1.異世界で文豪になろう
異世界 異世界・空想世界・幻想世界・ファンタジー・冒険。
それはロマンであり理想である。全世界で読まれている小説も、日本中で流行っているアニメも漫画もそれを形にしている、謂わばロマンの具現化。
人々はそれに憧れまた空想し、幻想を抱く。
だがそれは現実世界で満足のいく結果、現状を得られていない者の逃げ道だと嘲笑する人間も一定数存在するが、現実世界において満足のいく現実を得ている人間がどれほどいるのだろうか。
プロ野球選手を目指し小中高と野球漬けの毎日それを経てかけがえのない仲間、恋人を得たが厳しい野球の世界で選り分けられプロ野球選手にはなれなかった。
その人間は満足のいく現実を手にしているのだろうか。確かに幸せな青春であることは否定できない。
だが、それは幸せな過程であり満足のいく結果ではないはないだろか。
だからこそそんな人はプロ野球中継を見るし野球漫画を読むし、バッティングセンターに行きストレスを発散する。
それは逃げではなく、自分の理想を形にしていくという行為。
誰もが小さな頃思い描いたのではないだろうか。魔法を。幻想を。異世界を。
桜咲 翔もそんな人間の1人だった。
子どもの頃母親に連れて行ってもらい、観た映画に感化されファンタジーに憧れ
、ゲームや漫画に没頭する青春を経て、所謂オタクという人種に成長した。
ありがちな人生を送り高校を卒業し社会人になりここからもありがちな人生を続けていく。
桜咲自身そんな人生に何の不満もなく満足していた。否、していると言い聞かせていた。
だが桜咲の根幹にはファンタジーがあり、それへの憧れは消せていない。だからこそ、桜咲はその気持ちを表現していたのだ。小説という形で。
「おつかれ、桜咲」
桜咲が振り向くと、そこには同僚の高橋がいた。
高校を卒業してすぐに就職したこの会社で唯一の同期、高橋。
「あれ、高橋。もう終わったか仕事」
高橋の方に体ごと向けながら桜咲は言った。高橋は爽やかな笑顔で右手の親指を立てた。
「あったりまえよ。今日は金曜日だぜ?仕事なんて終わらせて合コンよ!」
合コン、ああ、あのアルコール度数の高い液体で相手の思考力を低下させる魔法をかけて魔法の力で魔法の城へと誘う魔法か、と桜咲は高橋を怪訝な目で見る。
「いや、桜咲君よ。あのアルコール度数の高い液体で相手の思考力を低下させる魔法をかけて魔法の力で魔法の城へと誘う魔法か、みたいな目はやめてくれ」
何故わかる、と桜咲の表情は更に曇る。
「いいか、桜咲。我々は今年もう24になる。高校を卒業し、この会社に入ってもう6年だ。有り余る若さを仕事で消耗させる日々だったが我々に必要なのは癒しではないのかと」
「いや、それが合コンになるのか」
桜咲は自分のデスクに向き直し仕事を再開する。
「ちゃんと聞いてよ桜咲よ!」
「ちょ、会社で叫ぶな」と桜咲が高橋の叫びを抑える。
「というわけで桜咲!いこう、合コンへ」
「いかない」桜咲は高橋の言葉に被せるように断る。一言で表すならば「食い気味」というやつだ。
「なんだよ、ノリ悪いな」
じゃあな、と言い残して高橋は会社をあとにした。
興味がないわけではないが、恋愛にのめり込む気にはなれない。桜咲には他にのめり込んでいるものがあった。
「さてと、っと」
仕事を終え帰路に着く桜咲。
会社から1番近い駅から2駅で最寄りの駅なので、桜咲にとって電車に乗っての10分は趣味に没頭できる時間である。
電車に乗り席に座るとポケットからスマートフォンを取り出した。無表情のまま桜咲は画面を操作していく。
前述した通り桜咲の趣味は小説を書くことである。桜咲はいつもスマートフォンで小説を書いて、そのままスマートフォンでネット上にアップロードしている。
小説アップロードサイト<文豪になりたい>は誰もが自作の小説をアップロードし、公開することができる。そして小説に対してコメントや評価などができ、その中でも抜きん出て人気の作品は書籍化されることもある、日本国内最大の小説アップロードサイトなのだ。
桜咲も数作品公開しており、また他者の作品も読んでいた。これこそが桜咲の趣味である。
小説の中は良い。自身がしたいこと出来ないことをなんでも叶えることが出来る。魔王もドラゴンもスライムも何でも倒せるし空も飛べる、炎も雷も思うまま。恋愛も自在だし、幸せな結末が約束されている。
<文豪にないたい>の中でも人気のジャンルは異世界モノと呼ばれる作品である。簡単に言えば普通の主人公が、現実世界から異世界に飛ばされ、魔法を使い勇者になったり、英雄になったりする作品のことである。
異世界モノが人気なことから、ファンタジーに想いを馳せる人間が一定数いることが伺える。
数作品ファンタジーを書いてきた桜咲も次は異世界モノを書いてみようと現在設定を作り込んでいる最中だった。
いつも桜咲は設定をスマートフォンの中にあるメモアプリにまとめてる。すでに異世界の設定と物語の流れは書いており、あとは主人公を設定し作品の執筆に取り掛かるのみだ。
<アルクライン>という世界。
そこで暮らす人間は魔力を持っており、個人の適正により魔法を使うことが出来る。<アルクライン>は5つ国に分かれていて、互いに侵略や同盟を繰り返し世界統一を目指している。その中で魔法は武力であり生活の一部になっていた。
国同士の争いや同盟の歴史を経て、お互いに攻め込まないという5カ国条約を締結させた<アルクライン>は平和な日々を手に入れた。
そんな中、5カ国のひとつ北の果てにある<ウルダッセン>という国の王が倒れ王子に王位を継承したことで物語は動き始める。王子は再び世界統一を目指し、闇の魔法に手を染めたのだ。
人間の魔人化である。
魔人化した王子を止める術のない他国は<ウルダッセン>との国境に壁を築き、軍を動かして拮抗状態を保っていた。犠牲の出る拮抗。
そこに主人公が現実世界から召喚され、<アルクライン>には存在しないほどの魔法で世界を救う、という話である。
我ながらありきたりだな、と桜咲は笑みを零してしまった。
だが、桜咲の作品は自己欲求の発散なので、設定はありきたりであるほど楽しめるのだと考える。
あとは主人公なんだよな、、、。設定はもちろん最強で。
と桜咲はメモに打ち込んでいく。
魔法は全属性使用可能。
魔力は無尽蔵。
身体能力は武道の達人クラス。
これってわざわざメモに書くほどの設定なのかな、と自分で嘲笑しつつ最後に名前を打ち込んでいく。
桜咲翔。
自分の本名をそのまま打ち込んだ。この方が感情移入出来るし入り込める。
こんなの周りの人間に見られたら恥ずかしいよな、と思いながら桜咲はメモを保存した。
と、その瞬間目の前が真っ暗になってしまった。桜咲は声も出せずに硬直してしまう。声はでないものの頭の中はパニック状態である。真っ暗な中オロオロしている桜咲に謎の浮遊感が襲う。まるで空と地面が入れ替わったような感覚に「うわあああああ!」と遂に叫んでしまう桜咲。
ぐるぐると目が回る感覚に頭から落ちていくような感覚が合わさって、意識が遠のいていく。
「ねぇ!大丈夫!?」
なんだか心地良い声が聞こえる。
暖かい陽だまりにマイナスイオンを塊にしたような森の香り。頬を優しい風が撫でた。




