第一話
ずぶり、と心臓を刃が貫いた。
燭台に刺さった蝋燭の炎が揺らめき、薄暗い古城の石壁に影を映す。
それは情事に耽る男女のように、もつれ合い重なった二つの人影。
視点を変えれば、天蓋付きの豪奢な寝台の上で一組の男女が騎乗位でまぐわっていた。
そう、つい先ほどまでは。
「――くふっ。ティオダミス、面白い玩具を手に入れたな?」
口元からつぅっ、と一筋の血を零しながら、吸血鬼の真祖にして女王《スィルツァラトゥス》は絶世の美貌を愉快そうに歪めて、嗤った。
スィルツァラトゥスの白く滑らかな背中からは、とてつもなく神聖なオーラを放つ白銀の刃が生えていた。
傷口から溢れ出した血が背筋を伝って臀部へと流れ、最後にはぽたり、ぽたりと滴って純白のシーツに染みこんでゆく。
それはまるで、破瓜の鮮血のようだった。
「お許し下さい、母上……。私はもう、耐えられぬのです。一人老いて、貴女の寵愛が色褪せるのではという……恐怖に」
己の育ての親であり、飼い主でもあるスィルツァラトゥスに跨れた体勢で、ティオダミスと呼ばれた青年は苦汁に満ちた声で言った。
ティオダミスの右手はスィルツァラトゥスの左胸へと伸ばされている。
しかし、掴んでいるのは乳房ではなく、複雑な意匠の施された短剣の柄であった。
「くくっ……お前らしい、賢明な判断だ」
「定命の虫けらに過ぎぬ私が、母上を自分の物とするには、これしかなかった……」
「《太陽神アルルーグの楔》、か。あの色狂いがお前にこの神器を寄越したのは、私に対する意趣返しに過ぎぬ」
スィルツァラトゥスは優しげな眼差しでティオダミスを見下ろし、その頬をそっと撫でた。
「例えそうだとしても……いや、だからこそ、他の男に奪われる前にこうしなければならなかった」
「最高神を間男扱いとは、お前も言うようになったものだ」
猛烈な勢いで生命力が枯渇してゆくのを感じながら、スィルツァラトゥスは心底可笑しげにくつくつと笑った。
そしてごぷっと喀血し、表情を真顔に改める。
「どれほど長く生きようとも、滅びはいずれ避け得ぬが道理、か。末期が閨でとは、いささか興に欠けるがの」
己がもう助からないことをスィルツァラトゥスは理解していた。
心臓を貫かれたことが致命傷、というより、《太陽神アルルーグ》の神霊力が短剣より流れ出し、ダイレクトに魔力を浄化し続けていることが原因だ。
そこに強く太陽神の意志が働いている以上、スィルツァラトゥスに短剣を引き抜く術はなかった。
「母上……」
「最後くらい、名で呼ぶことを許すわ。誰よりも純粋に、女としてのスィルツァラトゥスを望んだお前になら」
口調を普通の女性のように改め、スィルツァラトゥスは言った。
堰を切ったようにティオダミスの両目から涙が零れ出す。
「貴女は……永遠に私の物だ。スィルツァラトゥス」
「私は、私の物よ、ティオダミス」
ティオダミスの思い上がりを、スィルツァラトゥスはぴしゃりと訂正した。
「だけど、お前にはひとときの無聊を紛らわせてくれた褒美を与えないとね――」
「……母上?」
私たちの間にあるのは愛などではない。それはティオダミス、お前の幻想にしか過ぎぬのだ、と暗に告げるかのように、酷薄で、獰猛な笑みを作ったスィルツァラトゥスは言う。
「私の肉体が滅びる前に子宮を抉り取りなさい。その中にはお前の子がいるわ。新鮮な血を満たした器に入れておけばいずれ生まれるはずよ。子の使い道は好きにするといいわ――」
己の子ですら道具に過ぎぬとばかりに哂い、偉大なる吸血鬼の女王は悠久の人生に終止符を打った。
女吸血鬼と来たら退廃的な雰囲気が必須だと考えている作者です。