STORIA 76
この気持ちが描いた物を誰かに見て貰いたいという想いから生まれ来る物でも、動き始めた心を抑えずに進んでみようと想っていた。
何度自分に絶望しても、僕にとって筆を手にするという行為は好きである事に変わらない事。
本当は躰が限界を感じるまで描き続けていたい。
言葉を交わす事のなくなった母が無縁な存在になって、その過去は夢と化した。
あの頃の記憶はいつも心の背を直後から追い立てられる酷な物ばかりで、波が退いた今となっては色々な事を考え、目にする余裕さえも生まれて来る。
ただ変わらず独りで、僕は未だ独り切りで、心が自問自答を繰り返す事があっても誰かと想いを交わす事はない。
こんな感覚、僕はもう随分と幼い物心もつかない時から孤独な渦の中で過ごして来たのかも知れないと想い違いを起こしてしまう位、独りで居る事が不自然な物ではなくなり始めている。
誰一人、僕の心に触れなくなって大きな空洞を抱えた心はただ、無白の時間を埋めたくて様々な想いを巡らせているだけだ。
こんな風に右京さんの事を想い出してみたり、蘭の事を休む暇もなく考えていたり、心の片隅に誰かを住まわせている。
淋しさを紛らす為に隙間を埋める物を相変わらず探しているのに、そんな中、絵画に対する意欲だけは確りと取り戻してもいる。
単に手持ち無沙汰だからとか、日没までの長い時間を少しでも早くにと削る為でもなく、ただ素直に描かなければいけないと想ったんだ。
この指の出来る全てで。
ゆっくりと描きたい物を見据えて、一つ一つの色を丁寧に造り上げる感覚が、この躰に充分戻って来ている事を改めて感じている。
以前より少し穏やかな心で描く術を手に入れた僕が、自分の中では何かが大きく変わった気もしていたけれど。
実際にはその生活環境に何一つ変わりない日々が流れているのだとしても、数週間前までと今ここに在る感情では、確かに異なる変化した想いが存在していたんだ。
それは右京さん、あなたに逢ったからなのだと想う。
あなたの死にこの目が触れてから、僕は何だか全ての事が奇跡の様にも想えて来る時があって。
僕が今、ここでこうして居られる事、好きだと想える趣味に打ち込む自分の姿も、本当は夢なのかも知れないと想う位、恵まれている瞬間だと感じる時もあるのに。
ここに居る事、それは今しか出来ない事があるという真実。
そんな大切さに気付き、何かに目覚めた様に夢中で筆を握り始めた訳には、少なくとも右京さんの存在が僕に影響を与えていたんだ。
病室から解放された後、既に新しい感情が顔を露にしていて、一度は母の冷酷さによって砕かれたけれど、それでも生まれた新たな想いだけはこの胸に秘められたまま消される事はなかったから。
だけど僕の心を占める物は希望ばかりじゃない。
僅かに垣間見えた願いに平行する様に僕は時折、今在る自分の状況が歩んで来た道の最終地点なのかも知れないと想う事もある。




