メレルド村①/御子柴撫子の初恋
───無限に拡がる闇夜を一筋の光が照らした。
奇跡の光は希望を拡げ、無より有を産み出した。
それより有は創造され、維持され、破壊された。
果てしない刻の流れと共に有無は繰り返され、景色は変わりゆく。
世界が変わりゆく⎯⎯⎯。
太陽と月は互いを求め合うが、交わる事はついぞ無かった。
廻って、廻って、廻って。
蒼い流星は無限に等しい刻をただひたすらに見守っていた⎯⎯⎯。
『⎯⎯やっと、干渉できました』
見覚えの無い光景だけが流れていた夢に初めて声が混じった。
高かったり低かったり重複してたりしていなかったりして正しく判断できないが恐らく女性の声だ。
何らかの力が働いてるのか女性の姿は霞んで見える。
だから外見からの判別がつかないけど⎯⎯なんとなく確信した。
『貴方は力を欲しますか?』
正体不明の存在が問いかけてきた。
けど俺は突然の問いに口を噤んだ。
『貴方はこの世界に生き、この世界にて生を受けなかった者。しかし⎯⎯力を望むのなら対価が必要です』
不思議な正夢だ。
それに『力が欲しいか』なんて悪魔の取引みたいな台詞は救世主でもきょうび聞かない。
目の前の存在は割と面白い事を言う奴と認識を加える。
『貴方には願いがあり、今を変えられるだけの力を望んでいるように見受けられます』
それは誰だってそうだろう。
人は誰しも少なからず願いを胸に秘め⎯⎯常に何かを望んでいる。
それ故に人は願望に近付く為に相応の努力をする。
しかしながら要領の悪い凡才は努力する事自体にハードルの高さを感じてしまい、中途半端に夢破れる。
『けれども貴方の想いはまだ弱い。しかし⎯⎯真に願う望みが貴方の世界を変えます』
⎯⎯だけど、俺の現状はそんな生易しい理由で諦められるものではない。
そして物事には努力しようが変えられないものだって存在する。
俺は学校に行って、勉強して、部活して、恋して⎯⎯普通に生活していたかった。
生死を身近に感じる様な修羅の世界は俺の人生には必要が無いから。
だから俺は藁であろうともあるなら迷いなく縋る。
『私達と貴方の間にはすでに縁が結ばれています。だから⎯⎯』
目の前の存在から放たれる輝きによって景色は染まりゆく。世界が染まりゆく。
暗過ぎては何も見えないように、明る過ぎても何も見えないから。
白く染まった世界には何も存在しない──自分自身すらも。
意識が薄れゆく。
不気味なまで白く染まり切った世界から目覚める為に⎯⎯。
▽
「おはよう。汐倉君」
意識が覚醒したと同時に目を開けたら数センチ先という超至近距離に御子柴さんのご尊顔があった。
まだ眠気が残ってるのか弛んだ表情が無防備に晒されていた。
「おはよう。御子柴さん」
挨拶を返すと彼女はへにゃりと笑って目を閉じた。
……彼女、二度寝したみたいだ。
分かる。分かるとも。
二度寝はとても気持ちが良い。
だから俺も御子柴さんに倣ってしばらくおやすみなさいした。
二人揃って二度寝を決め込んだ頃には、俺はその日見た夢の内容をすっかり忘れていた。
それが良い事だったのか悪い事だったのか……それは事を忘れた時点で論ずる価値すら失われてしまったけど⎯⎯。
二度寝から一時間が経過し、窓から陽の光が差し込んできた。
同時に遠くから家畜の鳴き声が薄らと鼓膜を刺激する。
「⎯⎯⎯んむ?」
けど、俺の目が覚めたのは湿った柔らかく温かい何かを口に押し付けられた時だった。
……というか、御子柴さんの唇だった。
「ひあっ!?」
飛び退いた。
それも情けない悲鳴を上げながら。
慌ててバタバタと床を這い部屋の隅へ退避した。
その後、口周りがベトベトしてる事に気が付いた為、ごしごしと袖で拭いた。
もしかしなくてもこれ⎯⎯御子柴さんの唾液か?
「……んっ」
声に視線を向けると蕩けた表情で物足りなそうに人差し指を咥え込む扇情的で蠱惑的な女子がそこにはいた。
……というか、御子柴さんだった。
「な、何でこんな事……何で、何で……?」
突然の接触に気が動転して慌てふためいた。
ショック過ぎて頭が真っ白になった⎯⎯ひとまず落ち着こう。
そう考えたがやはりというべきか全く落ち着けなかった。
上原以外とキスしてしまった……。
「汐倉君……遠く行っちゃヤダ。近くに来て……?」
と言いながら膝をついてにじり寄ってくる御子柴さん。
来てって言ってるのに自分から来るのオカシクナイ? 意味が分からないよ!
白目剥いて思考放棄してしまいたいが、精神的逃げを選択したら状況が悪くなるのは目に見えている。
物理的に逃げるのもステータス差的に難しい。
「ほら、捕まえた……」
「むぐっ」
両方の頬に細くて柔らかくて温かい手を添えられた。
というよりガッチリ俺の顔面をロックした。
力強過ぎ……やっぱり逃げるのは無理みたいだ。
御子柴さんの甘い吐息が顔に吹き掛かる。
「あの、御子柴さん? 何でこんな事……」
「ん〜? 汐倉君はそんな風にカマトト振っちゃうんだぁ」
「……カマトト振る?」
待ってくれ。本気で何を言ってるんだ? この人は。
「だって私達同衾したんだよ?」
はあ? 同衾したからって普通キスするか?
お互い好きでもないただの依存対象のはずだろう……。
いや普通は好き同士でも無いのに同衾しないか……待て、それにしてもだ。
正面から俺を見つめるくりっとした綺麗な目はとろんと垂れていた。
でも⎯⎯寝惚けてる訳じゃなさそうなのが逆に恐ろしく感じる。
俺も俺で寝込みを襲われたショックで頭が上手く回らない。
「それって好きって事だよね? 汐倉君……ううん、真昼君は私が好きで私も真昼君が好き。つまり⎯⎯両思いって事だよね?」
「………………は?」
この一晩で思考がフルスロットルし過ぎておかしくなってしまったのだろうか。
どうしたらそんな結論に至るんだ⎯⎯と言ってもまともな答えが返ってこないのは目に見えている。
目は口ほどに物を言うというように彼女の妖しい目がそれを物語っている。
でも、だからといって雰囲気に流されるのはごめんだ。
「そもそも何で俺の事好きになった? 昨日までそんな素振り全く見せなかったのに」
「んふふ、何でだと思う〜?」
ウザイ。好きじゃない分上原よりウザイ。
ていうか今気付いたけど口調がだいぶ柔らかくなっている。
昨日までの凛とした佇まいと一緒に彼女らしさが刹那で消え去ってしまったようだ。
まあ、彼女らしさっていえるほど御子柴さんの事は何も知らないんだけど。
「夢を見たの」
御子柴さんは俺の顔面をがっちりロックしたまま語り出した。
⎯⎯いや、離してくんない?
私の見た夢では私は元の世界に居て、隣の家には汐倉家が、真昼君が住んでるの。
それでね、私達二人は手を繋いで一緒に登校したんだ。
学年が別れてるから下駄箱で一旦離れ離れだけど、お昼の休み時間にまた合流して一緒にご飯を食べるの。
私が毎朝早起きして作ったお弁当を真昼君はいつも美味しそうに食べてくれてね。
休み時間が終わって教室に戻ると真昼君との事でクラスメイトに揶揄われるの。
朝教室に着いた時も似たような事があったんだ。
他に話題になる娯楽は無いのかしら。
そういえば真昼君も「クラスメイトに揶揄われてて面倒だ」ってぼやいてたなぁ。
その日は真昼君も私の家で夜ご飯を食べたんだよね。
ふふ、帰り道で偶然会った買い物帰りのお母さんが連れてきちゃって。
私のお母さん、真昼君のお母さんと仲良いから「次は撫子ちゃんがうちでご飯食べて行ってねって言われたわ」って話してた。
ご飯食べてから私の部屋に行って二人で勉強したね。
真昼君は私が今年受験生だからって遠慮してたけど、気にしなくていいの。
私は毎週、予習復習をしっかりしてるから多少勉強のペースが遅れても問題無い。
だから肩を寄せて一緒に勉強したね。
それから時間が経って真昼君は帰り支度するの。
私は見送りに玄関まで着いて行くんだ。「また明日ね」って言う為に。
でもその日は何だか変な雰囲気で……。
突然真昼君が私にキスしてきたの。
いつもだったらハグだったのに。
でも、それで私は嬉しくなった。
いつもちょっと冷たい甘えんぼさんが私を求めてくれたから。
それからのご飯はお赤飯で、私達二人は生涯お赤飯を食べていくの。
「それで起床に至るわ。だから⎯⎯真昼君が私の初恋なの!」
───なの! ──なの、なの……と、エコーがかかってるように訊こえるほど凄い迫力を感じた。
「……ぁぃ」
おうふ、反応に困って変な声が出た。
いや、だからって何?
つーか何その幼馴染み系統のリア充。
それ俺じゃないね。設定から何まで俺じゃないね。お赤飯だね。
御子柴さんの夢の中の俺、リアルに充実し過ぎだろ。
現実だと電車登校で基本一人だし、弁当なんて母親にしか作ってもらった事無いし、隣の家に正統派美少女幼馴染みなんて居た事無いし。
「なら質問を変えるけど……何で寝ている俺にキスしたんだ?」
「自分を抑えきれなかったから……でも昨日は真昼君からしてくれてたし、好き同士だし問題無いわよね!」
問題大アリだ……っていうか微妙に話が通じない。
段々と妄想と現実がごっちゃになってきてるし。
本当にどうしたんだ? この人昨日までこんなポンコツじゃなかったはずなのに……。
これは良くない兆候だ。
俺もいつ過度なストレスでおかしくなるのか分からない。
けど、今はまだ俺の中に皆がいる。
クラスメイト、部活メイト、友達、家族、そして上原。
だから、俺はまだ──正気でいられる。
▽
あの後は何とか御子柴さんを宥めて朝食を取りに食堂に行った。
そこにはすでにメイドがいて料金の事は気にしないで何でも頼んでいいと俺達に言った。
席に座った時、俺は姿が見えない釘宮はどうしてるかメイドに聞いたらまだ眠ったままと教えてくれた。
昨日の事で釘宮も釘宮で参ってるのだろう。
直前まで話をしていた人間が死んだんだ。
釘宮本人も殺されかけてたし、その心労は本人以外には図りしれない。
「ねえ真昼君! 手を繋ぎましょう!」
「え? はあ、いいですけど……」
朝食を食べ終えた俺と御子柴さんは食後の運動という名目で散歩をしていた。
散歩だ⎯⎯デートでは断じてない。
本当だったら今日の夕方頃に上原と夏祭りに行ってたはずなんだよな……。
卒業までの一年弱で元の世界に戻らないと、多分上原とはもう一緒にいられない。
高校の間に戻れればまだ関係性を維持出来るとしても大学で新しいコミュニティを築かれたら分からない。
俺を忘れるかもしれない。
上原から俺という存在が消える?
……………………………………そんなの嫌だ!
早く帰りたい……帰りたい……。
「ねえ汐倉君……今、別の女の子の事考えてた?」
「……よく分かったな。真昼検定四級あげちゃうレベル」
「私と付き合ってるのに、これって浮気?」
いつ俺とあんたが付き合った!?
……やばいぞ。
この人、本気で妄想と現実が曖昧になってるんじゃないのか?
うわ、ギラギラした目で睨むな。
美人だから怖いんだよ。余計に。
「浮気じゃないだろ。そもそも俺と御子柴さんは付き合ってすらないし」
「へ〜、そんな事言っちゃうんだ〜。私達婚約者なのに〜」
今の一言でより確信した。
この人は俺より精神がやられてる。
だから⎯⎯繋ぎ止めようとしているんだ。
同じ価値観を持つ、同じ境遇の異性。
対象に寄りかかって依存して常に近くにいないと不安で堪らなくて恐怖心に押し潰されそうになる。
でも御子柴さんのそれは依存というにはあまりにも悲壮感に満ち溢れている。
まるで義務のように、そうでないといけないと言うかの如く分かりやすいくらい俺に好意を寄せてきた。
初恋⎯⎯この人はそう言ったが、そんなものはただの強迫観念だ。
だから女の武器を使ってどうにか俺と肉体的にも精神的にも繋がろうとしているだけだ。
「御子柴さん。それは駄目だ。分からない振りはやめよう」
「駄目って何の事? 分からない振りって?」
彼女は白々しく分からない振りを続ける。
「俺は御子柴さんがいなければ昨日の内に発狂でもしてとっくに頭がおかしくなっている」
「うん。私も真昼君がいなかったらそうなってたかも」
「だから御子柴さんと触れ合ってる時間はずっと安心していられるし、とても穏やかで落ち着いた気持ちになる」
「うん。私もそうだよ! やっぱり私達両思いなのね!」
御子柴さんは嬉しそうにはにかんだ。
違う。そうじゃないだろ。
「それは好きなんて浮ついた感情じゃない。そんな綺麗なものじゃない。依存なんて言葉で片付けられないほどの⎯⎯悼ましい何かだ」
「……何言ってるの? 私は好きだから真昼君と一緒にいるんだよ? それなのに、ひどいよ……っ」
くっ、この人繋いでる手に力込めやがった。
これ以上何も言うなというサインなのか知らないが言わせてもらう。
俺達はお互いの存在だけで世界を完結できるほど精神的に終わっている。
だから俺達は成長しなきゃいけないんだ。
平常で普段通りで普通の精神状態に戻らなきゃいけないんだ。
「その感情は異常な現状が生み出した一過性のものに過ぎないものだ。元の世界に戻った時の為にもこのままじゃ駄目なんだ」
「今の私の気持ちに嘘は無いわよ! 勘違いでもない! ……恋人とか婚約者とか言ったのはごめんなさい。でも、真昼君が好きなのは本当だから!」
御子柴さんはひぐっと嗚咽を漏らす。
「だから、だから……私の気持ちを否定しないでよぉ……っ」
歳下の前で簡単に泣くな……ここで泣かれると俺が困るんだよ。
ほら、案の定ちらほらと同じ道を通行してた村の人に変な目で見られてるじゃないか。
俺は溜め息を吐く。
「……気持ちは分かった。確かに本物かもしれない」
嘘も勘違いも突き通せば本物になる事もあるから。
「でも、あらかじめ言っとく。俺は御子柴さんの気持ちは否定しないけど、それを受け入れるつもりは無い。だって俺には──」
「えっ、何で……私の事嫌いだから? 私めんどくさい? ヤなとこがあったら隠さないで遠慮無く言って! 絶対に直すから!」
「ちょっ、痛い痛い痛い!?」
手を離したと思ったら今度は肩をがっちり掴んで離さなくなった。
指が皮膚に食い込むほど強く掴まれてるから下手に抜け出す事もできないた痛い痛い痛い!
「痛いからいったん離してくれ! 嫌いになったとかそういうネガティブな気持ちは一切無いから! っていうかめり込んでるんだよ! そろそろ俺の両肩が使い物にならなくなっちまうんだよ! 訊け! いいから離せぇえええ!!」
「あははは! テンション高い真昼君初めて見た! かわい〜!」
この人、やっぱり話が通じない!
まるで宇宙人とでも話してる気分だ。
俺の主張には耳を貸さず、俺を痛めつけて自分の意見を押し通そうとする。
メンタル振り切れてからこの人、俺にだけ無敵だぞ。誰かタステケ。
「そこまでになさって下さい。ナデシコ様」
救いの声が届いた。
この声を聞いた御子柴さんは目を見開き、俺の肩から手を外した後、自分の体を抱きしめ震え出した。
俺は掴まれて痛みが走る肩を優しく擦る。
「セイト様が目を覚まされました」
振り向くと、やはりそこに佇むメイドは⎯⎯無表情だった。




