頭文字さん、かんべんしてよ。
「こ、この音は、もしや……」
爺さんが呟いた。
遠くから聞こえていた「クォーオオオン」という甲高い音が、次第に近づいてくる。
やがて、音の方向、地平線の向こうから何かが土煙を上げて近づいて来るのが見えた。
音の発生源は、見る見る大きくなって来る。
……車?
そう。自動車だ。
べたっ、と地を這うような低い車高のスポーツカーが、爆音を響かせながら近づいてくる。
ファオーオオオオオン……
クリーム・イエローの車体が、あっと言う間に目の前を通り過ぎ、反対側の地平へと去っていった。
「おい、ソープラに乗れ!」
神さま、キリッとした顔つきで、俺に言う。
「の……乗れって……いきなり……女神さまたち、置いていくんですか? あいさつもせずに……第一、俺を駅まで送ってくれる約束じゃないですか」
「いいから、つべこべ言わずに、早く乗れ!」
半ば強引に、助手席に押し込められる。
まあ、良いか。
どの道、ここで女神さまたちと一緒に置いてきぼりを食らわされても、どうして良いか分からないしな。
俺、ウシトラ語、分からないし。
ドアを開けて運転席に乗り込む直前、神さまがウシトラ・ガールズを振り返って叫んだ。
「でゅわっ、でゅでゅわでゅわっ、でゅっでゅるでゅ~」
バタン!
ドアを閉めて、四点式のシートベルトを締める。
「い、今、何て言ったんですか」
「あ? ああ、『今、急いでいるから、後でメールする。じゃあな~』じゃ。それより、お前もシートベルトしろよ。飛ばすぞ!」
言うなり、アクセル全開でエンジンを煽る爺さん。
回転計が、レッドゾーンを行ったり来たり。
そして突然、クラッチが接続された。
ミクミク仕様のソープラが、後輪から白い煙を上げ、一瞬ケツのグリップを失いそうになるか、ならないか、その絶妙なタイミングで弾丸のように飛び出す。
俺は助手席のバックレストに押し付けられた。
しかし、謎のクリーム色のスーパーカーは、既に遥か彼方だ。
追いつけないっしょ。
この距離じゃ……
……ところが……
謎のスーパーカーが突然、アクセルを緩めて、ほとんど徐行運転に近い所まで速度を落とした。
それを見た爺さんも、アクセル・ペダルに載せた右足の力を抜く。
「や……野郎……誘ってやがる……馬鹿にしやがって!」
神さま、歯軋り。
「だから、何なんですか。あの、ぱっと見、イタリアンなカッコ良いスポーツカーは……」
「マセラッTじゃ」
「はあ、聞いたことあります。やっぱ、イタリアの車ですか」
「ああ。じゃが、唯のマセラッTじゃねぇ。その名もマセラッT・カルボナーラ……」
「ま、ませらっT……かるぼなーら……」
「この辺りの走り屋仲間で、知らぬものは居ねぇ……通称『クリーム色の悪魔』よ……」
「く……くりーみぃー……て」
「1970年代後半、イタリアはマセラッT社が、その威信を賭けて製造に乗りだした、正真正銘の化け物よ。……じゃが、折りしも世界経済は第二次オイル・ショックの影響で不況の真っ只中……その煽りを受け、急遽制定されたUSAの排ガス規制をパスできず、わずか数百台で生産中止を余儀なくされた悲劇の車体……それが、マセラッT・カルボナーラじゃ……現存する車体は、百台を割っているとも、わずか五十台とも言われている。その、数少ないマセ・カルボの一台がヤツだ……」
「は……はぁ……」
「やれやれ……こんな所で、お目にかかれるとはな。しかも、ヤツめ、見たところ、その化け物をさらにイジり倒しておる……もはや、原形をとどめぬ程にな。あいつは、まさしく、モンスターを越えたモンスター……超絶化け物じゃ!」
「す……超絶化け物っすか……」
そうこうしてる間に、神さまのミクミク・ソープラは、その超絶化け物だかクリーム色の悪魔だかの後ろ十メートルまでに接近した。
再び、そのマセラッTが加速を始める。
だが、その加速度は緩い。
「やはりな……誘ってやがる……良いだろう、誘いに乗ってやるぜ!」
爺さん、加速する敵車の後ろに、慎重にソープラを付ける。
その距離、わずか五十センチほど……
「わ、わ、神さま、危ないッスよ! 追突事故おこしたら、どうすんですか」
「何、心配するな。信じるんだ! 俺のテクニックと、このミクミク・ソープラの性能をなっ!」
何か、カッコ良いこと言ってるけど、ハンドルを握る爺さんの手、老人らしくプルプル震えてるじゃねぇか。
ほんとに、大丈夫なんかいな……
ソープラがスリップ・ストリームに付けるのを待っていたかのように、クリーミィー・デビルが一気に加速を始める。
百キロ、二百キロ……
五十センチの車間距離を保ったまま、二台はどんどん加速していった。
全く、こっちの心臓が持たねぇって。
「ヤツはな……」
加速しながら、爺さんがボソリと呟く。
「決して、一人では……一台では挑んで来ねぇ……」
チラリと、バック・ミラーを見やる爺さん。
「来るぞ……ヤツの相棒がよ!」
「フォオーオオオオン」
確かに後ろから、なにやら甲高いエンジン音が聞こえてきた。
俺が振向くと、そこには急接近する真っ赤なスポーツカー……
「シーフード・レッドに身を包んだ、あの車体は……その名も激辛の悪魔!」
「れ……れっどほっと……でびる……」
「ああ。同じイタリアのタラコ社と合併することによって、何とか70年代の排ガス規制を乗り切ったマセ社が、80年代、はじめて世に問うた車体……その名も……タラコ・マセラッT!」
「なんか、もう、親父ギャク満点なんですけど……」
「それも、唯のタラ・マセじゃねぇ……」
俺のツッコミを無視して、じじいの説明ゼリフが続く。
「レース参戦を見据え、当時のクラスB車両規格に合わせるべく、エンジンをターボに換装、これまた僅か二百台しか生産されなかった、幻のレーシング・スペシャル……その名も……」
「その名も?」
「タラコ・マセラッT・TOKUMORI・スペチアーレ」
「と……特盛り……すぺちあーれ?」
「ああ、TOKUMORIの意味は、だなぁ……TURBO・ORGANIZATION……」
「ああ、いいです。言わなくても」
「まあ、とにかく、だな。クリーミィー・ホワイトとシーフード・レッド、赤白二色に塗られた二台のマセラッTは、この界隈じゃ、泣く子も黙る、通称……わきが峠の『紅白悪魔兄弟』……レッド・アンド・ホワイト・デビル・ブラザーズといやあ、奴らの事だ!」
「なんか、めでたい悪魔さんたちですね。それに、このあたり『わきが峠』って言うんスか……」
そんな解説を聞いている間に、うしろの赤いスポーツカーが、ソープラの後ろ五十センチにピタリと付けた。
つまり俺らのソープラ、紅白悪魔の兄弟に挟まれる格好で、それぞれ車間距離五十センチで時速二百五十キロの縦列走行……。
死ぬっつうの。
「よし、仕掛けるか!」
爺さん、タイミングを見計らって、追い越しをかける気か?
その時、うしろの赤いスポーツカーのエンジン音が一際高まったかと思うと、先に俺らのソープラに追い越しをかけて来た!
「ちぃぃ! しまった!」
爺さんが叫ぶ!
赤と白、二台のスポーツカーは、並走する形で、車線を塞ぎ、ソープラが追い越せないようにブロックする。
「ああ、もう、追い越せなくなったんじゃ……」
俺は爺さんに問いかけた。
「フッ……仕方ない……」
爺さん、今日、何度目かのニヒルな笑い……
「あれをやるか……」
いきなり、爺さん、時速二百五十キロでハンドルから両手を離した。
「わっ! あ、危ないじゃないですか! ちゃんとハンドル持って」
「リン・ビョウ・トウ・シャー・カイ・チン・レツ……」
爺さん、ニンジャみたく両手を使って空中で印を結ぶ。
「今! 必殺の……! ハイパー・ニトロ・スーパー・エクセレンッ……ト、ワァアアアアープ」
「……え?」
「い、今、何ていった? 爺さん……」
「ハイパー・ニトロ・スーパー・エクセレント……」
「その後だよ、その後! 最後の単語!」
「わ、わーぷ……」
「何だよ。このソープラ、ワープできんのかよ!」
「……うん……」
「最初から使えよ!」
「あ、ポチッとな!」
ぽわわわわ……
間抜けな効果音とともに、俺らは次元の彼方へと飛ばされた。




