6-8 借り物の世界
「光る君が宰相になられましたね、おめでとうございます。
十九才で宰相なんて、異例の早さではないでしょうか」
「帝のおはからいですわ。若君がお生まれになって、お后様もお
立ちになるし、ご後見のためでしょう」
葵はため息をついた。
「ご即位の日も近いのですね」
「そうですね。父は位を去りたくないのでしょうけど、若君を早く春
宮にしたいんだと思います」
「帝になられましたら、こんな文を交わすことも、もうできないので
しょうか」
「そんなことはないと思いますよ。俺はまだまだ半人前で、父上に
教えていただくことばかりですから。それに」
「それに?」
「時間はきっと作ります。時間は作るものだと博士たちに教わりま
したので」
「ありがとうございます」
葵はうれしかった。
でもすこし、悩みもある。
「帝になられたら、何をなさりたいですか」
「何を、と決まったこともないのですけど…
渡されたものをつつがなく、次の御世へお譲りできればと思います」
「まじめなのですね」
「俺にはあまり責任が重そうで。
病や災害の少ない世になってくれれば、うれしいのですけど」
「帝はどんなこともおできになるのですか?御心によっては」
「どう、なのでしょう…俺もはじめてなので。
ただ、すべては預かりものだということは教わりました」
「あずかりもの?」
「はい。民も国も、帝の位も、即位している間だけお預かりしている
ものだから、大切に保持して、次に引き継がなければならない。
自分のもののように勝手をして、損なわしめるようなことは、決して
あってはならないと」
本当は何も持っていないらしいと朱雀も気づいていた
地位、名誉、お后だって、すべて帝に与えられたものだ
個人名義のものではない。
すべて持っているようで、命すら自分だけのものではない借り物の
世界を、朱雀はむしろ心地よく思った
生まれた時と同じ
すべてを返し、裸のまま死ねる。
「なにか、おはなしをしてくださいませんか」
「ええと…作り話がよろしいですか?その、物語のような」
「はい。おねがいします」
葵は、自分の身も借り物のように思った
返すときはしあわせかしら。
いつかこの方に、お会いできるかしら。
話題をうつし、そっと思いをめぐらす。
「困ったな…俺はあまり本を読まなくて」
朱雀は思案した。
女性が読むような、恋の話。
「では、海の国に住まう姫君の話をいたしましょう。俺も小さい頃
読んだだけですから、正確ではありませんが…
お許しいただけますでしょうか」
「はい。春宮さまのお話として、お聞きいたします」
「ありがとうございます、では。
むかし、海の国にある姫君が住んでおられました。
海の国に住む人は、みな泳ぎが上手くて、海の底でも呼吸できます。
姫君は親きょうだいに可愛がられ、幸せに暮らしておりました。
しかしあるとき、地上の男に恋をしました」
朱雀は書いた。書きながら考える。




