4話目 迷宮への来訪者とその観察などのくだり
訪問者はベルを鳴らす(押し売りにあらず)
魔法使いの私室で、文献を中心にした魔法についての調査を行っていた私。その耳に、さきほど立ち上げたダンジョンの警戒網より、侵入者あり、のアナウンスを受け取る。侵入者というのは正しくないか?来訪者?帰還者?とにかく、不正ではない手続きで、入り口が開かれたことが、急いで駆け込んだ、管理室の情報表示にて読み取る。
パスのコードから見ると、この迷宮を作成した、大昔の秘密結社のもののよう。これは、もしかすると、過去の家主が帰還したか?立体的に表示される、ディスプレイを、入り口の広間を中心にフォーカスする。ワイヤーフレームの画像にひとつ、侵入者もしくは帰還者が表示される。逆三角錐で上に丸が乗っているアイコンで表示。一人のよう。
敵味方識別反応では、味方を意味する安全色で表示。入り口のゲートを開けて、広間の中程に進み、そこで止まっている。
さて……どうしたものか?少々考える。が、人物アイコンがその場をなかなか動かない。1分くらい、微動だにしない。最低限の位置情報のみを探知している状態から、もう一二段階機能を解放して、モニタに表示するべきか?しかし、下手に動いて生きている迷宮だと察知されるのも避けたい。
僅かに悩む、しかしすぐにパネルに手を伸ばして、入り口ホールの映像を、ひとつの平面モニタへと写し始める。カメラは光学式、低光量対応。感光版に捉えた光の波動そのものを、魔法を発生させる、あらゆる粒子に干渉する力で、直接管理室へと送る……、何度も繰り返し思うが、でたらめな粒子。ホールの風景そのものが、モニタへと表示される。
ホールの映像の確認と、マイクの起動
薄暗いホール。完全な闇ではないのは、外光を取り入れる仕組みが働いているから。所々透明度の高い素材でできている天井近くの壁が、外の光を入れている。どうやら、外は昼間らしい。石畳の上に、小柄な人影が倒れ伏している。フード付きのマントのようなものを身にまとっている。容姿はカメラの位置では確認できない。この人生きているのか?しばらく観察、身動きが見られない。
入り口は、その人物が入ってきたあと、自動的に閉じられている。丁寧なことにまたロックがかかっている。現在のダンジョンの設定では、オートロックという仕組みになっている。
床に倒れている人物?人なのかは実は不明。僅かに身じろぎをする。生きてはいるよう。もう少し詳しい情報が欲しい、カメラに続いてマイクを起動。空気の振動を意図した空間に座標を設定して感知、そのエネルギーの差異を魔法を原理にしたセンサと、伝達路で管理室へと送る。
呼吸音あり、少なくとも肺をもつ陸上生物ではあるよう。四肢はマントの下で確認しづらいが、普通の数が、違和感のない位置に存在している。床の文様から、スケールを確認。身長が120cmほど、細身?の人影。しかし、なんとも弱々しい呼気。
対象の観察を続けつつ、対応を検討する
さて、どうしたものか?しばらく、10分ほど観察を続ける。カメラやマイクに気づいた様子はなさそう。それどころか、僅かに身動きする程度で、ほとんど動こうとしていない。これはもしや、生命活動に著しい不具合を生じている個体ではないのか?と推測。しかし、そのような危機的な状況で、ダンジョンという危険あふれる場所へと侵入を果たす心理が想像し難い。いや、これは逆か?ここが安全だと知っているから、逃げ込んだ?少なくともこのダンジョンが秘密結社のアジトであったのは数世代以上は昔の話のはず。その情報はどうやって受け継がれたか?少なくともパス、門を開けるためのキー的なアイテムには偽造の感触がない。真っ当に受け継がれてきたもののようにみえる。
とすると、この床に倒れ伏している存在は、正当なこのダンジョンの住人である可能性が高いのであろうか?年代から、当時の住人ではないだろうから、その係累か。たまたまキーをひろったとかという可能性ももちろんあるわけだが、そのキーがここの迷宮に入る為のものだという情報もまた、一緒に受け継がなければ意味がない。それができているとすると、やはり、この施設の正当な後継者とも言える……。めんどくさい、見捨てるか。いまさら迷宮を返せと言われても困るし……?
……困らないな実は。見る限り脅威度は低そう。他に仲間などがいれば別だが、ダンジョンの権限はこちらが完全に握っているし、対応は適切にできる。そう……数百人単位で侵入されても、なんとかなるというか、それらはダンジョンの餌になるだけか?
はじめから敵対することを前提にするのも不毛ではあるが、まあこちらの戦力を的確に把握するに、慌てる必要はないと予想できる。
休眠状態のダンジョンにおけるエネルギー問題
さて、あまり機能を動かし続けていると、ダンジョンが飢えるか?一応、長期的にもつように栄養の貯蓄はされているが、無駄に消費する必要もない。燃料計によると休眠状態で数千年、今のように低いレベルでの起動状態でも千年近くはもつ計算。ちなみに設備を”生きている”ダンジョン仕様へとフル稼働バージョンで起動させると、無補給で100年程は持つよう。鉱物由来の生物のエネルギー効率の良さを考えさせられる事例。
そのくせ、反応速度は炭素系の生物がもつそれに負けないというのも反則的なお話。正直どんな仕組みになっているのやら。後で要研究。
引き続き、倒れ伏している対象の確認と、処理の算段
さらに20分ほど経過、対象に動き無し。ただし、呼吸音はあり。乱れがあるので、睡眠状態ではないよう。このまま放置しておけば、生命活動が停止する可能性があると予測されるくらい、呼吸音は小さいか?正常な状態と比較できないので推測にしかならない。
何か呟き始めた、意識が混濁しているのか?単語の確認、マイクの精度を調整、口元の振動を正確に伝えるように。
使用言語はこの地方の言葉。その変形?単語的には判別可能。発音が対象の状態が状態なので、合っているのかは不明だが、記憶に焼き付けられている、言語知識は正確なものらしい。どうやら、血統的に第一世代上の存在へ呼びかける単語のよう。雌雄それぞれで呼び名が違う代名詞、しかも幼体が使用する名称……つまりは「ママ」とか「パパ」に相当する言葉。
うわごとのようになっている?危険度は低いか。このままにしておけば、更に危険度は低くなるが、未知の病原菌などのキャリアである可能性も捨てきれない……。生命活動が停止した肉体からさらに繁殖する可能性と、母体と共に死滅する可能性は同等?いや、苗床と考えるなら、生命活動が停止した瞬間から爆発的に繁殖する可能性もあり……。どちらにせよ、詳細な調査が必要か。
ただし、それはこの個体の脅威度が限りなく0に近くなった時でも問題ない、呼気の止まるのをまつことにすればより安全。ただし、情報の収集という観点からみると、聞き取り調査をできる個体をみすみす取り逃がすのは悪手か?
ダンジョンの秘匿と、情報の収集を天秤にかける。……まだ、うごけないよう。条件が足りていないことが感じられる。
そこで、さらに、その個体は新しい単語を口にすることに。
人道的支援を想起させるための思考への道筋について
「……たすけて……」言語的な情報の誤差はコンマ数%以下。これは対象が、生存を求めて、助けを要請する語句のカテゴリ。
正当な迷宮な住人の可能性が高い。
放置しておくにと危険度がさらに高くなる可能性あり。
限定的にダンジョンの機能を起動させるコストと、それから得られる利益を計算……クリア。
そして、
「対象に、救助を求める意志あり」
条件はすべてクリアされた。
情動が行動へとリンクされ始める。制限されていた思考が解放されるのを感じる。縛っていたのは迷宮を維持管理する為の思考、ルーチン。
あえて、それに乗ってみるのも一興かと素直に思考してみた。……あちらの世界のこの記憶の持ち主、性格がかなり独特であったのではないか?いや私のことなんだが。
こちらの脳へ条件付けられた思考ルーチン設定、なんとも面倒で迂遠であると推測。
ただし、比較対象がそもそも、この脳に焼き付けられた知識とあちらの世界の設定、のみなので勘でしかないが、気をつけよう。認識がコモンセンスとズレすぎると言動に違和感がでて、不審がられそう。
幼い子供は無条件に守られるべきである、という生物としての本能がかなり抑えられているわけか?これは生まれが人工生命体であるということに由来するのか、もしくは、迷宮の管理者としての思考が優先されるようにプログラムされているのか?
このあたりも要検討課題。じっさい、あちらの知識がなければ処理の方向性が180度変わっていた可能性あり。少々性格が臆病で非情すぎないか?いやあちらの世界のパーソナリティも似たようなものであったのか?興味は尽きない。
そして私は、入り口ホールで倒れ伏す、幼生体の調査のため、ダンジョンの機能をさらに数段階上のレベルで起動させるべく、自身の白い小さな手で、縦横無尽に、滑らかに、コンソールを操作しはじめる。
か細く聞こえてくる助けを求める声が、幼生体の発声器官から、漏れ続いているのを、確認しつつ。