19-3 三人遊び
「これ、あなたの字ですね」
夕霧は正座して、青い表紙の巻物を置いた。
「これ…」
朱雀が、つと止まる。
「まだ、あったんだね…」
聞きとれぬほど淡い声だった。
「俺の部屋、母のをそのまま使ってるんです。残ってた道具の奥
の奥に、ありました」
「そう…」
昔かわした文だった
巻物風の往復書簡。
「知ってたんですね、母が妊娠してたこと」
「うん」
「それに戸惑ってたことも」
「はじめて、だったからね」
「そういうことじゃない」
夕霧は言葉を切ると、きつい眼で朱雀を見た。
「あなたが救い出せば母は助かったんじゃないかってこと、言ってる
んです」
「…」
朱雀は何も答えなかった
やさしい瞳で夕霧を見る。
「あなたが父だったらいいのにと、ずっと思ってました。俺は春宮にな
れたかもしれないし。何より母のために、そのほうがいいと思ってた」
夕霧のトーンは低かった
本音を話す瞳。
「なぜ奪わなかったんです?父と母が不仲なの、知ってたんでしょう?
それなのに遠くから傍観するだけで、助けもせずに。そんなに父が怖
いんですか。意気地なし。帝だったんでしょう?」
朱雀は黙ってきいていた
葵の顔を思い出す
よく似ていた
高貴で、美しい人。
「仇をとらせてもらいます」
「はい」
朱雀はうなずくと、美しい懐剣を取り出した。
そっと夕霧の前に置く。
夕霧のためにとっておいた刀だった
少年が振るには手ごろに見えた。
「あなたにそう言っていただける日を、ずっと待っておりました。
こんなにご立派になられて。俺は、うれしいです」
朱雀は笑って、そっと眼を閉じた。
少し下を向く。
目がうるんで泣きそうに思った
葵に会いたくて会いたくて、仕方なかった。
夕霧は刀をとると、鞘を払って中身を確かめた。
鋭い。これなら一突きにいけそうだ。
あるいはこの手でも
朱雀の首は細いから、彼でも十分絞め殺せそうに思えた。
かちんと刀を戻して
夕霧は身じろぎもせず、朱雀と対峙している。
「どうした?ものものしいな」
しずかに御簾をあげて、入ってきたのは光だった。
「どうしたの兄貴。うちの子何かした?」
「ううん、今…お叱りを受けてたとこ」
そう言って、朱雀は淡く笑った。
そのやわらかな微笑に、夕霧がぐっとつまる。
「仇討ちなら俺にしろよ。葵は俺の女なんだから」
光は笑って夕霧を見た。
「気安く呼ぶな。愛してもなかったくせに」
夕霧が強い目でにらむ。
「愛してたさ。何度も抱いた。だからお前ができたんだろ?」
その冷笑に悪寒すら覚えた。
ぐっと拳を握る。
「これは頂いていきます」
刀と巻物を取ると、黙って行ってしまった。
あんな奴、見たくもない。
同じ空気も吸いたくないといった調子で、どたどた帰る。
「よかったの?光」
「兄貴こそ。危うく斬られるところだったぜ。うちの子を犯罪者にしな
いでくれよ、まだ若いんだから」
「ごめんなさい」
謝罪しながら、斬られてもいいと朱雀は思っていた。
彼に殺してもらえれば、葵さんの所へ行けそうな気がする。
そんなことを思って、あまりに自分勝手すぎるなと反省していた。
「相変わらずマザコンだな、俺に似て。これだから母のない子は」
光はつぶやきながら、夕霧の後姿を見送った。
ぷんぷん怒って帰ってくのが、少年らしくて可愛い。
見守りながら、つい微笑する。
「夕霧くんのためなんでしょう?厳しくするのも。その…思わぬ苦難
に耐えられるように」
朱雀は申し訳なさそうに言った。
「そうそう、俺みたいに宮中でなよなよ育てられた奴がいきなり須磨
の荒波にもまれるとさ、つらいから。あいつにはもうすこし、つよいこ
に育ってほしいわけよ」
光はわざと、にやりと笑う。
「まあ、学問なんてたいして役にも立たないけどね。帝のおぼえめで
たくするのに、何もないよりましだろ」
そう言って肩をすくめた。
やっぱり息子のこと、誰より大切に思ってるんだ。
朱雀は、こういう単純なことにも感動を覚えてしまう。
「夕霧くんもきっとわかってるよ、光のきもち」
「さあ、どうかな?あいつ単純だから」
光は苦笑すると
「ああして煽っときゃいいんだよ、その方が励むから。あいつ、俺を倒
すとか言ってるんでしょ?馬鹿だねえ、政務を譲った男に何で勝負す
るんだか。まああの馬鹿さ加減、嫌いじゃないけど。男なら、あのくら
い熱くないとね」
面白くないといって、ほほえむ。
「おや少年、もうお帰り?」
いらいらする夕霧に女が声をかけた。
「なに、またパパとけんか?」
「うるさいな」
すこし怒る。
「いいね、あんな格好いい人がパパで」
「さっさと抱かれにいったらどうです?あの人ならどんなおばさんでも
抱きますよ、見境ないから」
「おばさんとは酷いなあ」
「だっておばさんでしょ。朱雀さんの叔母なんだから」
「それを言うかね」
朧月夜は、少年の額をつんとはじくと
「まだまだお子様だなあ。仕方ない、きれいなお姉さんが少し世の中っ
てもんを教えてあげようか?」
にやっと笑って言った。
「いいです。間に合ってます」
夕霧はつんとすまして、とことこ歩いていく。
若いなあ
朧月夜はくすくす笑った。
パパか。あの人まだここにいるかな?
すこし、胸が締めつけられる。
「私だけ仲間はずれ?呼んでくださいよ」
きゅっと背中に抱きつくから
朱雀はびっくりして心臓が止まりそうになった。
「あっ…ごめん」
やっと、苦笑する。
「元気そうだね」
「おかげさまで」
光と朧月夜は目を見合わせて、嵐の夜からの歳月を思った。
俺、どう見ても邪魔っぽいなあ。
朱雀がすこし小さくなる。
「まだ兄貴に寄生してるの」
「寄生とは失礼な。れっきとした妾ですよ」
「はは…れっきとした、はよかったな」
光が笑うと、こぼれるような愛嬌があった。
「さすが、帝も落す傾国の美女。その美貌は健在だね」
「あら、私のせいなんですの?あなたが脅したとばかり思ってましたわ」
「たしかに。なら俺たちふたりの責任だね」
ふたり、何気なく朱雀を見る。
「朱雀さま。ご自身でなさったことは譲位だけって仰ったそうですね」
「はい、まあ」
「ひどいなあ。私にあんないろんなことをしておいて」
「おや、そんなにいろんなことをしたの?」
「いえ、あの…」
朱雀は間に挟まれ、非常に困る。
「俺、ちょっと用事が」
そう言って立とうとするのを、ふたりが同時に止めた。
「なに?逃げなくてもいいじゃん」
「そうですよ。そんな照れなくても」
にやにやされて、朱雀は赤面した。
「やさしいキスの仕方とか、いろいろ教えてあげたじゃないですか」
「おや、そんなのあるの?俺にも教えてよ」
「だめですよ。朱雀さま専用なんですから」
朧月夜が可愛く笑う。
「珍しく三人そろったんだし、一緒に遊びません?」
「いいね」
「何しましょう?」
「君が好きなことでいいよ」
「ごめん…俺」
彼女が回す手をなんとか避けて
朱雀はそそくさ部屋を出てきてしまった。
ああ、どきどきした
まだめまいがする。
彼女とふたりの時よりずっとどきどきするというのは
どういうことだろう?
やっぱり、美男美女を前に緊張したのだろうか。
朱雀は自分の部屋に帰ると、ごろんと寝転がった。
お似合い、だよなあ
夫婦にしてあげられなかったのが自分のせいみたいに思えて
朱雀は深く嘆息した。
今ならまだ、間に合うんじゃないかな。
ふたりを残してきてしまったけど。
彼女はどうしたいんだろう
悩みながら目をつぶると、じき眠くなった。
ふたりのことは流れに任せて、とりあえず眠る。




