29-3 我を忘るな
今はとて宿離れぬとも馴れきつる眞木の柱は我を忘るな*
姫君は、柱の割れ目に小さな歌をきゅっきゅと差し込んだ。
遺言のようにも思う。
なぜ、父上は帰ってこないの?
なぜ、お母様の実家へ行くの?
十二、三の彼女には、わからないことだらけだった。
ただ、母が寂しく笑って
「もう、終りなのよ」
そうつぶやくから、それですべてを納得するしかない。
髭黒は玉鬘の所へ入り浸っていた。
物の怪つきの女房になど、近寄りたくもない。
玉ちゃんはとても可愛いし、絶対誰にも渡したくないと思う。
宮仕えすら、何だかんだ言って引き伸ばして
立ち消えにしようとしていた。
本当にぞっこんで
だから妻の里帰りをきいたときも
「なんだ家出などして、年甲斐もない。父宮も父宮だ。夫婦の問
題に軽々しく首をつっこんで」
玉鬘にこまごま事情を説明して、女の床から妻の実家へ向かう。
なんてひどいこと…
玉鬘は深く息をついた。
私だって好きで抱かれてるわけじゃないのに
その上奥様に家出までさせるなんて、どういうことかしら。
私たち、誰もしあわせになってない。
蛍のことが、そっと頭に浮かんだ。
病を持った奥さんて、そんなに嫌なものなの?
でもその病も、夫のせいかもしれないんだよ
夫が心労をかけて、かけすぎて
そのせいで心が折れたのかもしれないのに。
なぜ逃げるの?
新しい女、若い女にって、なぜ逃げるの?
女は古くなれば、壊れれば、とりかえたらいいと思ってるの?
私たち皆、取替え可能の玩具なの?
そんなの、ひどいよ…
また、涙に目がくもる。
蛍に会いたいと思った
あの、寂しそうにやさしい瞳
文だけでいい、交わしたかった
おねがい、奥さんのそばにいてあげて。
幸せにしてあげて。
蛍もきっと、こんなふうに願うだろう。




