人形の花。
カラフルな風船に巨大なつみきの城といった夢のような玩具が並ぶ夢の世界に私はたった一人散らばっているつみきの上に座って居る。
クマや犬のぬいぐるみ、ヒーローや私のような少女人形達が激しく入れ替わり立ち代わりに訪れるこの世界の名は特に無い。けれど、私を含めた人形達はここを「休憩所」と呼んでいる。持ち主が決まるまでの僅かな休憩場所だから。
「よっと!」
不意の声。私は顔を向けた。く
休憩所の入り口から現れたのは私の倍はあるクマのぬいぐるみ。胸に赤いリボンを付けている。
「ここが噂の休憩所か……」
(新入りね……)
「ようこそ、休憩所へ。どうぞ、ゆっくりしていって下さい」
興味深げに辺りを見回していたクマは私に今気付いたと言わんばかりに大きく目を開いた。そして、直ぐに愛嬌のある微笑みを浮かべる。
「ありがとう。君はリカちゃん人形シリーズの子だね」
長く艶やかな漆黒の髪に煌めく黒真珠の瞳、色の白い私の身を包んでいるのはまるで雪女でも連想させるような白と紅の着物。
「はい。着物シリーズの華といいます」
「華ちゃんかよろしく。僕はクマクマシリーズの……」
自己紹介の途中でクマの背後に光り輝く出口が現れた。今まで何度も見て来たクマの持ち主が決まったのだ。ここから出れば持ち主が待っている。
クマが心底嬉しそうに微笑む。直ぐにでも出口に入りたいだろうに律儀に私に振り向いた。
「まだ話の途中だったんだけどごめんね」
「いえ、良かったですね」
「うん!」
クマは出口に走り去った。その背に私は「おめでとう」と小さく呟く。
(またか……)
クマが居なくなって静かになった世界で私は再び口を閉ざした。
「二千円お預かり致します」
そう言って、シャツとジーンズの上に店の名が入った黄色のエプロン姿の男店員の河世は慣れた手付きでレジを打つ。今年で三十になり、このおもちゃ屋に就職して既に八年は経つ。レジ打ちは河世が入社して何よりも一番最初に覚えた仕事だった。
レシートと数百円のお釣りを母親であろう人に渡してから綺麗にラッピングしたクマのぬいぐるみをレジに隠れている男の子に渡した。頬を染めてキラキラと目を輝かせながら受け取った男の子は何とも幼い子供らしい可愛さがある。
「ありがとうございました」
手を繋いで店を後にする親子に河世は頭を下げた。その背を見送りながらふと微笑む。そのクマの人形大切にしてくれよと思いながら。
「さて、商品陳列でもするか―……高屋、レジよろしく」
店内を見る限り客は少ない。これならレジは後輩の高屋一人に任せても大丈夫だろう。「はい」と高屋が頷くのを見て河世は商品棚に向かった。
眩い光、また新入りだ。
「なぁに、ここ。汚い所ね」
現れたのは同じ少女人形シリーズの人形。確か名前はフローだったと思う。
ドレスを着て、ふんわりカールのかかった金髪と碧眼はまるで絵本に登場するお姫様そのものだ。
「ようこそ、休憩所へ。どうぞ、ゆっくりしていって下さい」
私の声にフローが此方を向いた。そして、蔑みに満ちた眼差しを向けて来た。
「ゆっくりしていって下さいですって? 貴方、何を言っているのかしら」
「ここは休憩所ですから、ゆっくりするのは当然かと」
私の言っている事は正しい。ここは「休憩所」なのだから。
平然としている私をフローは嘲笑う。
「馬鹿じゃないの。ゆっくりだなんて嫌がらせ以外何でもないわ。これだから、売れ残りは嫌いよ」
「売れ……?」
「売れ残り。貴方みたいにずっとここに居る人形の事。貴方、着物シリーズでしょ。確か、二〇〇二年発売の。今は二〇〇五年よ。もう三年もずっと貴方は持ち主が決まらない売れ残りでしょ」
売れ残り、その言葉が何度も私の中を反芻する。重くて暗い言葉だ。
「やっぱり貴方みたいな古臭い人形なんて誰も選んでくれないのね」
手に持っていた煌びやかな扇で口元を隠しながらフローは憐れむように言った。
「そう言う貴方はどうなのよ」
今さっきここに来たばかりで持ち主は決まっていないじゃないか。
不服だと私は睨む。しかし、フローは更に嘲る笑みを浮かべる。
「私を貴方と同じにしないで頂戴。私は貴方と違うの」
フローは金髪を左手で後ろに流した。優雅な仕草だ。
「私は女の子の誰もが一度は夢見るお姫様よ。容姿端麗、まさに薔薇。世の女の子なら貴方じゃなくて私を選ぶわ。私は誰からでも愛されるように作られた人形なのよ」
「誰からも愛される?」
「そうよ。本当に製作者に感謝するわ。女の子のツボを見事に捉えた私を作ってくれたんだから。だからこそ、貴方は可哀想よね。誰からも愛されない人形として作られて」
憐みの眼差し、心を抉る言葉。私は目を見開き、そして唇を噛み締めた。拳を握り、勢いよく立ち上がる。
「可哀想? 愛されない?」
容姿も声も何一つ違う。私とフローは違う。
ずっと気付かないようにしていた。何より違うのは私が売れ残りだという事実。
ツカツカと歩を進め、フローの目の前に立った私は思いっきり怒気のこもった眼差しでフローを睨みつけた。目線は殆ど一緒だ。
「確かに、私は貴方みたいな華やかさなんてないわ。けれど、私は私。誰にも選ばれなくても私は確かにここに存在しているのよ!」
ここ夢の世界「休憩所」でずっと。
胸を押さえ、私は叫ぶ。大声で。
「勝手に可哀想なんて言わないで。私だって愛されるために生まれたのよ!」
そう私は愛されるために生まれた、作られた人形。フローのように華やかさが無い、古臭い人形だとしてもそれは、それだけは同じ筈だ。
「…………」
フローは言い返さない。しかも、私を見てすらいない。フローは光を見ていた。フローの横に現れた出口を、私は愕然と見つめる。
パチンと扇を仕舞う音に私はビクッと身体を震わせた。フローが出口に向いた。真っ直ぐな眼差しで光の先を見据え、「ねぇ、華」と静かに口を開いた。
「仮に貴方と私が同じく愛されるように作られた人形だとしたらそれは残酷ね。私は選ばれ、貴方はここに残る。いつまで経っても選ばれず、愛されず、ただ見送るだけ。私が貴方ならきっと狂って壊れてしまうわ。寂しくて、苦しいのは嫌だもの」
「…………」
「貴方はここを休憩所と言ったわね。それは間違いでしょ。ここは愛されない人形が眠る場所、墓場だわ」
フローは光の中に一歩踏み出す。
「私達の人生は人に愛されてこその人生。愛されない、必要とされないのならもう休みなさい」
そう言い残して、フローは消えた。静かになった「休息所」で私は再び、一人になった。
「あれどうかしたの、南さん?」
少女人形シリーズが多く並んだ商品棚の前で後輩の南が一体の人形を険しい眼差しで見据えているのを見て思わず、河世は足を止めた。
河世の手にはオセロといったボードゲームが入った段ボールが抱えられている。河世同様に南も商品陳列の最中なのだろう。
「河世先輩、ちょうどいい所に。あの、これどうしましょうか……」
「?」
困り果てている様子の南は一体の何とも可愛らしい箱に納められている人形を見せて来た。黒髪で少女人形シリーズには珍しい日本風のものだ。
「これ、もう三年も前に出たシリーズの売れ残りみたいなんです。新シリーズの陳列に邪魔で……」
「返品は?」
売れ残りはよくある。数体売れ残っているなら返品は可能だ。
「無理ですね。どうもこれ一体だけ売れ残っちゃったみたいで……どうしようもないんで、処分してもいいですか?」
小さく南が人形の箱を揺らした。河世は「そうだな……」と思案しながら人形を見つめた。
一人は辛い。こんな事を思うのはいつ以来だろうか。既に定位置になっていたつみきの上に座り、膝に乗せている手をギュッと握りしめる。フローが去って「休憩所」は異様に静かだ。
「ねぇ、私をここから出して」
徐に立ち上がって私は上を見上げた。高いとにかく高い上を。
「私、古臭くてお姫様じゃないけれど、傷も無くて綺麗よ。誰にでも愛されるなんておこがましい夢は望まない。たった一人でいいの。たった一人で……」
響くのは私の声だけ。今にも消え入りそうな血を吐くような私の叫びだけ。
「……ねぇ、私を見ているのでしょう?」
私を選んで。
「応えてよ!」
私を愛して。
溢れ出る涙は堰を切って止まらない。私はその場に崩れ落ちた。顔を覆って泣き叫ぶ。泣いて喚いていくら叫んでも。ここから出られないと分かっているのに。
「っ……」
こんな思いをするくらいなら生んでほしくなかった。
愛されない、必要とされない人形に存在価値は無い。存在価値の無い人形がすべき事はただ一つ。夢に塗れて眠るのだ。フローが墓場と呼んだこの場所で。
「っく……」
こんな場所で潰えるなんて悲しい。けれど、もう無理だ。闇に沈んでいく感覚に私は身を委ねる。最初から無かった事にしよう。目を閉じて私の存在は無かった事に。最初から全て。
「――――――!」
「……だぁれ?」
私を呼ぶのは。
そう呟くと、閉じかけた瞳に眩しさを感じた。この光を私はよく知っている。
まさかと思ってハッと顔を上げる。目の前に焦がれに焦がれた出口が現れていた。何かの間違いかと疑う。しかし、それは違うと直ぐに悟った。
「――――――!」
何度も、聴こえる声。次第に大きく響く鈴のような声。
あの出口は私のためのもの。あの光は私を呼んでいる。
「っ!」
私は立ち上がり、駆けた。光に手を伸ばし、飛び込む。触れた光は酷く温かい陽だまりの香りがした。
「ただいま」
玄関の扉を開いて中に入ると真っ先に「お帰りなさい!」と腹に跳び付いて来たのは今年で七歳になる愛娘の愛花だ。河世は愛おしげに愛花を撫でる。
「ただいま、愛花。今日はお土産があるぞ」
「ほんと!」
嬉しそうに自分を見上げる愛花に目尻を下げつつ、脇に抱えていた黄色の袋に赤いリボンをかけた土産を手渡す。中身が気になるのだろう。目を輝かせ、「パパ、ありがとう!」と言い残すと直ぐに居間の方に駆けて行った。微笑みながら、靴を脱ぐ河世に愛花と入れ違いに河世の妻、利津が現れた。
「あれ、どうしたの?」
「店の売れ残りを買い取ったんだ。愛花が喜ぶかなと」
河世から上着を受け取りながら「へーそうなの」と利津は言った。「ご飯もう直ぐだから」と背に聞きながら河世は居間に向かう。中に入るとニュースが流れているテレビの前のカーペットの上で愛花がいそいそと土産を開けている最中だった。
「わぁ!」
感嘆の声が聞こえる。愛花は手に持っている人形を食い入るように見つめている。
「気に入ったか?」
横に座って問いかける。
「うん、ありがとう、パパ!」
「大切にする!」と河世に満面の笑顔を向け、直ぐに人形に視線を戻す。
長い漆黒の髪に黒真珠の瞳は絵本に登場するお姫様のようではないけれど、とても綺麗で可愛らしいく、真っ直ぐな髪は羨ましいと思うと同時に憧れる。
ふと愛花は人形が入っていた箱を見た。急いで開けていて気付かなかったが、箱には大きく人形の名前が大きく書かれていた。
「……?」
「はなって読むんだよ」
箱を見つめて首を傾げていた愛花に河世が言う。
「はな……華!」
しばらくはなと反芻していた愛花は華を高々と持ち上げた。眩しい光を背に華の影が愛花の顔に落ちる。愛花は微笑んだ。
「よろしくね、華!」
これから毎日一緒に遊びましょうね。
愛花は華を抱きしめた。
ふと思いつきで書きました。
短編ばかり書いているのでいつか長編も書いてみたいです。