転移二日目③/命の重み
命は軽い。
しかし、生きていくにはあまりにも重い。
そのように考える事が出来て、命を尊重し合えるのは道徳心ある人間だけだ。
道徳心無き人間は獣畜生となんら変わりがない。
⎯⎯⎯弱肉強食。
それが世界の摂理だと恥もせず宣う。
だけど、それはあくまで人間同士のルール。
魔物などのような獣には当てはまらない。
弱肉強食の世界で損得勘定を測れない生命は目先の利益に目が眩み、その先を見据える事が出来無い。
生存本能が強い獣は多少違うのだろうが、先程殺したブラックハントドッグはまさしくそれだった。
いや、四の五の御託を並べ立てる必要は無い。
俺を殺そうとしたから殺した。
経験値に加算されるから殺した。
魔物を殺しても問題無い倫理世界だったから躊躇無く殺した。
俺が殺そうと思って殺した。
そして殺してから自覚した⎯⎯⎯魔物も血の通った生き物だという事を。
あの時の痙攣は命が果てる信号だ。
いつまで遊び気分のお気楽野郎だったんだ俺は。
ダメだ。
気持ち悪い。
命は殺せない。
少なくとも我が身に危険が迫らない限りは危機感より忌避感の方が思考の大半を締める。
この問題、釘宮と御子柴さんは⎯⎯⎯。
▼
「キリス、マヒルさん。おかえりなさい」
馬車に戻るとアトゥリエが出迎えてくれた。
中には御子柴さんもいて、バーガーのようなものを食べていた。
外ではメイドが馬車を引っ張っていた魔物に餌を与えていた。
俺達に気が付いた御子柴さんはこっちに視線を向けた。
「そこのランチバッグに昼食が入ってるわ」
それだけ言うと視線を外し、また食事に戻った。
俺とキリスは馬車に乗って手を拭いてからランチバッグの前に座った。
そういえば馬車の中に釘宮とマリネルの姿が無い。
俺と同じ事を思ったのかキリスがアトゥリエに問いかけた。
「……二人は?」
「まだ狩り続けてるんじゃないかしら。まっ、そのうち戻ってくると思うわよ」
「……そうか」
ランチバッグを開けて包み紙に包まれたバーガーを取り出す。
バーガーの中には野菜が入っていたが我慢して食べた。
不味い。途轍も無く青臭い。
ゆっくり食べていたら御子柴さんが水筒を二つ持って俺の隣に座ってきた。
「水、飲む?」
「いただきます」
思えば、カラカラの喉にバーガーが引っ掛かって若干食べ辛かった。
御子柴さんの厚意を受け取った後すぐに水筒の蓋を開け、ゴクゴクと胃の中に水を流し込んだ。
「ぷはぁ」
しばらく振りに喉が潤った。
「ありがとうございます」
「いや、私は用意された物を渡しただけだから……」
御子柴さんは伏せ目がちに言った。
そういえば奇妙だ。
御子柴さんは睨み付けるほど俺の事が嫌いだったはずなのに今は俺に優しくしてくれている。
「ねえ汐倉君」
「はい。何ですか?」
今度はしっかりと目を合わせて喋りかけてきた。
「私、汐倉君に謝りたくて……」
「謝る?」
「そう。釘宮君だけじゃない。私も浅はかだった。昨日の今日だけどすごく後悔してる。釘宮君は頑固だからって、こっちが譲歩しちゃいけない時だってあるというのに私は説得すら諦めてしまっていた」
昨日のルーシェルとした会談の話か。
肩の震えから察するにどうやら御子柴さんは危機感を覚えた様子だった。
「ようやく私達の立場を正しく理解したわ。突然非科学的な事が起こって感覚が麻痺してた。でも、釘宮君はまだ自分と状況に酔って思考を停止している。元の世界でもそうだった。釘宮君の根底には性善説があるから物事の善し悪しを俯瞰的に判断する事が出来無いの。それに加えて意見を押し通すだけの実力があったから余計に手が付けられなかった」
「………」
「私達では釘宮君の暴走を止められない。彼、根は良いけど回り道なんてした事無いから」
御子柴さんは腕を抱き⎯⎯⎯俯いた。
「だったら御子柴さんはどうするんですか? 状況に流されますか? それとも、抗うんですか?」
「私は状況に流されたくないし、抗いたくもない。私はただ虚勢を張ってるだけで⎯⎯⎯本当の私は強くないから……」
御子柴さんは選びたくないと言った。
あんなに気丈な人間に見えたのに、今の彼女は自分は強くないと自虐している。
彼女の潤んだ瞳からは雫が零れてしまいそうだった。
先の魔物討伐で精神的に追い詰められたみたいだ。
「御子柴さんは魔物を倒せなかったんですか?」
「レッドスライムは何とか一〇匹倒せたけど、その他の魔物は地球にいる生き物と似てたから躊躇して剣を振れなかった。この世界に連れ出されてから自分の力が増してるのが何となく分かってたから自惚れてたのね」
「それだったら俺も概ね同じです」
「え?」
御子柴さんは意外なものを見る目で俺を見た。
「何ですかその目は。心外ですね」
「いや、その……男の子ってこういう荒事は得意と思って。何事も得手不得手は人によるわよね……うん、そうよね」
「この世に同じものなんて一つも無いですよ」
だから、釘宮に事を分からせるにはきっかけが必要だ。
有効なきっかけがなんなのかはまだ想像すら付かない。けれどきっかけさえあれば俺達が取るべき優先順位が分かるはずだ。
あいつだって元の世界に友人や家族を残してるはずだから。
「俺だって生き物を殺すのに忌避感くらい持ちますよ。いくら攻撃的で危険性があるといったって、俺達と同じ命があるんすから」
「その点は私と同じね」
御子柴さんは嬉しそうにはにかんで俺の「この世に同じものなんて一つも無い」という発言を皮肉った。
貴方と私に同じものがあった、と。
「そもそもそれを言うと元の世界で自分からヒグマに会いに行きますかって話ですし。棲み分けされてるのに好き好んで殺しに行ったりしませんよ」
「ええ、それもそうね」
少しだけ空気が和んだ。
「不思議ですね。さっきまであんなに悩んでたのに」
「私も、汐倉君と話せてよかった」
現状における解決策は何も無い。
当たり前だ。
帰る為の情報は無い。
俺達の味方もいない。
ルーシェルだって本当に俺達の味方なのかすら分からない。
この何も無い状況下では現状の不利益を解決する意思すらも奪われる。
だけど、心を預け合える人がいた。
同じ理不尽に晒された者同士、語り合う事で少しだけお互いを理解する事が出来た。
この世界でも元の世界でも心の安寧には理解者が必要だ。
だからこそ俺は、御子柴さんとの心の鉢合わせに感謝した。
▽
マヒルとナデシコが仲良く食事に勤しんでる時、すでに昼食を食べ終えていた俺とアトゥリエは馬車から少し離れたところで情報共有をしていた。
「……アトゥリエ。ナデシコの様子はどうだった?」
「討伐の合間に魔術を少しだけ教えたわ。凄い飲み込みで初級魔術なんてすぐにクリアしてたわよ」
「……そうか」
馬車の中でマヒルと昼食を取っているナデシコを恨めしく思ってしまいついつい睨んでしまった。
俺は剣術の腕は玄人並だが、魔術は入門の初級しか使えない。
魔術士至上主義の国に生まれた俺は魔術が不得意だったから十二の時に親から勘当を言い渡された。
だからこそすぐに魔術を行使してのけたナデシコを恨めしく思ってしまうのも仕方が無いだろう。けどそれは流石に逆恨みが過ぎると溜め息混じりに息を吐き、頭を切り替える。
「……剣の方はどうだったんだ? マヒルと同じ様に腰に下げていただろう」
「あー、剣は素人同然だったわね。剣なんか握った事無いですーって感じだったわ。それに、スライムじゃない魔物を前にしたら急に震えちゃってね」
「……魔物を怖がってたって事か?」
もしそうなら大問題だ。
勇者が低ランクの魔物に怖がるなんて笑えないジョークだからな。
⎯⎯⎯召喚された勇者は勝利の為に呼ばれる戦の神だ。
それが戦えないなんて話になるなら問答無用で国民から突き上げとか大バッシングを受けるぞ。
……最悪、王国からも悪い扱いを受けるかもしれないな。
「いえ、それは違うと思う。私も文献でしか知らないんだけど、勇者の世界には比較的穏やかな生き物がたくさんいるって話があるじゃない?」
「……ああ、それが?」
「それをこの世界の魔物と重ねちゃって可哀想とでも思ったんじゃないかしら」
「……命を奪う事に慣れていない。慣れたくないという事か」
「そんなところかしらねー。ね、そっちはどうだったのよ」
「……そういえば、マヒルも似たような感じだったな」
話に聞くナデシコと違い、マヒルは澱み無い太刀筋で魔物を倒していた。
だけど⎯⎯⎯ブラックハントドッグを相手にした後が問題だった。
急に顔を青くしたからな。
あの時は疲れただけだと思っていた。
しかしなるほど、納得したし得心もいった。
マヒルは命を奪った後にようやく命を奪った事を正しく理解して後悔した。
つまりはそういう事だ。
……魔物相手に慈悲を持つとか勇者達の頭はお花畑だな。
「え、マジで?」
「……マジだ」
「だとするととんだ甘ちゃんじゃない。あの二人は何でそんな面倒臭い事考えて生きてるのかしらねぇ」
「……まあ、勇者はここと違う世界の住人らしいからな。俺達とは価値観が違うという事だろう」
キリスは愚痴モードに入りかけていたアトゥリエの言葉を両断して面倒事を回避した。
アトゥリエは鬱憤の捌け口が自分の話をスルーした事に眉を顰めるが、機嫌を損ねられても面倒と思って見逃す事にした。
ところ変わって荷馬車では真昼と御子柴が雑談に花を咲かせていた。
内容はこの世界の事と一切関係の無い話。
その内容である事に深い理由は無く⎯⎯⎯お互い無意識にその話題を避けていただけの事だった。
暗い話題を避けた最善の結果とも言えるし、あるいは現実逃避とも言える。
しかし御子柴は出会ってから一度も見せる事が無かった笑顔を真昼に向けている。
それはきっと御子柴が真昼に心を許しているからに違いない。
それが例え現実を忘れようとしている事に繋がろうとも⎯⎯⎯。
「へー、汐倉君は野菜が苦手なのね」
「いや苦手じゃなくて嫌いなんですけどね? じゃあ今度は御子柴さんの嫌いな食べ物を教えて下さいよ」
「私は別に食べられないものとか無いし……」
「うわずっこい! だったら強いて言うならどんな食べ物が嫌いなのかくらい教えて下さい。そっちだけ一方的に知ってるのはずるいっすよ」
「強いて言うなら? んー、味が強過ぎる食べ物が苦手……じゃないわね。正直食べたくもないから嫌いかも?」
なぜ疑問形? 味が強過ぎる食べ物?
それは例えるなら辛過ぎとかしょっぱ過ぎるのが駄目って事か?
うーん何か違う気がする。
というかこの人、小難しく考え過ぎでは?
「でも味が強過ぎるって言葉足らずよね。ニュアンスが合ってる様で合ってない気がするし。味が濃過ぎるも合ってる感じするし……正しくは癖が強過ぎる食べ物が嫌い?」
それも違うみたいなこれまでと違う豊かな顔をする御子柴さんを見ていて俺の気持ちは和んでいた。
初対面の時はお固めの文系女子に見えていたし、そうかと思ったら理不尽を嫌う激情家だったし、今や綺麗な顔立ちなだけの普通の美少女という印象だ。
理解不能な現状では俺と同じで胸騒ぎがして不安だし、無性に動揺してるし、全てにおいて心配事が尽きない。
だからこうして意味の無い雑談をして気を紛らわせている。けど、これが精神的に意義のある雑談である事に変わりない。
俺達は何かしら余計な事を考えていないと常に押し寄せてくる不安に心を押し潰されそうになるから。
「何となく伝わりましたけど……やっぱり日本語って難しいですね」
「そうね。こんな些細な事でも一言で伝えるのがこんなに難しかっただなんて……いえ、私に語彙力が足りてない良い証拠ね」
雑談を続けてると御子柴さんについて新しい発見が増える。
「色んな本を読んでたつもりだったけど、まだ足りなかったという事ね」
それは彼女が自分に厳しくて、普通に負けず嫌いで、本を沢山読むのが趣味という事だ。
御子柴さんを知るたびに俺の中で御子柴さんの存在感がどんどん大きくなっていく。
きっと上原と会ってなかったら、もしかしたら俺は⎯⎯⎯。
「「ぎゃああああああああああああ!!!」」
俺も御子柴さんもビクッと肩を跳ねさせて驚いた。
今の奇声は何かと冷静に考えたら釘宮とマリネルのものだという事に気が付いた。
何事だろうと御子柴さんと話し合いをしようとした時、キリスとアトゥリエが急いだ様子で荷馬車の外から声をかけてきた。
「二人とも荷馬車から出ないように! 試しの森から魔物が下りてきた可能性があるから絶対に荷馬車から降りないで下さいね!」
「……荷馬車から降りられると守りきれないかもしれない! アトゥリエの指示に従っててくれ!」
御子柴さんと一緒に分かったと返事する。
でも突然の危機に御子柴さんは目を見開き、体を抱えて震えていた。
当然だ。
予想外に強い魔物が現れてキリス達を殺し、さらには俺達をも殺すという最悪の可能性を払拭出来ずにいるから。
正直俺も不安で堪らないが、先程まで笑顔だった御子柴さんには強張った顔をしてほしくない。
そんな顔は御子柴さんには似合わない。だから⎯⎯⎯。
「っ!?」
俺は御子柴さんの肩を抱き寄せた。
「すみません。震えてたし……俺も不安だったので……」
「ううん。私も汐倉君に触れて少し安心できたから……」
御子柴さんの肯定的な声音からも淡くも明るくなった顔色からしてもその言葉に嘘は無い事が分かった。
⎯⎯⎯良かった。
俺も御子柴さんの温かな体温に触れていなかったら死が迫る不安に耐え切れなかったかもしれないから。