ヒーロー
8.
その日は、最悪の目覚めだった。単位ギリギリだった授業を寝過ごし、気が付いた時には昼過ぎ。寝ている最中も神様の言っていたことばかり考えていたように思う。
死ぬってことは、どういうことなんだろう。なんて、中学生が考えるようなベタなことも考えてみた。考えれば考えるほど、怖くなった。中学生の頃と変わらないなと思う。でも、今の俺にとってなにより怖かったのは、家族や親友との別れだった。
…恐らく、俺はフォレスターに行きたいと心の中で思っている。全部彼女の言うとおりなのだ。俺は今でも、心から英雄に憧れている。今回の騒動だって、まるでアニメのような展開だ、ワクワクする!という気持ちが心のどこかにあるのだ。 こんな浮ついた気持ちでフォレスターに行っても、多分俺には何も出来ず、直ぐにシードに心を喰われて死ぬだろう。
現在、17:00。昼に起きてからこの時間までずっと悩み続けていた。『いってどうする?どうせ死ぬだけだぞ?でも俺がやらなきゃ世界が滅ぶし。俺がやらなくても神様なら上手くやるって。家族に会えなくなるぞ?今みたいにダラダラできなくなるぞ?』
様々な声が聞こえてくる気がする。頭の中がグチャグチャだ。いっそのこと彼女は本当に頭が弱くて、昨日のことは全て虚言に過ぎなければいいとすら思う。
…でも、彼女の言っていることを俺はもう殆ど信じていた。根拠はないが、彼女の眈々とした口調の中にしっかりとした信念のようなモノを感じたのだ。彼女が本当にこの世界のことを守りたいと感じていることは、昨日の会話を通じて分かっていた。だからこそ、ゲートを潜ればこの世界に永い間帰ってこれないことに確信を持っている。そしてあのゲートの向こうには俺の知らない世界があるだろう。そこで辛く永い戦いに身を置くことになるのだ。予感ではなく、確信していた。
…prrrrr
電話だ。誰だろうか。スマートフォンに映っていた名前は、父さんのものだった。父さんとは一人暮らしを始めてから殆ど会っていない。電話も殆どしていない。母さんとの電話で少し話題になる程度だ。なのに何故このタイミングでかかってくるのだろう。そんなことを思いつつ電話を取る。
「…もしもし、ダイか?元気か?」
「うん、久しぶり。大丈夫、元気。」
久しぶりに聞く父の声はなんだか今の俺には酷く温かみのあるものに感じた。不思議なものだ。普段なら絶対こんなことは思わないのだが。
「あー…なんだその、最近話してなかったから電話してみた。迷惑だったか?」
「いや…全然。電話ありがとね」
タイミングが良すぎるくらいだよ、父さん。思えば、昔からこの人はずっとそうだった。警察官である父さんは、子どもの頃の俺と遊んでくれたことは余り多くない。授業参観にも余り参加してくれなかった。今から思えば仕事が本当に忙しく、家族の為に一生懸命だったんだろうが、当時の俺は周りの父親のように沢山遊んで欲しいと駄々をこねることもあった。そんな父さんだが、ここ一番俺が困っている時に声を掛けてくれるのだ。大学受験で俺が思い悩んでいた時や、夢破れて絶望していた時、誰よりも先に励ましてくれた。何時だって救われていたのだ。思えば、俺にヒーローに憧れる気持ちを与えた大本は父さんなのかもしれない。
俺は泣きそうになりながら、下らないことを数分話した。そしてしばらくたって、ふと思いたちこんな質問をしてみた。
「ねえ、父さん」
「なんだ」
「もしも俺が居なくなったらどうする?」
「…そりゃお前、心配して探すさ。」
父さんは恥ずかしそうに笑う。思わず俺も笑ってしまった。
「どうした?何かあったのか。」
「うん…ちょっと悩んでることあってさ」
「言ってみろ」
「詳しいことは言えないんだけど…俺の人生の中で多分、最大の決断に迫られてるみたい」
「…」
「正直俺ってさ、周りに流されて、死ぬまでパッとしないまま生きてくんだろうなって思ってた。でも最近、俺のことを必要としてくれる人が現れてくれたんだ。俺のお陰で、沢山の人が助かるって言ってた。多分、俺の周りの人、父さんや母さんや姉さんとかも助けることになると思う。」
「…。」
「でも、その人の言うとおりにすれば、俺は色んなモノを失うんだ。生活とかも一変すると思うし、今よりも何倍も苦しいことがあると思う。俺は、どうすればいいのかわかんなくなって、この一日ずっと悩んでた。俺は…」
「ダイ…」
ここでとうとう泣いてしまった。電話口とはいえ、親の前で泣くなんて何年振りだろうか。もし世界を巡ることになれば、この声だって聞けなくなるんだと思うと、悲しくなってしまったのだ。
「…お前がヒーローになりたいって言わなくなったの、いつ以来だっけな?」
「?」
父さんは優しい声音で語り出した。
「お前が生まれて、俺はそりゃあもう嬉しかったんだ。なんせ女姉妹2人だったから、父さんと一緒に風呂入りたくないー!とか純と真理がいいだした時にはショックでなあ。家に居場所が無いなんて同僚に愚痴ってたよ。ここだけの話、お前が生まれるまで家族と居るのが辛い部分も少しあった。」
「そんなある日お前が生まれて来てくれて、本当に嬉しかったんだ。夢だった息子との遊びも…まあ仕事が忙しかったから余り構ってやれなかったが、出来たしな。何より、ガキの頃好きだったヒーローごっこをお前と一緒にやったのは楽しかったなあ。覚えてるか?俺が悪役になって純と真理を攫って、お前がヒーローになって2人を助けて。お前が笑顔で姉ちゃん達は俺が守る!って言った時、なんか泣けてな。ヒーローになりたいっていうお前が眩しく見えたんだ。ヒーローごっこはお前が小学生の5年になる頃にやらなくなって、少し寂しい気分になったなぁ。」
「そんなお前が人助けを、それも沢山の人達を助けられることを求められている。親としては、どんなことすんのかは気になるが…。ダイ、ガキの頃を思い出して突っ走ってみろ。これはきっと、いい機会だ。」
話し終えて、父さんも電話口で涙ぐんでいることに気が付いた。昔のことを思い出しているだけではないのかもしれない。勘のいい人だ、もしかしたら俺がいなくなるかもしれないことに薄々気が付いているのだろう。
「…ありがとう。父さん。俺、決めたよ。本当にありがとう…本当に…」
「…いいんだ。じゃあ、元気でな。」
電話はあっさり切れた。けど、俺は何分も切れた電話の音を聞きながら泣いた。
それから暫くして、俺の悩みは嘘のように吹き飛んでいることに気が付いた。