ある家族との出会い
❶
「知っているのですか?」
「いやぁ、喫茶店でよく聞く名前ですよ。それにあの人はきついって誰かが言っているの何時の日か聞いた事ありますよ。私の担当に成られた事はないですが」
「そうですか・・・そうかも知れませんね。実はその人です。僕が辞める事に成ったのも・・・」
「やっぱり。」
「大阪の人で、今迄からとにかくきつい仕事をしていたらしく、僕は一番長い付き合いをしていましたから、この僕を切るなんて事は無いと思っていたのですが、あの人の働きで僕が首を切られたようです。
でも逆らえないから仕方ないですが・・・」
「焦げ付かした訳ですね?」
「ええ、でも仕方ない所も在るのです。白石の金に手を出す人は病気に成る確立が増えるようで結果的には上手く行かなく成って来るから悪循環に成って不良債権に成って」
「解かります。私も株に手を出しているから凄く解かります。人間には運と不運がありますから、運を掴む人は良いですが不運を掴む人も結構居ますから」
「僕はその不運を摑むのが上手なのかも知れませんね。」
「何を言っているのです。お若いのに。ところでその江上って人の事知りたいですね。」
「どうして?せっかく美味しいお魚の味が悪く成りますよ。あんな人の事思って食べていたら」
「そりゃそうでしょう。首にされたのですから。」
「では調度その人を魚にして飲みましょう。存分に」
「それも面白いですね。」
「ええ、何でも良いじゃないですか。楽しけりゃ。貴方と思い切り飲んでその後は玲奈ちゃんと又飲む。今日は帰りに事故に遭って死んでも構いませんから。」
「お兄さんご冗談を」
「さあ飲みながら江上って人の事を聞かせて下さい。何故ならその人は成功していると思いますよ。だからその人の事を知っている限り教えて下さい。必ず参考になる筈です。」
「解かりました。知っている限りお話致します。
あの人と知り合ったのは六年か七年前です。大阪で担保物件でトラブルが発生して、それで何人かで行ってみると、そこであの江上聡さんが住み込んでいて、退去を仄ほのめかしましたが、ややこしく成ってこちらが引かなければならなく成り、それで社長が思い切ってあの江上聡さん自体を買収するような形を取ったのです。
あの人が結構度胸もあり、知恵もあるので、社長が負けた形に成り、更に江上聡さんを幹部扱いで招いた訳です。
江上さんはそれまでいい加減な生活をしていた様ですが、白石に招かれて一流のスーツに数万円もする様なネクタイで身を飾り、押しも押されもしない男に成って行ったのです。
僕らもその下で働く事に成り、江上聡さんはいきなり幹部になったから、頑張って頑張り抜いて気が付けば会社にとって無くては成らない存在に成っていたのです。
僕らは江上聡さんがあまりにも突っ走るから辛いでしたが、しかしあの人は結果を出すから何も言えない訳です。」
「それだけ聞かせて頂いただけでよく解かります。江上聡って人が」
❷
「でもあの人は気に入らない者は排除する鬼の様な所が在るようです。
何時でしたかふと昔の事を口にした時、おかしな事を言った事がありました「気に入らない者は排除する事が一番だよ、消してしまえばそれで何もかも上手く収まる。」って
その様に言ってにやっと笑った時は怖いでした。 何かを思い出した様な仕草で、その後急に黙ってしまって」
「では過去に何かをしていた事を思い出したのかも知れませんね。その時。それは排除とか消してしまえとか、それは普通殺す事になるのではないのですか?」
「ええ僕もその様に思いました。だから気持ちが悪く成って、『江上先輩、もう、その話し止めましょう暗く成りますから』と口を挟んだ事を覚えています。」
「そうしたら江上聡さんはどの様に言われましたか?」
「まぁそんな事もあるよと言って、その日は悪酔いして大変だった事を覚えています。」
「何かあったのかも知れませんね」
「ええ、何時もはあの様な事は言わないのですが、とにかく酔いつぶれて大変でした。
でもそんな事があってからあの人なんかきつく成って来た様にも思います。でも僕は辞めて良かったと思っているのですよ。
実際は辞めさされたけど、でも今の仕事よりきつかったですからね。今の仕事はお酒が倍の値でも死ぬ事などありませんからね。
でも金融はそうは行かない、無いと言えば更にきつくして取り続ける。死ぬ所まで取り続ける事になるのですから、だから僕には合っていないのかも知れません。」
「解かります。お金が人の命を奪う事は」
「残酷ですね」
「お金はねぇ」
「僕が知っている江上聡さんは一口に言えば怖い人です。容赦の無い人だと思います。僕はあの人に使えて六年ほど経ちますが、その僕を切った事も誰もが出来る事ではないと思います。
会社は決して業績が悪くなどありません。寧ろ増益増収です。それでも僕の様な者は要らなかったようです。
僕はそれなりに頑張っていたのですが、お人よしだから、何もかもを被る事に成ったようです。お客様が焦げ付かせた事も原因しているのかも知れません。
「死んででも払え!」とお金の遅れているお客さんに江上聡さんなら平気で口にする様な気がします。
それを言えない僕の様な者は役に立たないと成るのでしょう。思い出すだけでむかついて来ます。あんな男に支配されている会社が在る事自体が情けないです。
僕は大学を出て経済学部を出て銀行に入る事が目標でした。しかし僕自身の力不足と景気が悪かった性もあり、結局あんな所へしか行けなかったのです。
しかし人を人とも思っていない男が認められてと思うと何か矛盾を感じます。それって僕の負け惜しみかも知れないですが、江上さんは今まで二人の命を奪っています。自殺です。三十代の女の人と五十代の此方も女の人です。
この六年間ほどに間に。
でも僕のお客さんでその様な人はいません。破産した人は居ますが、何を言いたいかと言言いますと、相手を死なせてでも回収する者はその根性が素晴らしいと言う事に成る訳です。
勿論江上さんはその死んだ二人から取るものが無かった訳ですが、命を取った訳です。金融屋とはその人の方が立派なのでしょうか?お兄さんはどう思われます?」
「あぁまだ言って無かったですね。私の名前を。私は笹本良平と申します。お兄さんて言って頂いていましたから、その言葉がなんと無く響きが良くって、名前を言わせて頂く事を躊躇っていました。失礼致しました。」
「いえ、名前なんか要らない位ですよ。心が通じているだけで十分ですよ。お兄さん。」
「有り難う御座います。貴方は金融屋で生きる人じゃないと私は思います。寧ろ保育園とか学校とかが向いている様に思います。可成の大学を出て居られるのじゃないのですか?」
「ええ、まぁ可也かはわかりませんが一応国立です。」
「ならあんな客引きをして生計を立てている事は悪いとは言いませんが、何かを見失っているのではないのですか?」
「そうですか。何かを見失っている?」
「かも知れませんよ。貴方にはもっと違った清々しい夢があるような気がして、先日貴方にお兄さんと声をかけて頂いた時から思いました。
普通に私はあの様な所でお店に入る事など先ずありえません。でも貴方だったから入ったと思います。中にどの様な子がいるかなんて別な事です。貴方の明るさや何となく感じる優しさや誠実さを感じたから信用したのだと思います。ぼったくりの店が氾濫しているのも現実です。篠崎さん貴方はご自分の事をもっと過大評価するべきだと思います。」
「へぇ―そんな風に言って下さるのですか。有難いです。なんかまともな人に合えた気が久し振りにして来ました」
「篠崎さん先ほどの話、百人居たとします。それで貴方と江上聡がどちらが人間らしいですかって聞けば、九十九人が貴方だと言うでしょう。だから自信を持って生きて下さい。」
「判りました。」
「ところで篠崎さんもう少しでここは出なくてはならないです。」
「そうでしょうね。随分ご馳走に成り有り難う御座いました。お腹がぴんぴんで破れそうです。」
「これからお店に行かれるのですか?」
「ええ」
「一日出ると幾らに成るのですか?失礼な事を言いますが?」
「悪ければ五千円良い時は二万円くらいかな」
「篠崎さん、今日お休みは出来ませんか?私の為にお店をお休みして頂けないかと言う訳にはいけませんか?」
「お店を?」
「ええ」
「でも何故?」
「話があります。でもその前にこれを見て下さい。お金です。これから貴方の明日朝までの日給です。」
「それはどう言う意味ですか
「だからこれから貴方を明日朝までお雇いする訳です。」
「待って下さい。僕はその趣味などありませんから・・・」
「その趣味?あっまさか私にも御座いませんのでご安心下さい。先ず見て下さいその封筒の中身を」
「はい。なんと十万円入っているのですか?」
「そうです。それで貴方と朝までお話をしたいのです。」
「意味が解からないですが、もしこの十万円を僕に頂けるのなら、あれ意外で法律に触れないなら何でもいいですが、当然仕事も歩合制ですから休んでも一向に構いません。」
「では受け取って頂けるでしょうか?」
「ええ受けます。」
「ではどのように致します?」
「何が起こるのでしょうか?これから」
「篠崎さんはお家はお近くでしょうか?」
「ええ、実家も僕が住んでいるアパートも近くにあります。」
「そうですか。どちらでもいいです。勿論近くのホテルをこれから取っても良いです。」
「実家でも構いませんか?はっきり言って、正直どの程度信頼していいのやら」
「構いませんよ。」
「では実家へ来て下さい。離れがありますから、それにこんなに頂けるのならサービスしなければいけませんからね。ご馳走に成りましたし。」
「いえ、でも良かった。感謝致します。」
「いえこちらこそ、直ぐに自宅へ電話を入れておきますから」
「お世話になります。」
❸
良平と篠崎がタクシーを飛ばして篠崎の実家へ走った。人の縁とはこのようにして始まるのかと良平は嬉しく成って来た。
すっかり酔いが廻って篠崎は何が起こるかなど判らなかったが、とりあえず気の合った五十手前の男と仲が睦まじく成った事に大いに喜んでいた。
篠崎の実家に着いた。明々と電気を一杯点けて家族中で迎えてくれた。
「お客さん。えーと佐々さん、いや笹山さんいや笹本さんでしたね」
「笹本です。始めまして、ご厄介に成ります。」
「いらっしゃいませ。倅がお世話に成ったようで、失礼な事を言いましてお名前を間違うなど失礼な事で」
「いいえ、今まで二人で美味しいお酒を飲んでいましたから、ご法度、ご法度です。」
「先にお風呂に入られたらどうでしょう。直ぐに沸かしますから。」
「そう笹本さんお風呂に入られたら。
「ええ有り難う御座います。でもまだ夕方なのに」
「いえ私の家はいつもこの時間に入ります。ですからお気遣いなく」
「そうされたらどうです。積もる話もあるのでしょう?お酒を先に抜かないと」
「解かりました。ではお言葉に甘えてその様にさせて頂きます。」
「ええ、ごゆっくり。僕も直ぐに入りますから。勿論笹本さんが上がられてからですよ。」
「はっはっは、続きですか?」
お風呂から上がり、笹本は離れに案内されて浴衣姿で膝を突き合わせ、思いがけない一日を振り返っていた。
「気持ち良かったです。お世話に成りました。やはり貴方を見た私の目に狂いはありませんでした。貴方は立派な若者です。金融屋より今の仕事よりもっと貴方が生甲斐を感じて、更に世の中の役にも立ち、そんな素晴らしい人生がある事に気が付けば良いのにと思いました。
立派な家族も居られますし、とても羨ましい一家に思えます。」
「有り難う御座います。その様に言って頂けるだけで両親も喜んでいると思います。」
「ええ、立派なご家族です。」
「ところであの十万円は、これからどの様な事が起こるのかやや心配に成って来ました。それを始めて頂けませんか?まだ五時を過ぎた所だから明日の朝までには時間がありますが、気に成って来て、気に成って来て」
「解かりました。ではお話致します。思いがけないお風呂を頂きお酒も抜けましたから幸いです。
もしお暇なら家族の方がお聞きに成って頂いても構いませんから」
「それはお話な訳ですね?」
「そうです。ではお話致します。実は私は串本から来ているのです。」
「串本?名古屋の?どこ?」
「はい和歌山県東牟婁郡串本町って所です」
「あぁ、それなら判ります。本州最南端って所ですね。名古屋の方では無かったのですか?」
「はい。そちらから来させて頂きました。ところで何故こちらへ来させて頂いたかと言いますと、実は私の妻が十三年ほど前に道を歩いていて暴漢に襲われ殺されたのです。」
「えっ何ですって?殺された。笹本さんの奥さんが?」
「はい。」
「笹本さん。構わないなら親父にもここへ来て貰って良いですか?僕一人ではお役に立てるか分かりませんから、母にも妹にも」
「ええ構いません。」
「では呼んで来ますから」
「ええ」
暫くして両親と妹らしき女性が笹本を神妙に見つめながら入って来た。
「では始めて下さい。」
「はい。私がこちらへ来させて頂きましたのは、私の嫁が約十三年前に大阪市東成区と言う所の歩道で暴漢に襲われ、ナイフで一突きにされ即死致しました。
その時犯人は逃走して今でも逃げているのです。当時近くに居た人が二人いて、揃って犯人は百七十五センチ以上で痩せた男と言われ、背丈がそれ以下の人には警察も関心が無かった様です。
しかし今に成っても犯人は判らず、このままでは時効に成る様な気がして来て、これまで警察に任せておりましたが、せめて何もせずにこのまま朽ち果てる様に時効を迎える事は、死んで逝った妻にも合わす顔が無いと思う様に成り立ち上がった訳です。
私の妻は殺された時はまだ三十三歳でした。子供も居なかったですが夢の在る毎日でした。
それが突然家の近くで殺される事に成ったのです。
その日妻は幼馴染で同じ大阪で暮らしている山田瑠璃さんと言う方の相談に乗ってあげる事に成っていて、約束していた喫茶店へ行きました。
しかし出会う事を言い出した山田瑠璃さんが、腹痛に成って急遽キャンセルを電話で言って来た様です。
仕方なく家に帰る途中で妻は襲われたのです。
篠崎さん、もし判らない所があれば口を挟んで下さいね。
それで警察は変質者とか精神異常の者が犯人であるかのような言い方で、新聞もテレビのニュースでもその様に伝わりました。
そして警察がいとも簡単に犯人を捕まえてくれるものだと信じていたのですが、あれから十三年近く経った今も捕まっていません。
それで自分で捜す事を決意致しまして動いている次第です。
今日名古屋へ来させて頂きましたのは、実は先日まで篠崎さんの事は全く知らなかったのですが、あえて嘘を言ってこのようにして此方へ来させて頂く事に成りました。
嘘を言った事はいけないのですが、お聞き頂いたらお解り頂けると思います。
今日はあの篠崎さんが以前勤めていた白石金融近くの喫茶店で一時間ほど見張りました。
しかしそれでは埒が明かなかったので白石金融の直ぐ横の喫茶店に思い切って移りました。
そして四十分が過ぎ、三人の背広姿が入って来たので彼らの話に耳を傾けました。
その一人は、篠崎さんが何時も一緒に仕事をされていた江上聡さんと言う人である事が直ぐに判りました。
他の二人の名前は判りません。江上聡さんから説教されていたから部下だと思います。
その江上聡さんが先に出て行って残された二人が話している内容に、篠崎さんの事が出て来たのです。 駅前で頑張っている事を面白そうに言っていました。会社を首に成ったので気の毒だとも言っていました。 そして「エデン」で働いている事も聞きました。
更に江上聡さんの事を嫌っている事も言っていました。嫌っているか嫌われているかどちらかでしょう。
でもお互い嫌い合っていると言う事が、私にすれば大いに好都合だった訳です。もし仲良しなら関わる事は出来ないからです。
それで貴方の仕事場を知る事に成り、あの日貴方を訪ねてエデンへ行った訳です。そしたら首尾よくこのように成って神様に助けられた様に成った思いです。」
「でも何故白石金融を調べるのですか?」
「はい。その事を話させて頂きます。先ほど妻は幼馴染の友達に相談を持ちかけられ喫茶店へ行った事をお話致しました。その友達の女性がその当時付き合っていた男が江上聡だった訳です。
江上聡の今は知りませんが、当時は差し押さえされた物件に入り込んで、因縁を付け小遣い稼ぎをしたり、またその部屋に盗聴器を仕掛けたり、やりたい放題の事をしているふだつきであった様です。
それで山田瑠璃って女の子は、詰まり妻の友達だった子は、そんな男と知らず惚れ込んで更に江上聡に三百万円ほど貸していた様です。
今でもそのお金は返していません。別れたと言うより江上聡が体よく踏み倒し逃げた様です。
只その女性は気が大きいと言うか、お金の事も全く口にしないからトラブル無く収まっているのだと思います。
しかし私の妻は結構はっきり物事を言うタイプで、実は山田瑠璃さんが江上聡と付き合っていた事を大反対していたのです。真面目に働く事をしない男でしたから。
ところが妻とその様な内容の話を電話でやり取りする山田瑠璃さんの声を、江上聡は盗聴して聞いていた可能性が在るのです。
その事が最近に成って判り管轄の警察暑に情報として聞いて頂いたら、それから数日の内に警察は江上聡を大阪まで任意同行させお金の事もあり問い詰めた様ですが、被害届も出ていなかったし証拠が無く、本人も黙秘を続けていて結局無罪放免に成った様です。
それでも警察は江上聡が山田瑠璃さんに対し身勝手にも報復を考えている可能性があると考え、今現在山田瑠璃さんの身辺警護をして二十四時間張り付いています。
警察も十三年前初動捜査で間違っていた事もあったのか、それでも今に至っても背の高い男が犯人であると思っているかも知れません。
結局犯人逮捕に繋がらず、江上聡は何食わぬ顔で生きている訳です。動機が誰よりもある男をどうにも出来ないもどかしさは結構辛いものです。
今何かを摑めば、警察は直ぐに江上聡にわっぱを掛けられるのですが・・・
山田瑠璃さんの身辺警護をしているのは、江上聡が辛抱を切らせて、垂れ込んだと見られる山田瑠璃さんに復讐の様な事をしないかと思っている訳です。もしその様な事を考えた時は現行犯逮捕をして、別件でも良いから警察は絞り上げる事を考えている様です。」
「篠崎さん大体判って頂けます。」
「よくお話して頂きました。今僕はあの江上聡の様な男に使われていた事を後悔しています。
そして今あの男が犯罪の様な何かをしている様に感じています。しかし殺人事件には時効がありますね。」
「ええ十五年です。」
「それじゃ、あと僅かですね。」
「そうです。」
「待って下さい。僕が今色々な事を話さなければ成らないのですね。」
「ええ核心的な事を仰って頂ければ一番良いのですが・・・警察が直ぐに飛んで来ますから」
「詰まり笹本さんの奥さんを殺したのは、江上聡さんであると言う証拠ですね。」
「そうです。でもそれは言い換えれば私の妻も江上聡に殺されたと言う現実と成る訳ですから、その江上
聡の動機は、私の妻があの男が付き合っていた山田瑠璃さんとの交際に難癖をつけた事に対する恨みな訳です。
詰まり貴方が証言すれば、同じ事が起こる可能性も考えられる訳です。在らぬ憎しみを被る事に成る訳です。ですから慎重にお考え下さい。」
「ええ責任重大ですね。でも貴方にこんなに沢山お金を頂きましたから頑張らないと。」
「えっ隆一、貴方お金まで頂いたの?ご馳走に成っただけじゃ無かったの?」
「それはいけないぞ、隆一。」
その様に篠崎に両親が口を挟んだので、心配をされては困るから良平は直ぐに、
「あっ、お母さんもお父さんも心配しないで下さい。私は覚悟を決めて話させて頂いています。ほんの僅かですから、もしこのまま時効にでも成れば、その前に幾らかの賞金を考えていますので。それはご心配なく、私は覚悟の上でしていますから。
こんな時にケチった事を言っていたら、第一死んだ妻から怒られる様に思います。
お金の事より今は確かな情報が欲しいのです。警察がアッと驚くような情報を。」
「お兄ちゃん、何か無いの?困っているのにおじさんが。」
「有り難う妹さん。優しいのですね。みなさん」
「うわぁ。責任重いな僕」
「よ~く考えるのよ隆一。」
「まぁ落ち着いて」
「でも江上聡さんって怖い人ですね。金貸しの所へ勤めて、あの人のお客さんで二人の人が自殺しているのに、それも追い詰めて追い詰めて、それであの人は山田瑠璃さんて人にお金借りたままだなんて考えられないですね。いい加減な、それを思うだけでも許せませんね。」
「だから私の妻はそんな江上聡の気性を見抜いて友達の山田瑠璃さんに別れる様に言い続けたのだと思いますよ。
しかし江上聡にすれば、金づるを切られる訳だから腹が立った訳で、それがきっかけで妻を殺す事を考えたのかも知れません。」
「確かに江上さんは貴方が言われる事を実行する人であるように、僕も間違いないと思われます。あの飲んでいる時妙な事を言った時に、その事を思い出していたのかも知れませんね。
笹本さんに昼間飲みながら話させて頂いたでしょう。『嫌な奴は消してしまえば何もかもが上手く行く』って言った江上さんの話」
「ええ覚えています。」
「それは貴方の奥さんの事かも知れないですね」
「篠崎さんこれから約二年半です、時効までは。この間に何か思い出す様な事があれば思い出して頂きたいのです。
時間が在るようでアッと言う間に過ぎて行きます。
だからお願いです何かがあれば言って下さい。そして私か大阪の東成警察署の担当者に言って下されば直ぐに飛んで来ます。
又身辺警護が必要なら警察がきちんとしてくれます。助けて下さい。初めてお会いするのに不躾な事で本当に申し訳ありません。
いい加減忘れてあげる程妻は楽かも知れませんが、あの道端で血で染まった服に包まれて死んでいた妻の姿が忘れられないのです。
可哀相で、本当に可哀相で、、
そして妻に相談事を言いながらお腹が痛くなりキャンセルした幼馴染の山田瑠璃さんは、今でも十三年近く経った今でも、申し訳なかったと妻が亡くなっていた現場にお花を供えて頂いております。
あの山田瑠璃さんの為にも所轄の東成警察の方の為にも、一日も早く犯人を逮捕して頂きたいのです。気が付けばどんな事でも良いですからお願い致します。その不気味な話をさらに思い出していて抱いてもいいかと思います。」
「笹本さん話が反れるかも知れませんが、奥さんは当日どのような格好で出かけられました?」
「何故でしょう?」
「いやぁ、江上聡さんは結構おしゃれで、多分それって学生の頃からだと思う訳です。だからもし奥さんが亡くなられた時に江上さんが犯人なら何か気が付いていないかと思いまして、奥さんが飾り物をしていたとか、特徴の在る服を着ていたとか」
「それは警察に血で染まった服が・・・あれは大きな魚を刺繍して在る服でした。今でも大切に直してある筈です。彼女は釣りが好きでしたから・・・それで何を?」
「それを江上さんの目に届く所で見せるのです。何か反応するか確かめるのですよ。簡単ですよ白石金融へお金を借りに行けば良いのですよ。その服を着て、誰か似合いそうな人が。」
「まさか、それは危険ですから却下します。貴方の仲間にその様な事をさせられません。」
「でも面白いでしょう。十三年なら今でも覚えているかも知れない。殺した相手なのですから、多分奥さんと眼を合わせていると思うから。どれだけ悪い奴でも呪縛って言葉も在るのだから。」
「しかしそれは・・・」
「でもその服警察に言って手に入りませんか。内には気の強い妹も居りますから。妹と彼氏で行けば何て事無いでしょう。警察の方も近くで待機して頂ければ。」
「いいわよ。一応二十歳はとっくに過ぎていますから。でも名前が、だってお兄ちゃんが勤めていた所だから」
「無理ですそれは止めて下さい。」
「でも解決しなきゃいけないのでしょう?笹本さん大阪の警察に言って話だけでもして貰えないですか?」
「はぁ、困りました。」
「隆一、あまり笹本さんを困らせる様な事を言っても・・・」
「お父さんはそんな言い方をして僕の事を心配しているのでしょう?でも笹本さんは急いでいるのですよ。もし僕や妹が殺されて犯人が判らず時効に成りそうに成ったら、お父さんもお母さんも僕と同じ考えに成るのじゃない?。」
「そりゃ言っている事は解かるが笹本さんの立場も考えないと」
「ええ、それは解かっている積りです。」
「でも嬉しいです。ご家族でこんな風にお考え下さって」
「いえ、お互い様ですよ。隆一もふらふらしているからいい勉強になりますよ。なぁ隆一。」
「あぁ、笹本さん乗り掛かった船です。一緒に頑張らせて頂きます。とにかく何かを、江上聡さんが致命的に成る様な物を探します。それに気が付いた事もあるのです。あの人の女性関係で何かがある様な気がします。」
「でも相手は若しかすると鬼畜の様な心を持った男かも知れませんから、絶対に無理をしないで下さいね。」
「そうだよ。父さんも今の意見が面白いと思うが、どうせ水商売の関係ではないのかと思ってしまうね。」
「かも知れませんね。隆一さんが昼間に言っていましたが、江上聡は高級スーツを着て数万円もするネクタイをして、金貸しだから正直普通ではないと思われます。
大阪の山田瑠璃さんに借りているお金でさえ道が外れているのに、名古屋へ来てからはあの時以上に良からぬ事に手を出している事も考えられる訳で、警察が本腰を入れれば可成綻ほころびが出て来ると思われます。
しかし白石金融の傘を被っていると言う事はそれなりの弁護士が付いていて、迂闊に手を出せない事も確かだと思います。
勿論あちらさんも法に触れる様な事はして来ないと考えられ、中々難しい状態であると思われます。」
「でも笹本さんこんな僕にも出来る事が在るならお付き合い致します。意気投合って言うか、昼間から飲みあった仲ですものね。『僕は知らないです。』では済みませんからね。」
「有り難う御座います。そのお気持ちどんなにか心強いか計り知れません。」
「でも時効って何です?弱い者を苦しめるだけの法律ではないのですか?警察が諦めるケジメをつけるだけの事ではないのですか?なら『断腸の思いです』なんて言いながら結局は相当の退職金を貰って去って行くのでしょう。言い過ぎかも知れないですがあれは恥じですよ、警察の。違うでしょうか?」
「隆一の言う事は合っているかも知れないが、しかし携わっている警察の方の気苦労は大変だと思うよ。
毎日カレーライスを食べている様な物でそれが十五年続くのだから、普通誰でも気が滅入って来ると思うよ。
父さんは出来ないな、警察官をしていても辞めるかも知れないね。隆一なら父さんより先に根を上げる気がするな。」
「そんな事無いって」
「じゃぁ、やってみなさい、笹本さんの力に成ってあげなさい。十分気を付けてだよ。」
「うん、そうする。そんな事で笹本さん。お聞きの通りです。だから何なりと言って下さい。」
「頼もしい人だ貴方は。」
「僕は江上聡に六年間いや七年間に成りますか苛められていた様なものです。
敵討ちって訳ではないですが、江上聡が立派な男なら、人間としても立派なら何も思う事等ありませんが、決してそうではないのなら、そして実際一人の女性を殺しているかも知れないのなら許せないですね。笹本さん頑張りましょう。」
「はい。」
「母さんも何か言って、そうでないと笹本さん安心出来ないから。」
「解かりました。笹本さん決して無理のない様にだけお願いしておきます。警察にお任せする事はお任せして」
「ええ、解かっております。それにもし係わり合いに成る事が、ご負担に成った時は離れて頂いても構いませんからご遠慮なくその様にして下さい。」
「では参りましょう。犯人探しスタートです。」
「はい。隆一さん」
両親と妹が部屋から出て行ったが、隆一は紙とペンを持って来て良平の前に置いた。
「笹本さん先ず貴方に江上聡の気になる点を書き上げて頂きたいのですが、疑わしいって言う点です。」
「ええ、箇条書きにして分析する事が大事でしょうね」
「では始めましょう。先ず江上聡が犯人だと思う点は?」
「それは妻ゆかりが江上聡を嫌っていた事。それでそのゆかりの声を密かに江上聡が聞いていたかも知れないと言う事。
❹
あの日妻と山田瑠璃さんが打ち合う事を江上聡がおそらく知っていた事
江上聡には相当な借金があった事
江上聡は何故か山田瑠璃さんとその日から同棲を始めた事
それまでゆかりが生きていた時は、妻が大反対していたからか、今まで泊まる事など一回も無かったのに急に妻が亡くなった日から同棲を始めた事
山田瑠璃さんのマンションへ警察が再三来た為と決めつけるのは疑問であるが、江上聡は警察が来る事が気に成って山田瑠璃さんと同棲を解消して出て行った事
山田瑠璃さんから借りたお金は返していない事。
これ位ですかなぁ」
「笹本さん。これって何とか成るでしょう。この山田瑠璃さんですよ。
お金の被害届を出して貰う事は出来ないですか?借用書の無い金かも知れませんが、調べる事は出来るでしょう。詐欺罪とか無理でしょうか?」
「ええ、一度警察に聞いてみます。」
「そうして下さい。ねぇ笹本さん二人でじっくり考えれば何かを見つける事も可能だと思いますよ。」
「そうですね。隆一さんは心強いです。」
そこへ隆一の母が入って来て、
「お二人さんご飯ですよ。」と大きな声で元気に言った。
そして本宅の方に二人を案内した。
本宅へ行くなり父篠崎利一が、
「お二人共お疲れさん。昼間の様に美味くは無いかも知れませんが、嫁も結構料理好きで結構親戚の人達は美味いと言ってくれます。まぁ召し上がって下さい。」
「至れり尽くせりで真に申し訳御座いません。隆一さんは昼間から呑み屋の客引きをしている人ですよ。それがこのような展開に成って全く私は信じられないです。こんなに温かな人が居ているのかと未だに信じられません。
生きていて良かったと改めて思います。」
良平は思わず涙が一筋頬を伝っていた。
「さぁ笹本さん。元気を出して」
「ええ」
「思いがけない高価な食事が二度に渡り続いた良平は、日ごろはお漬物で済ましたりしていたので、さぞお腹がびっくりしているかも知れないと独りでに笑顔に成っていた。
食事が終わり、それから更に良平と隆一は紙に書かれた江上聡の素性をかい摘んで考えていた。
そこへタバコと灰皿を提げて父利一が入って来た。
「お邪魔して良いですかな?」
「父さんも一枚加わりますか?」
「そんな事言っては駄目じゃないか。笹本さんにも亡くなられた奥さんにも悪いじゃないか。」
「いいえ、隆一さんの気持ちはとても有り難いです。」
「笹本さん。構いませんなら私も貴方に協力させて戴きます。」
「えっお父さんも。それは有り難いですがどの様な事を?」
「隆一が先ほど言っていた事を。つまり江上聡がこの町の何処かに捨てた女が居るのではないかと言っていた事です。或は喧嘩別れした女とか、案外その辺に大きな落とし穴があるかも知れないね。江上聡が地獄へ落ちる穴が。」
「父さん、父さんほど言っている事がきついね。妹のあの強気は父さん譲りなの?」
「わっはっはっ
良一相手を探しておきなさい。父さんが大事な事を聞き出して見せるから。
男って、ましてその江上聡って男は先ほどから聞かせて貰った事で判って来た気がするね。こんな男は絶対女の前では格好を付けて、気が付けばボロを出している筈だから、父さんに任せてくれれば」
「父さん。そんな事言いながら、何処かで飲みたいのじゃないの。
笹本さん。内の父酷いですよ。だって僕が客引きをしている店に来て客に成るのだから、参りますよ。『倅が表で頑張っているから来させて貰いました。』って。店長も笑っていましたよ。お金貰えねえって。」
「へぇー面白いお父さんですね。いえ、優しいお父さんだ。」
「ええ、父さんは怖さ知らずって言うのか、面白い人です。」
「でも頼もしい限りです。お父さんが一枚加わって下さるなら」
「ええ、出来る限り後押しさせて頂きます。何かの縁だと思って」
「有り難う御座います。私はこの十三年間で、若しかしたら今日が一番の日に成った気がします。そして今日を抜く日が来たらその日は犯人が逮捕された日ではないかと思います。」
良平はまたまた涙ぐんで来て、
父利一がそんな隆平の肩をそっと撫で軽く叩いて、
「笹本さん頑張りましょう。犯人逮捕まで。時効なんて考えては駄目ですぞ!絶対諦めないで下さいね。」と力強く声を掛けた。
ぎりぎり最終に間に合うように良平は電車に乗り、幾重にも感じた一日を、真っ暗に成った景色の所々に見える灯りを見ながら思い出していた。
それは何よりこの様な人との出会いがある事が、未だに信じられなかった事が尾を引いていた。まるで夢であった。
こんな家族が今でも居る事が、死んでも良いと思っていた時期もあった良平には計り知れない出来事に思えた。
それは妻があの世から良平に勇気と忍耐を送ってくれたようにも思えて来て、何はともあれ翌朝にお墓参りに行く事を必然と決めていた。
名古屋の篠崎一家を今度訪ねたならその時何か大きな情報をプレゼントされるような気がして、それは相当な前進であるような気もして来て、良平は妻の石碑に手を合わせながらその手が興奮のあまり震えていた。その時はっきりと江上聡が逮捕され手錠を掛けられ、護送車で運ばれる姿が目に浮かんで来ていた。
《ゆかりやっとここまで来たね。あと少し頑張れば格好が付くよ。男として。君を愛した男として。》
良平は心の中で静かにその様に叫んでいた。
それにしても篠崎隆一は結構これからの良平の生きて行く道に相当良い影響を与えてくれる気がしていた。
彼が何となく言った山田瑠璃の事も確かに一理在った。山田瑠璃が江上聡にお金を貸して未だに返っていない事を突き詰める事も、良い方法で在るかも知れないと思えて来た。
もし走り書きの証文でもあれば鬼に金棒となり、江上聡は撃ち砕かれあっと言う間に何もかもを自供する事に成るだろう。
良平は次回大阪へ行く時は、その事を東成の刑事東山に口にするべきだと思った。
午後から久し振りに漁に出た良平は散々な結果であったが、最近水温が冷えていて中々本職の連中も頭を痛めているのが現状らしく、懇意にしてくれている矢作徹も野田新次郎も昼間からスナックへ行って酔っ払っているようである。
その日は真面目に漁に出ていたのは加西忠生だけで結構魚を揚げていた。その殆どは鯵で中型がそろっていて、中々のお金儲けをしている事が羨ましく良平はその加西に、
「お疲れ。ぼちぼち揚ったね。」
「あぁ、こんなものかな。」
「結構キロ数在るじゃない」
「そうだね。今の時期としては。百キロ位かな。」
「良いじゃない。矢作さんも野田さんも昼から飲んでいるらしいよ。まだ水温が低いから漁に成らないって、来週位からって言っていたなぁ。」
「あの連中は結構百マイルは出るからそりゃ厳しいと思うよ。掛かり出したら値が安くなるし、燃料費も馬鹿に成らないからね。
だから俺の様に近海で小さい魚を狙っている方が気が楽ってものだから、鯵鯖などで誤魔化さないと漁にならないからね。良平さんも本職にしたら、そりゃ大変な事解かるから。」
「いや私は趣味の範囲で良いです。第一まだ海に慣れていないって言うか怖いからね、外海は。」
「怖い。それじゃ無理だね。それじゃ大きいのは狙えないね。カジキとかマグロとか」
「無理、無理」
「だろうね。興味も無いんだ。もし興味が在るなら船は幾らでも在るから、勿論廃船に近いから元は入れないといけないと思うけど、あるよ船は。」
「この港で泊まっている船の中にあるの?そんなに一杯?」
「ある。漁を辞めた船が、金が行き詰って燃料費さえ払えなくなった船、故障したままの船、乗り手さんが病気とかで居なくなった船、廃船にするにも費用が掛かるから出来ない船など相当あると思うよ。」
「でも肝心な事は漁が少なく成った事じゃないの?」
「あぁ、でも俺の様に地道にやっていれば僅かだけど食って行けるからね。細々だけど」
「私もこの地へ態々来たのだから又元気が出たら考えてみるよ。何分解決しなけりゃいけない事が在るから、辛い所なんだ」
「それって奥さんの事だね。俺も同じ立場に成ったら、どのような考え方をするとか、生き方をするとか判らないけど、でも辛いなぁ。十五年経って警察なんかに、『時効です』なんて言われるとどのように言えば良いのか・・・俺でも無理、受け入れる事出来ないな。」
「そうだろう。」
「何とかならないの、警察は?」
「無理かも知れない。無理では困るのだけど無理かも知れない。だから今は、警察は警察として自分でも動いている事は確かなんだ。何とか犯人に繋がるものがないかと」
「それでこの頃海であまり見かけないんだね。陸で網を張っているんだね。大物とか犯人に繋がる様なものが掛かりそう?」
「うん今名古屋で少し脈の在る話があって突いているんだ。」
「そう名古屋で、そう言えばあいつら、野田さんが言っている連中いよいよ手を上げたようだね。あれも名古屋だから関係がないかな?」
「野田さんが言っているって?」
「変なやくざ風の連中。このごろスナックに来なく成ったって野田さん言っていたよ。どこかの組に吸収されて、おとなしくしていなければ成らないらしいよ。
海辺へ来て美味しい魚を毎日食って、お酒を飲んで遊んでいたから、でもこれからは厳しいらしいよ。一番下っ端でやらなければ成らないから、臭い飯を食わなきゃ成らない立場に成るって、野田さん仲良く成っていたから可哀相にって言っていたな。この前話した時。例えやくざでも仲が良くなって一緒に酒を飲んでいると情が移るんだろうね。」
「成程ね。それであの二人の事と思うのだけど、何処の組に拾われたかなんて知らないね加西さんは?」
「知らないね。でも野田さんなら全部知っていると思うよ。何しろその道は詳しいから。」
「そうですね。前にも直接聞いたけど、何か詳しかった事は覚えているね。あの人その道に入れば良いのに」
「そうだね。結構面白そうだね。でも魚を獲っている程楽と思うよ。魚は文句も言わないから、指を落とせとか詰めろなんて言わないから、指は太刀魚たちうおや鱧はもに噛まれれば仕方ないけど」
「はっはっは。全くですね。」
「もし詳しい事を知りたかったら野田さんに聞けば。何でも知っているから。でもややこしい連中が居なくなっただけでも良しとしなきゃ」
「そうだね」
良平は加西の言葉で、あの不吉にさえ感じていたやくざ風の二人が串本の地を去った事を知って安堵感が湧いて来た。
全く過失が無かったとは言え、車で人を撥ね死なせたのだから幾らやくざと言えども、風当たりは決して良く無かった事は間違いないだろうと良平には思われた。
そしてあの大島で見張りまでしていた事は一体何事であったのか、何一つ判らないままで幕を閉じようとしている様であった。
拳銃を船の操舵室底に隠してある事実と、それを躍起に成って捜していた連中、この話がこれで解決したのか、それとも継続中なのか良平にはさっぱり判らなかったが、それでもこの話が頓挫した原因は名古屋の港湾を仕切っていた石田組の解散が全てだろうと思われた。
しかしおそらく良平の事を、あの連中の誰かに言い伝えられ、決して事が消滅したり温和に収まったり等していないだろうと思えた。
忘れた頃にいきなり目の前に現れて、抜き差しならない様にされはしないかと良平には思えていた。
「俺たちの拳銃を返せ!」とばかり黒い組織に食い下がられるのではないかと思っていた。
それでも最近の串本は穏やか町に成って来ている様に良平には思えていた。やばい連中がウロウロしているとその度に、はっとさせられる事は現実であったから、彼らが姿を消した事は喜ばしい事であった。
良平は最近串本で気を使い、大阪へ行けば又違う気を使う事に成り、更に先日から名古屋でも大きなうねりを感じていたから、至る所で何かが起こっている事に、まるで大洲目に加速しながら向かって行っているようにさえ思えて来ていた。
しかし今はとりあえず串本の町は穏やかさを取り戻し静かに成ろうとしている。
漁師加西が言っていた通りやくざの二人は全く見なく成ったが、それでも良平は気に成っていた串本大島の民宿を覗く事にした。 以前に車で行って怖く成って、引き返した所まで車を走らせ、釣竿を片手にその東屋のような民宿の離れに近づいて中を窺がった。
間抜けの殻で窓にカーペットが虫干しされていて、反対の窓には座布団や式布団などが干されている。その様子は今まで居た人が既に出て行った事を物語っていて、まるで役目を果した空き家の様であった。
良平はその東屋ほどの小さな家を見詰めなからこの小屋の様な家で若いやくざは見張りをして、取引をする連中を見守っていたのだろうと以前と同じ推測をしていた。
そしてそれは言い換えれば名古屋港で一世を風靡した石田組の存続を掛けた大勝負ではなかったかと勝手に思う事と成った。
❺
しかしその作戦は韓国籍かマレーシア籍は知らないが、あの二艘の船が座礁した日に大きく狂ったのかも知れない。
それは彼らが躍起に成って捜していたのは、拳銃かも知れないし覚醒剤かも知れない。
どちらにせよ大きなお金を投じて起死回生を狙っていた作戦が、無残にも船が座礁するように石田組は座礁では収まらず難波して仕舞ったのだろう。
しかしそれでも諦め切れず、消えた物ぶつを捜しまくったが、判らないままで時が過ぎ、良平が隠している拳銃も彼らはその拾い上げる姿を見届けながら結局家探しするが見つける事も出来なかった。
何もかも中途半端で結果を出す事も出来ず、あの三丁の拳銃の他に何かがあった筈で、それもおそらく見つける事が出来なかったのだろう。
そしてやがて解散にまで追い込まれて、とうとう石田組は戦意消失して親分の石田留吉二代目が覇気さえ無くして存続の苦労だけを感じさせ、せっせと解散して自分は引退隠居の身に成り人並みに平和を目指したようである。
良平は久し振りに灯台に車を走らせ、初夏の風に心の中を洗う様に佇んでいた。
そして押し迫って来ている様に感じる名古屋発の情報に心を躍らせていた。
《篠崎隆一さん、それにお父さんお願いします。あの江上聡を白日させ、過去を曝け出す情報を探し出して下さい。お願い致します。》と本州最南端の灯台の下から大海原を見つめながら心で叫んでいた。
平成十三年十二月二十日に何もかも終わる。
その日は妻ゆかりを殺した犯人が捕まらなかったら時効になる日である。
カレンダーに真っ赤な字で書き込まれた数字が、良平の心に常に火をつけ続けていた。そしてもう十二回同じ事を繰り返している。
警察を疑った時も何度も数えた。世の中を凝視した時もあった。自分の生き様を嘆いた事もあった。妻を、早く逝ってしまった事もどこか攻めたく成った事もあった。当然泣き崩れて食事さえ摂らなかった事もあった。
事実を受けがたく精神的にも参って不安定な時や自暴自棄に陥った時もあった。
この十三年間に良平は、地獄行きのバスに揺られて旅をしていた様なものであった。
しかし今、良平はしっかり行き先を感じ、力強く両足で歩み出した気に成って来た気がしている。
それは長らく見えていなかったトンネルの出口に近づいている様な気に成って来たからである
先日知り合ってよき理解者になり深い仲に成った篠崎親子との出会いが一変してくれた気になった。
良平は暇を見つけて魚釣りに励んでいた。
それはあの名古屋の篠崎家のあの丸い温かみの在るお膳を飾る為の魚であった。
そして早速取れたての魚をスチロールの入れ物に一杯詰め篠崎家に送る事にした。
それを受け取った篠崎家の人々は良平の暖かさに心を打って、「是非あの人の重くて深い傷を、みんなで取ってあげよう」と悲壮感さえ漂わせて顔を見合わせていた。
それから直ぐに良平の元に名古屋名物きしめんなど、ダンボール一杯に食品を詰め込んで送られて来た。一人暮らしの良平が泣いて喜ぶほど何もかも詰まっていた。
それから日は瞬く間に過ぎ、真夏に成った頃、篠崎隆一から良平に電話が入った。
「笹本さん、久し振りです。 父さんが面白い事を摑んで来ましたから。」
「そうですか。お聞き致します。」
「はい。父さんが呑み屋で摑んだ事は、やはり江上聡と付き合っていてその後喧嘩別れをした女性です。
だから寝返りを打たれる心配はありません。女から絶対江上に情報は漏れないです。この女性が江上聡と一時は良い仲に成っていたのですが、四年ほど前に別れた様です。
別れたって言うより裏切られたと言うほど良いかも知れません。本人は別れたと言っていますがどうも利用されたって感じです。
お金を取られたようです。悪い奴ですね江上聡って。何か海外ファンドがどうのとか持ちかけられ、信じていたから相当のお金が消えたようです。
あまり判らないままで江上を信じていたようです。それで多額のお金を失う事になり、それで返して貰いたくて江上聡に言ったら、話にならなかったので間に人に入って貰ってお金を取り戻すように考えたのですが、江上聡から逆に脅されて結局間に入った人も打ちのめされる様に成って退いてしまい、何も返して貰えずに別れる事に成った様です。
それは法的には返して欲しいと言っても効力がなく、江上聡はその様な事まで把握しながら、籠絡にその人を丸め込んだようです。
ただここで問題に成るのは、江上聡が言った言葉で、それは「俺は女を死なせた事もあるから、あんたも気をつける事だな。しつこいのは一番嫌いだからな」と言った様です。
その時の江上の表情は殺気だって居て身が震えたらしいです。
その女性の名は立花あかねと言いまして、栄一丁目のスナックでホステスをしていましたが、現在は名古屋を離れ岐阜でスナックを始めた様です。
その女性は何分実家が岐阜と言う事で、父さんが岐阜まで行って調べたらしいですよ。笹本さんから送って頂いたお魚の効果でしょうね。美味しかったから」
「いえ此方こそ色んな物を送って頂きまして、独り身の私にはどれだけ在り難いか、あれって貴方のお母さんが見繕って下さったのではないのですか?涙が出てきました。まるで大学に行っている貴方に送る様に。お母さんの優しさですね。本当に嬉しかったです。」
「そうですか。母に言っておきます。ところで父さんが調べた話は可成意味があるかも知れませんよ。江上聡が殺した事を仄ほのめかしていたかも知れないと思うからです。
以前江上から聞いた時と同じ様なセリフだと思いますが、この女性に掛けた言葉には真に迫るものが在るように感じます。
これは父が言っていたのですが、父が岐阜から帰るなり、あの江上聡って奴、普通に近くで生きている事なんか不思議だね。心配に成って来たね。恐ろしいよ、あいつは』と言って溜息を付いていましたからね。
父でもあの言い方だから江上聡って余程なのでしょうね。初めから弱い立花あかねと言う女性を脅すようなことを言うわけですから、ですからその騙した女に言った事は、事実だったかも知れませんよ。事実であればこそ迫力があると思いますよ。」
「そうでしたか。」
「今度来られた時に父から又直接聞かれたらと思います。
過去に死なせた女って、お金を貸していた二人の女性も亡くなっていますし、それに笹本さんの奥さんも亡くなっているわけですから、この先何が起こるかも判らなく成って来ましたね。」
「その人立花あかねさんって警察に言っても構わないでしょうか?」
「良いと思いますよ。寧ろ警察に言った事もあったようですが、相手にして貰えなかったとも言っていた様ですよ。
お金の件で、それが詐欺罪とか言うのなら話は別ですがとか言われてと言っていました。
所詮どのような事が起こっても、暴力とか恐喝とか切羽詰った事件性が無かったら、男女の譫言の様に捕らえられるのでしょうね。」
「それは解かります。私もその様な事ありましたから。警察も犯人が判らなかったら、あらゆる事を疑わざるを得ないって事でしょうね。だから私のような全くの被害者でも根掘り葉掘り聞くわけです。
妻が死んで悲しんでいる私に女性関係がないのかとか、随分失礼な事を聞かれた事を覚えています。又実際その様な人も犯人には居ますからね。」
「多分居ると思います。江上聡はどうも女性を泣かせて、それで法的には罪に成らない様な責任を問われないやり方で狡猾に生きている様ですね。
この六年間の間で男の僕には判らなかったのですが、でもその様な人がいたのですね。
父が調べてくれなかったら誰も気が付かない事だと思いますね。この話は四年前の出来事だから、それからの四年間で更に何かをしでかしている可能性もあると思いますよ。父が又調べると思いますが。」
「でもお父さん、危なくないのですか?気をつけて貰って下さい。」
「ええ、でも今までも本職で同じ事をしているから慣れた事だと思いますよ。」
「本職って」
「保険会社の調査員です」
「なるほど、不正がないかとか調べる方ですね。保険を払うべきか払わないかと」
「そうです。だから結構鋭いと思いますよ。言いかえれば表も裏も見えるのでしょうね。あんな仕事をしていれば。」
「それなら頼もしいですが、でも深入りされてもしかの事があってもいけませんので」
「ええ、それは言いますが、先ず父は聞かないでしょう。今迄から脅される様なセリフを言われた事も何回かあったようですよ。
色んな人が居ますから、色んな状況もありますから、突然ある日不幸が起こり保険の支払いが急に発生する訳ですから。」
「で、この方の住所とか詳しい事をお聞きしたいのですが、そして大阪の東成警察署の東山刑事と言う方に見せようと思っています。」
「解かりました。住所などはこの後メールで送らせて頂きます。」
「お願いします。」
「この女性も江上聡を訴える事が出来れば良いのですが、別件逮捕も出来ますから」
「ええ、聞いてみます。それに隆一さんが以前言われた妻が最期に成った日に着ていた服とか飾り物の事を行ったついでに話して来ます。
貴方の言うように犯人があの服で、今それを見ても動揺する様な物なら、それが逮捕のきっかけに成るかも知れませんからね。
ただあの時言っていた貴方の妹さんに着せてとか絶対考えないで下さいね。それでもしかの事があったら、私は妻の所へ行かなければ成らなく成りますから。」
「ええ、でも警察が今まで思い付かない事なら何かの参考に成るかも知れないですし、案外素人の考えも大事と、父を見ていたら思う事がありますよ。時たま何となく口にして僕のような者の意見に耳を立てて聞き入っている様です。
父にはプライドがあるから困っているような態度は見せないですが」
「隆一さんもそこまで読んでいるのですね。大した親子ですね。」
「だから若しかして笹本さんが我が家に来られた時から、我が家の者は皆張り切っているのかも知れないですね。」
「そんなぁ。有り難いです。」
❻
良平は隆一との電話を切った後考えていた。四年前江上聡は隆一の言った立花あかねと別れる事に成って、しつこくお金を返せと言うから、たまりかねてかそれとも何時もの手か知らないが、立花あかねに恐喝まがいのセリフを使って諦めさせた。そして警察にも立花あかねは相談したが取り上げて貰えなかった。
結局諦めなければならなくなって今に至っているようである。
これは大阪で山田瑠璃が江上聡に貸したお金が焦げ付いている事と同じ傾向である。だが山田瑠璃は今でも江上聡の事を恨んでいないが、この立花あかねは相当腹を立てているようである。
だから寧ろこの立花あかねは江上聡を落す事の出来る女性なのかも知れない。
江上聡の生きて来た道には女性が何人も絡んで見え隠れし計り知れないので、憤りを感じて来た良平は兎にも角にも東成署の東山に会う事にした。
「刑事さん。私貴方に怒られるかも知れないのですが、正直な事を言いますと、実は私なりに嗅ぎ回っています。
一日でも早く犯人を突き止めたいからです。勿論危険な事などはしていません。
妻の事を考えた時、我慢して眠れない日を過ごすより、動き回って、動き回って、疲れてしまい眠ってしまったと言う感じで、これからもその様にして生きて行こうと思っています。
決して皆さんの邪魔に成らないようにしますので。
それで今名古屋で私の事を気に掛けて下さる方達が居て、時効になんかさせないと言って下さっている家族があり、そのお父さんって方は保険会社の調査員をされていて、結構何もかも詳しいようです。
そのお父さんが、江上聡が以前付き合っていた女性を探し当ててくれたのです。
四年前まで付き合っていたようです。女の名前は立花あかねと言います。
歳はまだ聞いていません。でも住所は聞いています。
その女性が江上聡と付き合っていた四年前までに、海外投資ファンドとか薦められ、大きなお金が消えてしまったようです。それで話が違うから返して欲しいと言い続けていると、
『俺は女を死なせた事もあるから、あんたも気をつける事だな。しつこいのは一番嫌いだからな。』と言ったらしいのです。
それを耳にした立花あかねは身が凍る思いをした様です。だからその事ははっきり覚えているそうです。これは同じ白石金融に勤める部下の篠崎隆一さんにも同じような言い方をしたと聞いています。実際その様な事があったのかも知れません。」
「解かりました。江上聡ってそんな男なのですね。よく調べて戴きましたと言わないといけないのでしょうが危険ですね。
何かが起こってからでは困りますからね。でもその話だと江上聡が大阪から離れて名古屋へ行ってから、その立花って子に手を出した様ですね。
それでその方からお金を巻き上げたかも知れないのですね。海外ファンドと言って結果的に大きな損害を与えてしまったが、責任を取る事もせず、逆に立花あかねさんに恐喝まがいの事を口にして諦めさせたって訳ですね。
でもその時警察にとか相談しなかったのかな?この立花あかねって子は?」
「ええ、相談したようですよ。悔しいから。
でも警察はその時所詮男女の間の問題で契約書とか覚書とか何も無い事案を取り上げる事は出来ないと詐欺罪でも成立していれば兎も角取り上げてもくれなかったようです。」
「なるほどね。それは警察では無理でしょうね。だからこの立花さんが法廷で恐喝された事を言えば何とか成るかも知れませんが。貴方が言っている事が事実なら。
解かりました。直ぐ立花さんに会いに行ってきます。ところで住所は?」
「はいメールに成ります。岐阜です。」
「岐阜?」
「そうです名古屋の親しくして下さる一家の方が、態々岐阜まで行って調べて下さったのです。それで『貴方が気の毒だから力に成りましょう。』って言って下さって。私としては懸賞を掛けてでもお願いしようと思っていますから、勿論向こうさんはその様な事は考えていませんが」
「ありがたいですね。でも私としては何とも言えません。危険な事をされる事に対して止めて下さいとしか言いようがありません。
でも貴方が懸念されているように実際犯人が見つからなかったら、それは治安を守る警察の責任でもあるのですから耳が痛い所です。
だから出来る限りお身体だけは気をつけて頂きますように。
それでこの人の事を此方で調べます。又警護が必要なら岐阜県警にも協力を依頼します。
そうですか、『俺は女を死なせた事もあるから、あんたも気をつける事だな。しつこいのは一番嫌いだからな。』と言ったのですね。それは怖いですね。幾ら今まで付き合っていて男女の関係であったとしても。お金の事なんかどうでもよくなって来るかも知れませんね。」
「ええ、江上聡ってその様な男の様ですね。今もまだ名古屋で私に協力して下さっているお父さんが、それ以後の江上聡の事を調べてくれています。問題が在れば報告してくれるでしょう。」
「ちなみにその方の事もお聞きしておきます。構いませんか?」
「ええ問題ないです。もっと詳しく知る程良いのなら、直接お伺いすれば気持ちよく協力して頂けると思います。お父さんが篠崎利一さん。そして息子さんが篠崎隆一さん、利一さんの奥さんそれに娘さんの四人家族です。
お父さんは言いましたように保険会社の調査員。息子の隆一さんはエデンと言うお酒を飲ますお店の客引きです」
「客引き?」
「そうです。そんな所へ警察が行って協力してくれなんて変な事ないですか?それって合法なのですか?客引きって言うのは?」
「知りませんが、彼はでも国立大学を出ているようで、決して馬鹿でも人様に迷惑を掛ける様な人ではないでしょう。元々この方は江上聡の勤めている白石金融で働いていて、江上聡が裏から圧力を掛けてこの人が首に成ったようです。この隆一さん本人が言っていました。
江上聡は隆一さんが一緒に勤めていた六年ほどの間に、江上の客が二人自殺したようです。でも隆一さんのお客はそんな事一切無かったと言っていました。
でも自殺にまで追い込んでも結果を出す者が、あの業界では優秀と成るって事のようですと。」
「かも知れませんね。年間三万人が死んでいるのですから、それぞれ十人十色と言うか皆悲喜交々でしょうね。
ではその線調べさせて頂きます。もっと何かが見えて来るかも知れないしね。笹本さん一度その篠崎さんにお会いさせて頂く事にします。それで又同じ事を聞かせて頂くかも知れませんが、構いませんね?」
「ええ、篠崎さん張り切っておられるから、実は私あの人達と出会えて何か光明が射してきた気に成っているのです。妻が笑顔で頑張ってと言ってくれているような気がします。」
「そうですか。大分核心に近づいて来ているように思うのですね、今回は。」
「ええ、これからです、これから」
「でも警察の言う事は守って下さいね。」
「ええ解かっています。是非岐阜と名古屋へ行って下さい。
東山さんこの事件を解決されるのは貴方と思いますよ。貴方が中心に成って解決して下さい。」
「ええ」
良平は東山刑事はあまり気乗りをしていないように感じた。それは刑事としてのプライドかも知れないが、以前同じような話で東山が江上聡に重要参考人として同行を求めたが、結果的には逮捕には至ら無かったことが尾を引いていた。
江上聡は白石金融の力で敏腕弁護士も付いている事もあり、今又新たな身辺警護をしなければ成らない者が出て、他府県の警察に対し面目ない事になりはしないかと考えてもいた。
そもそも山田瑠璃の事も身辺警護をしているが江上聡が動く気配も無く、その警護を梳くべき時期に来ている様にも思えていた。
だから今新たに同じ様な話が、同じ人物から起こった事が重荷に感じていた。
それが江上聡ではなく全く新しい者ならまだ良いが、前回しぶとく問い詰めたにも関わらず何の証拠や自供も無かった江上聡を、またしても追及するには余程の根拠がないと出来ないと思えていた。
それで結局良平にけしかけられたが東山刑事は名古屋へ行く事も岐阜へ行く事も事実躊躇った。
行けなかったのである。
そんな事とは知らず良平は名古屋発で新しい展開に入って来るものと信じていた。
しかしそうではなかった事が、それから二週間が過ぎて、久し振りに名古屋の篠崎家を訪問して判る事に成った。
「えっ大阪から東山と言う刑事さんが来られていないのですか?直ぐにお伺いしますって言っていた様に思っていますが。」
「いえ来られていません。」
「可笑しいですね。そうですか。私の早合点だったのかも知れませんね。」
「来られる事に成っていましたか?」
「その様に思っていましたが、私の勘違いだったのでしょう。江上聡を一度警察は任意同行を求めて失敗しているから。この度は慎重に成っているのかも知れません。
警察も白石金融の弁護士が付いているから簡単ではない事が窺がえます。折角お父さんに骨を折って頂いたのに、でもいつか来るでしょう。
その時は宜しくお願い致します。今日は先日の御礼をしなければと思いまして、仲間の漁師が好い鰹を獲りましたので持って来させて頂きました。それと此方は私が釣り上げた鯛です。又召し上がって下さい。」
「又頂けるのですか。有り難いです。こんなに一杯。」
「いえ、これからも一杯持って来させて頂きます。コンビナートが在るこの辺の海より遥かに綺麗ですから、気持ちが良いと思います。存分にお召し上がり下さい。」
「有り難う御座います。」
良平と隆一が話しに弾んでいた時、父利一が入って来て、先日の話の続きに及んだ。
「先日は有り難う御座います。早速大阪の所轄の刑事に話させて頂いております。大変興味を持たれて、これから遠くない時期に東成警察署の東山と言う刑事がこちらを訪ねて来ると思われますので、その時は宜しくお願いしておきます。」
「はい解かりました。先日の出来事を倅からお聞き頂けたと思いますが、何しろあの江上聡って男は酷い男の様ですね。
私もあの立花さんと言う女性から話しを聞いていて、可哀相に成りましたよ。内容の全ては判りませんが、恐らく騙されたのだと思いますよ。
江上は口が上手い様だし、頭も切れるかも知れないですし、大一籠絡に抜きん出た男なのでしょう。参りましたよ。」
「そうでしょうね。」
「ええ、相手を上手く騙しこんで、自分の企みに導いて行く正にその様ですね」。
「なるほどね。仰る通りだと思います。」
「警察の方に真剣に取り組んで頂き、あの人を救済してあげるべきですよ。大阪で同じような事があったなら尚更です。」
「ええ、警察の東山さんですが、この度は慎重に成っていると思います。確固たる証拠とか証人とかが必要なのでしょう。一度取り逃がしていますから、今度は完全に逮捕に繋がらなければ、白石金融の弁護士が逆襲に来る事が考えられるから慎重なようです。
前回は慌て過ぎと思う位早かったのですが、彼らにも焦りがあったのかも知れません。」
「だから大阪の方もこの前の立花さんも、お金を取られているのでしょう江上聡に。
ですからその事に拘って、江上聡を攻める事が出来ないか考えて貰いたいですね。刑事さんに」
「刑事って何処まで踏み込めるのでしょうねぇ?」
「だから今回は全く手を出せないのか、それとも何とかなるかも知れないのか、東山さんに教えて貰いたいですね。
それで何か別件でもあの江上聡を豚箱にぶち込んで自白させるように警察は考えて欲しいですね。」
「ええ、隆一さんのおっしゃる様になる気がしますが。」
「笹本さん私は又次の事を考えているのですが、まだ確実ではないからその事は何れの機会にお話致します。岐阜へ行った立花あかねさんの後釜に納まっていた女性の事を」
「まだ続きが在るのですか?江上聡の女性遍歴に」
「ええ、在るみたいですよ。あの男はこんな考え方で何とか生きて来た様だから、必ず法に触れる事もしている筈、その内何かに引っ掛かりますよ。でもあの男に関わった者が居ても、そして立花さんの様に今現在はあの男を嫌っていても、全て玉虫色の出来事と成るのですから、実際笹本さんの奥さんを殺した事も証拠など全く判らないのですから、それが巧妙と言うか辛い所ですね。」
「ええ確かに。だから私も仮に彼が犯人だとして捕まえても、自供しない限り真相は判らないのです。全てを知っているのは江上聡だけなのです。あの男が犯人だとしたら。」
「そうですね。」
「だから最終的には自供となるのです。」
「ですからそこまで持っていく証拠や証言が、それもより強力なものが居ると言う事に成るわけです。」
「でもあまり無理をしないで下さい。誰でも追い詰められてくると普段の判断が出来なくなるかも知れません。今までは肩透かしを食らわせていて逃れていても、いよいよ逃げられないと成った時変貌して「鬼畜」に成る事も考えられます。
それが以前私の妻を殺害した時の心境だったのかも知れません。江上を犯人と決め込んでいるかも知れませんが。」
「ええ、これからもあの人が逃げられない括弧たる証拠を見つけてみますよ。私が」
「父さんは今までそのような仕事ばかりして来たのだね。きついね、それって」
「でも保険金だって不正が横行している時代もあったからな。支払う側も受け取る側も。」
「とりあえず私警察に相談致します。」
❼
今の時点では埒が明かないと思い良平の言葉で占め括ったが、良平には一抹の不安が漲っていた。
それは目の色を変えてあの日聞いていた東山刑事の心の内を思った時であった。
まさか未だに名古屋へ着ていない事が不思議にさえ思えた。前回の行動とあまりにも差がある事が頂けなかった。
そして寧ろ何かがあると勘繰っていた。
それが現実に成ったのはそれから僅かの内に起こった。
東山刑事は東成署を離れ、浪速警察暑に移動に成った事を知った。
良平はその事実に又しても一掛けに成った事に落胆の色を隠せなかった。今まで積み上げて来たものが、一気に崩された思いに晒された気がした。
『又一掛けから・・・』と、何度も必死な思いで、担当が替わる度に説明をして来たかを思い出さずに入られなかった。その度に熱意も気迫も薄れさせられる気がした。
結局警察なんてものはこの程度なのかと、その在り方に不満もあり疑問にも思えて来て、良平は心が少し閉じて行く事を感じていた。
そして今度の新しい担当と会ったのは、それから既に二ヶ月が過ぎていた。
新しい担当の刑事は年配の方で、野村達樹と言ってベテラン刑事であった。
『落としの達さん』とあだ名がつく男で、坊主頭でその顔つきは日に焼けて精悍で怖さまで感じる男であった。
その姿を人目見た途端良平は、それまで持っていた邪推と言うか邪よこしまな気持ちは払拭され心にピリッと感じるものがあった。
それは例え江上聡が籠絡であっても、この男には負ける様な気がして来た事である。
そして何故突然東山刑事が浪速署に移動したのかが判る気がしてきた。
それは移動ではなく飛ばされたのかも知れないと思えてきた。
あの名古屋の篠崎隆一さんが言っていた言葉と重ねていた。
要するに彼は白石金融に勤めて誰一人も自殺者など出さなかったが、江上聡は二人の人を追い詰めて首を吊らせて死なせている。
しかし結果的にはその江上聡に軍配が上がった訳で、磯崎隆一さんは弾き飛ばされたのである。それは東山刑事も全く同じ事を言えるのだろうと思われた。
要するに東山刑事は俗に言う《帯に短し、襷に長し》と言った表現が正しいのかも知れない。
「始めまして。わたくし今度担当に成りました野村達樹と申します。定年間近に成って大役を引き受けさせて頂く事になり、身の引き締まる思いで御座います。
私が警察を去る日は笹本さんの奥様を殺害した犯人が、奇しくも時効を迎える年と重なる事に成り、それだけは命に代えてでも許されない訳で、犯人逮捕まで全てを排除し、ただこの事件追及に汲汲と勤めさせて頂きます。
辞令を受けた時から今回の事件の詳細を見せて抱いています。
毎日相当な時間資料に目をやって参りましたが、そして更に新しい情報も伺っています。それで十三年間笹本さんは辛い思いをされた事は重々解かります。
後三年もありませんが必ずや犯人逮捕に猛進して参りますから」
力強い言葉に良平は心を奪われて、一言一句逃がさない様に耳を立てて聞き入っていた。
良平には刑事野村達樹の心情を簡単に読む事が出来た。
妻の事件で刑事一筋で生きて来た男のプライドをくすぐる問題を今与えられたのだろうと思えていた。
そしてこの人はプライドの為に全身全霊をぶつけて、この事件に立ち向かって行くのだろうと確信出来た。
《ベテラン刑事さん、野村達樹さん。是非妻殺しの犯人を捕まえて下さいます様に心から祈っております。》 良平は頭を深々と下げながら東成署を後にした。
良平は何の連絡も貰わないで担当が替わった事に疑問を抱いた事もあって。自分の口から野村達樹に対して何も口にしなかった。とりあえず野村の心の内を覗きたかった。
それが思いのほか熱血刑事であった事で、再び光明の陽が射して来た思いに成っていた。
名古屋の篠崎一家、そしてこれからの担当刑事野村達樹、この両者が何か大きなものにぶつかってくれるのではないかと、妻が殺された現場に花を供えながらじっと手を合わせていた。
体の中から湧き始めた何かを感じて、それは又しても江上聡が逮捕されたその姿であった。
『何とかなるよ。きっと、ゆかり』と万感を込め心で囁いていた。
その姿を後ろから見ている初老が居る事も知らずに、目をそっと抑えながら涙を拭いていた良平に、
「来させて頂きました。」と頭を下げて近づいて来たのは、先ほど東成署で挨拶を交わした刑事野田達樹であった。
「あぁ、刑事さん。」
「先ほどは失礼致しました。ここが原点です。先ず現場から始めるのが鉄則です。現場百回と言われる言葉通り、解決しない時はお百度参りのように何度も何度もここに・・・ここに来ればヒントや突破口があると確信しております。」
「有り難う御座います。刑事さんは随分頼もしく思われて正直期待しています。今妻にもその様に報告致しました。」
「笹本さんはこのようにして和歌山から此方へ、毎月の様に来られているのですね。もう十三年が過ぎたのですね、申し訳ないと思います。警察が解決しなければいけない事が・・」
「いえ、警察も人間で犯人も人間、時たまこの様に糸が絡まる様に成る事もあるのでしょうね。」
「でも事件は時間が解決など決して出来ないものと私は思っています。時効なんて要らない。何処までも犯罪者は追い詰められなければならないのです。死ぬまで苦しんで、苦しんでそれで朽ち果てる様に地獄を見て死ななければ成らないのです。
私が関わったこれまでの事件は、生涯を通じ全て犯人を検挙し解決致しております。今回もその様な結果に成ると確信しています。」
「そうですか。その言葉は私にとって、どれだけ心強いか計り知れません。」
「笹本さん。この近くに喫茶店があるでしょう?貴方の奥様が事件に遭遇する前に入った喫茶店が?」
「ええ、あります。」
「そこへ行きましょう。そこからスタートですから、奥様が運命を変えさせられた一杯のコーヒーから始めましょう。」
二人は喫茶店に入ってコーヒーを注文した。
野田刑事はすぐさま、
「何か名古屋で脈の在る話があるようですね。前担当の東山から報告を受けています。どうもその江上聡って男は徹底的に調べる必要があるようですな。ぼろが出る可能性が在ると思いますよ。
唯一度失敗していますから慎重にならざるを得ないと言った所ですが、鋭意追求します。
それでその名古屋の情報を提供して下さっている方に一度お会いしたく思います。もし宜しかったらご同行して戴ければ幸いです。」
「ええ私は一向に構いません。」
「そうですか。それじゃ貴方のご都合の良い時に出来るだけ早く行かせて頂きたいのですが」
「ええ、何時でも構いません。
そうですね。刑事さんもこの事件に関しては誰とも顔見知りでは無いのですからね。」
「その方が上手く行くと思いますから」
「そうですね」
「それと笹本さんに言っておかなければ成らないのは、あの大阪の山田瑠璃さんの身辺警護は今はしていません。
江上聡が全く動かない事と名古屋で直接見張っている事もあり、その必要が無いと判断致しました。だから名古屋で江上聡が動けば直ぐに情報が入ってくる事に成っています。」
「そうでしたか。色々すみません」。
「だから貴方が名古屋へ行かれ白石金融の側のビルで詮索されていた事も報告あがっていますよ。」
「私をですか?」
「そうですよ」
「何故?」
「だから大阪の山田瑠璃さんに何かがあれば困るからですよ。江上聡を見張っていないと何が在るか分からないから。貴方の奥様を殺したのなら又山田瑠璃さんを殺すかも知れないのです。
勿論それが貴方になるかも知れないのです。だから素人が余計な事をすると言う事は危険を伴うわけです。
見張られている事など全く知らなかったでしょう。それが警察でなく殺人犯人だったら貴方はこの世に居ないかも知れませんよ。
私は長年刑事をして来ました三十一年に成ります。この間に凶悪な犯人とも出会っています。
しかしこの様に生きているのは慎重に行動して、万全な体制で望んでいるからです。一部の隙もあってはいけないのです。それが致命傷に成りかねないのです。」
「よく解かりました。流石ベテランの方は重みを感じます。生粋な事を言いますが」
「では後日連絡致しますので、ご一緒にお願い致します。」
良平は歯切れの良い野田刑事と別れて、阿倍野に住む山田瑠璃のアパートを訪ねた。
「いつも有り難う御座います。」
「いえ、この頃は少しサボっているのですよ。夜遅くまで仕事をしていますから疲れてしまって。」
「夜遅くまで?」
「ええ、ファミレスで働き始めたのですが深夜十二時まで営業していますので、帰って来ると一時過ぎに成り大変です。」
「そうですか。それは大変だ。それに最近警護も解かれたようで気をつけて下さい。」
「ええ、でもそれって江上聡さんの事でしょう?私は大して何とも思っていませんが。あの人にはお金も沢山貸して在るのですから、何か仕返しをされるような事はしていませんから」
「でもね、最近判って来た事ですが、名古屋で貴女と同じ様な女性が江上聡に大金を取られた事が判明したのです。
詳しい内容は判らないですが、その女性がしぶとくお金を返して欲しいと言っていると江上聡は、
『俺は女を死なせた事もあるから、あんたも気を付ける事だな。しつこいのは一番嫌いだからな。』と言われたようです。
それって他の人からも聞いた言葉によく似ているとその時は思いました。
それでその様に言われた女性は、身が凍る思いだったと、だからお金の事は言えなく成ってしまったと、警察にも言ったけど相手にして貰えなかったとも言っていました。」
「そうですか、でも私はその様な事は無かったです。
「それは貴女が人が良いとか優しいとか何かがあるからかも知れませんね。貴女が名古屋の女性のように江上聡の顔を見る度にお金の事を口にしていたら、江上聡の態度はまるっきり違っていたかも知れません。逆上していた可能性も考えられます。」
「かも知れませんね。解からないけど。」
「山田さん、つかぬ事をお聞きしますが妻の死んでいた現場へ、江上聡を誘ってお花を供えて頂いた事ありませんでしたか?同棲している間に?」
「在りました。でも江上さんは嫌がって一緒には一度も行かなかったです。何時も一人でお花を供えに行った気がします。」
「それって全く同じ話で、貴方が江上聡に何故一緒に行ってくれないの?江上さんはゆかりを嫌いだったかも知れないけど、私は一番の親友なのよ。それに亡くなってしまった人を、それでもいや?とか、しつこく言えば江上聡は辛いでしょうね。
だからあの男は辛い事に耐える事が苦手だから、自棄に成った様な事を口にするでしょうね。それが『俺は女を死なせた事がある』と吐いたセリフで、名古屋でも口にしたセリフな訳です。
もし江上聡が妻殺しの犯人なら、正にその犯行は、江上聡の道理が成り立っているわけです。
《煩い奴は消せ》と言う共通した道理が」
「では江上さんがやはり」
「山田瑠璃さん、貴女から江上に電話か何かでお金の事を催促されては如何ですか?『お金が要るから返して欲しい』って、現実貴女は最近は夜遅くまで働いて辛い思いをされているわけですから、今辛い思いをして稼いでいるお金も、江上聡に渡したお金も同じな訳です。大事なものです。だからいい機会ですお金を返して貰わないですか?江上聡の本性が判るかも知れませんよ。貴女の言葉に対してどのような態度で出てくるかを。」
「でもその様な事をしたらあの人は嫌がるでしょうね。」
「でも当たり前の事でしょう?当たり前の事をして、腹を立てるとか嫌がるとか自棄になるとか、それは大人としても社会人としても決して好ましくない事です。
貴女が動かなかっても貴女と同じ位江上聡の事を怒っている人も居ますから、その方にも言いますが。
山田瑠璃さん貴女には江上聡とは色々な思い出もあると思います。楽しかった事も、でも妻のゆかりともあった筈です。それも幼い頃から、だから今でもお花を供えて頂いているのだと思います。
だから貴女も言っていました様に決着をつける程良いと思うのなら、この際あの男の化けの皮を剥いで下さい。
東成警察署に今新しい刑事さんが赴任され、私の妻の事件を選任で担当して頂く事に成りました。相当やり手の刑事さんのようです。
何はともあれ今まで三十一年間刑事をして来て未だ未解決の事件は無いと言っています。
ですから私は大いに期待をしているのです。お歳も調度ゆかりの事件が時効に成るかも知れない時と同じに退職が決まっていて、それまで全力投球させて頂くと言ってくれています。
ですから貴女も私も何もかも解決出来るかも知れない時が来ているのかも知れません。大詰めが・・・助けて下さい。」
「解かりました。笹本さんの仰る通り考えて見ます。確かに今の現実を思うと、あの人に渡したお金があればどんなにか嬉しいです。」
「そうでしょう。お金は間単には入って来ないですからね。
ではこれで帰りますが、近々刑事さんが来られるかも知れませんので、何もかもを相談されては如何ですか?このままにしておけば大事なお金さえ消えてしまい江上聡の思う壺と成ると思われます。」
「解かりました。」
「これからも貴女と同じような女性が現れるかも知れません。何かあの男が残した証拠など御座いませんか?一筆書いた物であるとか。紙の端くれに書いた物でも。何か心当たりがあればそれを刑事さんに見て貰って下さい。」
平成十一年も秋に成り、可成の期待を良平は刑事野村達樹に寄せていたが、何一つ効果が無く過ぎていた。
岐阜の立花あかねでさえ、民事なら可能性こそあれ刑事事件には成らない範囲であった。
大阪の山田瑠璃も同じで、結局どちらも言える事は、女として初めは尽くして居る事実があったからであった。
江上聡は百も承知で巧に擦り抜ける技を持っているから、後で何かを言っても聞き入れない計算も最初から出来ていたと言う事に成った。
それでも、恐喝紛いの事を口にした事を女性が言っているが、それも何も心で思っている訳ではないと、又冗談であると言えばそれで済む話なのかも知れない。
目の前で誰かを殺した訳ではないから、誰も真に受ける事等ありえないと成る。
そしてとうとう平成十一年十二月二十日が来て、その日から丸二年で犯人が見つからなければ、妻ゆかりが殺された事件は時効になる。
どんな嬉しい出来事でも、どんなに悲しい出来事でも、十三年が過ぎればそれは幻で忘却となる。
刑事野田達樹もあと二年後の年末に退職する事を仄めかしている。それは正に時効と全く同じ時期である。
このゆかり殺しの事件は野田達樹の人生に於いても、それが大きな名誉に成るのか、断腸の思いで迎えるのか、大きな勝負の二年に成りそうである。 少なくとも野田達樹の話す言葉や態度からその心意気や緊張感が感じてくる。
それでも良平が期待しているそんな野田刑事でさえ手に負えないようで、この事件が風化しないかとまで心配に成る事も確かである。
何度か野田刑事が名古屋を訪ねて篠崎親子に会って居るが、刑事事件に持って行けない現実が地団駄を踏んでいる一番の原因であるようだ。
大阪の山田瑠璃にもけしかけるように話す訳であるが、此方も埒が明かない有様である。
名古屋の篠崎の父利一も動いてくれているが、人の人生を変える様な話であるから、それは素人の域を抜け切れない訳で、保険の様に白黒をつけるだけの行為では済まされない事で、それは相手を豚箱に入れる事であるから限界があった。
❽
ある日満を持して刑事野田達樹は、相棒の刑事寺田洋介を伴って名古屋の白石金融を訪れ江上聡に詰め寄った。
「江上聡さん。あんたの事で耳にした事がありますからお伝えしておきます。
私らは大阪で殺された笹本ゆかりさんの犯人を捜していますが、その笹本さんが生前仲が良かった幼馴染の山田瑠璃さん。その山田瑠璃さんがあんたに三百万円とか相当のお金を貸して未だに返して貰っていないと言っていますから返して欲しいらしいですよ。
彼女今深夜までパーとで働いて居て苦労されていますわ。それはどの様にされるのですか?」
「貸した?俺覚えていないけど。貰ったかも知れませんが。」
「あんた、それ正気?」
「あぁ、正気や。当たり前や。」
「それから名古屋の立花あかねさんも、あんたに金取られたって泣いていましたわ。二人から訴えられるで。あんた大きな顔で金貸しして恥ずかしい事無いのですか?偉そうな事言っているんやったら先に返さな。
あんたの客で死んで行った人も居るんやろ。死ぬとこまで追い詰めるんやったら人騙したらあかんで。」
「何言いますね。刑事さん。無茶苦茶や」
「私らはそんな事あんたに言いに来たんと違う。殺人犯人を見つけに来たんや。
あんた立花あかねさんにお金返して欲しいって言われ何て言ったのか覚えているわなぁ、
『しつこく言うと消されるで』と言ったようやな、それで『前にしつこく言って殺された女が居った』とも言ったらしいな。
それってどの様な意味ですか?
立花さん、それからあんたに何も言えなくなったらしいわ。怖かったから、背筋に氷水を掛けられた様に思ったらしいで。
あんたに金を貸したと言っている二人を連れて来ようか、警察官ももっと連れて」
「それ脅しでっか?」
「違うわい、あんた自分の胸に手を当てて考えたら判るやろ。」
「俺は女から金を借りた事ありませんわ。全部くれたと思っていますわ。第一そんな事言うのやったら、俺と寝る事ないのと違います。喜んで寝て、抱きついて来て涙まで流して、それで金返せって可笑しいですわ。」
「江上聡、これ見てみ、笹本ゆかりさんが、これ今里で殺された時着ていた服や、始めて着た服や。山田瑠璃さんの妹さんが刺繍を習っていて、その仕事を始めて笹本ゆかりさんに注文貰って納めた初仕事で作った服や。これを着て行って殺されたんや、あんた見覚えないか?犯人が笹本さんの腹をナイフで刺した時、この魚の刺繍を見ながら刺している筈や、
覚えあるやろ、憎かった笹本さんをナイフで刺して殺してすっとしたやろ、どや?」
「何言うてますね?皆聴いているのに困りますわ。」
「それとな、あんたこれから何処でも寝たらあかんで。うっかり囈うわごとで「魚」って言うたら、あんたが犯人やって事ばれるで、この刺繍を忘れられへんからな犯人は。他人は騙せても自分は騙されへんからな。
これから毎日警察がこのビルの表に一斉に来る事を覚悟しておきや。周りに居るこの人らも仲間と思いなや。うっかり会社で寝込んでぼろが出るかも知れへんで・・・魚、魚ちゅうて魘されて
ほなっ、帰るわ。」
刑事野田達樹と一言もしゃべらなかった寺田洋介は白石ビルを後にした。そして今頃江上聡は社長の白石にこっぴどく説教をされている事が予想されたが、一方で白石の全員を敵に回した気にも成っていた。
白石は直ぐに弁護士に相談して対策を講じているかも知れないと、懲りない連中の事を思い溜息まで出て来ていた。
「親父さん結構きつい言い方でしたね?」
「あぁ、あの男はあれくらいが普通やろな。なんとも思っていないと思うな」
「でも親父さん興奮して、僕心配していました。」
「寺田君、君もあれ位の事言える様にならないと刑事は務まらないよ。」
「でも・・・」
「でも、何?白石から何か警察に言ってくるか心配かな?」
「ええ、まぁ」
「始末書書けばええだけや。それで三十一年間乗り切って来たから大丈夫や。一番大事な事は絶対舐められたらあかんって事、解かるね。」
「ええ。」
「それに怖がらせないと、ビクビクさせないと。悪い奴が悪い事ばかりしていたら疲れる事を叩き込まないと。
そうでないとせっかく親が授かってくれた命も失う事に成るからね。
実際同期で一人死んで逝った奴も居るから後輩にも・・・」
「そうなのですか、三十一年伊達には経っていないって事ですね。」
「そう、色々在るよ。警察官で在りながら、やくざと手を組む奴もいるから、何時も気を緩めない事だね。誰の為でもない組織の為でもない、自分の命を守るために。」
「成程ね。勉強に成ります。親父さんとご一緒していると。」
「その親父さんも後二年。この件は是が非でも解決しないとね。寺田君わしの相棒をこれからも頼んでおくよ。わしは先に言っておくがきついからな。」
「ええ、覚悟していますから、何しろ検挙率百%ですからね。これって凄いですよね。」
「あぁ凄いと自分でも思う。それが最後に一番の難問を突きつけられたから大変やで、しかし何とかする気で取り組まないとな。いやぁ絶対解決して見せる気で」
「ええ、僕も頑張ります。一生懸命付いて行きます。だから何なりと言って下さい。手に成り足に成り走り回りますので。」
「嬉しい事を言ってくれるね。わしも若い頃、そんなんだったから思い出すなぁあの頃を。」
これから岐阜県警にお邪魔して立花あかねさんの件をお願いしておくから」
「分かりました。身辺保護とかですね。」
「そう。」
「江上聡動くでしょうかねぇ?」
「動く。白石金融の中で居り辛く成って来る筈。だからイライラして来たらこっちのもの。
とにかく口にされては困る者を黙らせる為に動く筈。それは立花あかねの所か山田瑠璃の所か判らんが、それともまだもっと致命的に成る者が居るかも知れんしな。
何しろそんな橋ばかりを渡って生きているからボロが何れにせよ出る。
自殺に追い込んだ話も絶対ある筈。それは他の社員を捕まえて搾り出せば何かを聞きだせると思うな」
「解かりました。手抜き無くやりましょう。」
刑事野田達樹はこの事件を担当する事に成ってから、相当の時間資料と睨めっこして多くの事実を頭に詰め込んでいた。それは人知れぬ信念からであった。
未だかって扱った事件が全て解決に至った取り組み方をして来た訳で、刑事として三十一年間の月日は、並々ならぬ魂を転がした様な生き方であった。
三十代で暴漢と向き合って腹を刺されて命取りに成り掛けた事もあった。
四十代でも車で引きずりまわされて半死半生の時を過ごした事もあった。
気が付けば刑事を三十一年間している。
そして後二年で刑事野田達樹を卒業する。
その前にこの様な難題を命令された事は、これは他の刑事に対する労いで、野田に対して最高の嫌味であった。
それはこの事件はどの刑事でも解決に至らないと酌んでいたからで、それは被害者が居る以上口には出来ないが誰もが思っていたのであった。
それは時どき東成警察署を訪れる笹本良平に対しても面倒そうな態度に表れていたのである。
《又来られたのですか?そんなに私を追い詰めないで下さいよ》と言っている様な気がした事でも判った。
だから今回の辞令は大阪府警の中で知っている者には大変興味のある辞令であった。
今頃東山刑事は浪速署へ行って人間味を取り戻しているかは知らないが、東成署に足を向けて寝ているのかそれも知らないが、どんな事情があるにせよ去って行った者はともかく野田達樹はやる気十分である。
良平が東成署を訪れて驚いたのは野田刑事が事の他熱心に何もかもを把握していた事であった。
そして名古屋の白石金融に行って江上聡にみんなが居る中で、大層な事をぶちかますように言った事も知った。
それはあの浪速署へ行った東山のレベルではない事が判った。
「笹本さんわしは一番気にしている事は、あの男がこれから少しずつ狂いだすと呼んだ事です。それは奥さんが着ていた服装の事を言ったから、もし犯人ならあの男持たんでしょう。
わしはこの事件を引き継がせて頂いて証拠品に目を通した時、一番目に付いたのも気に成ったのも、そして直感と言いますか長年の感で奥さんが着ていた上着が気に成った訳です。
あの大きな魚の刺繍があまりにも目に付き、あれは犯人が見ていたなら絶対忘れないと思ったからです。例え暗い時でもあの刺繍はラメが入っている、それにまた白地だから結構暗くても目立つから、間違いなく犯人が目に焼き付くように見つめた筈。
それをこの前江上聡に見せたのです。あの男は目を細めていましたが何かを感じていたと思います。だから江上聡に、その服はあんたが殺した笹本さんがあの日始めて着た服だと言ってやったのです。
そしてこれからみんなの前で迂闊に寝ない事だって。もし寝言で魘されて「魚」とか口にしたらあんたが犯人である事が直ぐにばれると言ってやりました。
それから大阪の山田瑠璃さんの事も岐阜の立花さんの事も、金返さなって強く、金貸しが金借りてどう言う積りやって、そして『しつこい女は消した事がある』って言った事はどの様な意味かとそれも白石社長始め大勢居てる時に言ってやりました。」
「へぇーそんなえげつない内容でしたか。流石警察の方ですね。権力って凄いですね。私らが幾ら頑張ってもそれには程遠いです。野田刑事はよく何もかもをお調べで関心です。」
「当たり前でしょう。貴方の知らない事でも知っておかないといけませんからね。解決しなければ成りませんから我々は、それが仕事で使命でもあるのですから。それからわしと組んでくれる相棒の寺田洋介君三十歳。独身」
「はぁ、宜しくお願い致します。」
「寺田です。この度は超ベテランの野田さんと新米の私とで、一日でも早く解決出来ればと固い決意で望んでおります。」
「中々この新米、出来は良いですからご期待を。」
「宜しくお願い致します。」
良平は後二年で妻ゆかりの殺害事件の犯人が判らなければ時効になる現実を、刑事野田達樹の出現により全く気にしなく成って来た。
それ程までに野田の底知れない迫力の様なものを感じすに入られなかった。それより寧ろ野田がわっぱを提げて名古屋へ今にも向かうような感じさえ、自信に漲った態度から受け留められた。
このヒシヒシと伝わって来る現実を、良平は元々この話のきっかけになった名古屋の篠崎親子に現状を報告したくなって来て、次の休日に名古屋へ向かっていた。
良平が現状を話し終えると、
「へぇーあの刑事さん凄いですね。」
「それは頼もしい限りだ。」
「良かったですね。この前お二人で来られた時と比べて、何か見通しが付いて来た感じですね。
笹本さん、何とか解決に近づいて来ているのではないのですか、僕にはその様に思えます。」
「私も、あの岐阜の立花さんも何か法律で救われないかと思いますよ。だって可哀相だもの、同じ男として許せないですからね。」
篠崎親子は立て続けにその様に口にした。
「ありがとう御座います。お二人が何の躊躇も無く積極的に一歩前へ進んで下さったから、この様に具体的に成って来たのです。
隆一さんと出会わなかったなら今は無いと思っています。
本当にお世話に成りました。
野田刑事さんの話だと、江上聡は遠くない時期にお縄になる様に私には感じます。
野田さんて刑事の仲間に、
【落としの達さん】って言われている様ですよ。それは取調室に放り込めば必ず犯人は自白する事らしいですよ。」
「成程ね。頼もしい話ですね。」
「それじゃ犯人もたまったものじゃないって事ですね。」
「その様です。」
「実は私、江上聡がこの四年間でどのような生き方をと言いますか、女遍歴をしているのか調べている所です。前にも言いましたが、でもその必要も無くなったかも知れませんね。」
「はい有り難う御座います。実は私も下手に素人が構うより、あの人のする事を見守っている程良いのかと思ったりしています。
それは私は白石金融の隣へ行って聞き耳を立てて探る事ぐらいが関の山、しかし野田刑事は堂々と相手方に乗り込んで言いたい放題、それって国家権力が後ろにないと絶対出来ない事ですからね。
だから素人が余計な事を回り道をしてするより、あの人達が玉に成ってブルトゥーザーで土を押すようにする程余程効果が在るようです。
それで今は静観が一番かと。お父さんが頑張って下さっているのに申し分けないですが、それに刑事さんはやくざの上を行く様なセリフを並べた様ですから、その竹箆返しを私たち向けられても困りますから、私はともかく、磯崎さんの御二人に変な事があっては困りますから」
「そうですか。解かりました。暫く静観していましょう。それで江上聡が逮捕されるのを待ちましょう。」
「父さん、それで良いの?ちょっとそれでは寂しいでしょう。張り切っていたのに。」
「まぁ私は暇をみつけて私なりに動きますが・・・」
「ええ、本当は決定的な証言があれば良い事は良いのですが・・・」
「そうですよ。江上聡が過去に誰々をナイフで刺して、今逃げていると言う様な証言を聞き出せる人物が居ればいいのに、それって若しかしたら僕だったのかも知れないですね。だって六年も一緒にコンビの様に何時も二人で働いていたのですから」
「でも隆一さんはまるでその様な事は無かった。貴方の事は全く同じ狢(むじなには江上聡には見えなかったのでしょう。
だから貴方と組んでいて思う様に成らなかったから、貴方の裏に廻って貴方を首にしたのだと思いますよ。 本当はもっと悪い事をしたかったが、貴方が側で居てる事で、それが制御されていた。そして鬱陶しく感じた。」
「では僕以外の誰かが何かを江上聡から聞いている可能性がありますね。あの頃から働いていた江上聡の手下だった者ですね」
「それも隆一さん貴方の様に真面目ではない人。江上聡が好む様な人。それは男かも知れないし女かも知れない。詰まり白石金融の事務員かも知れない。」
「そうですね。それって誰かな?」
「隆一、隆一が白石金融に入社した時江上聡は既に働いていたのかな?」
「いえ、僕が先です。だけど大阪で社長が江上さんをスカウトした様に成って、僕いきなり江上の下で働く事を命令される様に社長に言われ、それから首に成るまで江上聡の部下として働いていました。」
「でも隆一さんには女性に見せたような態度も言葉も見せなかった。」
「それは僕は社長から好かれていたからだと思います。だからその事を江上さんは意識していたと思いますよ。其れで無かったならまったく僕に興味は無かったのでしょう。」
「興味?多分それは隆一さんが崩れそうで崩れない男だったから面白くなかったのでしょうね。
よく言うでしょう悪は集団を好むとか、だから貴方は好まれなかったのでしょう。貴方のお客にも自殺をするほどの事が起こって欲しかったのでしょう。江上聡から見た時。だからコンビであっても貴方は嫌だったと思われます。」
「でもそれならショックですね。意味が解からないけど」
「だから貴方が、貴方の客も自殺したと少し苦虫を噛んで口にすれば、江上聡は多いに喜んだかも知れないと思いますよ。
そして『しっかり心を鬼にして清算しろ』って言うと思いますよ。
「取れるものは全て取ってと言うでしょうね」
「中々笹本さんは鋭いですなぁ、隆一お前さんが白石金融に勤め出した時から今までに、江上聡と懇意にしていた者、特に飲み食いをよくしていた者とか、得に仲が良い者って誰か心当たりがないか考えて見なさい?」
「江上にそんな人は居なかったと思う。それはあくまで僕であった筈。
❾
金融関係も時代が変わって、僕らが入社した頃には、若い女性をターゲットにする傾向があり、出来るだけ穏やかで優しい男が好まれる様に成って来て、正直江上聡もどちらかと言えばホスト的なイメージだから、見た目には何の違和感も無かったから心で何を思っているなんて関係なかった訳。
みんな仮面を被っている様なもので、だからみんな本音が判らないから、江上聡が得に親しくしていた者って思い当たらない。」
「なら、居ないか・・」
「いや父さん待って、江上聡が名古屋に来た時、最初は二人で来て居たんだ。でも僅か二日ほどで来なくなった。怖そうな男だった事は覚えているよ。無口で不気味な男で、でも直ぐに来なく成ったから自然と忘れたけど。」
「その男って何なのかな?」
「多分江上聡と一緒に差し押さえ物件に入り、いちゃもん付けていた仲間だと思うな。それで社長がひっくるめてその男も買い取る事にしたと」
「成程ね。若しかしたらその男が何かを知っている可能性があるのじゃないかな。
悪い奴らは一心同体って言う言葉のように、何もかもをお互い知っている事が多いからね。それが絆であって団結力でもあるから。」
「だから悪い事でも平気で出来る訳ですね。」
「隆一、隆一はその男の顔を覚えている?」
「ええまぁ大体は。」
「それじゃその男を捜そう。」
「父さん暫く静観するのではなかったの?」
「とんでもない。そんなのんびりとした時間など何処にもない。静観など・・・」
「出来ないって」
「その男に隠された何かがある様な気がするな。大阪から名古屋へ連れて来ようと江上聡は思った男だから、何もかも知っている可能性があると私は読んだ、違うかな笹本さん?」
「かも知れませんね。その態々名古屋まで連れて来た事を考えると一蓮托生って言うか一心同体って言うか、並々ならぬ関係かも知れませんね。」
「若しかして江上聡がその男に殺人を依頼した。」
「隆一さん、その男の身長は?」
「小さかったですよ。百六十センチ位で小太り、でも一言しゃべった時訛りがあったような気がしました。」
「何処の訛り?」
「それまでは判りません。」
「ではその男を調べますか?捜しましょう。」
「でもそれって大変でしょう。父さん自信あるの?」
「分からないけど成せば成るですね笹本さん。」
「ええ、でも決して無理がないように」
「父さん大阪へ行く気だね。」
「いやぁ名古屋でその男、くすぶっているかも知れないからね。」
「そうかぁ、白石金融には来なくなったが、江上聡の指図でこちらに居るかも知らないな。」
「と、思いますよ。二人は一蓮托生なら」
「じゃあ捜す事にするか。」
「でも宛もないから何処からって事だけど」
「そうだ大阪の山田瑠璃さんに聞いてみます。あの人のマンションへ江上聡と一緒に行っていた可能性が在るかも知れません。
だから私聞いて来ます。それが一番早道かも知れません。」
「そうですね。流石三人よれば文殊の知恵ですね。」
良平はそれから朝の内に仕事を済ませ山田瑠璃を訪ねた。彼女の帰宅が夜遅くであったから、結局電話で済ます事になったが、その男の事を山田瑠璃は知っていて、前のマンションで何度も顔を見ていると言う事であった。
ご飯でおもてなしをした事も何度かあったと言った。
その男は韓国人で済州島(テジュ島)で生まれ日本に来ていたが、今は既に済州島に帰ってしまったと言っている。
そしてその済州島から山田瑠璃に手紙が着ている事も言ってくれたので、そこに住所がある訳で、是が非でもその手紙を見たくなった良平はホテルに泊まる事にして、翌朝山田瑠璃が目を擦りながら迷惑そうな顔をして手紙を出してきたのを受け取った。
聞けばその男と山田瑠璃はまるで姉弟のような関係で、山田瑠璃が可愛がっていたようである それは言い換えれば江上聡はその韓国人を弟の様に可愛がっていた事にも繋がる。
只しかしそれだけの話など全く興味がないわけで、江上聡とその男が山田瑠璃には言われない事を抱えている可能性が在ると言う考えであった。
良平は山田瑠璃から預かった手紙を持って、翌週の休みに名古屋へ足を運んだ。
男の名前はキム・ハクシンと言う名で済州島の住所が書かれていた。
その手紙を持って男に会いに行くかも知れないと山田瑠璃に言うと、快く承諾してくれて山田瑠璃も男の事を知りたがっている様な素振りを見せたので、何かお伝え致しましょうかと逆に良平は口にしていた。
名古屋へ行ってその事を全て篠崎親子に伝えると、父の利一がいとも感単に、
「それじゃご一緒致しましょうか?」と口にした。
良平も乗りかかった船に乗ったように、
「行って頂けますか?」と言い、
息子の隆一も、
「そう、この前笹本さんから頂いたお金あるから、それで行って来たら、いや僕も混ぜて貰おうかな」
「じゃあ行きましょう。笹本さん。」
「ええ」
「そうだよ、なんかの縁だから旅行も良いと思いますよ。
実はね笹本さん、この前から父と言っていたのですよ。貴方の住んでいる串本へみんなで行こうって。何時も来て頂いてばかりで申し訳ないからって」
「そうでしたか、どうぞお越しください。でも事件が解決してからが私としては嬉しいです。」
「そりゃそうでしょうね奥様のお墓にも参らせていただけますからね」
「有り難う御座います。」
「さぁ笹本さんサイは投げられました。早速韓国へ参りましょう。」
韓国はまだ冬の真っ最中で観光客もまばらであったが、それでも韓流ブームが冷め切らない時であったので、日本人の姿は絶えず何処かで見かける事と成った。
手紙が頼りで韓国の言葉をしゃべる者は居なかったが、何とかその住所に辿り着く事が出来て、安堵の色を隠せないほど緊張していた三人は、まるで友達に合えた思いでキム・ハクシンに近づいていた。
彼の日本語は堪能で何ら不自由が無かった。破れたジーパンに少し晒されたジャンパーを羽織っていて、
それがだらしなく見え、何もかもを物語っている様に良平にも篠崎親子にも見えていた。
詰まり彼が白石金融では務まらないと感じたからであった。
「今日は金キムさんにお話がありまして、名古屋から来させて頂きました。
これは大阪で暮らしている山田瑠璃さんから貸して頂いた貴方から来た手紙です、山田瑠璃さんは私の妻の幼馴染で親友でもあります。山田瑠璃さんとは随分親しくされていたとお聞きしていますが?」
「ええ優しいお姉ちゃんです彼女は、一杯優しくしてくれました。」
「実は山田瑠璃さんからもメッセージを預かっていますから又後で見てあげて下さい。
私は笹本と申します。こちらは磯崎さん、そして息子さんの隆一さんです。」
「宜しく。」
「ところで今日お邪魔致しましたのは、この息子さんが勤めていた白石金融の事なのですが、キムさんも一度そちらへ行かれた事がある筈です。名古屋駅近くでやっている店です。確か江上聡さんと一緒に行った筈です。」
「ええ覚えています。大阪から名古屋へ行くって江上が言ったから、それでついて行く事に成って。
でも行ってみたら、なんか背広を着てネクタイをしてほしいなんて言われてウザかったから、俺は嫌に成って来て、行かなかったらもう来なくていいからって江上に言われ、あの人のアパートで半年位住んでいたけど、その内住み辛く成って来て大阪へ戻り、その後韓国へ帰りました。」
「では江上聡とは円満に別れたのですか?」
「円満とは。」
「仲がよい状態で別れたかって事です。」
「惜しむようにして貴方は名古屋を去ったのですか?」
「いえ、江上に俺は最後は虫けらの様に扱われて、それで悔しかったから喧嘩別れをしました。それで山
田瑠璃さんにその事を大坂へ帰って話しましたが、山田瑠璃さんは何も言いませんでした。
だから彼女と江上がまだ続いているのかと思って、俺もそれ以上何も言わなかったです。
だって山田瑠璃さんは江上聡の事が好きだったと思ったからです。でも俺が江上聡のアパートで居る時に名古屋で他の女を作っていた事も知っていたから、山田瑠璃さん可愛そうにって思いましたが、でも彼女は知らないようだったから、」
「その他の女性の名前は知らないのですか?」
「いえ俺がアパートで居てる時江上が出て行ってくれと目で合図され慌てて出て行った事を覚えています。その時擦れ違いに入って来た女にあかねって江上が言っていました。」
「そうですか。その人の事は聞いています。ところでキムさん、実は今一番お聞きしたいのは、その前にこれは僅かですが、せっかくお越し頂きましたから些少ですがこれでご飯でも召し上がって下さい。」
「これは?」
「ほんの僅かですがお礼にと思いまして、それで江上聡の事でお聞きしたいのですが、」
「ええ何成りと知っている事は全部お話しますよ」
「ズバリお聞きします。あの人は女性を殺していないですか?」
「・・・」
「江上聡さんが大阪で女性をナイフで刺した事を知っているでしょう?貴方は?」
「・・・」
「知っている事を話してくれないですか?多分近い内に江上聡は逮捕されて刑務所に入る筈です。貴方が知っている事を今話して貰わないと、江上聡は貴方に殺しを頼んだと言うかも知れません。何故なら貴方と江上聡は何時も一緒に行動していたのでしょう。だから口から出任せに、」
「まさかそんな事」
「いいえ考えられます。あの男のする事は判らないのです。人を食い物にする事など平気ですから大阪の山田瑠璃さんだって、江上聡から何百万円ものお金を巻き上げられているのですよ。
貴方が江上聡のアパートで擦れ違った人、貴方を追い出すようにして、江上聡がその部屋に迎え入れたあかねって子も、相当のお金を取られたようですよ。」
「キムさんこちらの方は、奥さんが山田瑠璃さんの幼馴染で親友の笹本さんです。貴方にも判ると思います。この方がどの方であるか。お判りに成りませんか?」
「まさかあの今里で殺された方の旦那さん?」
「そうです。」
「でも犯人はまだですね?」
「ええまだ捕まっていません。もう十三年が経ちます。それでも今でも捕まっていないのです。」
「でもやっと見つかりそうなのです。警察もほぼ暫定しています。おそらく近い内に捕まると思われますが」
「それが江上聡ですね。先ほどから言っているように。あの男あの頃変な行動をしていた事を覚えています。
まさかと思ったのですが、それから江上聡を見なくなって山田瑠璃さんの所へ流れ込んで、その後あいつと車で走っていて奇妙な事がありました。『ブスっとやったら気持ち悪く成って来て』と言ったから、俺江上に『そんなブスとするからですよ。江上聡さんは面食いでは無かったのですか?』って聞いたら、あの男暫らくして笑い出して、更に涙を流すように笑い続け、何故か判らなかったのですが、まさか笹本さんとその事が繋がっているなんて思わないから。」
「それは?」
「だから江上はブスと言ったのは不細工な女ではなく、ナイフで刺した事を言ったのだと思います。そしてその事で流れる血を見て、胸が悪くなったのかも知れません。それを俺は勘違いして不細工な女とセックスしたと思ったのです。
たまたま上手く言葉を聞き違えたから、江上聡はそれが可笑しかったのだと後で思いました。あまりにも江上が笑ったから意味がその時は判らずに勘違いしたままで。でもあんなに笑った江上でしたが一段落した時急に怖い顔に成って、それは今まで見た事のない顔でした。
名古屋へ行ったのも、「俺ここはやばいから」と言っていました。
もし「ブスっとやって気持ち悪く成ってきて」と言った時に、何故って俺が聞いていれば、それは貴方の奥さんをナイフで刺したからと言ったかも知れないですね。俺と江上とはその頃兄弟の様な付き合いをしていましたから。勿論悪い事ばかりだったけど、一蓮托生って奴ですよ。
それにあの人ナイフで誰かを脅していた事も何度か見ましたよ。」
「相当悪い男だったのですね」
「ええ、俺も今でも付き合っていたなら殺されているかも知れないですね。」
「もし警察に言って証言して下さいって成ったらお願い出来ますか?」
「ええ、でも仕事も無いから、行けるかどうか」?
「費用の問題ですね。それ以外に問題はないのですね」
「ええ、山田瑠璃さんまでがあの男に・・・なら山田瑠璃さんの為にも証言しなきゃ成らないなら喜んで」
「有り難う御座います。何方か何かお聞きしたい事があれば今の内に」
「では一つお聞きします。江上聡は貴方が知っている範囲で、警察に捕まる様な事を今までした事がありませんか?あれば教えて下さい。」
「でもそれって俺も関係しているから言い憎いですね。」
「だから貴方は関係が無くって、江上聡が目に余る事をしているのを貴方が見ていたとか?
相手の方を江上が暴行をしたとか、それは男であっても女であっても」
「そんな事一杯在るから」
「では何かないのでしょうか?あの男が単独で法律に触れる何かを・・・」
「在るかも知れません。多分それって江上がある物件をのっとろうとして失敗して、その時その物件が燃えた事がありました。全焼です。江上聡がその家の中から出て来て直ぐに火が見えたから」
「江上聡が放火したのですか?」
「多分燃えるなんて考えられなっかたから、全く火の気など無かったから」
「それで放火と成って警察が調べたのですか?」
「いえ不審火でその後の事は知りません。」
「でも間違いなく江上聡が火をつけたと思うのですね。」
「まぁ、」
「それを証明出来ますか?」
「いえ、それは無理でしょう。でも調べれば判る筈です。火事があった日は、調度大阪ドームでコンサートが行われていた日で、その時にその近くで火事に成ったのですから大きく新聞に載っていた筈です。
だから調べれば判る事だと思います。ただこれもはっきり江上聡から聞いていないから、知らないと言えばそれ以上判りませんが」
「もっと他には無いでしょうか?江上聡が法律を犯すような事をした事が・・・」
「そうですね。女性に関係を迫った事など再三あったかも知れないですし、白石金融に勤め出した頃は此方へ何度か来ていたようですよ。カジノとか覚えて、当然江上の待遇が良かった事もあり、社長に可愛がられていた事もあったから、結構遊んでも居ましたから、韓国には再三来ていたみたいで俺に言っていた時期もありました。
『あんたの国へ行くから』って。
「江上聡は此方へ間違い成しに来ていましたか?」
「ええ、お土産だと行って韓国のタバコを、でも日本のタバコに比べると不味いからあまり嬉しくなかったですが」
「有り難う御座いました。」
「ではこれで良いですか? 何かを思い出したら又山田瑠璃さんに手紙を書きますから」
「あっ隆一さん何かお聞きする事があればこの機会に。」
「すみません僕からももう少し、あの江上聡さんとは六年間一緒に仕事をしていましたが、僕にはおかしな態度は見えなかったのですが、何かお聞きしていませんか?」
「いえ六年もお付あいしていたのなら俺なんかより遥かに江上を知っている筈。
でもあの男は結構神経質で気配りも出きる男で、だから貴方とは旨く行っていなかったのなら馬が合わなかったのかも知れませんね。
貴方は若しかして頑固ではないのですか?江上聡は自分の思う事が上手く行かない時は切れますから、貴方の事が苦手だったのかも知れません。」
「そうですか。苦手ね。何だか僕ショックですね。」
「でもあの男の言う事をまともに聞いているとろくな事しかないでしょうね。まして六年も一緒なら」
❿
隆一は複雑な気持ちで頭を下げながらお礼を言った。それから三人は済州島を後にして帰路に着いた。
名古屋小牧空港に降りた篠崎親子とは別に良平は関空へ降りていた。そして時効まで後一年と十ヶ月に成った事が頭の隅まで重く圧し掛かっている事が辛かった。
殆ど毎日定期的にしている串本町管理の施設のトイレ掃除も、結構遠くへ出かける事が多く成った良平には負担に成っていた。
宅配の手伝いも儘成らなかったが時々休む事に成り決して受けは好くなかった。
妻が残した保険金は出来る限り手を付けないで、何とか誤魔化しながら生活をして来たが、のんびりとする日がまるで無い生活に疲れて来ていた。
久し振りに船に乗って大海原のど真ん中で船を浮かせ、何時の間にやら居眠りをして居ると、漁師の野田新次郎の船が側に泊まっていて良平はびっくりさせられる事と成った。
「良ちゃん、お疲れですか?居眠りしていませんか?鯛が掛かっても逃げますよ。」
野田新次郎はマイクで大きな声を残して直ぐに立ち去って行った。彼もまた漁からの帰りで、良平の船が気に成って近づいてみたが、どうも居眠りをしている良平に声を掛けたのであった。
良平も漁を止め野田新次郎の船の後を追った。港に入った二艘の船は静かに停泊してエンジンを止めた。
野田が良平に近づいてきて、大量であった事を告げて、自分の船へ呼び寄せた。可成の大型の魚が見えた。 野田は機嫌が良かった。漁師が大漁だと機嫌がめっぽう良いのが常て、漁が冴えない時は不機嫌である。
毎日同じ事を輪廻転生の様に繰り返しながら一喜一憂している事が、決して漁師には成れない良平には、漁師の心が面白い人間味の在る心を持った風情に思えた。
そしてこの人達は決してあの白石金融で働いている江上聡の様には成らないと思っていた。
漁師の野田は満面笑顔でメジロと言う七十センチほどある鰤の子供を一本提げて良平に手渡した。見事な大きさに良平は息を止めながらそれを受け取った。
「良ちゃんあれから進んでいる?奥さんの何か判った?この頃余り見かけない日が多いから心配しているんだ。それでも犯人が見つかればそれで良いのだけど、でも十年も過ぎているんだね。中々人間の記憶なんて、俺十年前は何をしていたなんて判らないからなぁ。」
「いや十年じゃないんだ。十三年だから」
「そうかぁ十三年、尚更しんどいね。でもそれじゃ時効になるかも知れないって事だね。」
「そう。」
「でもそれって辛いよね。」
「あぁ辛いよ。警察も頑張ってくれているのだけど、それに今担当してくれている刑事さん、検挙率百パーセントだから、それも三十一年間でだから期待はしているんだ。」
「凄いなその刑事さん。それなら大いに期待出来るね」
「そう今日にでも何か連絡くれそうな気がしているのだけど、あまりその気に成ってばかりいると、気が重く成ってご飯も喉を通らなく成って」
「そう気の毒になぁ、一回の人生でそんな目に遭うって本当に辛い人生だねぇ」
「解かってくれる」
「あぁよく解かるわ。」
「でもその内見ていて、犯人を見つけて血祭りにして見せるから、私は覚悟を決めているから、必ず捕まえる覚悟を、それが為にもこれからの人生を犯人追求の為に全部使うから、復習の為の時間にするから」
「良ちゃん気持ちは解かるけど焦らない事だよ。無理をして良ちゃんに何かがあれば元も子もないからね。体にも気をつけないと、海で居眠りしている漁師なんて居ないから、気を付けて」
「ところであの連中が落ち着いたようだよ。」
「あの連中って?」
「名古屋の石田組の連中だよ。」
「だからそれで?」
「あの二人は駅前の白石組に結局拾って貰ったようだよ。杯を交わしたとか言っていたから何とか収まったらしいよ。」
「でもそんな事私には関係がないので。」
「そりゃそうだね。マスターが言っていたからつい言ってみたくなったって事。」
「でも白石組って金融だけじゃないのかな?」
「何、興味在るの良ちゃん?」
「いやぁ興味在るとかじゃなくって、最近白石組の事を警察で何度も言っているからそれで」
「なんて言っているん?」
「あぁその中に江上聡って男が居て、その男は幹部のようだけど警察が興味を示しているからちょっと気に成って」
「へぇー案外世間って狭いんだね。あの二人が入った組織に、良ちゃんの奥さんの事件が関係しているかも知れないって事?」
「それはまだ言えないけど。でも判らないね。警察が捜してくれるから。」
「それじゃ良ちゃんの事マスターなんかに軽々しく俺言っちゃ駄目かも知れないね。」 「出来れば言わないで。でもわかんないよどう成っているか。でもマスターがあの組とかと繋がっていたらいけないからあまり口にしない程いいかもね。」
「何しろ殺人事件だから気を付けないとね。捕まっていないと言う事は、犯人が何処かに居るって事だから用心するに越した事ないと思うよ。」
「解った。これから気をつけるから、あまりやくざの話なんか、面白おかしくしない程良いかもね。」
「私もその様に思うよ。」
久し振りに漁師の野田新次郎と話し込んだ良平は、串本で屯たむろしていた元石田組の若い衆が白石組に入った事を野田から聞かされてある意味ショックであった。
そこにはかもすれば殺人犯江上聡が居るからで、もしそれが事実なら今まで以上に警戒しなければならないと思うと、心底厄介に感じて来た。
それは言い換えれば親しくして貰っている漁師の矢作徹や加西忠雄それに野田新次郎とも、距離を置いて付き合わなければ成らない事に成り、彼らはスナックのマスターと懇意にしているから、そのマスターが石田組と深い関係であるのだから間違いなく繋がってしまう訳である。
良平は船が座礁した時の経緯をはっきり覚えているから、危険な何かを感じずにはいられなかった。それと今野田新次郎と余計な事を話した事を悔やんだ。
夜に成り、このまま串本で暮らすべきかとさえ思い始めていた。
そんな弱気に成りかけていた良平に、東成警察署の刑事野田達樹から電話が入った。
「笹本さん近い内に起こしに成りません。少々お話がありますから」と行って来た。それで翌日一番の電車で大阪を目指した。
「笹本さん良いニュースですよ。江上聡を別件でしょっ引けるようです。あの男倒産間近の町工場から手形を騙し取り損害を与えたようです。
被害者が名乗り出て立件出来そうです。とりあえず別件ですが、これからは我々の腕の見せ所、まぁ見て居て下さい。」
「それって何処で逮捕になるのですか?」
「名古屋で逮捕です。それで此方も何もかもを聞き出す訳です。罪状がしっかりしていて逮捕だから厳しく出来る訳です。前回のように任意同行ではありませんから。」
「では他の話もあるのですが、江上聡が放火をした可能性が在ると言う話です。」
「放火?」
「そうです。大阪ドームの近くで家一軒丸焼けに成ったと言っています。」
「江上聡と判っているのですか?」
「ええ、間違いないだろうと言っています。江上聡がその家の中から出て来て直ぐに火が見えたから江上聡がつけた姿は見ていないが・・・」
「ではその方に一度お話お聞きします。この際」
「でもその人は韓国の済州島で暮らしていますから、簡単にはお会い出来ないと思います。」
「何故その様な人を知っているのですか?」
「その人は江上聡のダチ公で大阪に居る頃について歩いていた男です。詰まり私の妻が殺された頃に、江上聡と常に行動を共にしていた男なのです。
それを阿倍野で暮らす山田瑠璃さんにお聞きして韓国まで行って来た訳です。そこで彼に江上聡が間違いなく何か法律に触れるような事をしていないか教えて欲しいと言ったら、放火の事を彼は言った訳です。
新聞にも載ったので新聞を見れば判ると言っていました。韓国済州島のキム・ハクシンさんて方です。山田瑠璃さんとは可成親しく姉と弟のような関係だった様です。
もし出来ればその事にも触れて頂くと、新たな何かに出くわすかも知れません。」
「そうですか。よくそこまで調べられて。笹本さんのお気持ちは解かりますが、でも何かがあれば我々も責任は負えませんから、重々承知で行動されますように」
「はい慎みます。でも思いたくないのですが、二年を切りましたから時効まで。」
「そうですね。とりあえず江上聡を逮捕に成ると思います。」
「それって、はっきりしないのですか?」
「ええ、別件ですので、相手の弁護士も目くじら立てて見解の相違だとか言ってくると思われます。どっちにしろ手強い相手です。しかし任せてくれますか。」
「お願いしておきます。」
それから五日後、江上聡は詐欺罪で逮捕され、名古屋中村署で拘留され取調べを受ける事と成った。大阪東成署の刑事野田が名古屋に赴き、放火と殺人の罪も重ねて本格的な取調べが行われた。
詐欺罪は弁護士が抵抗を見せ、江上聡は簡単には落ちない所を見せていた。
それでも次第に江上聡の詐欺罪が固まろうとしていた。そこで刑事野田が弱って来た江上聡の取調べを更に強化して一気に潰す気で飛びつくように取り掛かった。
それは深夜にまで及んで刑事野田の追及は熾烈を極めた。大阪ドーム近くで家が全焼した事も野田は口にし追求した。
更にあの笹本ゆかりが殺された時着ていた服を、江上聡の耐えられない様に成った眼に近づけて振り続けた。
それでも江上聡は絶対動じない素振りを崩さなかった。
結果的には江上聡の詐欺罪を立証する事は出来たが、それ以外を自供する事も、立証する事は出来ず、後日江上聡は判決が出た後もその刑も不服として一転して控訴手続きを取った。
江上聡の弁護士は常にその様な場所で勝負している兵つわものだから、その手腕は鋭いものがあった。「何じゃあのガキは」と刑事野田が苛立ったが、江上聡は至って冷静で、相手方との間で片や詐欺で片や承諾もしくは合意の見解の違いを言い争う事に徹した。
江上聡は控訴して保釈金を積み、結局拘置所から自宅へ帰る事に成り、良平の妻笹本ゆかり殺しの犯人とは特定出来ないまま警察は地団駄を踏む事に成った。
良平の正直な気持ちは実に複雑なものであった。
江上聡にははっきりした殺意があり、又江上聡の性格は危険を伴い、それまでに聞きつけた事を考えてみると、どれをとっても人間として欠けた存在である事はすいほど判るのである。
恐喝、詐欺、殺人、騙し、放火あらゆる事を平気で出来る鬼畜の様な男である。
しかし警察が幾ら頑張っても権力を生殺与奪の理屈で振舞っても、江上聡は落ちない事に良平は言葉を失くしていた。
では何があの男を自供に持っていけるのかと考えた時、持ち船の操舵室の底に隠し、釘で打ちつけたある拳銃の事を思い出していた。
既に海から拾い上げてから二年ほどが過ぎ、あの釘で打ちつけた日から一度しかそれを見た事が無かったが、思うように行かない日を重ねていて、良平は何時の間にかその釘をバールで抜き始めていた。
「ギ~」と釘が乾いた木から抜ける軋む音が、操舵室の中一杯に響き、四本の釘は軋みながら外されて、中からあの時のままの箱が眠りから醒めた様に姿を現した。
良平はその箱を以前と同じように静かに開いて、整然と中に納まっている拳銃に手をやってそっと取り出した。
引き金に指をかけその的に江上聡を想定して弾が入っているかを確認してから、操舵室の入り口の方に銃口を向けた。「バン」「バン」と二発撃った。弾は海に刺さる様に小さな波しぶきを上げたが、それは小魚が戯れるそれと何ら変わらなかった。
「江上聡今度はお前がこの先で血まみれに成ってもがく事になるんだ。苦しんで、苦しんで死んで行くんだ。 お前は妻ゆかりの霊魂に睨まれながら・・・」
良平の目から泪が滲んで来た。
十三年思い続けた苦しみに対する怒りの泪であった。そして良平はその拳銃を右手に持ちながら、何時の日かその拳銃が良平の心の内を表現する日が来る様に思えていた。それはその拳銃で憎き犯人に天罰を与える事であった。
それから一ヶ月ほどが過ぎた時、江上聡の詐欺罪に対する控訴審が執り行われ、法廷に立った江上聡は全くゆるぎない態度で終始して反論し、検察は同じ事を繰り返すに留まって、またしても江上聡は上告する事となった。
良平はその流れを耳にして憤りを感じながらも、現実の無情を肝に命じる様に知らしめられる事になった。
間違いない事実があるにも関わらず、妻ゆかり殺しを絶対口にする事のない犯人 江上聡は取調室で毅然として無実を訴えているのである。
全く悪びれた様子すら見せない。全身が「悪」で包まれて、更にその全身をバリアーで覆い被さったように包まれている。
まさにあの海で拾い上げた拳銃の様に、全く水が入らない包み方で頑丈な箱。それはまるで今の江上聡に似ていた。
あの拳銃もこの男も出る所へ出れば大いに力を発揮して、片や多くの人を狂わせ、片や多くの人を殺傷するのである。
拳銃は良平が海保か警察に持って行かない限り、その効果は無限で、江上聡もまた逮捕しない限りこれからも「悪」を重ねるのである。
良平は心の中で渦巻く雑多の気持ちを疲れるくらい感じる様に成って来ていた。
第三部分へ続く
続きます。