14-1 死んでいく影
十四.関屋
「あいなのさかしらや」などぞ、はべるめる。*
「そう、出家しちゃったんだ…残念だね。俺もお誘いしたのに」
光は微笑した。
「彼女は逃げるのうまいから。最後まで逃げられたわけだね」
「急なことで、皆戸惑っております。一時の感情に流され、利口
ぶったまねをして、これから老い先も長いのに、どう暮らしていく
つもりだろうと」
衛門の佐は、嘆息して申し上げた。
昔たばかれ責めにあっていた小さな弟も
今は立派な若者になっている。
「それにしても、よく姉のことを覚えていてくださいましたね。あん
な失礼なことをした姉ですのに」
「あんなことをされたから、忘れられなかったんだよ。それに」
光はぱちりと片目をつぶると
「俺、けっこう根にもつタイプだからさ」
そう言って笑った。
衛門の佐は、それにぴりりと凍りついた。
「その節は本当に申し訳ございませんでした。須磨にお供もしませ
んで…」
「いや、来なくてよかったよあんなとこ。すごい雨風でさ、雷も鳴るし、
この世の果てかと思ったもの」
光は深くは言わず、気にせぬそぶりで微笑む。
「尼になってしまわれたのですね。
どうです、男を捨てて仏にすがる気分は。
あなたの仏は、男よりやさしいですか」
光は空蝉に消息を送った。
なつかしさと哀れさと、それからひとつ、きいてみたいことがある。
「世を離れたすがすがしい気分、とまでは申せませんね。やはり、
動機が不純だからでしょうか。でも、もう狙われなくてすむ、これ以
上恥をかかずにすむという安心感はあります」
空蝉はすなおに答えた。
小柄だった女の背が、ふと思い浮かぶ。
「それだけ男が凶暴で手に負えないということですね。
わがままで自分勝手で、抑制のきかない獣じみている
女を捕えることしか考えていない」
書きながら、これは俺だなと光は苦笑した。
喰い喰われ朽ちていく、憐れな獣か。
「女がもし男と対等で、むげに襲われることもない、無理な結婚もい
らない、自分で自由に食べていけるとしたら、あなたはどうしますか」
空蝉は考えた。
そんな世界、あるのかしら。
「そのような世が訪れることなど、想像もできませんけれど…もし
そうであるなら、あなたから逃げるとき、その頬をひっぱたいてやり
ましたわ。ほら動物だって、雌が雄に噛みついたりすること、あるで
しょう?でも、それでも好きなら追いかけます。追いかけて会いにい
って、古亭主など捨てますわ。女が自由なら、恋も自由ですもの」
その文に、光は胸をうたれた。
女が自由なら、恋も自由、か…
男を守るための制度が男たちを縛って、女たちも苦しめてる気がした。
もしその身が、心のままに自由だったとしたら。
あなたは俺を追いかけてくれましたか?藤壺さん。
やっぱり女手ひとつで息子を育ててしまうのだろうか
俺など必要とせずに。
ふたりは幸せそうだった
帝と母后になって
苦労してやっと手に入れた安息なのだった
そのしあわせのために
自分は一生名乗りできず死んでいく影なのだということを
光は思った。




