第01話
ずっと見ているだけだった。
それしか出来なかった。
そして、いつか彼は誰かを愛するようになる。
ずっとその事を悲しんで哀しんで……
ふと声が聞こえた。
『それと引き替えに何かを失う覚悟はありますか?』
たぶんそれは最初で最後のチャンス。
だから私は……
*---*
全ては幻だったのか?
遠い先の時間から今を振り返るとそう思うのかも知れない。
始まりはあまりに唐突だった。
『こ、ここここ……』
『こ?』
『こ、恋人として、つっ、つき合って下さいぃっ!!』
『……はい?』
突然の告白。
加えて見知らぬ女の子。それも自分から見てかなり可愛く見えた。
陸上一筋に生きてきた英二にとって初めての異性からの告白で、それはまさしく天変地異にも等しい出来事だった。
だから、
『何の冗談?』
と言ってしまった所で誰が責められようか。
その後、泣かれた上にひっぱたかれたが。
あんとき、もの凄く痛かったんだよなぁ。
思い返しながら、急な坂道を先行く彼女に声をかける。
「おーい、彩樹。俺をおいていくなー」
声に反応して彼女は振り返って、元気良く手を振る。
走り慣れてる英二でも怠く感じているのに逞しい事である。
「はーやーくぅぅ」
元気がありあまって、立ち止まったその場でピョンピョン飛び跳ねている。
見てるこっちが疲れそうだ。
仕方ない。
苦笑して英二は少しペースを上げた。
「ほらほら、もっと早く。陸上界のホープでしょ」
「俺は平地が専門なんだ」
ぼやきつつ彼女においついた英二の視界の端を何かがかすめた。
「わぁ……」
見上げて彩樹が小さく溜息をつく。
春風に巻かれて淡い色彩がちらちらとかすめていく。
それは桜の花びら。
この坂を上りきった先の丘に並び立つ桜の木々の贈り物。
「早いもんだな。あれから一年か」
悪戯な子猫のようにはしゃぎまわる彼女を見ながら呟いた。
「え? なーに?」
独り言を聞きとがめ振り返った彩樹に、地獄耳めと苦笑しながら返した。
「いや、もう少し先だったよな」
「ん?」
「あの時の場所」
一瞬、何の事か分からなかったのか彩樹はキョトンとしたが、すぐにボッと顔が真っ赤になる。
「あんときはびっくりしたなぁ。なんせ今まで生きてきて女の子から告白なんて……」
「わぁぁぁぁぁ、やめやめ」
「どうしてだ? 事実だろ?」
さっきまでの態度とうって変わって顔を伏せたままぎゅっと英二のそでにしがみつく。
「彩樹?」
「だ、だって……」
「……?」
彩樹はおずおずと顔を上げた。
顔をさらに真っ赤にさせて、半分涙目になってる。
「だって……恥ずかしい……もん」
「…………」
か、かわいすぎるっ!
思わず抱きしめたい衝動にかられたが、人気がないとはいえ一応公道だったので、理性を総動員してなんとか堪える。
「ほ、ほら。早くいこっ」
ぎくしゃくした動きで先に行こうとする。
ごまかそうとしているのがバレバレだった。
「こら、ちゃんと前見て歩けよ。転ぶぞ」
苦笑しながら、英二は小走りで追いかけていった。
*---*
はい……。分かっています、無理なお願いだって事は。
でも、これが最後のチャンスなんです。
何を捨ててもいいです。
あの人のそばにいられるならどうだっていいんです。
もう見てるだけなんて嫌。
だから、お願いです。
どうか、私を……。
*---*
「しっかし、どこで俺を見てたんだ? お前」
「え?」
英二の手にした紙コップにお茶を注ぎながら彩樹は首を傾げた。
聞き返そうとして、その前に風に流されて来た花びらがコップの中に入りそうになり慌てて振り払おうとする。
「こら、俺に当たったらどうするんだ」
苦笑しつつ英二はすぐ後ろの大木に背をあずける。
丘の上。桜の木々の中でも一際大きな大木の根本で二人は弁当を広げていた。
二人とも人混みが苦手だったのでデートとなるといつもこんな感じだ。
「ほら、あの時言っただろ?」
英二が何のことを言っているのか気付くのにしばらくかかった。
『ずっと、あなたの事。見ていました』
「覚えてたんだ……」
一年前の告白。その第一声だ。
恥ずかしいのか彩樹が俯きがちに呟く。
「そりゃ……な。その後の辺りは記憶が飛んでるけどな」
「どうして?」
「あまりの事に頭が真っ白になっちまったんだよ」
「……へぇ? その割には冗談にしか聞こえてなかったみたいだったけど」
視線が少し冷たい。
根にもってるな、と少し引く英二。
「そ、それはともかく。俺はお前の事まったく知らなかったんだぞ?」
「それは……」
「同じ学校って訳じゃないし。確か前にどっかの女子校だって言ってたよな? 心当たりがないんだけどな。大会の時とかか?」
彩樹は少し困った顔をした後、クスッと微笑んだ。
「秘密」
「ずるいなぁ。彩樹って自分の事を聞かれるとそればっかりだろ。俺の事はなんでも知ってるクセに」
「女の子は秘密が多いのっ」
べっと舌をだす。その仕草がかわいらしくてそれ以上追求する気が失せた。
英二はもたれたまま背にした桜を見上げる。
鮮やかに艶やかに人の心に震えをもたらす不思議な薄紅色。
「きれいだな……」
「え?」
「今年は特に……」
桜の花に見とれている英二になぜか彩樹は頬を染めた。
「英二の為だよ」
「え?」
桜から視線を外して恋人に目を向けると彼女は薄く微笑んで、手のひらにのった花びらに口づけた。
「毎年、ここに来てくれる英二の為に……綺麗に咲こうとしているんだよ」
「そんな訳ないだろ……あれ?」
英二はふと首を傾げた。
「毎年……ってなんでお前がそんな事知っているんだ?」
「言ったでしょ?」
風が彩樹の手のひらの花びらを空へと飛ばす。
「ずっと、見ていたって」