像を描き続けた。
最後の描き込みを終え、閑かに筆を降ろす。
「絲岐さん、今日は本当にありがとうございます」
「そんな、此方こそ。描き上げた作品を見せて貰ってもいいかな」
僕は少し躊躇して、パネルから用紙を外した。
彼は暫く黙って、そこに描かれている物に見入っていた。
「……もしかして、君は俺が蘭の兄である事に距離を置いている? 画像から遠慮が感じられる。残念だな、折角だから、もっと堂々と描いてくれても良かったのに。でも、これはこれでいい絵だと想うよ。ありがとう」
僕の意図を鋭く突く、彼の指摘に額の汗を拭う。
あなたの言う通りだ。
僕は彼に好意を寄せる反面、無意識に敵視していたんだ。
用紙の中で遠く勾配のアングルで捕える事によって、自分の本音を曝け出している。
彼の姿を真正面から受け入れる事は僕にとってプライドが許さず、心の奥底に潜む片意地と戦っていた。
「喉、渇いただろ? 何か買って来てあげるよ。待ってて」
少しずつあなたに心を開きながらも、尚且つ境界線を張ろうとしている僕は、彼に非道い感情を焚付ける事はせず優しい視線だけを送っていた。
それなのに……。
駄目だな、僕はやっぱり。
あんな風に、作品にまで自分の想いを露骨にするつもりじゃなかったのに。
きっと本当は深くあなたを傷付けたに違いない。
僕はパネルに置かれた完成品から、目を背ける様に髪を掻き上げた。
「はい、お待遠様」
絲岐さんは紙コップに入った飲料をそっとこの手に渡す。
口元を近付ければ、喉の潤いが後悔の念を緩やかに和らげていく。
馨り立つ、ほろ苦さに僕は何処までも優しい彼の心を改めて感じていた。
「あの、絲岐さんは肖像画と風景画では何方が好みですか? この間の御話、絲岐さんの要望を優先出来たらと想うんです」
「ありがとう、真剣に考えてくれていて。でも俺は本当に何でもいいよ。君が描きたいと想う物であれば」
「でも……」
僕がいつまでも答えを導き出せず、ただ狼狽えているものだから、彼は見兼ねて宥める様にポンと僕の頭に手を添えた。
「じゃあ、これが欲しいな。君が初めて俺を描きたいと言って、筆を取ってくれた物だし。大切な記念になる」
絲岐さんが、その心と同じ瞳を持つ自分の肖像画に視線を送り言う。
「本当にこれを? 素直な気持ちで描き切れずにいたのに……」




