6-9 冒険小説
「男は乗っていた舟が難破して、浜にうち上げられておりました。
このままでは死んでしまいます。
姫君は海の王様にお願いしました。どうかあの方をお助けくださいと。
ですが王様は、悲しそうにおっしゃいました。
「あの者ひとりを助けることはできない。命に特別はないのだよ。
だが、どうしても助けたいと言うなら、お前を陸へあげてやろう。
そこで看病してやりなさい。
そのかわり、一度陸へあがると、もう海へは戻れない。
彼らのように海で溺れる体になってしまうが、それでもよいか」
「はい、よろしゅうございます。ありがとうございます、王さま」
姫君はよろこんで陸にあがりました。
そして、うちあげられたいとしい人を、一生懸命看病しました」
「姫君は好きだったんですね、その人のことが。故郷も捨てるほどに」
「そうですね、恋の力に支えられ、どんな困難も乗り越えられたようです。
男はやがて快復し、姫君に礼をしたいと言いました。
彼は地上の国の王子だったのです。
姫君はうれしいけれど、思わず逃げようとしました。
男にじっと見られるのが恥ずかしくて。
でも男は姫君を離しませんでした。
迎えの舟に乗せて、自分の国へ連れ帰りました」
朱雀は筆をとめた。
ずいぶん好色な王子になってるなあ…
俺にアレンジさせると、どうもいけないらしい。
苦笑しつつ先へすすむ。
「王子の国では、彼の帰りを皆が喜びました。
彼は長い間行方不明で、亡くなったのではないかと思われていたのです。
王子は姫君をきれいな邸に迎え、召使をつけました。
たまに会いにきますが、一緒には住みません。
実は王子には、先に結婚していた姫がいたのです。
この方は若く美しく、とてもやさしい方でした。
だから王子も大好きで、生還した喜びをまず彼女に話して聞かせました。
「この子が僕を助けてくれたんだ、とてもやさしい子でね。
くにがないというから可哀想で連れてきた。世話をしてもいいかな」
「あなたの命の恩人なら、それは歓待しなくてはなりませんわ。
明日にも宴を開きましょう」
海の姫君は、困って顔を赤くしました。
お姫様はとてもお美しく、若いのに品があります。
自分のことを大切にしてくださるのもひとしおでした。
ですが、海の姫君にはそれがだんだんつらく、苦しくなってきました。
王子と姫の幸せそうな姿に、姫君は人知れず涙がこぼれました」
ああ、これは私ではないかしら、という気が葵にはした。
海の姫君の恋は、きっと成就しない。
そんな気がする。
「姫君は、このつらさを誰かに訴えたいと思いました。
でも見知らぬ国で、知り合いがいません。
王子様が唯一の頼れる人ですが、まさか王子様にこのつらさも言えず
黙って笑っているしかありませんでした。
不足があるような顔は見せられないと思いました」
朱雀も結末に悩んだ。
姫君を、海の泡にしたくない気がする。
「姫君は、寂しくなると海岸に行きました。
澄んだ海の底がはっきり見えます。
ときおり知った顔が現れて、彼女を心配そうに見つめました。
海の国の人は皆、彼女のことを気にかけていたのです。
姫君はそれを見るとたまらなくなりました。
今すぐ飛びこんで皆に会いたい。でもそれでは死んでしまいます。
彼女はもう、海に暮らせないのです。
姫君はお別れをしようと思いました。
王子様に最後、ひと目だけ。ひと目だけでも会いたい。
会って、好きでしたと言いたい。
そう思い、夜お城へ忍び入りました」
葵はそっと息をついた。
王子様は姫君を選ぶのかしら。それともやはり奥様をお選びに?
「王子様はもうおやすみになっておられました。 寝所にそっと近づきます。
姫君はそこで、はっと足をとめました。
王子様は、ひとりではありませんでした。
お姫様とともに、しあわせそうに眠っておられます。
姫君はそれをじっと見つめました。
これが答えなのだ。ゆるぎない答え。
これ以上何を言って、王子様をわずらわせることがあるだろう。
お姫様を悲しませることがあるだろう。
姫君はお城を立ち去りました。
もうふり向かずに、海岸への道をひとり駆けました」
葵の胸が痛んだ。姫君は死ぬんだと思った。
朱雀も、書きながら思う。
「東の空が白んで、夜が明けるところでした。
姫君は美しい朝焼けに目を染めると、一直線に身を投げました。
もう思い残すことはない。最後はふるさとの海で死のう。
姫君の体が波に吸いこまれ、泡になろうとしました。そのときです。
大きな腕がぐっとのびて、姫君の体を支えました。
やさしく包んで抱きよせます。
彼女が王子にしたようでした。同じように姫君は介抱されました。
「お前にはダメだといったのに。私は悪い王だね」
腕の主は王様でした。海の王様が、姫君を抱きあげておられます。
「海の掟を破ってしまった。お前は今度こそ、幸せになるんだよ」
微笑むと、姫君を家族のもとへ送ってくださいました。
彼女はまだ生きています。再び海で暮らせるようになったのです。
姫君はうれしいと思いました。
でも、お礼を言うべき王様が、いつの間にかおられませんでした。
「王様は退位なさるのだよ。お前を助けるため、すべてを捨てたのだ」
姫君はそれをきくと、たまらなくなって家を飛びだしました。
長い衣を捨て、ぐんぐん泳いで、王様を追って西へ西へと向かいました」
「なんだか、冒険小説のようですね」
葵は微笑して感想を送った。
「ほんとですね、恋がいつの間にか冒険になってしまった。
俺はとことんセンスがないです」
朱雀が恐縮する。
「でも夢がありましたわ。姫君が追いかけるのが面白かった」
「恋の哀れが漂わないですね、俺の文章は。すぐ抱きしめようとする」
「姫君はその後、どうなりますの?」
「さあ…王様と会えて、思いを伝えるのでしょうか」
「姫君も王子様と同じですね。助けられて、恋に落ちて。
大切なとき守ってくださる方が、きっと一番なんですわ。
でもそんな素敵な王様なら、隠棲先にも奥様をお持ちかもしれない」
「それはまた…リアルですね」
朱雀は思わず苦笑した。
たしかに、もう結婚している彼女には、その先のほうが重要だよな。
恋の終りは日常のはじまりにすぎない。
「王様はぜひ、若く美しい方でなければいけませんわね」
「そうですか?」
「はい。抱きしめてくださるんだもの、やさしく美しい方ですわ」
葵は、それが朱雀のような気がした。
お顔は実は見たことがあった。まだ少年の頃だけど。
美しく控えめで、品があった。
あの方が将来のお相手かしらと、葵はどきどきしたものだった。
「ありがとうございました。また、お聞かせくださいね」
葵は礼を言った。
海の姫君は幸せそうだけれど。
海に飛びこめぬ自分は、渇いた陸地でまだ立ち往生している。




