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満月の夜。日付が変わって間もない街の駅前は、既に人もまばらで営業を終了した店がシャッターを降ろす音だけが響いている。
絶望は、いつも予期せずやって来る。
今回も例に漏れず予期しないままに訪れた絶望に打ちひしがれながら、青年は立ち尽くしていた。青年は目の前で店のシャッターを閉める作業をしている男の背中をぼんやりと眺めている。男はシャッターを降ろし鍵を掛けるとゆっくりと振り返り、申し訳なさそうに言った。
「悪いね、黒木くん。これ、今日までの分。気持ち、足しといたからさ。」
セカンドバッグの中に用意していた茶封筒を、青年・黒木黄昏の右手を取り、渡す。
「はぁ…ありがとう、ございます」
黒木は虚ろな視線を茶封筒に落としながら、さらにぼんやりと返した。「じゃ、元気で」と黒木の肩をポンポンと叩き、男は足早に立ち去っていった。
黒木は男の背中を見送りながら途方に暮れていた。どこか軽い足取りでどんどん遠くなって行くその男は、黒木がアルバイトをしていた居酒屋の店主だった。
今日までは。
黒木はちょうど1年前、この街にある大学に入学したため、実家を離れこの街で一人暮らしを始めた。しかし厳格な彼の父親は、自ら家を出ることを選んだ黒木に一切の支援をしなかったのだ。結果、黒木は学生の身でありながら、生活費の全てを自分で工面しなければならなかった。
年代物の格安アパートに住み、家賃を節約してはいるものの、生活は厳しい。大学に通っている時間以外の大部分をアルバイトに費やさなければならなかった。その中で、駅前にある個人経営の居酒屋でのアルバイトは貴重な収入源だった。
あの店主は、働き始めた当初はお世辞にも高いと言えなかった時給を、かなり気前良く上げてくれた。というのも、黒木が働き始めてから店の収入が明らかに増えたからだ。黒木は、本人はあまり自覚していないが、整った顔立ちにスラリと背も高く、幼い頃から父に厳しく躾けられたその凛とした立ち居振る舞いは、つまり、女性客にウケた。
噂が広まり、黒木目当てのOLや奥様方が、今までその店に無かった客層として定着したのだ。そして黒木は無意識の内に、その相場より幾分高めの時給を大いにアテにしてしまっていた。そんな折、店主が突如「店を閉める」と言い出したのだ。なんでも、居酒屋で稼いだ資金を元手に、友人と新しい事業を起こすらしかった。「いつ」と尋ねる黒木に「明後日」という理不尽極まりない答えが返ってきた。それが2日前だ。
黒木は溜め息をつき、踵を返して歩き始める。当然、次のアルバイトは決まっていない。手渡された封筒の中をちらりと覗くと、元店主は言葉通りに、いや言葉以上に多めの給料を入れてくれていた。しばらくはこれで凌げるとしても、そう長くは保たない。
思い悩む黒木の頭に一人の人物の顔が浮かんだ。しかし、すぐに思い直す。
(いや、あいつに頼るのだけは駄目だ…)
まだ少し肌寒い風が吹く春の夜空を見上げ、黒木はまた小さく、溜め息をついた。