3-1 たばかれ責め
三.空蝉
さりぬべき折をもみて、対面すべくたばかれ*―
小さな子に言うことがこれだった。
それほど人妻の女を、光が気にかけたということらしい。
人妻をなびかせられれば。
これから先の恋も、成就しそうな気がする。
まあ彼女にとっては、迷惑な運だめしだろうけど。
小さな弟をせかしては、たばかれたばかれとうるさくせっつく。
弟は、光には責められるし姉には怒られるしで
可哀想に板ばさみになっていたが
それでも姉が碁をうっていた日、子供ながらに手引した。
皆が眠るまで待って、そっと光を入れる。
空蝉は寝入っていなかったので、いち早く光の気配に気づいた。
香ばしすぎるほど甘い香が、匂い満ちる。
単衣うちかけたる几帳のすき間に、暗けれど、うちみじろき寄る
けはひ、いとしるし。*
男が近寄ってくる音がした。こっちに、くる。
なんということ…!
空蝉は絶句した。
私を追ってきたの?なんという執念。
ともかくも思ひわかれず、やをら起き出でて、生絹なる単衣ひとつ
を着て、すべり出でにけり。*
怖くて、思わず逃げ出した
後に義理の娘が残るが、起こすひまもない。
光はまんまとはかられて、今さら人違いとも言えない
まあいいかと健康そうな娘を抱いた。
かく、執念き人は、ありがたき物を*―
自分のことを棚にあげ、光は悔しく思った。
恋の勝負に負けたようで
逃げた女を、憎くもいとしくも思う。
「で、結局逃がしたんだ」
「うん」
「ふーん」
蛍はにやにや笑うと
「伊勢をの海士のしほなれてや*―
俺もさわっとこうかな、その汗ばんだ小袿を。縁起物のかわりに」
例の脱け殻にひょいと手をのばした。
「何の縁起をかつぐんだよ」
光がさわらせまいと衣を引く。
「ひとりの女が狼から逃れたお祝いだよ」
「まだあきらめちゃいないさ」
でも懲りてるけどという顔で、光はつんとそっぽを向いた。
「ちょっと油断したら逃げられただけだよ。次は逃さない」
「偶然目当ての一本釣りじゃ、効率悪いと思うけどね」
「そういうお前は何なんだよ。歌会でもしてんのか」
「そんなめんどくさいことしないけど。楽の催しとかあるでしょ、その
とき名刺代りに歌を配っとくんだよ。その返答で当たりをつけていく」
「そんなところに顔だすの、はすっぱな女房だけだろ」
「女房なくして主なしだろ。女房を見れば、主の器量もだいたいわ
かるんだよ」
「適当なこと言って。遊び相手がほしいだけのくせに」
「まあ、それもある」
うんとうなずくので、仕方ない奴だなと光は苦笑した。
「それでも、深窓の姫君なんかつかまらないだろ」
「それはまた別の方法で。定置網とか底引き網とか、いろいろ漁法は
あるんだよ。深海から引き上げた人ほど地上では弱いしな。脂がのっ
て、美味いという」
「露骨だな」
「青春は短いんだよ?楽しまなきゃ損だろ」
言うわりにあどけない顔で笑うので、憎めない奴だと思った。
「お前のほうがよっぽど海士だよ」
蛍をこづいて、光も思わず苦笑する。




