17-4 その名で呼ばないで
秋の司召で、光が太政大臣になる旨を話すとき
冷泉帝は光へ、譲位のこともお漏らしになった。
おいおい、これまたどこかで聞いた台詞だな
光は驚くより先に苦笑すると
「失礼ですが、兄に相談されました?そのこと」
思わずたずねてしまった。
「いえ、申し訳ない。譲位とか、兄からも聞いたことのある話だった
ので、少し驚いてしまって。思わず譲りたくなるくらい、帝というのは
大変なお仕事なんですね」
そう言って苦笑する。
「ありがたい仰せではございますが、俺は先帝の時もやはりお断り
しておりますので。俺を臣下に、というのが父の意思ですから。俺
は死ぬまでそれを守りたく存じます」
「せめて、親王にでもなりませんか?」
「そうですね…俺が政治家でなくなってしまうと、あなたをご後見す
る者がいなくなってしまいますし。権中さんが大納言になられました
が、あの人がもう一段上がってくれれば、俺も楽に隠居できそうな
んですけど」
そう言って、笑ってすませてしまう。
冷泉帝はがっかりした。
どうしよう、この気持を行動で示すことは、もう無理なのだろうか。
父上父上って、何度も呼びたく思った
亡くなられた院より、この方のほうがずっと父に近い気がした
懐かしくて、慕わしくて。
ずっと影で私を見ていてくださったのですか。
その微笑に、胸が痛む。
「母が私を、時々とても悲しそうな目で見ることがありました。私に
見せないよう、そっとため息をつくのですが。そのことのために、私
が即位した後も、昼夜いとまなく祈っておられるようでした。その無
理がたたって、お体を壊されたようにも思われます」
光は冷泉を見つめ、黙ってきいた
彼もこちらを見る。
「私にはそれが歯がゆくてなりませんでした。思うことはすべて、おっ
しゃっていただきたかった。私たちは母子です。どのような罪も、とも
に負えると私は思っていた。私のような者でも、母を守る力になれれ
ばと」
ああ、男なんだなと光は思った
俺と同じようなことを、この子も思ってくれている。
そうだよな、秘密は寂しいよな
男として認められてない気がして
いつまでも子ども扱いされてるようで、俺も嫌だった。
光がうなずいてきく。
「今からでも遅くないのなら、もし許されるのであれば、私も仲間に加
えてはいただけませんか?私もともに祈りたい。できることは償いた
い。自分だけ助かればいいなどと、私は思いません。罪だというのな
ら、私もともに負います。同じ場所へ行く。一緒に祈ってはいけません
か?母のことを、あなたと」
父上、というのをこらえるのがやっとだった。
目がうるむ。
綺麗な瞳だと光は思った
俺なんかとは似ても似つかないよ
彼女の腹を通って、この子はこんなに尊く、美しくできている。
光の視界がにじんだ
そっと微笑む。
「父上…」
冷泉は、思わず声に出しそうになった。
光は手を伸ばして、そっと制した。
「その名では呼ばないで。彼女が悲しむから」
その声が、顔が、まごうことなき父そのもので
冷泉帝は思わず泣き崩れた。
声を抑えよう、抑えようとするほど
涙があふれる。
「ごめんなさい。今まで、気がつかずに…」
「謝るのはこちらのほうだよ。隠していて、すまなかった」
光はそっと抱きとめた
未熟な肩が小刻みに震えて
まだ子どもなんだ
大人びて見える人ほど中身は幼いということを、光は知っている。
懸命に抱きしめながら
ずっとこうしていたいと思った
この子を失いたくない
ずっと一緒にいたい
ごめんな藤壺さん
君との約束を破るけど
俺しあわせだわ。
光は初めて父を知ったように思った。
父って、あたたかいんだ…
光の目にも光るものがあふれた
帝が落ち着かれるまで
父は子の背をそっと撫でていた。




