5-3 お前ならさ、うれしいか?
「かへりなむ」とあらば、送りせむかし*―!
蛍は杯をおくと、はははと笑った。
「ひどすぎじゃね?何その「嫌なら帰れば」的な言いぐさは。言われた
女房が可哀想だよ」
「いつまでたっても寄こさないからだよ、こっちは真心から言ってんのに」
「にしたってひどいだろ。盗んだ犯人に帰れと言われりゃ世話はない」
蛍は杯を干すと、光に渡した。
白い酒をついでやる。
光は結局、紫の寝込みを襲うと
いと軽らかに抱っこして自邸に連れ去ってしまっていた。
付き添う乳母の困惑もどこ吹く風で
本人は至極すっきりした顔をしている。
「で、どうよ、愛姫の抱き心地は」
「悪くねえよ。変にプライド高くもないし、素直でよくなついてる」
光は杯に口をつけた。
こうしてる間にも、その子のことが気になるらしい。
「光が元気になったのも、その方のおかげなんだね」
朱雀はやさしく笑った。
微笑の中に、光はついに好きな人を自邸に迎えたのか、
葵さんはどう思うであろうという、心配というか、切なさがある。
「素直でなつく、ね。そういう女なら慰めに最適だな」
蛍は目を細めて、遠くをにらんだ。
「俺だけじゃない、彼女のためでもあるんだ。俺たちは、親の支配を
こえる」
光は睫毛を伏せると、酒に映る月を見た。
「あの子も幼い頃、母に死に別れてるんだ。俺と同じ。父親がいるが、
継母のもとじゃつらい扱いを受けて、望まぬ結婚をすることにもなる
だろう。俺はあの子を、父親の政治の道具にはしたくない。もちろん、
変な男の慰みものにもな」
「だから俺がもらった、と言いたいのか。俺よりいい良人はいないと」
「ああ」
こくりとうなずくので、蛍は苦笑してしまった。
「そう」
ゆっくり杯をなめる。
「誰が見ても欠点のない貴女に育てあげて、きっと幸せにしてみせる。
俺にならできると思うんだ」
自信というより願望に近かった。
「そう」
蛍の表情は、やはり冴えない。
「お前さ、親をこえるって、どうこえるんだ」
「え?」
蛍の目が月の光に染まった。
金の瞳で彼を刺す。
「地位、財産、容貌…すべて生まれながらに与えられた幸福の中で、
その恩恵に浴しながら、どうやって超えるんだ?官位をきわめたとこ
ろで、それがお前の力だと言えるのか?本心から、親の、帝のおか
げがないと?」
光はつと黙った。
秋の虫が鳴いている。
「臣籍に下らされたり、望まぬ結婚をしたり、お前がいろいろ苦労
してるのは知ってるよ。だがその人は、誰かの代りじゃないのか。
かなわぬ恋を慰めるための、誰かの…」
「そんなこと」
言いさして、光は黙った。顔がこわばっている。
「お前ならさ、うれしいか?誰かの代りに愛されて、自分を見る目の
中にその人の面影を探されて、それでしあわせと言えるか?」
「黙れ!」
思わず胸ぐらをつかまれても、蛍は動じなかった。
悲しそうに光を見る。
「彼女には俺が一番ふさわしいんだ。俺以外の男にとられるなんて
考えたくもない。だから決めたんだ、俺が幸せにするって、誰より
幸せにするって決めたんだ!」
「光…」
その剣幕に驚いて、朱雀は手を出せずにいた。
光が蛍をはなす。
「兄弟喧嘩は犬も喰わないってね」
蛍はすこし笑うと
「ごめんすー兄、邪魔したわ。そろそろ帰ろうか、光」
そう言って、座を立ってしまった。
光がぷいと従う。
大丈夫かな…
朱雀はすこし不安げに、二人の背を見送った。




