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Dance@Dusk  作者: ヤマコ
With a Black Cat.
6/18

5

「あーあ・・・」


 歩道に背中から落ちたように見えた黒木は、肘を押さえて立ち上がった。実際は受け身を取ったため、身体にほとんど怪我は無かったが、シャツの右袖が先から肘にかけて破れてしまった。


 さすがにとんでもない衝撃だった。大部分は相殺出来たが、それでも身体ごと吹き飛ばされてしまった。


 周囲は未だ騒然としており、警察や消防に携帯電話で通報する声が所々から聞こえ始めた。トラックの運転手が真っ青な顔でこちらに走って来ているのが見える。ズボンの埃を払っている最中に黒木は、ある物が無い事に気付いた。


(本が無い・・・)


 タイヤと接触する直前まで手に持っていたはずのアルバイト情報誌が無くなっていた。吹き飛ばされた際に、本もどこかに飛んで行ってしまったのだろう。キョロキョロと周りを見渡した黒木の目は直ぐに本を発見した。しかし、それは地面に落ちてはいない。


 あの大きな黒猫が、今度は黒木のアルバイト情報誌を咥えて座っていたのだ。  


 黒木は何故だか少し可笑しくなって、下を向いて一瞬だけ口角を引き上げてから、猫に近づき袖の破れた右手を差し出しす。


「それ、必要なんだ。返してくれよ。」


 黒猫はまた、目を細め意味ありげに片方のヒゲをくいと持ち上げた。黒木にはその後の猫の行動が、大方読めたような気がした。黒猫はそれに答える様に、黒木に背を向け走り出す。もちろん、本は咥えたままだ。


「待て!」


 黒木は半ば反射的に猫を追いかけて走り出した。恐る恐る近付いて来ていた群衆の間を抜ける。「にいちゃん、大丈夫か」と誰かが声をかけてくるが、お構いなしにスピードを上げる。それでも黒猫との距離は徐々に大きくなっていった。


(・・・上等だ)


 大きく息を吸い込み、ギアをトップに入れる。事故現場の喧噪が既に遥か後方に遠ざかっていた。黒猫はこちらを確認する様にチラチラと振り返っている。黒木は明らかにムキになっている自分を感じたが、なんとなく放っておく気にはならなかった。


 そうこうしている内にも、猫は右へ左へと路地を曲がる。黒木と猫の距離は詰まることこそ無かったが、離れることも無く、追いかけっこは続いた。


 どれくらい走っただろうか、さすがに黒木の息も上がり、肺が痛くなってきた。首筋を汗が伝う。また猫が路地を曲がった。黒木が後を追うと、曲がった先は袋小路になっていて、行き止まりは黒木の背丈よりはるかに高い塀になっている。


 猫は、その高さの塀の上に軽々と飛び乗った。そして塀の上でまた確認するようにこちらを振り返る。


「みくびるな、よっ!」


 跳躍した黒木は、塀の天辺を両手で掴むと片足で塀を蹴り、身体を一気に塀の上へと持ち上げた。


 猫は民家と民家の間の塀の上をさらに奥へと走る。数メートル向こうの塀の切れ目で猫が消えた。塀から飛び降りたのだろう。黒木も続いて塀の縁を蹴る。勢いがつき過ぎていたため、空中で反対側の塀を蹴り返し、着地する。


 黒木はそこで足を止めた。黒猫が路地の真ん中でこちらをむいて座っていたからだ。


 そこは、どこにでもある様な裏路地で、振り返ると少し離れた所に商店街のアーケードが見えた。どうやらどこか商店街から一本脇に入った路地であるようだ。左右には古く大きな建物が建ち並び、木造の物が目立つ。今も映像で観る旧き時代に立ち戻ったかの様な光景がそこにはあった。


(この街にこんな所があったのか・・・)


 ぐるりと周りを見渡し、自分が今街のどの辺りにいるのか、確認しようと試みる。空には既に太陽は無く、西の方角にほんのりと赤さを残すのみで、その反対側から濃紺の空が広がり始めていた。


 黒猫は、これまでとは打って変わってゆっくりとした動きで歩き出した。黒木もなんとなく歩いてついて行く。今頃安い紙製のアルバイト情報誌は猫のヨダレでべちゃべちゃだろう。


 突如黒猫が90度右に曲がり、そこにあった建物のドアを後ろ足で立ち上がって開けてから、するりと中に入った。


 その建物は、古典的な日本家屋が続くこの通りの中で、若干趣を異にしており、薄いベージュの壁にマガボニーの木材で出来た窓やドアは、どこか北欧を思わせる。猫が入っていったドアの上には、古めかしいランタンの様な形の玄関灯がついており、そこから放たれる柔らかい光が、アンティーク調のドアを浮かび上がらせていた。


 そのドアに近付き、ノブに手をかけようとした時、ドアの脇に金属製のプレートが掛けられていることに気付いた。店の名前だろうか、そこにはアルファベッドでこう刻印されている。


   DUSK

 

「だすく?」そうつぶやきながらドアを開けると、小気味好いベルの音が響く。


「ごめんください」


 声を掛けながら中に入ると、そこは古い木の匂いとコーヒーの香りが広がっていた。どうやらここは喫茶店のようだ。


「あれ?クロキ?」


 聞き慣れた声に驚いてそちらを見ると、そこにはアサ子が立っていた。アサ子も驚いているようで大きな目をさらにまん丸くしている。


「なんだ結局来たんだ。あれ?でもアンタにここの話したっけ?まぁいいや。マスター、こいつがこの前話したクロキ。ほら手伝い探してるって言ってたじゃん。」


 言ったアサ子は黒木の格好を見てさらに驚く。


「なにアンタ埃だらけじゃん!服も破れてるし・・・何やってたのさ?」


 黒木はその言葉を聞いた時、自覚してなかった疲れがどっと押し寄せるのを感じた。思えば今日は午後から歩きっぱなしで、締めくくりにはあの騒動からの全力ダッシュである。もう身体はクタクタだった。全身から一気に力が抜け、訳も無く笑いが込み上げてくる。


 もう説明するのも、今日起きたことにいろいろ納得がいかない点があることを考えるのも、面倒くさくなってしまった。ついでに現時点で自分が抱えてる問題も。


 黒木は最後の力を振り絞り、今日何度目かになる言葉を、マスターと呼ばれた男性に向けて発した。



「すみません。面接、お願いできますか・・・?」

 




[Dance at dusk with a black cat.] END.


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