酔いどれ兎は餅を恐れる
「よいさ、ほいさ」
「そい! そい! そい!」
「はいさ、よいさ」
「ほい! ほい! ほいっと! ふーっ。どうだ、ラビ?」
「んーそうですね。いい感じになりました」
「よぉーし。はー疲れたぜー」
「お疲れ様でした。じゃあ、トビはいつも通りですね」
「おう、頼んだぜ。その間に俺はにんじん酒でも飲んでるかねえ」
「はいはい。飲み過ぎないようにしてくださいよ。じゃあ用意してきますからね」
*
「お待たせしましたー」
「きたきた! おっ、いいねー」
「では、いただきましょうか」
「そうだな。ほいじゃあ」
『いただきます』
「はぐはぐ」
「ほぐほぐ」
「うーん」
「うんうん」
『うまい』
「いやーやっぱおめえの雑煮はうめえなあ。さすがだぜ」
「私がつくってますからね」
「おめえは相変わらずのぜんざいだな」
「ええ、私はやっぱりこれが一番です。甘くて暖かくて最高ですよ」
「こっちだって最高だぜ。出汁がきいててよ、餅にも味が馴染んでやがってたまんねえぜ」
「なにせ私がつくってますからね」
「ちょっとは恐縮しろよ。まあ腕は確かなんだけどな」
「しかし、やっぱりお餅っていいですもんね」
「なんかこれ食べねえと始まらねえんだよな。不思議なもんで」
「習慣でしょうね。毎年やってる事を急にやめたりすると、とてつもなく気持ち悪いが感じが残りますもんね」
「ああ。ペースが崩れちまっておかしくなっちまうんだよな。本当はどうって事ないもんなはずなのに」
「年の始まりにお餅を食べなかった、それがずっと一年の足枷になるのは嫌ですよね」
「ああ。ところでラビよ、年始に餅を食う意味ってなんなんだ?」
「その習慣は遠い昔、長寿を願う意味で始まったものですよ。餅の長く延びて切れない所から、そういった願掛けが始まり今も続いているのです」
「あーなるほどな。長生きはしてえもんだよな」
「そんな大昔の慣習が今も尚続いていると思うと、なんだか感慨深いもんですね」
「だが、ちょっと待てよ」
「はい?」
「正月、餅って聞きゃ、あるだろ。よく聞く話をよ」
「ん? 何が言いたいんですか?」
「正月に餅食ってお年寄りが亡くなったって話だよ」
「ああ。確かに、よく聞く話ですね」
「だろ。この餅のせいでよ、尊い命が失われてるってのも事実なんだよ」
「実際に起きてしまってますからね」
「長寿を願うはずの食べ物が、逆に命を奪っちまう。なんだかそう考えると、やり切れねえ話じゃねえかよ」
「そういう言い回しをされると非常に心を抉られますね」
「だがしかし、それでも餅を食うのをやめねえ。その慣習は廃れずに今も残り続けてる」
「そうですね。毎年のようにどこかでそのニュース聞きますもんね」
「そこでもう一つ不思議に思う事があるわけだ」
「なんです?」
「なぜ、餅だけは許されるのか」
「なぜ餅だけは許されるのか?」
「死人が出てんだぜ。なかなかに大事だぜこれって」
「まあ、そうですね」
「人間って奴らは、特に最近の奴らはこういうのをまあ許さねえ。自己責任ってのもあるのに、そんな事は棚に上げて騒ぎ立てて集中砲火。トレンドじみた行動パターンだよ」
「別に流行りでやってるわけじゃないでしょう」
「いや、ありゃ一種の流行りだよ。誰かがやり始めた事に後からじゃあ自分もって駆け足で同じ船に乗っかって声をあげるなんてのはどこにでもある集団心理だ。そこでよ、思い出してみろよ。どっかのゼリーだってそれ食って喉詰まらせて死んだってんで大騒ぎになってたじゃねえか」
「ありましたね。そういうのも」
「まあ、どのぐらいそのゼリー側に否があったのかは知らねえけどな。まあなかなかに、やられてたじゃねえか」
「なのに、餅は」
「そうだよ。餅ってよ、そんなんあったか?」
「うーん……あまり聞き覚えないですね」
「だろ? なんで餅はお咎めなしなんだよ。ゼリーになんかに比べりゃよっぽど性質悪ぃ食い物だぜ? それでも誰も何も言わねえ。餅を売るななんて誰も言わねえ。それどころか当たり前のように毎年食ってやがる。何なんだよこの風習は!」
「まあその風習を兎である私達もやってる訳なんですが」
「……脅されてんのか?」
「は?」
「いや……寄って集って叩く事を得意する人間共が野放しにするこの餅という存在。何やら、俺はちょっと怖くなってきてよ」
「トビ?」
「おかしいだろうよ! 殺人鬼を放置してるのと同じようなもんだぜ!? 大丈夫か? 大丈夫か人間共よ!」
「トビ、ちょっと急に熱量が」
「こええ! こええよ俺はよ! なんとはなしに今まで食ってきたがよ、こいつ本当はとんでもねえやつなんじゃねえのか? 神の遣いか? 悪魔の遣いか? 触れてはならねえ禁忌的なやつなのか? そんなものを俺は口の中に放り込んで俺は大丈夫なのか!?」
「トビー」
「怖い! 餅怖い! 餅による圧迫。餅による支配。俺らの知らねえ所で実は餅は暗躍してて、その足を伸ばしてやがるのかもしれねえ。現代の闇だよこれは。誰も餅に逆らえねえ。そうやっていずれ餅に全てを奪われちまうんだ。こええ! こええよラビ! おいラビィ!」
「トビ!」
「はい!」
「飲み過ぎです」
「あ……ああ」
「相当飲んでたんで気にはなってたんですよ。冷静そうに見えたから大丈夫かと思いましたがやっぱり回ってましたね。なんですか餅の支配って。あるわけないでしょ、そんなの」
「ああ……すまねえ、ちょいとばかし飲み過ぎてたみてえだな。すまねえ」
「いいんですよ。いつもの事です」
「いつもはこんな酷くねえだろうよ」
「ちょっとは反省しましたか?」
「ちょっとはな」
「これはまた近々怒らないと駄目そうですね」
「わーった、わーったよ。ちょっとは控える」
「お、言いましたね」
「いやさすがにおめえに迷惑かけてちゃ世話ねえしな。酒は楽しむもんではあるが、それで迷惑かけちゃ台無しだ。だから、ちょっと気ぃ付けるよ」
「私、不覚にもちょっと今感動してますよ」
「大げさだよ、おめえは」
「そんな事はありませんよ。でもトビ、確かに餅の事についてはちょっと共感する部分はありましたよ。そしてそう考えると、確かにそうなのかもなって思う所はありました」
「ん? って言うと?」
「餅は長寿を願う食べ物だって話はしましたよね。そしてもう一つ、餅は元来神様に捧げる神聖な食べ物なんですよ。ほら、鏡餅ってありますよね」
「ああ、なんか雪だるまみてえなやつだろ」
「そうです。そして神に捧げたお餅を神棚から下ろして頂く事で、一年の健康、無事を祈るというのが正式な儀式なんですよ」
「ほう。じゃあ、やっぱり結構大層な食い物なんじゃねえか、餅ってやつは」
「あながち神の遣いって表現は間違ってないのかもしれませんよ。そこには神の息吹が吹き込まれている訳ですから。だからひょっとするとそういうのもあって、人間達は餅には強く言えないのかもしれませんね」
「ふーん。じゃあ俺らもこいつの事はもっと大事にしてやらねえといけねえな。ってか、おめえそれ知ってたならちゃんと教えといてくれよ。ずっと何の感謝も捧げずに食ってきちまったじゃねえか」
「いや、すみません。そんなにお酒を飲まれていては長寿を願う意味もないかと思って」
「急に強めの毒舌はやめろ!」
「おっと、すみません。でもさっき少しは控えると言ってくれましたしね」
「はあ、お前の毒舌にびっくりして死んじまうかと思ったぜ」
「トビ」
「んあ?」
「長生きしましょうね、一緒に」
「あ? あ、ああ」
「では、一緒に祈りましょう。今年一年を」
「おう」
『今年一年、無事に健康に過ごせますように』
「今年も宜しくお願いしますよ、トビ」
「こちらこそよろしくな、ラビ」