1話目 起動後衣食住を確保するくだり
ごぽり、と音がする。
液体で満たされた円筒形の筒に、空気が入った音。
空気と入れ替わりに液体が硝子の筒から抜けていく。
その液体に寝転んで浮かんでいた白い体の人型が、ゆっくりと円筒の底へと降りていく。
横になった円筒の、下側は、緩やかな凹面になっていて、液体に浮かんでいた人型をゆったりとささえる。
円筒の上側が寝転んでいた人型の天地方向へスライドし、開く。
地下特融のかび臭い空気が硝子の円筒へと侵入する。
ゆっくりと目を覚ます白い人型。
両手で上半身を差さえ、起き上がり、円筒の淵に手をつき、立ち上がる。そして、筒の外へと、歩き出す。
筒の外は、薄暗い石造りの地下室、光源はうっすらと天井自体が光っている。
ぺたりぺたりと濡れた足で歩きながら、周囲を見渡す白い人型。と、その目が今しがたそれが出てきたガラス製の筒へと向けられる。
比較的平らな個所を見る、そこには自身の姿が映されている。
白い肌、白い髪、瞳の色は赤、身長は低い、130㎝ほど?体格も細い、体重はおそらく30㎏前後か。ゆがんだ鏡にうつされた容姿は、美しい。
子供らしいという感じではない、作られた美という感じ。
それらを観察しつつ、ぺとぺとと小さな白い手で触りつつ、円筒のガラスにうつされた自分を観察する人型。
そして呟いた。
「私は誰?」意外と可愛らしい声が、暗い地下室に響いた。
私は考察を始める
私は魔法や錬金術によって作られた人工生命体らしい。これはあらかじめ自分の記憶領域に刻み込まれている知識によるもの。
この世界は魔法という技術が一般的に普及している。世界に名前はないらしい。ただの世界。
魔法とは、特定の呪文と触媒を正しい時に正しい手順で唱えたり使用したりすることで、行使することができる技術。学ぶことができればほぼすべての人が使用できる汎用的なもの。
魔法にできるのは、あらゆる力の制御。たとえば、分子の運動エネルギーを加減速することで、熱を制御することができる。
たとえば、ヒッグス粒子に干渉することで、対象の質量を制御し、自在に動かすことができる。
この二つを組み合わせると、熱量を持った物質を対象へ飛ばすことができる魔法”炎の矢”となる……。なんと迂遠なシステムであろうか。
どうもこの世界の人はそのような原理をしらず、ただひたすら呪文と触媒の組み合わせを暗記して、儀式として唱えているように見受けられる。
『この世界』?
私は、どうやら、こことは違う世界の知識も、また持っているらしい。『この世界』と『違う世界』世界が2つ以上あることが、記憶の上では確からしいので、やはり名前を付けるべきだろうか?
こちら、とあちらで十分だな当面は。
加熱、冷却のしくみなど基本的な物理学のような知識はあちらの世界の記憶で、魔法などの知識はこちらの世界の記憶。どちらも、自分がどのように生きていたのかという部分の記憶はない。
あちらの世界に関しては、記憶喪失。こちらの世界に関しては、そもそも稼働したのが数分前といったところなのでもともと無いと考えるのが妥当か?
記憶喪失と推測したのは、この世界とは違う、しかしあまりにも詳しく、体系的な知識の記憶が存在する点が根拠。自身エピソード記憶がないので、知識のみの転写という可能性もあるだろうか?
しかし、学習したという記憶もまたある。これは後で要検討。
そもそも、私の記憶そのものが正しいのかどうかという問題がある、これは早急に検証しなければならない項目……
「くしゅん」ちいさくくしゃみ。
気化熱による体温の奪取……は、知識と照らし合わせて正しいと体験された。とりあえず、液体をぬぐうものと、服が必要。
私はそう判断して、動き始めた。
私は当面の問題を解決する
さて、こちらの世界の記憶では、必要な物資が所蔵されている部屋があったはず。
私は、自分が起き上がった部屋をくるりと見渡す。そこには、複数の円筒形の硝子が液体に満たされて立っていたが、薄暗い照明に照らされたそれに中身は入っていない。
扉を発見する。近づき開ける。扉の材質は木製で何かでコーティングしてある。どうやら、高性能の防腐剤など状態を維持する類の塗料が塗られているらしい。
記憶と照らし合わせながら、扉からでて進む。通路全体は光沢のある石材のようなものでできていて、天井の石材が直接、ところどころ光っている。薄暗いが光源としては十分。
あと、私の目は多少の暗さを気にしなくて良い程度の性能がある、と、刻み込まれた知識が言っている。
しばらく、体感時間で5分ほど歩くと、この施設の生活空間へとたどり着く。そこは、朽ち果てていた。主要な扉はコーティングで保たれていたけれども、他の木材を中心にした家具、建具などは地下の湿気にやられて腐っている。
衣服を入れていたチェストもまた同様で、長袖のシャツを手に取ると、はしからぼろぼろと崩れてしまった。かろうじて、残っていたぼろ布をつかって、身体の水気を取る。そして、次の部屋へと向かう。
この地下施設は、私をつくりあげた実力の高い魔法使いの研究施設。その魔法使いの私室までいけば何かあるだろうと、判断して移動する。もちろん魔法使いの情報もまた、記憶に刻み込まれている対象。
能力は高く、実力もあった魔法使いだと記憶にはある。しかし、別に畏敬にうたれるような感覚は薄い。ああ、そんなのもいたな?程度。
魔法使いの私室へとつく。きっちりと扉が閉まっている。鍵もかかっている。私はコマンドワードつまり合言葉を唱えた。かちりと、音がして鍵が開く。
魔法で鍵をかける。物質の動きを止める魔法と、それを解除するための呪文を組み合わせてある魔法。対象は留め金の部分だけではあるが、なんとも贅沢な力の使い方であろうか?止まっている物質が発散すべき熱量を魔法の維持に使用しているところも非常識な気がする。熱理学の法則をかいくぐっている。
ともあれ、私室に入る。ここは、常時物体の保存用の魔法がかかっているはずなので無事な衣服が存在している可能性が高い……。
発見した。
少々ぶかぶかだが、ローブの様なものと、靴代わりの布を手に入れた。後でサイズを調整しよう。
私は、白いシャツと、黒いズボン、下着は清潔そうな布を蒔きつけることで代用、その上に、魔法使いが使用していたローブを着てみる。袖と裾を調節しないといけないがとりあえず、折って着た。
これで、文明人に一歩近づけたか。
記憶によると、このローブ、状態を一定の状況にとどめる機能が魔法によってほどこされているとのこと。布としての性質そのままに、汚れ等をつけないように分子を制御するとか、しかも自動で、半永続的に……無茶苦茶な性能というか、エネルギーの無駄遣い。
生存前提を整える
衣食住のうち、衣料は問題ない、魔法使いの服が結構多めにあったから。住は外界からの影響をほとんどシャットダウンできる地下施設だから問題ないか。太陽光と同じ成分の光が出る部屋もあるようだから、ビタミンDの生成も問題ない。一応この体にもビタミン等は必要。
あとは、食、水と食べ物を確保しよう。
食糧庫を確認する。保存の為の魔法がかけられている。範囲対象指定の鮮度を保つ魔法。雑菌を物理的に寄せ付けず、酸化させなければかなり持つという仕組み。あいかわらず力の使い方が変。それだけのエネルギーがあれば、普通に生産プラントでも恒常的に回しておいた方が良いはず。
食料は、そこそこあり。私一人のジュール消費なら数年は持ちそう。脳内に刻まれた記憶には、料理のレシピも数多くあるので、飽きもこない。調理器具を整えないといけないことを、頭にメモ。水については、地下水をくみ上げてい装置が現役で作動中、なのだが、その動力源に使っている魔法、エネルギーで換算するとちょっとした発電所なみなのだが……もう考えないほうがいいか?
さて、衣食住の確保が完了したところで、後回しにしていた案件をひとつひとつ確認していく。
対話できる存在の確認
記憶によると、私をつくった魔法使いがいるはず。しかし、観察するに、この施設の見回った範囲では、ここ数十年、ひょっとしたら100年単位で人の立ち入った形跡がない。推測する。わたしを作り出そうとした魔法使いは何らかの事情があって、この施設への帰還がならなくなった。その理由は不明。記憶によるとおよそ60歳ほどの老魔法使いであった。魔法の中には寿命をのばすものもある、存命である可能性もある、ゆえに一応生死は不明。他にこの施設には人がいないので、その魔法使いが帰還しなければ対話対象数は0。
また、施設の出入口は地下迷宮の底をカモフラージュしているので、めったなことでは、他の知的生命体が侵入することはない。老魔法使いは秘密主義であったので、他にこの場所を漏らしている可能性も低い。友達もいなかったらしい。他に施設の維持整備などを行う人工知能的な何かも無し。これは、どうやら、会話による情報収集はあきらめた方がよさそう。少なくともここ数十年帰還しなかった魔法使いを待つよりは、対話をするのなら、外にでたほうがましか。
まあ、そもそも対話の必要性があるのか?という根本的な疑問もあるわけだが。それにしてもさらりと流したが、不老の魔法とはまためちゃくちゃな……細胞の自死を制御するとか。まあ、分子レベルの操作に比べれはまだ難度は低いのか、それにしても常識外の性能、これが魔法か。
テキストの確認
本と呼ばれる媒体は多数。いわゆる魔導書というものから、歴史書、料理のレシピ本、社会風俗、算術書、天文学関連の書物、各種言語の辞書。世界に複数の国と言語があるという記憶に間違いはないな。およその風習やら、言語能力はあらかじめ脳に焼き付いているので、その正誤やら、正確さを確認する。ぱらぱらとめくると、これは紙でできているようだ、植物繊維が原料のよう。製紙技術と印刷技術は、そこそこ高い?すくなくとも凸版印刷は確立されているレベル。保存状態も良好、中性紙を使用している。
ただ、魔導書は手書きの写本のようだ。これは、あとでじっくりと読む。風習を確認すると、黒色火薬や、羅針盤、印刷技術が発生した後、そして、蒸気機関発明以前、のヨーロッパあたりの文化程度らしい。もっとも魔法というオーバーテクノロジーが存在しているせいで、世界のエネルギーの総量は高い。その分生活に余裕があるせいで、文化の発展度も比較的進んでいるようだ。さて、最低50年前の情報というところを忘れないようにしておこう。
しかし、本当になんなのだろうなこの魔法という技術は?
どうやら、記憶の中の知識と、本の記述と差異はなさそう。もっとも記憶とテキストと双方が同じく間違っている可能性もあるわけだけど、すくなくとも魔法があるという前提で、矛盾はないと判断する。
身体の確認
身体能力は高そう、少なくとも肉体の制御という面では完璧。コインマジックもスムーズにできそう。感覚もかなり鋭敏。低光量でも問題なし、可視波長領域が広い。赤外線まで見えてないか?聴覚はも問題なし、可聴域も広い。頭脳、頭の回転も問題なし。演算能力も高い。数桁と数桁の乗算も遅滞が感じられない。
記憶力も良い。ほぼ一読したのみの内容が、記憶されている。しかし、写真記憶とまではいかないようだ。一方体力、筋力は低い。あまり重いものは持ち上げることができない。持久力自体はそこそこありそう。身長は低く、体重も軽い。スケールがあったので測定、換算して身長130cmで確定。こちらの世界の単位はフィートとよく似ているが、個人的にMKS単位系の方が使いやすいので換算して使用することにする。ああ、頭の中でメモ、光の速さが同じかどうか確認すること。重力加速度もか。基本的な物理法則の差異は確認しよう。あとは気圧か?水の沸点と。まあ、後でいい。
睡眠は必要。一応一日の1/3から1/4は睡眠にあてたほうが効率が良い。寿命は長め?年の単位が同じなら、このままでも100年単位。魔法を使用すれば1,000年単位で自己の肉体維持が可能。記憶領域の拡大とか必要そう。ちなみに1年はおよそ365日程度で、主星をめぐる公転周期が基準。このあたりはほぼ同じなんだ。地動説は問答無用で肯定されている。観測に魔法が使えるのが大きい。
私を作ろうとした魔法使いは、超人種でも目指していたのか?
なぜ私は今目覚めたのか、を考察する
自動的にタスクを進めていくシステムが地下研究所にあった。これにつきるのか?そもそもまともな生命が誕生するかどうかは、数々の挑戦と失敗が必要であり、さまざまな条件の組み合わせを自動的に網羅して、作成していく自動装置でもなければ、やっていられないほどの面倒くささだったのだろうな。試行回数も7ケタの大台を突破しているよう。
で、主が長らく未帰還であったにも関わらず粛々とその仕事をこなしていたシステムが結果を示したと……。その結果である私が誕生したタイミングで待機状態に入っている。主の、試験やら、検証やら、考察まちというわけかな。少々バグがあるようだけれども、それは私には関係ないこと、むしろ有利な状況だろう。
他の世界の記憶があるというのは、仕様外であろうなあ。
さて、では次は、非常識で理不尽なので、目をそらしていた”魔法”について確認、考察することにしよう。
……少々疲れた&お腹がすいたので、食事の後で。