9-6 …出家?
ながらふる程は憂けれど行きめぐり今日はその世に逢ふ心地して*
追悼の歌だった
雪が、ふる
彼女は父と暮らしてたほうがしあわせだったのかな
俺なんかに言い寄られることもなく
出会わなければよかったと思ってるんだろうか
俺は、そうは思わないよ
どんなにつらいことがあったって
ふたりならやっていける
いや、ひとりでも
君を守って幸せにすると思ってた
思ってたよ
…出家?
意味がわからなかった
光が、つと止まる
朱雀も蛍も思わず光を見た
光はまだ、ぼんやり前を見ている。
「いかやうに思し立たせ給ひて、かう、にはかには」*
「今はじめて、思ひ給ふる事にもあらぬを。物騒がしきやうなりつれば、
心乱れぬべく」*
雪が白かった
目に痛いほどの白で
死んだも同然だった
出家すればもう、想いを伝えることも
抱きしめることも、できない。
「やられた、逃げられたよ。まんまと先こされた」
光は笑っていた。
白い酒をぐいと飲む。
蛍がおいていった酒だった
俺はいない方がいいだろうからって。
「しかし何だろうね、二十九歳の師走に出家ってのは。三十前の女子
が結婚急ぎたくなるのと同じ心理かね」
「かもしれないね」
朱雀もすこし笑った。
光とそろいの杯で、酒を酌みかわす。
「兄貴の言ったとおりになったね、結局。俺は彼女を傷つけて、泣か
せただけだった」
「そんなこと、ないよ…」
「子はかすがいって聞いてたのにな。俺の場合は違うらしい」
光は飲む手を止めると、じっと庭を見つめた。
だいぶ酔いがまわったのか、目がとろんとしている。
朱雀はそっと立ち上がると、光と背中合わせに座った。
光はめったに涙を見せない
だから位置をずらした
見られないけど、そばにいられるように。
「すき、だったんだ。本当に、すきだった」
「うん」
光はぼんやりつぶやいた
雪あかりが目にしみる。
「守るって言ってるのにさ、ぜんぜん信用なくて。まあ当然だよな、
俺から無理やり始めたような関係だったし」
光はうつむいた。背がまるくなる。
まるめた背が朱雀の背にふれた。
そっと、あたたかい。
「すべて失ったんだと思ったよ。美しい母も、愛しい恋人も。俺には
母などいなかった、とっくの昔に死んでたんだってこと、やっと思い
出した」
すこし笑って、光は泣いていた
床に涙が落ちる。
朱雀は動かなかった
座した背で、ふるえる光を支えた。
「皮肉だったよ。彼女を手に入れたいと思ってしたことが、できた
子が、逆に彼女を奪っていくなんて…」
彼女はたしかに死んだんだと思った
今生きてる藤壺は春宮の母であって、俺の愛した女性ではない。
うう…うう…
光はしゃくりあげた
ううー ううー
うめきながら泣く。
朱雀は黙ってきいていた
ふだん飲まない男だが、飲むと人よりつよくて
光に付き合って飲んでも最後まで介抱できた。
すうー すうー
いつの間にか、うめきが小さな寝息に変わって
光は眠ったようだった。
朱雀がそっと背をずらし、光を仰向けに寝かせてやる。
いかにも泣きつかれたという顔をして寝てるので、涙のあとをそっ
と拭いた。
明日からはまた、何食わぬ顔をして生きていかなきゃならないん
だろう。
つらすぎると思った
家族、友人、誰にも言えない
共有できない悲しみ。
さっきから惟光さんが迎えにきていたようで、静かに待ってくれて
いた。
その人に光を頼んで、負われていく背を見守る。
あまり、無理しちゃだめだよ。
そっとつぶやいて、見えなくなるまで見送った。
美しい顔が雪あかりに照らされて
死より悲しい別れもあるのだと、朱雀は初めて知った。




