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第八話


 男の子が去っていってから一時間ほどが経ち。

 仕事に小休止を入れた静姫が、緑茶の注がれたマイ湯のみを手に拝殿の縁側でのんびり寛いでいると、自宅の方から数人の足音が近づいてきた。

 母の気配が混じってるところからして、話し合いを終えて客人の見送りだろう、と予想する。

 静姫としては別に興味もないので、母に呼ばれでもしない限りはここで休憩を続けていようと呑気に構えていた。

 ほどなくして、静姫の推測通り本殿の陰から姫乃と、先ほどの男の子を伴った三十歳くらいの女性が姿を現す。


「それでは、また何か変わったことがありましたらご連絡ください」

「ええ、その折はよろしくお願いします」


 姫乃と女性は通用門付近で立ち止まり、にこやかに言葉を交わした。

 会話の雰囲気からして客人はお暇する直前のようだし、今更自分が呼ばれることもあるまいと判断した静姫だったが、そこで男の子が自分に視線を向けていることに気付く。

 動転していた先ほどの様子とは異なり、気の強そうな眼差しを静姫に向けていた。

 攻撃的、というほどではないが、やんちゃそうな印象の男の子である。

 兄の勇太とどことなく似ているな、と漠然と考えつつ、視線そのものは完全に無視して、ずずっ、とお茶を一口啜る。

 姫乃が側にいたのでは迂闊な真似はできないし、であれば相手をする意欲も湧かなかった。

 男の子からすれば、静姫はお高く止まっているように見えただろう。静姫を見据える目付きがやや険しくなる。

 そこで男の子の様子に気付いた女性が、静姫の方へと顔を向けた。

 静姫の姿を認めた女性が、はっとした顔つきになる。

 単純に驚いているのだろう。あまりにも幼い巫女がいたことと、静姫の整った容貌に。

 去り際とはいえ、会話の途中であらぬ方へと顔を向けた女性の視線を追うように、姫乃もまた静姫の方へ眼差しを向けた。

 そこに静姫の姿を見付けて、姫乃は納得した。


「あそこにいる巫女は、うちの長女の静姫です。今年から家業を手伝わせています」

「なるほど~、そうなんですか……。噂で聞いたことはありましたけど、これはまた、随分と……可愛らしいお嬢さんですわねぇ」

「ありがとうございます」


 口元に手を当て、世辞というよりは本音が漏れたという風で感想を言った女性に、姫乃は失礼にならない程度に苦笑を浮かべながら礼を言った。

 静姫を初めて目にした者は皆一様に容姿について言及する。姫乃にとって女性の反応は見慣れた種類のものだった。

 姫乃とて、そこらではなかなかお目にかかれない美人であり、お世辞もあるにせよ、容姿を褒められることはよくあることだ。

 しかしながら、静姫の美しさ……いや、年齢を考えれば《可愛さ》と評すべきだろうそれは、《別格》の一言に尽きた。

 初見の者は例外なくこの女性のように《見惚れる》し、実際、静姫目当てに神名宮神社に訪れる者も少なからずいるほど。

 親の贔屓目がなくとも、(どれだけこの子は美しくなるんだろう……)と、日々の成長を見るにつけ、将来が楽しみであれば、空恐ろしくもあり、といった感じでなかなか複雑だ。

 姫乃程度に美しいのであれば、探せばいないこともないし、人目を引いてもトラブルまではそうそう招かないだろう。

 しかし静姫レベルとなると、良縁悪縁問わず様々な人間を魅了し、惹き付けてしまう。

 その結果何が起こるかは、年末年始の催事に裏方手伝いさせただけで起きた騒ぎを鑑みれば、火を見るより明らかであった。

 それだけではない。静姫は極めて高い知能に老獪な精神性、子供離れした体力まで有している。


(トンビが鷹を産む……とは良く使われる格言だけど、私ほどそれを実感している親はいないかもしれない)


 などと姫乃が密かに物思うのは無理からぬことだった。


 男の子のみならず、親たちにも注目されたことに気付いた静姫は、内心で嘆息した。


(見つかった以上、挨拶もなしにやり過ごすわけにはゆかぬか……)


 本音を言えば知らんぷりを続けたいところだが、礼儀を重んずる姫乃がそれを許すとは思えないし、打算的には親の期待するように振舞った方が得策である。

 静姫は湯のみを盆の上に置き、拝殿の縁側から降りた。急がず慌てず、しずしずと歩いて姫乃たちへと向かう。

 《立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花》という諺を体現したかのような静姫の挙措と気品に感心した女性は、ほぅ、と感嘆のため息をついた。


「失礼ですが……静姫ちゃんはおいくつですか?」

「四歳になりました」

「まあ、うちの春海と同い年ですか。それでお手伝いもされてるなんて、随分大人びてらっしゃるのねえ」

「恐れ入ります。実に物分りが良い子で、親としては助かっておりますわ」


 静姫が歩いている間にも、親同士ではそんな会話が交わされていた。

 ついに姫乃の傍まで静姫がやってくると、男の子は気圧されたかのように半歩後ずさり、緊張に身を硬くする。

 姫乃が促すまでもなく、静姫は腰の前で両手を組み、控えめに微笑みながら女性に向かって深々とお辞儀をした。

 さらさらと音を立て、美しい黒髪が首筋から零れ流れる。


「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。わたくしの名は神名宮静姫と申します。今後ともよろしくお見知りおきくださいませ」

「ま、まあ……これはご丁寧にどうも」


 とても四歳児とは思えないほど礼儀正しい挨拶に少なからず意表を突かれたのか、女性は呆気に取られた表情で会釈を返した。

 それからやや慌てたように男の子の肩へと手をやり、静姫の方へと軽く押し出す。


「ほら、春海。あなたも静姫ちゃんにご挨拶なさい」

「……《天野(あまの) 春海(はるみ)》、四歳だ」


 にこりともぺこりともせず、愛想のない態度で春海はぶっきらぼうに言った。


「こら、春海! そんな挨拶の仕方がありますか!」

「う、うるさい! ちゃんと名前言ったんだからいいだろ!」


 女性が目を吊り上げて叱ると、春海は怒鳴り返し、ぷいっと顔を背けた。

 はあ、と女性は困った表情で嘆息し、静姫へと申し訳なさそうな表情を向けた。


「ごめんなさいね。この子ったら、静姫ちゃんが凄く可愛いものだから緊張してるのよ」

「そっ、そんなんじゃねーよっ!」


 母親の弁解に、春海は顔を真っ赤に染めて否定したが、その反応が何よりも雄弁に本音を物語っていた。

 静姫は春海の横顔に視線を向け、しっとりとした微笑を浮かべた。


「春海君って言うのね。同い年だし、これから仲良くしましょう?」


 声をかけられ振り向いた途端、春海はぽかん、と口を開けて静姫の笑顔に見惚れた。

 静姫にとっては単なる社交辞令に過ぎなかったが、その言葉と表情はとてつもない熱量を放って春海の心と記憶に焼きついた。


「お……女なんかと仲良くできるかっ!」


 はっ、と正気に返った春海は、気恥ずかしさも手伝って幼子らしい悪態をつくと、ダッと駆け出して一人通用門を抜け、石段を降りていった。

 母親は唖然として息子の逃走を眺めていたが、姫乃は苦笑、静姫は微笑を崩さず見送った。


「はあ……静姫ちゃん、重ね重ね、息子が失礼してごめんなさいね」

「いえ、私が少々馴れ馴れしすぎたせいだと思います。気になさらないで下さい」


 一度深いため息をついてから、女性は静姫に謝罪した。

 春海の態度を悪く思うどころか、面白がっている静姫だったが、表面上は申し訳なさそうな表情を作って答えた。


「ああ、本当、静姫ちゃんは良く出来た子ね。春海に見習わせたいわ」

「恐れ入ります」


 上品に目を伏せて畏まる静姫を見て、女性は感心したように目を細めた。


「それでは姫乃さん、今日はお時間を割いてくださってありがとう」

「いえ、こちらこそ。またいつでもいらしてください」

「ええ。そのうち時間を見つけて、寄らせていただきます」


 視線を姫乃に移し、別れの言葉と共に会釈をした女性は、回れ右をして通用門をくぐり、帰っていった。

 それを見送ってから、姫乃は静姫へ顔を向けた。


「ありがとう、静姫」

「気にするな、母よ。子として、そなたに恥をかかせるわけにはゆかぬ」

「ふふ、本当にあなたは自慢の娘よ」


 姫乃がわざわざ礼を言ったのは、静姫が務めて礼儀正しくしてくれたことを知っているからだ。

 普段が礼儀に欠ける、というわけではないが、どちらかと言えば静姫は無愛想で冷徹、他人にはあまり関わろうとしない性格だ。

 静姫を一人前の大人として扱っている姫乃は、娘の人格を最大限尊重している。

 むしろ、姫乃の方が静姫に見習うことが多いくらいだ。

 親としては寂しい気持ちになるほどに、静姫には教育を施す必要がなかった。

 その代わりに、姫乃は静姫とスキンシップを取ることを重視した。

 今もまた、腰を屈めて膝を着き、目線を合わせてから静姫の小さく華奢な体を抱き締める。

 子供特有のミルクのような匂いと、静姫個人が備えている甘やかな体香が鼻腔をくすぐり、姫乃を束の間恍惚とさせた。

 最近では、姫乃以外とは入浴したり、くっつかれたりするのを嫌がるようになった静姫。

 羞恥心の問題というより、パーソナルスペースに他者が入ってくるのを鬱陶しがっている節がある。

 気を許しているのは同性だからか母親だからなのかは判らないが、静姫をこうして抱き締められるのは姫乃の特権であり、至福の時間だった。


「ほら、母よ。接待には気疲れしたろう。くっついているのも良いが、共にお茶でも飲んで寛ごうではないか」

「ええ、そうね。気持ちの良い天気だし、そうしましょう」


 子供らしからぬ気遣いでもって労わってくれる静姫の提案を嬉しく思いながら、姫乃は快諾して立ち上がった。

 こういうこともあろうかと、気の利く静姫は姫乃の湯のみも用意済みである。

 小学校から帰宅した勇太に見つかるまで、巫女姿の母娘二人の和やかなティータイムは続いたのだった。


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