第七話
神名宮神社の広い境内に桜吹雪が舞う頃、静姫は四歳の春を迎えていた。
女の子らしく成長の早い静姫の身長は一メートルを超えるまでとなり、鴉の濡れ羽色をした艶やかな黒髪が印象的な、素晴らしい美幼女に育っていた。
腰まで届く長い髪をストレートに流し、特注サイズの白衣緋袴に身を包んだ巫女スタイルの静姫は、両手で竹箒を持ち、桜の花びらが散乱している参道を掃いていた。
静姫にとって一種理想的だったグータラ生活は、四歳の誕生日(ちなみに誕生日は十二月二十五日である)を迎えた時点で終焉した。
一般家庭に較べればそこそこ厳しい神名宮家の教育方針に基づく理由もあるが、最たる理由は「母娘揃って一緒に何かしたい」という姫乃の強い希望があったためだ。
ニート的志向を持つ静姫であったが、本質的に怠惰というわけではなかった。
自分専用のパソコンを買いたいが為、お小遣いという名目の賃金を支払うことを両親に約束させ、静姫は幼くして労働に勤しむこととなった。(といっても、せいぜい一日三、四時間程度のパートタイマー巫女だが)
頭脳にせよ体力にせよ、並外れた能力を持ち併せている静姫は、愛想に欠ける点を除けば姫乃の代わりが勤まるほどに有能ぶりを示し、少なからず周囲を驚嘆させた。
十二世紀頃に諏訪神社を勧請元にして建立されたと言われている神名宮神社は、それなりに由緒正しい地方神社である。
しかし、敷地は広くとも、神殿の規模はそれほどではなく、半年に一度の大清掃や年間行事の際にボランティアやアルバイトに頼る以外は、全て家族内で作業・管理している。
常日頃から大人以上の知性と精神年齢を示していたこともあって、僅か四歳で即戦力と見做された静姫は、誕生日直後の年末年始から早速労働力として駆り出された。
裏方雑事中心だったとはいえ、少なからず参拝客に巫女姿の静姫が目撃されており、男女問わず「あの幼女巫女超カワイイ」と大きな反響を呼んだ。
無論、氏子をはじめそれなりに近所付き合いがあるので、幼くして絶世的美貌の片鱗をかんばせに漂わせ始めた静姫の容貌が人の口に上ることはあった。
しかし、未だ公園デビューすらしていない出不精の静姫を実際に目にしたことがある者は少なく、信憑性や話題性はごく近隣の噂話程度に留まっていた。
それが今や、クチコミで静姫の評判は広まり、《神名宮神社の幼女巫女》として自治体規模での有名人になっていた。
人の噂も七十五日、年が明けて三ヶ月もすれば話題も収束して良さそうなものなのだが、静姫の知名度は静かな広がりを見せていた。
どこにも不届き者はいるもので、撮影お断りの神名宮神社で巫女静姫をこっそり撮影し、動画を共有サイトにアップした者がいたのだ。
良識者から、よりによって幼児の肖像権やプライバシーを侵害するなど言語道断だと、多数の批判を受けてその動画はすぐに削除されたのだが、既に電子の海に拡散してしまった静姫の動画は個人サイトやアングラサイトを中心に多くの人目に触れていった。
「○県□市にある神名宮神社ってとこの巫女さんらしい」という個人情報も付随して広まったことから、最近では参拝目的なのか静姫目当てなのかわからない客(特に若い男性)がとみに増えてきていた。
ついには静姫の身の安全を憂いた静夜が自治体に相談したことで、神名宮神社の近辺を毎日警察官がパトロールするという事態にまで発展してしまっていた。
そういった大人の事情や自分を取り巻く情勢を静姫は概ね正確に把握していたが、さして気にも留めていなかった。
それは超越者としての自信ゆえのことだったが、実際静姫は半月前に一度、神社の物陰に潜んでいた小太りの青年に襲われ、返り討ちにしていた。
背後から暗がりに引き摺り込もうとしたところを振り向きざまのカウンターで蹴り飛ばした静姫は、思わぬ逆撃を受けて逃走しようとする青年に魔眼を叩き込んで心を縛った。
自白させてみれば、やはり性的悪戯が目的で訪れたらしく、しかもこれが初犯ではないと言う。
こちらの世界にも変態嗜好者はいるのだな、などと他人事めいた感慨を抱きつつ、静姫は自分に関わる記憶を消去した上に暗示をかけ、性犯罪者の青年を放逐した。
その後、住んでいる街に戻った青年が警察に出頭し、未遂も含む犯罪全てを自白したことで御用になっているのだが、遠い場所の出来事なので静姫や家族の知るところではなかった。
暗示をかけてまでわざわざそうさせたのは、家族を心配させたくないというより、単に警察から事情聴取されたりといった後始末が面倒臭かったからだ。
己の容姿や能力が目立つものである以上、今後も厄介ごとは起きるだろうと静姫は自覚していたが、暇潰しとしてはありか、とも考えていた。
掃き掃除中に手を止め、麗らかな春の陽光を浴びて(吸血鬼では味わえぬ心地良さだな)と考え事をしながら目を細めていた静姫は、ふと他者からの視線を感じて振り返った。
すると、拝殿を正面にして左側にある手水舎の側に、ぽかんとした表情を浮かべて立ちすくんでいる一人の男の子がいた。
幼児用の半ズボンと柄物の半袖シャツという服装をした男の子は、まるで魅入られたように瞬きも忘れて静姫に見惚れているようであった。
(物見高い輩がまたやってきたのかと思えば、珍しい客人よな)
出不精で、幼稚園や保育園に通っていない静姫には、同年代の知人や友人はいない。まあ、精神年齢が違いすぎて友人など作れたものではないだろうが。
神社といえば子供の遊び場になりそうなものだが、住宅街からやや離れた場所にあることと、携帯ゲーム機全盛の時代柄もあってか、親に連れられてくる以外に幼い来訪者はいなかった。
常なれば参拝客などスルーして仕事を続ける静姫だったが、兄たち以外で目にする歳の近い男の子に少なからず興味を引かれた。
自分の容姿を自覚していれば、利用する狡猾さも備えている静姫は、純真な男の子を少しからかってやるつもりで微笑みかけた。
「!」
途端、男の子は顔を真っ赤にさせ、静姫に背を向けて脱兎の如く奥へと駆け出していった。
鳥居がある正面階段ではなく、静姫たち家族が主に使用している、本殿横の階段から敷地外へ出るつもりなのだろう。
(くっくっく……。幼子の初心な反応もたまには悪くないの)
静姫は含み笑いをしながら、遠ざかってゆく小さな背を見送ったのだが、予想に反して階段側ではなく、境内の裏手にある静姫の自宅の方へと走って行った。
はて、と頭を捻った静姫だったが、そういえば母の姫乃が月曜日に町内会の代表と会う約束がある、と言っていたことを思い出して納得した。
ちょうど今頃その客人を迎えている時間である。
さしあたり先ほどの子供はその客人の連れ子で、大人同士の話し合いが終わるまで神社を見学するなりして時間を潰してきたらいい、とでも言われたのだろうと静姫は当たりをつけた。
そうなれば境内にいる静姫と遭遇するのは容易に予想できるはずで、そこに姫乃の思惑がなんとなく感じられたのだった。
(すまぬな、母よ。私に子守を期待したのか、それとも近い年頃の子供と接する機会を作りたかったのか……。いずれにせよ、ああも人見知りされてはな)
まあ笑顔をくれてやったのに逃げ出したのだ、私に非はあるまい、と静姫は内心で言い訳し、掃き掃除を再開したのだった。