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第五話

 引き伸ばされた時間の中で静姫は迷っていた。

 このまま無抵抗に石畳に叩きつけられるか、赤子らしからぬ運動能力でもって受身を取るかを、だ。

 未成熟な肉体とはいえ、全身を魔力で強化すれば石畳に叩きつけられてもダメージは少なくて済むだろう。

 とはいえ、当たり所が悪ければそれなりの痛手を被るかもしれない。

 今後の成長に悪影響を及ぼすような怪我を負うわけにはいかない、と静姫は冷静に判断した。

 顔面からダイブしようとしていた静姫は、両腕に魔力を篭めて筋力を強化、腕立て伏せのような体勢で石畳に両手をついて踏ん張り、落下の勢いを殺した。

 前方ベクトルの勢いは殺しきれなかったので、ハイハイするように両腕でちょこちょこと前へ歩きつつ、両脚にも魔力を込めて石畳を踏みしめ、ブレーキをかけて停止した。

 はふ、と息を吐いて魔力の循環を元に戻し、尻餅の体勢で石畳に座り込む静姫。


「し……しず、き……?」


 やや不恰好な受身とはいえ、生後半年の赤子に出来る真似ではない。

 自らの命を救った娘の行動を奇跡だと素直に喜ぶには、いささか無理がありすぎた。

 とはいえ、姫乃が静姫に向ける視線は異常者を見るようなものではなく、むしろ最悪の予想がいともあっさり覆されたことで生じた、感情の落差こそが戸惑いの原因であった。

 しかし、すぐにはっとした表情を浮かべた姫乃は、色を失って我が子へ駆け寄る。

 石畳に投げ出されたことなどなかったかのように、いつもどおり茫洋とした表情をしている静姫を、姫乃はそっと抱き上げた。


「静姫っ、ああ……静姫……」


 静姫に痛がる様子はなく、擦り剥き傷といった外傷一つ見当たらないのを確認して、姫乃は涙を流しながら心から安堵した。

 静姫が自ら手足を動かして受身を取ったのは目撃していたが、それは生物としての防衛本能か、神がかり的な幸運がもたらした奇跡に違いないと、姫乃は八百万の神々に感謝の念を捧げた。

 姫乃は静姫が無事なことをひとしきり確認した後、前のめりに転んだもう一人の我が子の側へ行き、腰をかがめて片膝を着いた。

 静姫と似たような形で転倒を防いだ一静はしかし、未だ青褪めた表情で静姫と姫乃を見つめていた。

 自分のしでかした事に恐怖を覚えているのだろう。

 姫乃は静姫の生命を脅かした一静の不手際を叱りたい気持ちはあったが、その前に息子の体の心配をするべきだという母親としての判断が先に来た。


「一静も怪我はない?」

「お……お母さん……ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 優しく声をかけられたことで感情のタガが外れたのか、一静はぶるぶると震えだし、謝りながらぼろぼろと涙を流し始めた。


「大丈夫、静姫に怪我はなかったから安心しなさい。一静も、体に痛いところはないのね?」

「う、うん……」

「そう、良かった……」


 息子もまた大事なかったと解ると、姫乃はほうっ、と大きく安堵の吐息を漏らした。そして、表情を厳しく改める。


「一静、あなたに悪気がなかったことはわかっているわ。静姫を守ろうとしたことも。でもね、『そんなつもりじゃなかった』としても、過ちは起きてしまうものなの。だから次からは、それが今すべきことなのか、自分にできることなのかを、よく考えてから行動するようにしてね。いい?」

「うん、気をつける……こんな、静姫を危ない目に遭わせることなんて、二度としないよ……!」


 姫乃は優しさと厳さが同居したような口調で息子を諭し、聡い少年である一静は、軽率な行動がどんな致命的な失敗を招くかを理解し、幼心に深く自戒を刻んだ。


「それじゃ、静姫にごめんなさいって謝りなさい、ね?」


 素直な一静の返答に満足した姫乃は、表情を緩めて言った。


「……ごめんよ静姫。お兄ちゃんを許して欲しい」


 心底申し訳なさそうに謝罪し、静姫の頬へ手を伸ばす一静。

 その手の小指を、静姫の小さな手がきゅっと握った。

 それが許しの意思表示のように感じられて、一静の表情がぱあっと綻ぶ。


(私をひやりとさせるとは、やるではないか、兄よ)


 それは一時楽しませてくれた一静への、ささやかな礼を意図した仕草であった。

 そして、体を使った反動か、いつもより短い周期で眠りの衝動に襲われた静姫は、柔らかく心地良い姫乃の胸に抱かれたまま、深い眠りへと落ちていった。


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