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朱雀と弟  作者:
第二部  地獄へもとぶらひゆかん君が闇てらすばかりの光となりて
36/175

10-1 開かれた僻地

十.須磨

光は須磨に行くことにした。

追放というより逃走で

静養というより避難に近い。

女官に手をだすのは、そんないけないことかな?

お后さまでもあるまいし、帝だけのものでもないだろうに。

それが太后の実家、そのおそば近くで露見したことが

彼女を激昂させる結果となったらしい。

光二十六歳なので、もうだいぶ大人だった。

藤壺には逃げられるし、世の憂さは身にしみている。

蛍と三位中将が、お別れの挨拶に来てくれた。

太后を恐れて皆避けるのにねえ

さすが男気あるふたり。

そこへ小さな車が入ってきて、中から僧に身をやつした男がひとり

顔を隠しながら、上品な物腰で歩いてくる。


「ふん!」

朱雀を見ると、中将は思わず息巻いた。

酒が入ってひどい剣幕

じろりと朱雀をにらみすえると

「今頃のおでましですか」

あいさつもせず言い放つ。

「すー兄、どうぞ」

蛍は気をきかせて、光の向かい側に手招きした。

中将はそれも気に入らぬのか、杯を干して席を立った。

「俺はおいとまするぜ。こんなとこにいられるか、胸糞悪い」

「おい」

その肩をつかみ、蛍が睨んだ。

「帝の御前だぞ、口を慎め」

「帝?」

中将は鼻で笑うと

「弟ひとり守れなくて何が帝だ。笑わせるぜ」

軽蔑しきったまなざしで朱雀の横を過ぎた。

朱雀は身じろぎひとつせず、その侮蔑を受けていた。


「悪いね、急に呼んだりして」

「ううん」

光は笑って着座をすすめた。

朱雀がそっと座る。

「次々子が生まれるのになかなか加階しないもんだから、少し苛立っ

てるんだよ、あの人。あまり咎めないでやって」

「いいんだよ、本当のことだもの」

朱雀は苦笑して言った。

この人も年をとって落ち着いてきたようだった

もうひとりで思いつめたりしない

葵が死んで、四年が経とうとしている。

「行って、しまうんだね」

「ああ。ここにいてもいいことなさそうだし。海に洗われて厄払いでも

してくるよ」

「でも危ないんでしょう?波が近いし、人も少ないって」

朱雀は不安そうに言った。

「人里離れてサーファー気分なんだよ、こいつは。どうせなら、もうす

こし日焼けして健康的になるといい」

蛍は冷やかし半分に励ました。

たしかに今のままでは、光の頬はあまりにもこけている。


「かならず呼び戻すから。どうかしばらく、耐えてください」

朱雀は深く頭を垂れた。

長い髪が床につく。

もう、どうしよう、ごめんなさいと泣き惑うことはなかった

手を尽して止められなかったのだ。己の責任である。

すべて受け入れ、飲み込む覚悟だった。

「兄貴は親孝行するってわけだね」

光はすこし笑うと

「俺より親を選んだわけだ」

冷たい調子で言い放った。

「須磨の浦で俺が死んでしまったら、どう責任とるつもりなの?兄貴

じゃ俺の代りはつとまらないよね、政治的にも人間的にも」

「おい」

蛍が眉を寄せて叱った。

「言いすぎだぞ」

「わってるよ」

光がにっと笑う。

「たまには言ってやりたくなってさ。あまりいい人だから」

手を取って、朱雀に顔を上げてもらった。

目を見て、うちとけて笑う。


「やっかいなご母堂だけど、本当に重いのは右大臣なんだろ?帝を

孫に持つといえば、国を手に入れたも同然だ」

「うん」

朱雀もうなずいた。

そこを突き崩せないかと試みたのだけど、さすが巨大な政治官僚機

構、彼ひとりではまったくらちがあかない。

「兄貴を前に悪いけど、俺は右大臣の死に待ちをするつもりだから。

あの人が位を去れば、この体制は崩れる」

「おおこわ。これだから政治家は」

蛍はおっかなそうに首をちぢめた。

「ご老体の安息を願ってんだろ。若輩の敬老心だよ」

光がにやりと笑う。

「とにかく、あと数年待てば事態も変ると思うんだ。春宮さまも大きく

なるし」

光は朱雀に向き直ると、真顔で言った。

「春宮さまが無事元服なさって政事を行えるようになるまで、兄貴に

はそばで見守っていてもらいたいんだ。俺は会いたくても会いに行

けないから。それだけは、頼むよ」

「はい、命にかえても」

朱雀は慎んでうなずいた。

君臣入れ替わった感がある。

「春宮さまのご即位には、かならず光の力が必要だから。そのとき

までどうか、無事でいてね」

「ああ。まあ同じ日ノ本だ、地獄に行くわけじゃなし、すぐ死ぬことも

ないだろう」

光は軽く笑ったが、朱雀は深刻な顔で聞いていた。

須磨の浦…

いったいどんな所なんだろう。

京を出たことのない朱雀には、噂話から想像するより他にない。

「この機に泳ぎでも覚えたら」

「この歳で?今さらすぎるよ」

「泳ぎもできずに海の歌をよむなんて、ダサすぎだぜ」

蛍は運動神経抜群なので、泳ぎもうまかった。

嫌がる光を尻目に、ふふんと笑う。

「どんなことがあっても必ず呼び戻すね、なるべく近いうちに」

「ああ、そう願いたいね」

光は軽くため息をつくと

「戻ったらうんと仕返ししなくちゃな。俺と、俺の女たちを泣かせた

ぶん。この報いは重いぜ」

朱雀ににやりと笑った。

「わかってる。すべて受けます」

朱雀も笑ってうなずいた。

自分にできるのは責任を取ることだけらしいと彼も気づいていた

いざとなったら、首を差し出す。

「俺みたいな人気者を追放したら、さぞかし悪評が立つだろうな」

「うん」

「女によりもてなくなって、彼女にも嫌われるかもしれないぜ」

「うん…」

朱雀は泣きそうだった。

光に行ってほしくない

全身でそう言っている。

「ここまで来たんだから、すごいどんでん返しが起こって、出発寸前

で俺行かなくてよくなった、とかないの」

「うん…俺でいいなら喜んで行くんだけどね、光の代りに」

「えっ、じゃ俺が帝のふりするわけ?」

光は少し考えたが

「いい、やっぱ須磨行くわ。須磨の方がましそう」

そういって苦笑した。

縛られた玉座より、開かれた僻地の方がまだましだと判断したらしい。

「元気でいてね、出家も病死もしないで。俺が仕返しすんだから。

兄貴への報復を支えに、漂流生活を生きぬいていこうと思うからさ」

光は捨て台詞を吐いた。すこし笑って。

「うん、待ってる」

朱雀も泣きそうに笑った。

もう一度、かならずここで会おう。

蛍も笑って、三人再会を誓う。

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