教室の隅の山田くん
山田くんは可哀想な子なんだって。
それが私のクラスでの、山田くんに対する評価だった。
山田くんはいつも一人で、教室の隅っこに座っている。山田くんの席は別に教室の隅っこってわけでもないのに、気付いたら彼はそこにいるんだ。自分の席には授業中であっても座らず、教室の隅っこの、埃っぽい場所に椅子も使わないで座り込んでいる。そんな山田くんはなぜか先生に注意されることもなく、そこにずっと居るの。ただそこに、居続ける。
床にぺたんと座って、後ろからじっと私たちのことを、何を考えているのかまったく分からない暗い瞳で見つめているんだ。他の男子がそんなことをしたら「ちゃんと自分の席に座りなさい」って注意されるのにね、不思議だね。どうして山田くんには、誰も何も言わないんだろうね。
晩ご飯の時間にお母さんにそう言ったら、お母さんはとても悲しそうな顔をしていた。何か言おうとして口を開いて、言うのをやめる。まるで昔私が飼っていた金魚みたいで、その様子は少しおかしかった。
そして、深く深く溜息をついてから私の頭を撫でたの。
「あの子はね、可哀想な子だったわね」
お母さんまで、そんな風に言うんだ。
そう言ったお母さんの声は震えていた。それ以上お母さんは何も言わなかった。私も何も言わなかった。
毎日毎日、山田くんは飽きもずに教室の隅っこに居た。誰も山田くんに話しかけないし、みんな山田くんのいる隅っこには近寄ろうともしない。学校に来て、みんなで朝の会を開いている途中に山田くんはふらりと現れる。黒いランドセルを背負って、自分の席には行かずにいつもの場所に、教室の隅っこに向かうんだ。
一人で寂しくないのかな。誰とも話さなくて、退屈しないのかな。私は教室の真ん中よりちょっと後ろの方だったから、首を捻って体をねじって頑張れば山田くんの居る場所が見えるんだ。
山田くんは俯いていて、表情は見えなくて、私はなんとか山田くんが今どんな顔をしているのか見ようとしたのに、椅子を傾けすぎて転んじゃった。大きな音が教室中に響いて、先生が驚いて駆け寄ってきたのが、すごく恥ずかしかった。隣の席の恵美ちゃんにすごく不思議そうな顔をされたのも、後ろの席の朝日くんに笑われたのも恥ずかしかった。クラスのあちこちで笑う顔や不思議そうな顔が見えて、私は席に座りなおす時、もう一度山田くんの方を見た。
山田くんはやっぱり、俯いたままだった。
なんとなく、寂しいんだろうな、って思ったの。
だから、声をかけたんだ。
昼休みにみんながドッヂボールをしている中、こっそり私はグラウンドから抜け出して教室へ入ったの。
日差しが強くて暑い暑い夏の日だった。夏休みに入るちょっと前の今日この日。私の顔や体は汗でべたべたで、ドッヂボールの最中に転んじゃって砂まみれだった。こんなに暑いのに山田くんはまだあそこにいるのかなぁなんてちょっぴり不安に思いながら、私は生ぬるい空気の教室へ入った。
いた。
山田くんはやっぱり教室の隅で以下省略。省略してもいいくらい、山田くんはいつも通りだったんだよ。お母さんが持たせてくれたタオルでごしごしと顔を拭いて、私は隅っこへ近付いて行った。
教室の窓は開いていたけど、入ってくる風は熱気を含んでいて残念ながら涼しいとはお世辞には言えない。一応この学校、クーラーは設置されているんだけど、休み時間は省エネだとかなんとかいう理由があって、つけることができないのだ。
教室の隅は確かに日陰だから外よりはましかもしれないけどさ、よくこんなところに居るよね、山田くん。
山田くんと最後に話をしたのはいつだったかなぁ。ぼんやりと私は昔の記憶を探した。山田くんとは幼稚園が一緒で家も近所だったから、遊んだことも話したこともあるはずなんだけど、なんだか実感が持てなかった。暑さのせいなのかな、頭がぼうっとして視界は陽炎みたいに揺らめいている。もちろん、視界に入る山田くんも。
なんだか妙に緊張しちゃって、どきどきしながら私は口を開いた。
「あのさ、山田くん」
ゆっくりと山田くんは私の方を向いた。一重の目が大きく開かれて、ぱちぱち瞬きしていたのを見て、なんとなく私はほっとした。だってさ、最近の山田くんは表情がぜんぜん見えなくて、何を考えているのか分からなくて、顔を上げたと思ったら全然光の灯っていない暗い瞳でどこか遠くを見てたんだよ。心配だってするよ、そりゃ私と山田くんは小学生になってから接点が少なくなって、あまりお喋りしなくなっちゃったけどさ。忘れてなんか、いないんだよ。
だからね、ちょっとだけの変化だったけれど、きみが驚いたような顔をしてくれて私は本当に安心したんだ。
とはいってもさ、声をかけたはいいんだけれど、その次の言葉が浮かんでこなかった。
頭の中で色々な話題がぐるぐる回ったけれど、昨日見たテレビとか可愛い文房具の話とか担任の先生の愚痴とか、どれも山田くんと話すにはピンと来ない感じがして。
「ひ、暇なら外に遊びに行こうよ!」
咄嗟に言っちゃった言葉も、なんだかとても間違っているような気がした。国語のテストで、答えがわかんなくて、とりあえず解答欄を埋めようとして文章を書き殴った時と同じ感覚だ。
もしかして山田くんは幼稚園の時はよく一緒に遊んだことなんて忘れちゃってるかもなぁなんて今更考えちゃったり、そもそも小学校高学年になると男子と女子には結構な壁があるから山田くんは私なんかよりも男子に話しかけてほしかっただろうなぁなんて後悔しちゃって、そういや山田くんは小学校に上がるときに引っ越しちゃったからもう私とご近所さんでもないや、なんて、頭の中がぐるぐるぐるぐるした。
私があたまをぐるぐるさせるくらいの時間、山田くんも私も何も言わなかった。遠くからみんなが楽しそうに遊ぶ声や、蝉の鳴き声が聞こえているだけの教室。
どうしようもなくなって私が泣きそうになってしまったとき、座り込んでいた山田くんが立ち上がった。
「山田くん?」
山田くんは私の方をじっとみてから歩き出した。私はどうすればいいのか分からなくて、付いて行こうかどうしようか迷ってその場でおろおろとするだけ。すると教室のドアの前で山田くんは振り返っておいでおいでと手を振った。その顔はちょっとだけ笑っていて、私は久しぶりに見た山田くんの笑顔に嬉しくなって駆け出したんだ。
山田くんは思っていたよりも歩くのが早くて、私はずっと小走りで山田くんの後を追いかけるけど、私と山田くんの間には付かず離れずの一定の距離があった。どうして追い付けないんだろうって疑問を持ったけれど、そんな事よりも、久しぶりに山田くんが反応してくれたことに浮き足が立っていた。
校舎を出て、てっきり私はグラウンドへ行くのかと思ったのに山田くんは正門の方へ向かった。門はしまっていたけれど、うちの学校は大した門があるわけでもなくて、私の胸くらいの高さがあるだけだ。山田くんは門に両手をかけてひょいっとよじ登り、あっという間に学校の外へ出てしまった。
そんなことをしたら怒られるなんて恐怖心は一瞬で、山田くんだし許されるだろうと妙に納得してしまった。山田くんはともかく、私は怒られちゃうかもしれないって不安はもちろんあったけれど、それ以上に私は山田くんが私を呼んでくれたことが嬉しくて何も考えずに後を追った。
どうやら山田くんは、私が隣に並ぶのが嫌みたいだった。私が隣へ行こうと走ると、山田くんも走る。逆に私が疲れてゆっくり歩くと、山田くんはちょこっと振り返って歩くペースを遅くしてくれるのだ。
うーん、とりあえず置いてきぼりにされないだけいいか。
そうして私はてくてくと山田くんの後をついていくことにした。
炎天下の田舎道、真昼間ということもあって外を歩く人は私と山田くん以外見当たらない。このあたりは民家が立ち並ぶ通りで、駅が近いわけでもないから、歩く人も走る車も元々少ないんだけれど。
アスファルトの道路はすごく暑くて私は何度も汗をタオルで拭ったのに、山田くんは汗を拭う様子も、服をぱたぱたさせて涼もうとする様子もなかった。ただ黙々と歩く山田くんの背中は、なんだか暑さを感じていないよう。
蝉の声がやけにうるさく響く道を、私と山田くんはひたすら歩いた。じりじりと太陽の光が私の肌を焼いている感覚がして、このままこんがり焼き人間になってしまうんじゃないかと思った。
人のいない民家の道を抜けて、近所のコンビニの脇を通って、雑木林が隣に面している小さな坂道を上った先に、大きな看板が見えた。『この先十字路を右折にて霊園』と書かれた看板だ。
山田くんは迷う様子なくその霊園へと向かう道へ入った。私も迷うことなく山田くんを追った。
迷いは、なかった。
きっと私は、心のどこかでこれを分かっていたんだ。
山田くんの背中を見つめながら、タオルを頭から被って日差しを少しでも和らげながら歩く。だんだんと、回りに灰色の石が多く見えてくる。灰色の、長方形の石。
霊園と書かれた立札と、小さな柵を隔てた先には、一面のお墓が広がっていた。山田くんは立札の横にある入口と思われる小さな門から、霊園へと足を踏み入れていった。私も後に続く。
山田くんを追いながら、道の両脇に所狭しと並ぶ灰色の石たちへと目を配っていく。
それらを眺めていると墓標の形がただの長方形だけではなく、色々な形があることに私は驚いた。バイオリン、将棋の駒、車……何がどうしてこうなったのか分からないけど、個性的すぎるその墓標。
死んじゃった人は、こういうものが好きだったのかな。
きょろきょろしながらも必死に山田くんの背を追う。お墓とお墓の間の入り組んだ道を奥へ奥へと進むと、ついに山田くんが立ち止った。
大きな十字架のお墓。ちょうど墓地の端っこに位置するのだろうか、その十字架は近くの大きな木の陰になっていて、十字架へ近付くとほんの少し涼しかった。
立派な木の近くにいるのに、不思議にもさっきまであんなに煩かった蝉の声は聞こえなかった。
「……山田くん」
ここにきてやっと、私は山田くんの隣に並ぶことができた。山田くんの背は私より拳二つ分くらい低い。昔は同じくらいだったのにね。
山田くんは無表情で目の前の十字架を見つめている。唇を引き締めて、眉を寄せて、とても苦しそうな顔でその十字架をみつめている。
ああ、やっぱり。寂しくないわけがなかったんだ。だからずっと山田くんは教室の隅にいた。山田くんはずっと待っていたんだ。
私のように、話かけてくる人を。
「やっぱり、山田くんはそうだったんだ」
私の声に山田くんはゆっくりと顔を向ける。口をぱくぱく開いているのが見えたけど、私は困りながら小さく笑うことしかできない。
「ごめんね、声は聞こえないんだ」
私の言葉は聞こえるのであろう山田くんは少し俯いて、泣きそうな顔をしている。私の方へ手を伸ばそうとして、ひっこめたりしているのが見えた。
山田くんに触れられると、もしかして私も山田くんと同じになっちゃうのかな。
けれど不思議と怖くなかった。山田くんと同じになれて、山田くんとお喋りできるならそれでもいいかなあなんて思えてしまう。でもきみは優しいからそんなこと許してくれないんだろうね。
宙をさまよう山田くんの手を、私は思い切って握った。
いや、握ろうとしたけれどそれは叶わなかった。山田くんの手を私の手がすり抜けてしまったのだ。
あーあ、残念。
「私のことを連れていくのは無理みたいだね。どうしても連れていきたいなら、しっかり手を握ってくれないと」
私の言葉に山田くんは何とも言えない顔をした。安心したのか、悲しんでいるのか、怒っているのか。さっきの私と同じようにいろんな気持ちがぐるぐるしているみたい。
山田くんは誰にも話しかけられない。先生も、クラスのみんなも、山田くんを無視する。
そうだと思っていた。けれどそうじゃなかった。無視も何も、山田くんはみんなに見えていなかったんだ。見えないものにどうやって話しかけるんだろう。見えていたのは、私だけ。
「山田くんさあ、小学校に上がってから全然私と話してくれなくなったよね」
山田くんは戸惑った様子で私を見上げてくる。
「一年生の時はまだよかったけどさ、二年生になってから私が話しかけてもすぐにどっか行っちゃうし、三年生四年生になってからは顔も合わせてくれなくなったよねー。先生に反抗とかしちゃったりさぁ、給食色々混ぜて食べたりさあ、変なことばっかりするようになったし」
慌てた様子で山田くんが何か言っているが、残念ながら私は山田くんの声は聞こえないので反論なんてしーらない。
「五年生の時は少し落ち着いたみたいだけど、それでも計算ドリルが終わってないとか漢字ドリルが汚いとかばかみたいなことで怒られてたよね。何やってんのさ」
山田くんの口が動く。聞こえなくてもわかったよ「なんでそんな事知ってるの」って言ったんだよね。
「だあって私、山田くんのこと好きだったんだもん」
にっこりと、私は笑顔を浮かべて山田くんに向き直る。でも、体の向きは山田くんの方に向けても、顔は向けない。山田くんの顔を見ないように、私は雲一つない真っ青な空を見上げた。
「だからね、クラスが違っても友達に山田くんの様子聞いたりしてたんだよー。ひどいよね、六年生になっても違うクラスなんて。小学校最後の一年くらい、ちょっとでもまた昔みたいに山田くんと仲良くなりたいと思ってたのにさ」
顔を正面に向けて、山田くんの胸あたりをしっかりと見据える私。怖いから顔は見ないよ。山田くんがどんな反応をしてくれているのか、確認するのが怖い。
「きみ、死んじゃうんだもん」
山田くんの足元を見ると、透明になっているのが見えた。おかしいよね、山田くんのスニーカーが透けて、見えるはずのないアスファルトの灰色が見えるんだよ。不思議だよね。
「びっくりしたよ、まさか机の上にお花が供えられているのを見ることになるなんて思わなかったから。でもそれ以上にびっくりしたのは、山田くんが私の教室の隅っこにいたことだけど」
山田くんはどんな顔をしているのかなぁ。見たいけど、怖いなぁ。でも、怖いなぁ。なんだか、とても怖いんだ。
怖いけど、私は山田くんの六年生の顔を知らないということにふと気付いた。まともに顔を合わせることなんてなかったからね。今日久しぶりに顔をまともに見るには見たけど、表情が変わる山田くんの顔をじっくり見れるチャンスはこれが最後だ。今、この時が最期なんだ。
これからは、写真に納まる山田くんしか見れない。どっかの誰かのカメラに向けて、作り笑いを浮かべる山田くんしか見れないんだ。
私に向けてくれた表情を、見たい。それが私を嫌う表情であったとしても、それは山田くんが私のために作ってくれた表情だから。
怖いなんて言ってられないんじゃない?
恐る恐る、顔を上げる。
山田くんは茫然とした面持ちだった。ぽかんとしていて、空いた口はなんだかちょっと間抜けだ。そんな間抜けな顔をした山田くんの足元がどんどん透明になっていく。
「山田くん山田くん、足透けてるよ?」
私の言葉にはっとした様子で自分の足元を確認して、何か山田くんは私へ向かってわめいている。すごく慌てた様子で、何かを必死に伝えてくれようとしているのはわかる。わかるけれど、ごめんね私は唇の動きから喋ってることを読み取る技は持っていないんだ。もうちょっと短く簡単な言葉なら出来るかもしれないけどね。
ああでも、良かった。
「山田くんが私のことをどう思ってたかは知らないけどね、私は最後の最後に君に言うことが出来てよかったよ。愚痴も本心も言えた。山田くんが私の教室の隅っこにいてくれたからだよ」
ほとんど胸から上だけになった山田くんが、私の腕を掴もうとしたけれどその手は簡単にすり抜けてしまった。
顔をゆがませた山田くんを見て、ああもう充分だと思った。それだけで、きっと山田くんは私のことを嫌っていたわけじゃないんだと思えたから。
「ばいばい。山田くん。今度はいっぱいのお花と、お線香持ってくるね」
ああでも十字架だからきみのお家はキリスト教なのかな、お線香はおかしいかなぁ。
残り五秒の山田くんは、最後に何か言っていた気がした。
爽は「花」「十字架」「残り五秒の山田くん(レア)」を使って創作するんだ!ジャンルは「純愛モノ」だよ!頑張ってね!
……というツイッターの診断を元に書いた短編です。山田くん(レア)って何だろう。