表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢オチだったとしても……  作者: いたあめ(しろ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/12

小林家の朝

 ジリリリリリ……

 けたたましくなるアラームの電子音。

 ポチッ。

 手探りをしながらなんとかストップボタンを押した。

 うーん、なんか変な夢見たなっ。

 今の夢で起きるのは、目覚めがわるいっ。



 よしっ、また二度寝。

 ……って、二度寝は駄目っ。

 二度寝で人生何回失敗したと思ってるの?

 二度寝で人生何回も酸っぱい思いしたじゃないかっ。

 おおっ、的確なつっこみ。しかも、『失敗』と『酸っぱい』をかけて、結構うまい? 座布団2枚ってとこかな?


 私ってば、朝から、テンション高いなっ。これって、血圧も高いってことなのかな?

 中学時代の不摂生が祟ったのっ? これからは、塩分控えめ、野菜多めの生活をしないとだねっ。

 おっと、今は、健康のことを気にしている場合じゃない。

 目を開けないとっ。

 ……

 だめだ。開かないっ。



 確か、目覚ましは六時四十五分にセットしておいたはずっ。

 時間的には余裕がある。もうちょっと位ならここに居ても、大丈夫、大丈夫っ。

 でも、本当に今日から高校生だよね?

 難関校、館高校(やかたこうこう)に合格したなんて夢みたい。

 本当に夢だったりして……

 確認のため、暗闇の中、ほっぺたをつねってみる。

 いったー。

 ……ってことは、夢じゃないっ。確認。

 今日から私の人生ハッピーハッピー。

 ガッツポーズ。


 ガッツポーズの手の先に、神々しい天使を視認。かくに……

 ……って、天使?

 天使を視認はしたが、私は死人ではない。確認。


 姉さん、今の私には、この天使がいつもの日常を破壊することに、気づけなかったんだ。今の私には……


「何わけわかんない感慨にふけっているのですか?」

 天使からの厳しいツッコミ。


 だって、現実的にありえないじゃん。この作品は、ファンタジーじゃないんだよ。

 いや、待てよ。間違っているぞ。私。

『ありえない』ということは『ありえない』って誰かが言ってた気がする。

 この論理に当てはめれば、朝、目が覚めて目の前に天使がいてもおかしくない。

 何が起こってもおかしくない現代だ。現代という名の波に乗り遅れないようにしないといけないなっ。

 そのために必要なことは、まず、礼儀の挨拶からっ。



「おは……」

 と言いかけた途端、

「入学式そうそう遅刻はいけませんよ」

 そうだよね。遅刻はいけないことだ。

「そうです、そうです。美穂さん。あなたは今、夢の中にいるのですよ」

 な、なんだって!

 そ、そんな、私は起床したはずじゃないっ?

 それに、私の日常は、天使によって破壊されるはずじゃないのっ?

「美穂さん。どんなに文明が栄えようと、天使が下界に降りてくることはありません」

 た、確かに。

「さあ、勇気をもって目をあける時です。今こそ、美穂さんの力を眠気という名のエネミーにみせつけてあげましょう」

 うぉーー!

 私は目をあけるんだーー!

 意気込んだとたん、目の前に、紺色のセーラー服にロングスカートの女性が現れた。

 いわゆる、スケバンってやつだ。



「何、はしゃいじゃってるのさ? 大人気ない」

 苦虫をつぶしたような声で、スケバンは呟く。

 むっむー、あんた誰?

「天使は見ればわかるけど、悪魔は見てもわかりませんとは言わせないよ」

 彼女の言い分だと、このスケバン番長姿のこの娘が、私の中の悪魔ってことっ? なんでスケバンの格好なの? 突っ込みをいれたいけど、突っ込んだら負けなんだろうな。私の夢だし。

 私は平静を装いつつ、ああ、悪魔さんでしたか、こんにちはと挨拶。

「下界じゃまだ朝だけどね。ま、いっか。こんにちは」

 挨拶ついでに、私はそろそろ起きますね。それでは、お二人とも、ごきげんよ……

「はやまるな。美穂」

 悪魔さん、私は、はやまってはいないぞっ。もう起床時間だしっ。

「いや、はやまっている。さあ、思い出してご覧。ここは学校から走れば、十分もかからない、超優良物件じゃないか。この利点を享受しないなんて、もったいないにもほどがある」

 確かに、もう少しだけ寝ていたい。



「その心意気だよ。なんのために、このマンションを借りたかだ。実家から電車で2時間もかかるからだろ? 朝ご飯を抜きさえすれば、登校の二十分前まで寝ることができるんだぞ。さあさ、もう少し惰眠を貪ろうではないか」

 リアルワールドに戻ろうとした途端、悪魔から、魔法(ゆうわく)が。

 でも、私はそんなお誘いにのる軽い女じゃないもんねっ。今までは、悪魔さんのターンだったけど、これからは、ずっと私のターンなんだからっ。

 悪魔さん、あなたの発言に異議ありっ!

 朝食抜いたらお腹すくじゃんっ。お腹すいたら勉強できないじゃんっ。

 だから、私は今すぐ起きなければならないのだよっ。


 ふっ……

 勝っ……

「でも今日は入学式じゃん。今日は勉強しないじゃん」

「言われてみれば確かに」

 ……と頷く。私の中の天使が。

 ……って、おい。何、懐柔されてるんだよっ。もうちょい抵抗しろよっ。私の中の天使。

「でも、遅刻はしませんよ」

 遅刻はしなくても、入学式からぎりぎりな行動は嫌なのっ。

 あー、悪魔とか天使とかもうどうでもいいや。

 私は人生をハッピー•ハッピー•ハッピーにするために、起きるんだっ。

 起きること、重要っ。これ、絶対必要十分条件っ。

 それでは、皆様、ごきげんよう。


 ごきげんようと言ったところで、視界が暗闇に包まれる。

 ん? この暗闇は、現実世界に戻って着たってこと? 目をつぶっている状態ってこと?

 確認のために目を開けようとするがまぶたに力が入らない。

 後は、まぶたを開けるだけなのに……

 まぶたはうんともすんとも言わないよっ。

 やっぱ、春だからかな?

 春パワー全開ってやつ? 『春眠暁を覚えず』ってやつ?

 おお、難しい言葉。私、もしかして、「今日からインテリ」ってやつ?

 ついに、私もインテリデビューかっ。出世街道まっしぐらっ。億万長者も夢じゃないっ。

 でも今は、眠気に勝たなきゃ、明日がないっ。

 目よ。開けっ。開眼っ。


 ……

 だめだ。まぶたは眠気に支配されている。

 それを無理に動かすのは浅はかっ。

 ならば考えるのみ。

 ……

 うーん、特に名案も浮かばない。

 ……

 無音が焦りを生み、焦りが私の体内時計を狂わせる。

 くっ……眠気は入学式早々、私を殺る気だっ!

 完全に私の体を支配している。

 でも、勝つのは人だっ。小林美穂。



 そうだっ。ここは、説得だっ!

 力でねじ伏せるのではなく、言葉を使えば、眠気もわかってくれるかもしれないっ。

 ペンは剣よりも強しってやつだっ。そうと決まれば、善は急げだっ。

 眠気さん、あなたは、完全に包囲されています。

 無駄な抵抗はやめて、さっさと出てきなさいっ。

 今ならまだ引き返せます。

 田舎のお母さんも泣いていますよっ。

 さあ、おとなしく、美穂さんに体を返すのです。

 ……

 ……


 何の反応もない。ただの失敗のようだ。


 くっ、この方法で眠気を引きはがすことは無理かっ。でも、一度や二度の失敗でへこたれる美穂さんではないのだよっ。

 成功するまで、諦めないんだからっ。

 今度はどうしよう?

 サモン・名案・トレビアーン。


 おおっ、素晴らしい呪文が生まれた。

 サモン・名案・トレビアーン。

 この呪文が眠気を吹き飛ばす……わけないじゃんっ。

 あーもー、埒が明かない。まあ、拉致されてるのは、私の体なわけですが。おあとがよろしいようでっ。

 ……って、何をふざけているの。こういうくだらないこと考えるから、起きれないんだっ。

 落ち着け。とりあえず、動かせる部分から動かしていこう。

 こんなにしょーもないことばかり浮かぶんだから、頭はもう起きているよね。

 そういえば、『頭が動けば尾も動く』っていう諺があった気がする。

 ん? 考えてみれば、ほっぺをつねった時、腕は動いてたよね?

 そうかっ。まぶたは開けられないけど、他の部分は動くんだっ。

 そうと分かればこちらのものっ。

 1、2の3で体を無理矢理、起き上がらせてしまえっ。

 1、2の3。

 ハンドスプリングをするように、勢いよく頭を起こした途端、


 がんっ。


「イタタタタ」

 これは、さっき天使を無視した天罰? もしくは、悪魔の罠?

 そういえば、今日から、またダブルベッドだったっけ?

 くっそー、忌々しいダブルベッドめっ。

 あーもー、いらいらするっ。

 おっと、朝から、血圧はあげちゃいけないなっ。とりあえず、落ち着け。深呼吸だっ。

 鼻から吸って……ん? このにおいは? お味噌汁の香り?


「お怪我はありませんか?」

 ハーブのように凛としていて、清流のように澄みわたった声が私の耳をくすぐった。

 重たいまぶたをそーっとあけてみる。

 霞がかった視界の中、声の主がだんだんと形になってくる。

 肩まで伸びた漆黒のさらさらストレートヘアに、大きくつぶらな瞳。絹のようなきめこまやかな乳白色の肌。そして、ふくよかな胸に、モデル並な腰のくびれ。

 天使だと認識するのに時間はかからなかった。



 天使……地上に降臨すんじゃん。

 いや、でもでも、反対の見方もできるっ。

 入学式そうそう、ベッドに頭を打って死亡……みたいな?

 うっわー、私、超まぬけ。新聞になんて載るのかな?

 一面にどーんと、『若さゆえの過ち。入学式の朝、興奮のあまり、超美人高校生が頭部をベッドにうって死亡』

 ……って、いやいやいや。何考えてんの。自分で自分を勝手に殺すな!

 私は、まだ、天国に一番近い女ではないぞっ。



「痛いの痛いの飛んでけ」

 ふいに、天使が子ども向け魔法を唱えると、じんじんとした痛みが、すーっとひいていった。

 え? やっぱり本物の天使?

 確認すると、天使は、右手に持った濡れタオルを、私の頭へ、そっと置いてくれていた。

「わたくしが中学三年生、美穂さんが中学二年生の時に使って以来ですから、ダブルベッドは一年ぶりですものね。頭をうっても、いたしかたありません。明日からは気をつけてくださいね」

 水で濡れたタオルが私のヒートアップした頭の温度を下げていく。

「ちさ姉!」

 割烹着姿に身をつつみ、左手に出刃包丁を持った天使を見て、思わず叫んでしまった。

「はい?」

 呼ばれたちさ姉は、柔和な笑顔をこちらに向けてくる。

 なんだ、私の姉、小林千里お姉様じゃないかっ。天使かと思った。一安心。


 ……

 ……はっ、見とれてしまった。

 笑った時のちさ姉の泣きぼくろが魅力的すぎるからいけないんだっ。

「美穂さん、大丈夫ですか?」

 大丈夫じゃないです。ちさ姉の可愛さは、もはや犯罪です。

 笑い顔も良いけど、ちさ姉の困った顔も見たくなったので、沈黙してみる。

 ……


 ちさ姉は、眉をひそめて、私の頭をのぞきこみ、大きなこぶにはなっていないようですが……と困った顔で呟いた。

 その表情、その表情。

 思った矢先、ずきん。

 聞こえてくるよっ。ずきん、ずきん、ずきん。

 あれ? この痛み、結構な致命傷かも……

 ちさ姉の表情が良心にクリーンヒット。


 これ以上、ちさ姉をいぢめたらたぶん、死んでしまう。良心の呵責で。

「うんっ!!大丈夫だよっ!!なんか悪い夢みてたんだけど、今の衝撃のおかげで忘れられたよっ!!ラッキー☆」

 満面の笑みでちさ姉からもらった濡れタオルをぶんぶん振り回しながら、返答する。

 それに呼応して、少しきょとんとした後、微笑みながら、

「ポジティブなのですね」

 と一言。

 ちさ姉、それ、ほめ言葉になってないから。

 文句がありそうなしかめっ面を知ってか知らずか、ちさ姉は、語りかけるように微笑みなおし、顔をゆっくりと近づけて、私の顔を覗き込んできた。

 ちさ姉、あの、その、顔が近くて、あの、私、化粧もしていないどころか、顔も洗っていなくて……


 まだ朝だし、なんていうか……その……

 今にも、唇と唇が重なり合ってしまいそうなほどの距離。

 えっと、これは重ね合わせて良いってことかなっ? 合わせちゃうよ?

 ちさ姉のその柔らかそうな唇、もらっちゃうよ?

 あと、数ミリで重なるというところで、


「大丈夫そうで、良かったです」

 胸をなでおろし、顔を遠ざける。

 私のファーストキスはお預けのようだ。

 くーん。

 犬のようにうなだれてから、ふくれっ面をちさ姉に見せつける。

 ちさ姉は、私のふくれっ面に疑問を抱きながら、ちさ姉は軽く握った右手で、子どもをあやすかのように、優しく撫でてくれた。



 ちさ姉、撫でてくれるならグーよりパーのほうがうれしいかも。

 まあ、それは贅沢かな? ベッドにぶつけた箇所はきちんと避けて撫でてくれてるし。

 私、今、幸せだし。


 幸せな時間もつかの間、

「カーテン、開けますね」

 ちさ姉は、二段ベッドの脇にあるカーテンを右手で音もなく開ける。

 開けると同時に柔らかい春の日差しが照りつけた。

 ちさ姉も少し眩しそうに目を細めたと思ったら、瞳を大きく見開いて、

「あっ、お鍋の火をつけっぱなしにしてしまいました」

 ちさ姉は言うや否や、振り返って、左手に握りしめていた包丁を、音もなくナイフのように投げた。

 投げられた包丁は、開けっ放しのドアを通り抜け、一直線に飛んで行く。

 二秒後に、カチンという音。


「ふー、あやうく、焦がすところでした」

 どうやら、お鍋の火は消えたようだ。

 それにしても、圧巻だっ。十メートル以上も先から、包丁を投げて、コンロに当てるなんてっ。

 さすがは、包丁研ぎや、桂剥き、三枚卸しはもちろんのこと、投げナイフならぬ投げ包丁を使いこなし、本気になれば、鉄をもまっぷたつにできる『無名流包丁術』の継承者候補だけのことはあるっ。



「……って、ちさ姉。あんなに強く投げて大丈夫だったの? コンロとか床とかに傷がつきそうなんだけど……」

「私が今持っていたものは、一番の愛用包丁『細雪』ですよ」

 ちさ姉は、事も無げに言う。

「なるほどっ。ちさ姉の愛用包丁の『細雪』かっ。……って、それ、何か関係あるの?」


「ええ。関係いたします。只今、包丁の柄の部分をコンロに当て、その反発力を利用して、テーブルの上のコップの中に入るよう、計算して投げました。他の包丁ならば難しいですが、『細雪』ならば、朝飯前です」

 すごっ。そんなことまでできるんだっ。

「あの、美穂さん、勘違いしないでください。こんなこと、日常的にはいたしません。今回は緊急事態だったので……」


 ちさ姉は、顔を赤らめながら、パタパタとスリッパの音をたて、バタンとドアを閉めて出て行った。

 ちさ姉が、言い訳なんて、珍しい。

 きっと、明日の天気は、包丁が降ってくるに違いない。明日は血の、雨あられ……って、んなわけないじゃん。朝から残酷すぎでしょ。

 ちさ姉が火を止めることを忘れるくらい、私のことを心配してくれたってことでしょっ。

 ありがとっ。ちさ姉。

 壁には二着のセーラー服。私よりちょっと大きめの着こなされた紺色のセーラー服を見て、微笑むと、まだしわのない制服に袖を通した。


 入学式直前、服装チェッーーーク。

 ちさ姉曰く、校則に関して、二•三年生に対しては緩いが、新入生に対しては、厳しいらしいからなっ。

 飾り気のない白い全身鏡の前に立って、スカートの長さを確認する。

『ミニスカートと呼ぶには長く、ロングスカートと呼ぶには短く』が、高校の校則らしい。

 今年の一年生のネクタイは赤だから、間違ってないっ。

 ニーソックスを履いてと、ソックタッチも完備したし、リップもポケットにいれた。

 うん。オッケー、オッケー。

 今度は顔を重点的に見直す。

 昨今、人は見た目が十割とききますからなあ。

 まずは、髪の毛。

 昨日、ちさ姉から言われたことを思い出す。

『肩くらいまでなら、束ねなくても大丈夫です』

 うーん、長さは大丈夫だよねっ。肩にかかるかかからないかのスレスレだけどっ。

『それと、髪の色ですが、新入生の染髪は禁止されています。しかし、美穂さんの場合、地の色ですので、多分、注意はされないでしょう』

 生まれつきとはいえ、茶色がかっているから、結構、気にしちゃうんだよねっ。先生や上級生に目をつけられたら――


 ……その時はちさ姉に助けてもらおっとっ♪

 昨日はよく眠れたから、コンシーラも必要ないしっ、肌も荒れてないっ。

 顔を一通り見回すと、湿って、ぺちゃんこになった髪が気になった。

 櫛で髪をすいていると、


 ジリリリリリ


 またしても、アラームの無機質な音が部屋中に鳴り響いた。

 あー、そっか、念には念を入れて、目覚まし時計7時にもセットしておいたんだっけ?

 目覚ましよ、お務めご苦労さんっ。心で感謝を表明しながら、灰色の小さなストップボタンを押した。

 押したと同時に、コンコンというノックの音。

 二度寝してると思って、ちさ姉がまた、起こしにきてくれたのかな?

「私、もう起きてるから、大丈夫だよ」と言おうとすると、

「あと、5分―」という、小学生が言いそうな声が隣の部屋から聞こえるや否や、


 ピポパピポパピピピポパ。

 ピーーーガーーー。

 爆音が、私の鼓膜をダイレクト攻撃。

 とっさに耳を塞いだが、時すでに遅し。

 カキ氷を食べ過ぎた時のような感覚が耳の中に鳴り響く。

 なんなのだ、この音? 目覚まし?

 目覚ましにしては近所迷惑だろっ。

 多分、800デシベルくらいあったぞっ。


 数分後、爆音は何事もなかったかのように、静寂へと帰していった。

 一体全体なんなのだ?

 疑問をもちつつ、ドアノブに手をかけようとした瞬間、

 ドン。

 音もなく開いたドアと顔面が正面衝突。目から火花が飛び散る。

 いったー。次から次へと一体何?


「みほさん。すみません」

 そう言って、頭を下げてきたのは、ちさ姉だった。

 ちさ姉は、右手に持っていたコルクのようなものを私に差し出してくる。

 み、耳栓?

「お鍋の火に気を取られ、お渡しするのを忘れていました。わたくしとしたことが……」

 どうやら、ちさ姉は、耳栓を渡し忘れたことを気にしているらしい。

 左手に携えている『細雪』に目をやると、少し刃こぼれしている。

「何かあったの?」

 とりあえず、ことの発端を尋ねた。

「つまり……」



 つまりは、マドの仕業だった。

 もちろん、『窓』のことではない。ちさ姉より1学年上、つまりは私より2学年上の小林円(まど)()のことだ。

 騒音の元凶は、円葉の部屋からだった。

 円葉の部屋は、十二桁の番号を入力した後、ドアが開くシステムになっているらしいのだが、そのシステムを起動させると、部屋に入った者が出るまで、アラーレット音が鳴り響くらしい。



 部屋に入ったら、入ったで、侵入者撃退用のトラップが作動するのだという。

 しかも、トラップは、ご丁寧にも毎日ランダム。

 ちなみに、今日は、今までなかったチェーンソーを主にしたトラップで、苦戦してしまったというのは、ちさ姉の話である。

 ちさ姉、それ許しちゃだめだよ。

 でも、ちさ姉、年長者に対して、よっぽどのことでないと文句を言わないしなっ。

 私から文句をいってやらねばだっ。


 茶色い革製の指定かばんを持ち、部屋を出ると、何かが蠢く姿。視線をななめ下四十五度に落とす。

 そこには、ぼさぼさの髪でツインテールを結った少女が、せっせと機械をいじくりまわしていた。

「ちょっと、マド」

 防音材になるようにかばんを口元に当て、十センチ以上身長差のある姉を見下しながら、小声で威圧的に怒鳴る。

「姉様は? きちんと、ルールは守ってくれないと」

 ルール。我が家では、どんな時でも年上の人を呼び捨てにしてはいけないという掟がある。

 もし、ちさ姉がここにいたら、呼び捨てはいけません。……と愛用包丁『細雪』で一刀両断だろう。

 しかし、ちさ姉のいる台まで聞こえなければ、問題ない。好き勝手におとしめてやるぜっ。



「うるさいっ! 朝、自分で起きられないような、だらしない人間は、マドで十分だ」

「サドとマゾを足して2で割ったような言い方だな。それで、僕をコケにしてるつもり?」

「MAD SIENTISTの意味を込めて、マドって呼んでるんだけどね」

 高校の科学部の部長もやっているということで、マドに皮肉をたっぷりとこめると、

「なら『マッド』だろ」

 ……冷静に返された。



「それに、僕が自分で起きられないって、どういうこと?」

 マドは目を細めて、私にがんを飛ばしながら尋ねてくる。

「ちさ姉に起こしてもらってるじゃん」

 そう。その通り。ここに嘘偽りはあるはずない。なぜなら、ちさ姉、本人に直接話しを聞いている。

「ふっ、何を言うかと思えば……おい、美穂、お前、本当にそう思っているのか?」

 マドは眉間にしわを寄せながら尋ねてきた。

「どういうこと?」

「僕が自分で起きていない証拠はあるのかと言ってるんだ」

 証拠? 寝ぼけたことを。まだ、マドはおねむの時間なのか? 一気に夢から醒ましてやる。

「ちさ姉が毎朝起こしに行ってるんだ。今日だってそうだったじゃないか。それが証拠だよ」

 ちさ姉が起こしにいっているという状況証拠。それだけで十分のはずだ。

 ところが、マドはお腹を抱えながら、大笑いしはじめた。


「何がおかしいの?」

「頭のうちどころ間違えて、夢と現実がごっちゃになってるのではないか? 美穂ちゃん?」

「えっ?」

 聞き返すとマドは大笑いをやめて、いやらしくにまにまと笑い出した。

 鏡を見なくてもわかるくらい、自分の顔が熱を帯びていている。

 どういうことだ? マドはその時間には寝ていたはず。なんで?

 とりあえず、なんか言わなくちゃ。

「そ、それは、あの音が大きかったから。第一、その音のおかげでマドは起きたんでしょ?」

 私の言葉を聞くと、マドはぶっきらぼうに口元を歪め、問い返す。

「では、聞くが、僕のセキュリティシステム解除の音とどちらが大きかった?」

 もはや、ペースで負けていた。

「そ、それはっ……」

「僕のセキュリティだろ? 僕はもうその時、すでに起きていたのだ。美穂、お前のために最初から整理してやろう。愚人である僕は、説明が大好きだからな」


 きーっ、マドっ、むかつくっ。

 昔の偉人は『本当に頭のいい人は無闇やたらに説明しない』と言っていた。

 そして、マドは、自分のことを説明したがる『愚人』だと言った。その『愚人』に説明してもらう私の立場はどうなるの? 超愚人ってこと? 海外風に言うと、スーパーフールってことっ? エイプリルフールは何日も前に終わってるつーの。

 私が眉をピクリと動かした反応を見て、不敵な笑みを浮かべ、マドは説明をはじめた。

「まず、僕は六時三十分に起き、身支度を始める。それを終えた頃、つまり七時ちょっと前、いつも通り、千里が起こしにくる。ここまで異存はないな?」

「……まあね」

「そして僕は返事をする。いつも通り、『あと五分』とな」

「その後はどうするの?」

「その後、僕は耳栓をしてちさとが入るのを待つ。もちろん、寝たふりをしてな。そうして僕はちさとに起こされる。わはははは」



 マドは、ぺったんこの胸をそらせながら、腰に手を当てて、自慢げに言ってのけた。

「もし、僕が自分から起きていなかった場合、この短時間で、制服に着替えられないだろ?」とダメ押しまでしてくる。

「なにそれ? わけわかんない。ちさ姉が起こしてくれる意味ないじゃんっ」

「この世に意味があることなど、あるのかな?」

 マドは、不敵な笑顔をこちらに向けてくる。

「自分で起きているなら、ちさ姉を危ない目にあわせないでよ」

 そう、実際にチェーンソーのような罠が、ご丁寧に、毎日日替わりであるのだ。もし、ちさ姉に万が一のことがあったらどう責任を取る気だっ?

「危ない目? なんのこと?」

 やれやれだ。自分の妹にしていることもわからなくなってしまったらしい。あるいは、誤魔化そうとでもしているのか? そうはさせないんだからっ。

「チェーンソーとかのトラップだよ。ちさ姉に聞いたんだからっ」

 私の話を聞いたマドは、頭をかきながら面倒くさそうに、

「勘違いしているところ悪いが、あれはフェイクだぞ。偽物。ただの脅しだ」と呟いた。

「へっ?」

 少しの間の思考停止(フリーズ)の後、

「し……知ってたよ」

 というまぬけな再起動音(こえ)をなんとか発した。

 マドは、私のまぬけぶりを哀れむかのような眼でこちらを見てくる。

 そんなに、私は可哀想な子じゃない。私はもっとできる子なの。



 そうだっ。あの音っ。

「マド、こんなにうるさかったら近所迷惑じゃん」

 なんとか思いついた矛を手に、マドへ反撃開始だっ。

 ふふふ、この攻撃は避けれないだろっ。例えるなら、この攻撃は、伝説の剣の絶対攻撃並の攻撃力っ。どうだっ。参ったかっ。

「ここはアパートの三階。このフロアはもちろんのこと、二階にも、四階にも誰も住んでいない」

「そんなこと言ったって、周りの人に迷惑じゃんっ」

「田んぼの真ん中に、ぽつんと一つだけ建っているのに?」

 い、言われてみれば。

「強いて言えば、6階に大家さんが住んでるくらいだけど、防音効果があるこのアパートならば、6階まで響いたとしても、たかが知れてる。結局、近所なんてあってないようなものだ」

 私の伝説の剣は、どうやら、砂糖菓子製だったようだ。



 いや、ちょっと待てよ。

「私への迷惑は?」

「だから、耳栓」

 このお子様は……

 火に油を注いだな?

 注ぐからにはそれなりの覚悟があるのだな?

「このっ、馬鹿マド……」

 口とともに、手を出そうとした瞬間、

「朝ごはんできましたよ」

「はーい、ちさ姉。今、すぐにゆきます」

 ちさ姉の澄んだ声が、私の興奮物質(アドレナリン)を減らしていった。

 こうして高校生初、第一次姉妹大戦は、ちさ姉のゴングで幕を閉じるのであった。



 お味噌汁の香りにつられ、襖を開けて茶の間に入る。畳にシックなちゃぶ台。みるからに、ちさ姉の好みそうなレイアウトだ。ちゃぶ台の上には、ご飯に豆腐とネギの味噌汁、焼きシャケに肉じゃが、のりに白菜の漬物が三人分置かれていた。

 もちろん、ちさ姉特製の手料理だ。

 美味でバランスの良いちさ姉の手料理が毎日続くのであれば、薔薇色人生間違いなしだよっ。



 とりあえず、机の上にある、ご飯の量を見比べる。

 手前にある茶碗だけ、他より多く盛られていた。

 つまり、私の席はここだよと書いてあるようなもの。

 通学かばんを部屋の隅に置き、シックな紫色の座布団に勢いよく正座をする。

 ちさ姉、まだかな? 私、もう、我慢ができないんだけど……

 こぼれ落ちる涎を手で拭いながら、ちさ姉の到着を待っていると、

「お先に食べちゃってください。細雪(ほうちょう)研ぎに時間がもう少しかかりそうなので」

 との声。さすがは、姉妹。私の考えてることが通じたのかな? 私ら、いつも以心伝心……ってやつかな?


 ちさ姉の許しも貰ったことだし、

「いっただきまっす」

 ちさ姉に聞こえるように、元気いっぱいに叫んでから、朝食にありつく。

 おいしいよ。ふっくらご飯に、味噌汁。日本の朝はやっぱりこれだねっ。

 それぞれのお皿を配分よく四分の一ほど食べおえた頃、マドがすたすたと入ってきて、座布団に座る……のかと思いきや、テレビをつけ始めた。



「ちょっと、ちさ姉のご飯があるんだから、テレビつけないでよっ」

 食べることに集中できないじゃん。

「サイエンスOO(ダブルオー)とその後のニュースを視ることが、僕の日課なんだから、邪魔するな」

 と返してくる。



 ちさ姉は私たちのために、毎日おいしい料理を作ってくれているんだよ?

 それをこともあろうか、テレビを視聴しながらご飯を食べようなどとは……

 恩知らずの、ながら族めっ。


 ……

 ……って、ソーラー電池ってここまで、進化してたの? すごっ。

 いつの間にか、私がサイエンスOO(ダブルオー)に熱中し始めた頃、ちさ姉が足音をたてずに、入ってきた。

 ふと、自分の状況を見て、焦る。いつもなら、食べ終えてる時間にも関わらず、ほぼ半分の朝食が残っている。

 ちさ姉なら、今日のわたくしのご飯、美味しくなかったですか? などと言い兼ねない。



「あ、ちさ姉。これは、ちさ姉のご飯がおいしくて、味わって食べようと、よく噛んで食べようとした結果なんだよ。別に、テレビに夢中だったとか、そういうわけではないんだよ」

 我ながら、言い訳がましいっ。

 ちさ姉は言い訳に気づいているのかいないのか、ふんわりとした笑顔。うっ、良心が痛む。



 そうだ、話題を逸らして、私のご飯の進み具合までチェックが行き届かないようにすればいいんだっ。我ながら、グッドアイディア。

 ちさ姉の注意が逸れるような、何かインパクトのある話……



 そうだっ。今朝のことを話題にしてみようっ。

「そういえば、マド……(ねえ)のこと、毎朝起こさなくても良いんじゃない?」

「えっと……それはどういった了見でしょうか?」

「マド姉は、自分で起きてるんだよ」

 ちさ姉は、目を大きくしてきょとんとした後、

「それはないかと存じますが……」

 優しく微笑みながら、ちさ姉は続ける。

「今日も、ぐっすりと眠っていらっしゃいましたし」

「それは、寝たふりなんだよっ。マド姉は、一回起きてから、制服着替えてから、寝てるんだよっ。だから、起きた時には、もう着替えが完了してるんだよっ」

 説明しながら反論する。

「最近の円葉姉様は、制服を着たままお眠りになるのですよ」



 一応、止めてはいるのですが……と小さなため息。マドに目をやると、緑のネクタイはもちろんのこと、制服もしわくちゃだった。

「ちょっと、待って。あんなに大きなセキュリティの音なんだよ? あの爆音の中じゃ、マド姉、眠れないでしょ?」

 あの無神経なマド姉でも……と付け加えたいのをぐっとこらえて、ちさ姉に尋ねると、

「耳栓をして眠ってらっしゃいますから……」


 へ? 耳栓?


「じゃあ、『あと、5分』っていう声は?」

 耳栓をしていたら、ちさ姉のノックに応えられるわけがない。

「ああ、それは、円葉姉様の目覚まし音です」

 目覚まし音? どういうことだ?

「昨今の目覚まし時計は、目覚まし音を自分の声に設定できるものもあるのです」

 つまりは、その機能を使って、目覚ましをかけたってこと?

「じゃあ、じゃあ、なんで、今日、私がベッドに頭を打ったことを知ってたの? 耳栓をしていたら、そのことは気づかないよね?」

 思いがけないちさ姉の発言に声を荒げてしまう。

「それは、わたくしがお伝えしたからです」


 へ? あ、そーゆーこと。



「じゃあ、部屋のトラップは……」

「不覚ながら、今日はひざにかすり傷をつくってしまいました。わたくしの機械音痴を差し引いても、今回のトラップはかわせたはずです。まだまだ、修行不足というところですね」

 だまされたっ。

 くっそー。ちさ姉から聞いた、私のドジをあざ笑いながら、私を騙して楽しんでいたんだっ。

 本当に、腹立つ。

 こういうのって、だまされた私が悪いの? いや絶対、だますほうが悪いんだっ。



「マードー」

 できるだけ憎しみをこめて低い声をだしたところで、ちさ姉が、優しく、しかし闘気を込めながら、私を睨む。まるで、私は、へびににらまれた蛙。まるで、マングースに睨まれたへび。まるで、飛べない豚……って、最後のは違うか。まず、私のすることは……

「姉様ー」

 姉様をつけることで、威圧はなくなり、ちさ姉に普段の笑顔が戻った。

 呼ばれたマドは、突然真剣な表情になり、はしとおわんをどんと音をたてて置いた。


 む。臨戦態勢か? こちらも、いつでも戦えるように身構える。今、この瞬間、第二次姉妹大戦の火蓋がきっておとされたようだ。

「千里ー」


 む。ちさ姉を呼ぶとは卑怯なり。ちさ姉を仲間に入れ、私をおとしめるつもりだなっ。

 どうするよ? 私? 

 ……などと、まごついているとマドは、

「味噌変えたでしょ? 白味噌じゃない」

 と、突然怒りはじめた。

 ……


『は?』の字もでなかった。もちろん、『ひ』も、『ふ』もだ。

 こうして、第二次姉妹戦争はあっけなく幕引きとなった。はじまりさえもおとずれなかった気もするけど気にしたら負けだっ。

 ちさ姉は、白味噌じゃないおみおつけも試してみるべきだという説得もむなしく、マドは、テレビにくいつきはじめた。

 人の話を聞きなよっ。マドっ。心の中で念じながら、ちさ姉の手前、私は、食事に専念した。


 ご飯を食べ終えて、入学式案内のプリントをかばんから取り出す。

 えっと、入学生の集合時間は……と。

 九時か。上級生の集合時間は、十時って書いてあるっ。ちさ姉と一緒に夢の登校は明日までおあずけってことか。しょんぼり。


 しょげていても仕方ない。今、できることをしなくては。

 えっと、忘れ物チェックは昨晩に何回もしたしな。

 そうだっ。歯を磨こう。

 洗面台ではやばやと歯を磨き終え、笑顔の練習をしてみる。

 にぃ。

 うん。OK。



 あとすることは……特にないや。新しい生活で、時間的余裕をもつ私。うん。私も大人になったものだねー。これが、大人の余裕ってやつ?

 余裕な大人がすることといえば、新聞を読むことだけど、うちは新聞とってないからなっ。

 じゃー、高校生だし、ニュースでもみようかな?

 テレビをみるために茶の間へと向かった。


 戸を開ける。

  NOW LOADING(脳内整理中) しばらくお待ちください。


 Q その部屋には誰がいますか?


 A はい。おそらく、女の子がいます。


 Q その子は何をしていますか?


 A 彼女は、子どものように、科学番組に夢中になっています。


 Q その女の子はあなたの妹ですか?


 A いいえ。私の姉です。


 LOAD(整理)が終わりました。○ボタンを押してください。

 ハァー(○ボタンの音)


 まだ、終わってなかったんだ……とため息。

 とりあえず、茶の間に入る。

「そんなの番組観て、楽しいの?」

「僕の人生、楽しいことなんて全くないよ。あーあー、胸がわくわくするような、ミステリーが、ある日突然、おきないかなー……ってか、事件起きろー」

 床に転がり幼稚園児みたいに手足をじたばたさせながら大声で喚く。

「何? 胸がわくわくするミステリーって。こんな平和な田舎町にミステリーが起こるわけないじゃん」

 事件が起きたら、きっとそれは夢の話だ。

「じけーんー。ひーまー」

 マドの動きは、ゴキブリそのもの。


 ……殺虫剤ってあったっけか? マドにスプレーすれば、ちょっとした事件にはなるだろう。

 本気で、殺虫剤を探そうと立ち上がった刹那、ちさ姉が茶の間に入ってきて、申し訳なさそうに、

「みほさん。すみませんが、学校の帰りでよいのですが、加薬を買ってきていただけませんか?」とお願い……いや、懇願してきた。可愛い。



「加薬って、調味料のこと?」

「まあ、そうなのですが、正確には薬味と申したほうがよろしいのでしょうか?」

 ちさ姉は困惑気味の表情で、私に丁寧に説明してくれた。

「調味料というのは、そのままの意味で、味を調えるために使うものなのです。そして、加薬。別称、薬味とも言いますが、そちらは、唐辛子やネギ、胡椒など辛気や香気が強いものを指します」

 地域によっては、これが適応しない場合もありますが……と、ちさ姉。


 へえー さすがは料理が得意なちさ姉。私は妹としてちさ姉を誇りに思います。そして、まだ、床をじたばたしているゴキブ……いや、マドのことを、埃と思います。おっと、そんなくだらないこと思ってる場合じゃない。

「それで、ちさ姉。何の薬味を買ってくればいいの?」

「買ってきてくださるんですか? ありがとうございます。とりあえず、七味唐辛子と、ブラックペッパーをお願いします。もし、ブラックペッパーがなければ、胡椒でも構いません」

 ちさ姉は、嬉しそうに財布から千円札を一枚取り出して、私に差し出した。

「わかった。任せておいて」

 ちさ姉のためなら、例え火の中、水の中、草の中……だよっ。


「すみません。昨日までは、どちらもあったはずなのですが、今朝見たら、何故かなくなってしまっていて。わたくしが足を運べれば良いのですが、生憎、今日は学校が終わったら、アルバイトがありまして」

 ピクン。

 私の耳が動きに動いた。



 ちさ姉がバイト? いったいどこで? そんなのマドにやらせればいいじゃん。ああ。マドが高校三年生で、受験生だから? そんなの関係ないよ。今から、がつんと言ってあげるから。

 よしっ、マドのところへ行こうと決心した矢先、



「そういえば、件のことなのですが……」

 ちさ姉が、申し訳なさそうに言い淀む。

「『くだん』って?」

 いつの間にか、科学番組に夢中になっていたマドにバカにされないように、小声で訊く。

「『さっきの』という意味です」

 ちさ姉も気を遣ってか、私の耳元に両手をあて、マドまで声が届かないように教えてくれた。

「さきほどの、薬味の話ですが、もし、コンビニエンスストアになかったら、そのままお家に帰ってきてくださいね。スーパーマーケットまでは距離もありますから」

「でも……」

 ちさ姉の役にたちたいんだよー 何がなんでも。是が非でも。

「もしもコンビニエンスストアにないようでしたら、バイト先の店長に頼んでみます」

 私の何か言いたそうな表情を察してか、ちさ姉は、微笑みながら、応答する。

「うん。分かった」



 家族なのだから、そんなに遠慮しなくても良いのにっ。

 ちさ姉の奥ゆかしさは昔からだから、仕方のないことだけどっ。

 ちさ姉との会話を終え、部屋にたてかけてある正八角形の壁時計に目をやる。

 針は、八時三十分をさそうとしていた。

 遅刻はしないだろうけど、良い時間だ。初登校だし、道に迷う可能性もある。

「ちさ姉、私、そろそろ家出るよっ」

 茶の間を急いで飛び出しローファーをさっと履いて、マンションを後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ