9-1 微笑んで毒を
九.賢木
神無月、父の病は重くて、朱雀は見舞いに行った。
父はまず春宮のこと、それから光のことをこまかく遺言する。
「私が死んでも、今までと変らず光を頼りなさい。若いが、政事を行うの
に支障ない人だと私は思う。かならず世の中を治める相のある人だよ。
だから親王にもせず、臣下として、帝の補佐をさせようと思ったのだ」
その心、違へさせ給ふな*―
「はい」
朱雀は真摯にきいていた。
父上は、いよいよ亡くなってしまわれるのだろうか。
純粋な悲しみと心細さに、秘密を抱えた苦しさで、朱雀の胸は揺れた。
「俺はもう覚悟してるから」
光はさっぱりしていた。
若い奥さんをもらったあたりから、光は刃になってきている。
「何を言われても動じない。ただふたりを守ろうと思う」
「うん」
朱雀もうなずいて光を見た。
ガラスのように硬く澄んだ決心が、いつか割れる氷のようで
切なく、危うく思った。
「御門は、いと若うおはします*って、俺より三つも年上じゃねえか」
「わかってないねえお前は。すー兄は心が純粋だから若いって言われ
るんだよ。お前なんて百戦錬磨で、心はすでに老将だろ」
蛍はにやにや笑って光をこづいた。
これでも多少励ましている。
「これからは右大臣の思うままになるってことか」
「仕方ないよ、彼らから見れば、もう十年以上左大臣の思うままにされ
てるわけだから。たまには政権交代しないと、権力が偏って、不満が
たまる」
それは太后を暗示してるんだな、と光は察した。
「で、政治部キャップとしてはどうしたらいいと思うんだよ」
「そうだな、まあ…冷泉さんの御世まで待つしかないな」
「ええ…」
光はしゅんとしおれた。
だってまだ六つだよ?
あと何年待てばいいんだよ。
「それか、すー兄を暗殺して幼帝を立て、お前が摂政する、とかね」
「そんな」
蛍の言に、光は口をつぐんだ。
それは…できない。
さすがにそれはむごすぎる。
「やらないの?昔からよくあることだよ。すー兄もそれを望んでるかも
しれないし」
「どういうことだよ」
蛍は笑うと、遠くを眺めた。
「すー兄悩んでるよ、すごく。お前のこともだけど、中宮様と春宮様の
ことをさ。お前のお母さんの時みたいに、太后さんが迫害するんじゃな
いかって、そういうことが起こるくらいなら自分は去りたいって顔してた」
「去りたいって、譲位か」
「というより、この世をだよ」
「え?」
何か深く思いつめているわけではなかった。
ただ何となく物憂い、寂しい、はかないといったぼんやり顔で
朱雀は微笑している。
「考えすぎじゃないのか」
「ならいいけどね。葵さん亡くなっただろ、あれからずっとテンション低い」
「おとなしいのはいつものことだろ、何も自殺だなんて」
「そのくらい深刻なんだよ、状況が。右大臣・太后組にお前は勝てんの
か?すー兄に頑張らせるってことは、祖父や母を敵にまわさせるってこ
となんだぜ。お前は血縁少ないからピンとこないかもしれないが、そうい
う裏切りは、世間的にも人間的にもきついんだよ」
たしかにそういう裏切りを俺もしてきたと思って、光はおし黙った。
「微笑んで毒飲みそうな覚悟だよ、すー兄は。とにかくすこし危険だから、
お前も気をつけて見ててやって。人は短所よりむしろその長所によって
死亡する。前にも言ったが、すー兄のやさしさは致命的だから」
蛍は静かに忠告すると、酒を飲んで帰っていった。
お互い喪服だが、正月の客である。
寂しい正月だった。
右大臣にばかりなびいて、客はほとんどこなかった。
「俺も死ぬかもしれないぞ!ほっといたら」
帰り際、光が声を張り上げた。
歩く蛍がふり向く。
「ばーか、お前なんて世界の終りまで生きてそうじゃねえか。落ちこん
でんじゃねえよ。嫁さんとよろしくやってろ」
笑ってばいばいするので、光も笑って手を振った。




