第二話
超短いです。
――息苦しい。
生命活動に呼吸を必要としない吸血鬼であったスィルツァラトゥスは、暗闇に閉ざされた五感の中、ただそれだけを感じていた。
卑劣な太陽神の策略によって育ての子に裏切られ、私は滅びたはず……。
それともこれこそが《死》という状態なのか。
靄がかかったような茫洋とした意識の中、スィルツァラトゥスは疑問に思う。
しかし物思いは途中で遮られた。
全身を包んでいる暖かく柔らかい感触の《何か》が大きく蠕動し、頭から自分を外へ押し出そうとする。
自分が今、生き物の体内にいるのではないかと直感したスィルツァラトゥス。そしてそれは的を得ていた。
体の自由が効かぬまま、柔らかい肉の隘路をくぐろうとしていることに、(もしや肉食動物に丸呑みにでもされたか……?)と想像してしまい、微かな恐怖心がスィルツァラトゥスの頭をよぎった。
長く生き過ぎ、死への恐怖などとっくに失ったと思っていたスィルツァラトゥスは、己の情動にささやかな驚きを覚える。
死への恐怖があるということは、即ち生への渇望があるからだ。
そんな、人がましい感情が残っているとはな、と、スィルツァラトゥスは己を客観視してそう自嘲した。
悠久の時間を過ごすことで、感情が磨耗してゆく一方、魂だけは肥大化してゆき、いつしか神々と同列視されるほどに力を付け、不滅の存在と呼ばれたスィルツァラトゥスという吸血鬼の女王。
だが結局は、眷属という名の愛人に転生させてやろうという、好色な太陽神の申し出をすげなく断ったことで恨まれ、意趣返しによって滅びた。
自分が神々と同等に偉大な存在なのだと自負するような、覇気や稚気など既に枯れ果てて久しいスィルツァラトゥスだったが、生を終えてみれば所詮、自分など矮小な存在に過ぎなかったのではないかとほのかな苦さが胸を焼く。
ちゅぎゅっ、と粘液質な音を立て、すぽんと体が隘路を抜けた。
五感は未だままならないが、瞼越しに届くうっすらとした光と、肌を刺すような空気のひやりとした感触が酷く新鮮で、心地よかった。
硬縮したかのように身動きの取れぬスィルツァラトゥスの体を、巨人のものかと思うほどに大きな手がやんわりと掴み、持ち上げる。
直後、お腹のあたりでじょぎん、と何かが断ち切られる音がし、スィルツァラトゥスは鈍い痛みを感じた。
「おめでとうございます、可愛らしい女の子が生まれましたよ」
「ああ……天照大神、豊玉毘賣命神よ、我が子に生の祝福を与え賜いしこと、心より感謝いたします……」
女性のものと思われる声が二人分聞こえ、特に後者の声からは強い言霊の力を感じて(おや……)と興味を惹かれるスィルツァラトゥス。
神代言語すら習得したはずのスィルツァラトゥスだったが、側でかわされた言葉が彼女にとって未知なる言語であることに気付き、現在の状況に対してますます不審が募る。
体の自由が効かない以上、己の死命は側にいる女共に握られていると言っていい。
元より諦観の極みにあった命を惜しむつもりはないし、自分を抱く手からは敵意を感じない。
であれば、このまま流れに身を任せてみるのもいいだろう。
それに、億劫なのだ。思考するのが。
温かいぬるま湯に浸からされて、心地良い気分の中、猛烈な睡魔に襲われたスィルツァラトゥスの意識はゆっくりと闇に落ちていった。