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朱雀と弟  作者:
第四部  借り物を返す旅路のはじまりにさしのべらる手二度と離たず
154/175

35-3 よりそう情景

「柏木は、本当に和琴が上手かったですよね」

すこし弾きさして、夕霧はしみじみつぶやいた。

「伯父さん譲りと言われてたけど、曲によっては伯父さんを超えて

たんじゃないかと思う。強く、弱く、胸の奥に沁みいるような音色で。

風がふけば風の音に、合奏すれば他の音と、とけて響きあうような

やさしい音でした」

「はい、ほんとうに」

二宮も懐かしそうにうなずいた。

「やわらかで美しいんだけど、伸びがあって。空気の澄んだ秋や冬

に聴けば、天まで届くんじゃないかと思うほどだった。やはり俺では

とても、その音には及ばないです」

少しでも愛器の音色を届けてやりたいと思うのだけど

力及ばず

夕霧はそっと、和琴から手を離した。

これを自由に、自分の一部のように弾きこなしていた柏木の姿が

今も目の前にありありと浮かぶ。

いつか皆でライブしようとか言ってたこともあったな

柏木なら単独公演開けるほど上手いよ

その音色を、声を、また聞きたいと思うのに。

残された楽器は、故人の爪音も、とどめておいてはくれない。

「指がきれいでしたよね」

二宮はそれが印象的らしく、うっとり見とれるように言った。

「絃を押えたりはじいたりする指先が、とても美しかったですわ」

「そうそう、すっと長くてね。絃楽奏者の手だった」

手のきれいな人は心も美しい、なんて話を

昔聞いたことがあったような。

少し褒めすぎかな

でも若いまま亡くなった人は皆

尊く、美しく見えるよ。

二宮に会うと、夕霧はきまって柏木の思い出話をした。

二宮もそれが嫌じゃないらしく

微笑みながら応じてくれる。

よくそんなところまで見ているな、と思うことが多かった。

ほんのささいな言葉やしぐさのほうがむしろ

深く心に残って

「そうそう」「そうだよね」とうなずきあって

思い出を共有することができた。


「合奏でもしましょうか」

自分は琵琶をかかえて、二宮の筝と弾き合わせた。

顔も見えない相手と弾きあうのは、なんだか緊張して

呼吸をあわすコツがいるけど

彼女は上手い、慣れているのか

彼が弾きさした瞬間次の音をつないで

ジャズみたい

滞りなく、気持ちを音に乗せることができる。

懐かしかった

ここに柏木がいれば

きっといるはずの人がいないなんて

寂しいよ

心の底から、寂しい。

あまり音を楽しむのも考えものだと思った

歌や曲にはあまりにも、想いと情景が寄り添いすぎる。

「この笛を」

帰り際、二宮の母御息所から横笛をいただいた。

「貴重な品だそうです。こちらでは吹く者もおりませんから」

「ありがとうございます」

やわらかな布にくるまれた笛を、そっと手にとった。

「俺、笛はダメなんだよ。うまく吹きこなせなくてさ」

そんなことを言って笑っていた顔が目に浮かんだ。

すこし吹くと、秋の夜風にどこまでも音が響いて

「近所迷惑かな」

苦笑して吹き口をぬぐい、丁寧にしまった。

柏木、元気かなあ…

帰りながら、しんみり思う。

この車に一緒に乗って帰ったこともあったっけ。

あれは蹴鞠した春だから、もう八年も前のことだけど

なんでだろう、時がたつほどに

思い出される情景が増えていくよ

それを思うと涙がとまらないって感じではなかった

むしろ逆で

ずっと止まっていたかった

楽しい時にとどまって

ずっと同じ世界に生きていたかったと思う。

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