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朱雀と弟  作者:
第四部  借り物を返す旅路のはじまりにさしのべらる手二度と離たず
159/175

36-2 不二の宇宙

「どうなさったんです?父上」

「そっちこそどうしたの、急に文なんかくれて。寂しくなった?」

光は微笑むと、ぎゅっと息子を抱きしめた。

冷泉がびっくりして止まる。

あたたかかった

父の体温は、じんと沁みてあったかい。

ああと思って、自分も抱きしめ返した

やっぱり父上なんだ

同じ匂いがする。

「すみません。お呼び立てする形になりましたか?」

「いいんだよ、どうせ暇だったし。夕霧も連れてきたから、後でつつ

いてやって」

「ふふふ」

やさしく笑うのが美しかった。

まだまだ盛りだよな、帝としても、人としても。

降りてしまったことを申し訳なく思った

自分が降りさせたようなものだということも、光はわかっていた。


「元気ですか?夕霧くん」

「そうだね、俺たちの前では平気を装ってるけど。実際はどうかな」

光は淡く笑って、まだ火の灯る仏壇を眺めた。

「祈っていたの?」

「はい」

もうすぐ父の忌月だったなと、光もようやく思い出した。

父の隣に藤壺を並べて、そういう仏壇に向かい合って

彼は祈っている。

すごいな…

光は胸がつまった。

彼の背負っているものは、俺とは段違いに重い。

「一緒に祈ろうか、たまには」

「はい」

冷泉はうれしそうに笑って、自分の席を父にすすめた。

この冷泉院を思ひ聞え給ふ御心ざしは、すぐれて深くあはれにぞ

思え給ふ。*

この子には、本当に何もしてやれなかったな…

父だと言えたのは、生まれて十二年たった後だった。

夕霧や末の娘にしてやったような、世話も甘えも

させてやれてはいない。

光は冷泉を見るとき

これほどまでに育ってくれたのかという感謝と

これほどまでにならざるをえなかったのかという悔恨とが

同じくらいの強さで胸に迫るのを感じた。

未来の帝だからといって、甘やかしてはいけない。

藤壺の教育は決してゆるくはなかった。

すこしでも欠点が見えれば、そこからほころびが出て

世に知れるのではないか。

そういう御心の鬼が

我が子に非のうちどころのない完璧な人間になることを要求した。

その想像を絶するプレッシャー

その中をひとりで耐え抜いてきたこの子の苦労は

察するにあまりある。


「母上、今日は父上が来てくださいましたよ」

冷泉はやさしく話しかけて、光の斜め後ろに座った。

「子を、もたないの」

光がやさしく尋ねる。

「もういるかもしれませんよ。お知らせしていないだけで」

「そうだね」

この子はやはり藤壺に似ていると光は思った

彼女がくれなかった微笑を

彼女以上にくれる。

「みなさんと真実の交わりができて。私は幸せでした」

「俺もだよ。ありがとう」

光は心から礼を言った

罪でもいいんだ

君が笑うなら。

君が笑ってくれるなら

俺は間違っていてもよかった

君がいてくれたから

俺たちは変えられた

いつも

幸せな方へ。

「ありがとう」

光は深く手を合わせた

この子の未来が明るいように。

冷泉は子を思う親の背をやさしく見つめた

この方の荷を

少しでも分け持てるように。


冷泉の背には紫の痣があった。

円の中に円が連なる、変った傷だが

帝は曼陀羅を背に負われている。

人々は驚いて噂した

そうだったらいいのにな

「傷つけられるのが好きで」

本人は冗談にして笑っている。

「あなたがお腹にいるときから、私が心配して祈りすぎたせいかも

しれない」

母は息子につけた傷跡を悔やんで、つらそうに謝った。

「いいんですよ」

冷泉はいつも笑って首をふった。

実際あまり気にしていなかった

母の想いがつまった背に、誇りこそあれ

コンプレックスは感じない。

彼に抱かれる女たちも、この痣を見ることを誇りとした。

それは、普段クールなこの人を

いくぶんかでも興奮させえたという印であるし

何より美しかった

白い背に浮かぶ藤鈍の幾何学模様が

静謐に、美しい。

女たちはその背を見ると、きまってきゅっと抱きついた

その宇宙

彼が生きているときしか見られない、美しく燃えたぎる宇宙が

自分たちを幾度となく極楽へいざなってくれる

やさしく、冷たく、狂おしい

この人自身のように思えた。

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