加えて一つの蕾が芽吹く
───試しの森。
ランクCの魔物がひしめく森の中に真昼は投げ捨てられた。
真昼を投げ捨てた騎士はそのまま去っていった。
生存確認は必要無いと判断したからだ。
すでに真昼は死に体。
それにレベルの低いランクE程度のステータスではこの森の魔物に食い散らかされて終わりだ。だから帰投した。
夜の帳が下り、深い濃霧が掛かってきた森の中。
騎士が離れたのを見計らって魔物がじわりと真昼を囲い込んだ。
血の臭いに誘われたのだ。
しかし誤算なのは真昼に騎士の臭いが残っていた事だ。
その残り香のせいで本能が近付く事を拒んでいる。
強者の残り香で魔物が拱いている中、真昼は『勇者』の基本機能で延命していた。
それは傷こそ治さないが、死なない限り『勇者』を絶対に死なせない破格の機能。
もちろん真昼の意思とは関係無く職業『勇者』は自動的に機能する。
だからこそ真昼は苦しむ。
苦しんだまま生き延びてしまっていた。
「俺は……何、で……」
間が悪い事に意識を取り戻した真昼は疑問に思った。
何でまだ生きている、と。
身体中に出来た打撲も刺された左目の痛みも爪を剥がされた指の痛みもマシになっている。痛いままなのは変わらないが。
身体から流れる血も止まっている。だからこそ確信した。
───死ねないっ!
まだこんな腐った世界で生きなきゃいけないのかと絶望した。
釘宮はどんな目に遭ってるのか分からない。
御子柴さんは以前の面影も無く廃人に変えられた。
俺自身もまた死に体にされた。
皆やられた。
皆、皆皆皆皆皆皆皆皆皆皆皆皆皆……………りたい。
帰りたい。
帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい!
助けなんて無い!
神も仏もいない!
救いなんか無い!
助けて!
助けて助けて!
助けて! 助けて! 助けて!
元の世界に帰りたい!
助けて! 家に帰りたい! 助けて! 家に帰して!
助けて助けて! 帰りたい………のに帰れ、ない?
何で?
何で帰れない?
何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で?
………何で?
もう、嫌だ………嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!
こんな地獄早く出て行きたい!
どうせ帰れないならいっその事早く終わらせて!
終わらせて! 終わらせて! 終わらせて! 終わらせて! 終わらせて! 終わらせて! 終わらせて!!
「グルルルルル!」
周りから獣の唸り声が聞こえてきた。
ここはカルメロルツの王城じゃない。
鼻を抜ける緑の香り。
どこか自然の中だと理解した。
最後に唸り声の正体を確認する為、真昼は鑑定眼を使───えなかった。
「え……っ?」
光を失った左目に赤く『ERROR』の文字が現れた。
エラー? 使えないって事……?
しばらく『ERROR』の文字が点滅した。
そしてその文字は突然消えた。
消えた『ERROR』に代わり、今度は『OPTIMIZATION』の文字が現れた。
「……最適、化?」
直ぐその下に『UPDATE』の文字が現れ数字がカウントを始めた。
一体、何なんだ?
初めて見る現象に困惑しつつも真昼はもう一度鑑定眼を起動した。
細かいところ。葉脈まではもう見えないけど、右目だけの今でも今度は使う事が出来た。
鑑定眼で周りを視るとブラックハントドッグが群れで真昼を囲んでいた。
それも冒険者キリスの監督アリで倒した奴より大きい個体に視える。
どうやら大型種のようだ。
「は、あはははっ、お前達が俺の最後……か」
以前、真昼は同種の魔物を殺した。
───因果応報。
その言葉が浮かんだ真昼はようやく地獄から解放されると歪み切った顔に喜色を晒す。
痛いのは嫌だが今更だ。
死ぬほどの痛みはすでにこの身が受けている。ならばと最後を受け入れ、ゆっくりと右目を閉じた真昼の顔は穏やかだった。
地獄からの解放。
ようやく安らぎという救いを得られるのだ。
安らかなれ……安らかなれ……安らかなれ……。
───刹那、ビリッと電撃が走ったように真昼の脳裏を濁流の如く駆け巡る召喚されてからこれまでの記憶。
握りしめた掌、噛んだ唇が流血するほどの耐え難い屈辱、腸が煮え繰り返るほどの激しい怒り、その癇に障る負の全てが右目から鮮明に映し出されていた。
右目が記録した全てが真昼に思い起こさせた。
憤り、嚇怒、憤懣、憤慨、憤怒、怨恨、激昂、恨み、憎み、怨嗟、鬱憤、激憤。
その感情の全てを一挙に思い出した。
「……なぜ、俺が死ななきゃならない? なぜ御子柴さんが壊されなきゃならない? 釘宮もそうだ……なぜ俺達がこんな国の為に無意味にも奪われなきゃならなかった……っ?」
ギリッと歯を食いしばり真昼はふらつく身体を無理して立ち上がった。
ブラックハントドッグは動き出した獲物にいきり立つ。
『だから真昼君───私と、生きて。昨日、自分で言ってたでしょ? 『生きる事は諦めたくない』って。あの言葉は嘘だったの?』
御子柴の真っ直ぐな瞳が真昼の右目を捉えていた。
そうだ。
かつて真昼は言った。『生きる事は諦めたくない』と。
『まずは御子柴先輩を助ける。次に汐倉君も助ける。その次に三人で元の世界に帰る! その為にもお前達は───邪魔だ!』
釘宮の言う通り奴らの存在は邪魔だ。
真昼達が平穏を、元の生活を取り戻す為にはあの人非人共は残らず殺し尽くさなければならない。
それ故に全ての穢れを浄化してやらねば⎯⎯⎯跡形も無く。
「俺を殺そうとしたんだ……なら、そうだ。俺に殺されても文句は言えないだろう。人非人は己の死を報いと受け入れて死ね。惨たらしく死ね。死ね死ね死ね───死ね」
だが、奴らを殺す。その為には力が必要だ。
今のままでは無数に居る強力無比な騎士を駆除出来無い。
王族にすら届かない。
「それは駄目だ」
そんなの条理にかなう訳が無い。
「罪には罰を……そうだ、奴らには罰が必要だ」
奴らの罪咎は生半可で贖えるものではない。
だから、傾いた天秤は元に戻さなければならない。
「奪うだけの能無しに懺悔する知能は無い。であるなら⎯⎯⎯」
その為にもまずは生き延びなければならない。
目の前の大型種から逃げ延びなければならない。
試しの森は魔物の群生地。
真昼は血の臭いを纏った極上の獲物。だからこそ逃げるのは困難。
「っ、だけど! お前達を乗り越えられなければカルメロルツに勝つなんて土台無理な話だ! だからこそ俺はお前達から逃げ延びる! 逃げ切らせてもらうぞ!!」
虚勢を張り、真昼は地を蹴り疾走した。
そのせいで強者の臭いが薄れた獲物を魔物が追う。
目の前の脅威から逃げる為、身体を動かすたびに鈍くなった身体が躍動していくのを感じる。
アドレナリンが出てきたのだろうか。
無謀な行動だが、何をせずともいずれ食われて死んでいる。
真昼は死ぬ訳にはいかない。死んでも死に切れない理由があるから。
『これは、ステータスが庶民と変わりが無いではないか』
『いやいや魔力を見たまえよ。事実、皆無ではないか』
『能力値が平凡過ぎますな』
そんな事、俺が一番よく分かっている。
だからこそ外付けの力が必要なんだ。
俺だけでは意味無くすぐに潰されるだろう事は考えるまでも無いから。
『釘宮を……どうするつもりだ』
『さあ、私の預かり知らない事情ですので。ただ国王陛下がこの勇者を所望してる為、命までは取られないと思います』
『そうだったな。おい、女を連れて来い』
『は!』
『いやっ、真昼くっ……真昼君!! 助け、て!! いやあ!! 真昼君!!』
『何だよやっぱり声出るじゃねぇか! 良い声で鳴いてくれるぜ!』
『全く嘆かわしい事ですな。まさか勇者がこのような凶行に及ぶとは……』
『どうして、こんな恐ろしい事をしたのか……教えて頂けますか?』
『なぜ同郷の、苦楽を共にする仲間を強姦したァ!』
『よい。私は我慢の出来る人間だからね』
『残念ですぞ』
⎯⎯⎯ふざけるなッ!
お前らが執り行った蛮行、不条理! 理不尽!
その負債すらも赤の他人に押し付けて何様のつもりなんだ!
煮え滾る怒りを舌打ち混じりに吐いている間にもすでに死に体の身体に大型種の突進による打撲傷、枝木や大型種の爪による裂傷がとどまる事無く増え続けていく。
蓄積していく疲労は徐々に真昼の身体を蝕む。
真昼は襲撃がある中、不規則に息を乱しながら霧の掛かった薄暗い森をひたすらに走り続けた。
しかしそれからしばらくして真昼は足を止めた。
場所は依然森の中だ。
なぜ真昼が足を止めたのか。
それは気付いてしまったからだ。
ブラックハントドッグ。
大型種の魔物が逃げ惑う獲物を甚振り嬲っていた事に。
最初から獲物を食い漁ろうと思えばいつでも食い漁れたという事実に。
真昼は鑑定眼で逃走経路を模索しながら逃げ回っていたが、そもそもランクEの人間がランクCの魔物に勝てる訳が無い。
そんな当たり前の現実に真昼の顔はさらに歪み、影が走る。
「そんな現実、認められるか……っ!」
力……俺に力さえあれば!
窮地を乗り越える力、全てを覆す力が!
この世界に対する怒り。
この国に対する怒り。
それら全てを引っ括めた思い通りにならない現実に対する怒り。
個人的で利己的な怒りが皮肉にも抵抗すら諦め、死にたがっていた真昼を生き汚くさせた。
立ち止まった獲物を見てブラックハントドッグは興醒めと言いたげな冷めた顔をした。
直後、獲物に向かって一斉に飛び掛った。
狩人達は今度こそ狩り獲るつもりで全力を出した。
「くっ───《死ね》ぇっ!!」
無理で無謀と分かっていても、真昼は右腕を振り抗った。
これまでの俺は中途半端に諦めていた。
御子柴さんを言い訳に奮起した気になって。
俺は二度と他人を言い訳に使わない。
二度と諦めない。
二度と意思を曲げない。
二度と止まらない。
もう二度と───。
「だからァ!!」
重い体当たりに身体がよろける……だが、違和感。
身体に一匹も噛み付いて来ていない。
鑑定眼で素早く周りを見渡す。
飛び掛ってきたブラックハントドッグの群れは───絶命していた。
茂みに伏し瞳から光が失われている。動かない。
突然物言わぬナマモノとなったブラックハントドッグに困惑が隠せない。
「何だ……これは。誰が殺した……俺が? いや……」
「グルルルルル!」
困惑する最中、新たな魔物が茂みの影から唸り声を上げ姿を現した。
そして獲物を狩る前に咆哮を上げた。
おそらく仲間を呼び寄せたのだろう。
再び走り魔物から距離を取ろうとした真昼だったが、気が付いたらカクンと膝を突いていた。
何の前触れも無く。
「……は?」
足が動かない。
何なら頭までボヤけてきた。
緊張の糸が切れてアドレナリンが無くなったからか、単純に体力の限界か。
地に崩れゆく身体は痛ましいの一言に尽きた。
「俺はこん、なところで……死ぬ、訳には……」
真昼が倒れるのは必然だった。
彼はこれまで衰弱するまで身体を痛めつけらた。
胸には炭化した大火傷跡。
左目は神経ごと抉り潰され、その後の処置も無し。
挙句の果てに致死量の流血ときたものだ。
それら苦痛を短期間でその身に受けたのだ。
そもそも立っていられる訳が無い。
確かに職業『勇者』の基本機能は優秀だが、思ったほど万能では無い。
延命はするが意識を取り戻させ動けるように回復するものでは無い。
今回真昼の意識が戻ったのは偶然でただ間が悪かっただけだ。
むしろ目を覚まさなかった方がまだ救いがあったのかもしれない。
目を覚まさなければ不愉快な感情の発露無く無駄な足掻きをしなくて済んだのだから。
「うぐ、うう……く…………」
真昼の視界が黒く染まってゆく。
意識が薄くなってゆく。
意識を失ってゆく。
最後に目に入ったのは自身に襲い掛かってきた魔物の姿。
牙を突き立てようと口を大きく開けた魔物の姿だった。




