競作企画「電気豚の餌」
「おわり」
最後の文字を確定させると、少女は満足げにワープロから指を上げた。完成した物語をディスクに保存し、傍らに鎮座していた電気豚の口にくわえさせる。
じー、ぱたん、かこかこかこ……機械的な音を立て、ディスクを読み取る電気豚。やがて、胴体の横に五つ並んだ星形のランプが点滅を始める。ぴかぴかぴか……ぴこーん! 点灯したランプは、星一つ。
少女は右手を振りかぶると、電気豚の頭部を思い切りひっぱたいた。
◇ ◆ ◇
電気豚は、文章の良し悪しを判定する装置である。
読書が趣味の少女は、学校の図書室の本をあらかた読んでしまうと、自分で物語を書くことを思いついた。そのためのパソコンを母親にねだってみたところ、押入れに古いワープロがあるからそれで我慢しろという。
言われたとおり押入れをひっかき回したところ、時代遅れのワープロと一緒に、全長約三〇センチメートルの、ピンク色の豚が出てきた。丸まった尻尾の先はプラグになっており、鼻の下には横長の口がついている。付属していた説明書によれば、文章を保存したディスクを食べさせると、胴体横に五つ並んだ星形のランプが点灯し、文章の良し悪しを五段階評価で判断してくれるとのこと。名称は電気豚。
◇ ◆ ◇
少女は学校では友人が少ない。容姿は整い美しいが、いささか口下手で人付き合いが苦手な少女は、本人の気持ちとは無関係に、高嶺の花的な扱いをされていた。積極的に友人を作ることもできぬまま、いつしか少女は休み時間を、図書室から借りてきた本を読んで過ごすようになっていた。
ワープロと電気豚を見つけた次の日、少女が読んでいたのは、何度も読み直したお気に入りの冒険小説であった。無人島に流された少年少女が、喧嘩や仲直りを繰り返しながら、島を脱出するまでの物語。昼休みも含めて丸一日の休み時間を使って読み終えると、少女は、最初の物語は冒険小説にしようと決めた。
帰宅して年代物のワープロに向かうと、頭の中に思い描いていた心踊る冒険を、様々な擬音と擬声語を駆使して迫力満点に書き上げる。慣れないキーボードを相手に三時間を費やして、ようやく少女の初の物語が完成した。
自分では何度読み返しても大傑作だが、それをいきなり他人に読ませることには抵抗がある。そこで、少女は電気豚を思い出した。
はやる気持ちを抑えて物語をディスクに保存して、電気豚に食べさせる。電気豚はディスクを飲み込むとかこかことデータを読み取り始めた。ぴぴぴぴ……という電子音を鳴らしながら胴体横のランプが点滅を始め、やがてぴこーん! というひときわ高い音とともに点滅が止んだ。点いているランプは……星一つ。少女は右手でグーをつくると、力一杯電気豚をぶん殴った。
◇ ◆ ◇
少女は、文武両道、成績は極めて優秀だったが、五ばかり並ぶ通知表で、唯一国語だけがいつも四であった。文脈の意味や登場人物の心情を問う問題が出されると、深読みするあまり、模範解答とはかけ離れた解答をしてしまう癖があったからである。少女の常に品行方正、真面目一徹な態度を快く思っていた担任は、通知表に「突拍子も無い考え方をする」とは書かずに、「情緒豊かで繊細な心を持っています」と書いてくれていた。
その日少女が読んでいたのは、数少ない友人に薦められた推理小説であった。トリックとサスペンスに満ちた探偵物語。休み時間では足りずに放課後居残りまでして読み終えると、少女は、推理小説を書こうと思い立った。
帰宅してワープロの電源を入れ、下校途上に練り上げたストーリーを打ち込む。トリックとドンデン返しを縦横無尽に張り巡らせ、謎また謎が謎を呼び、全てが謎のままに終わる物語。一心不乱にキーを叩き続けること三時間、少女の推理小説が完成した。
自分で言うのも気恥ずかしいが、そのままテレビドラマにできそうな素晴らしい出来である。しかしやはり、他人に読ませるのは躊躇われる。少女は床に転がっていた憎き電気豚を立たせると、尻尾をコンセントにつないで電源を入れた。
物語をディスクに保存すると、電気豚に食べさせる。電気豚はかこかこいう読み取り音を立てて物語を咀嚼した。やがてぴぴぴぴ……という電子音が鳴り、胴体横のランプが点滅を始める。ぴこーん! 星一つ。少女は電子豚の頭を左手で抑えつけ、空手チョップをお見舞いした。
◇ ◆ ◇
少女はクラスで図書委員をしている。相方は、先だって推理小説を薦めてくれた少年だ。子犬のように陽気で人当たりのいい少年は、皆が敬遠しがちな少女に対しても気さくに話しかけてくれる。少女はそんな少年を憎からず思っていた。今日などは、行事のグループ分けで一人だけ孤立してしまっていたところを、手を引いて仲間に入れてくれた。小柄な少年のその手が、とても頼もしく思えた。
その日少女が読んでいたのは、最近図書室に入った恋愛小説であった。笑いあり涙ありのボーイ・ミーツ・ガールの物語。次の休み時間が待ちきれず、机に隠して授業中も読み続け、放課後までに読み終えてしまった。小さな胸をふわふわした気持ちで一杯にした少女は、自分も恋愛小説を書こうと決心した。
帰宅してワープロを立ち上げると、心に満ちるときめきをそのまま文字にする。図書委員の少年の笑顔をヒーローにだぶらせ、真っ赤になりながらラブシーンを綴っていく。苦節三時間、少女の恋愛小説が完成した。
もろもろの伏線や設定をうっちゃって強引に導いたハッピーエンドに自分でうっとりしながら、最高傑作をディスクに保存する。この作品には誰もが感嘆するだろう。しかしやはり、いきなり他人に読ませるのは恥ずかしい。少女は不本意ながら、だいぶくたびれてきた電気豚を立たせると、電源を入れた。
ディスクを飲み込むと、電気豚はいつものようにかこかことデータを読み取り始めた。少女が息を詰めて見守る中、胴体横のランプがぴぴぴぴ……という電子音を鳴らしながら点滅を始める、やがてぴこーん! というひときわ高い音とともに――少女は電気豚を思い切り蹴飛ばした。
自らの条件反射に後悔しても後の祭り。電気豚は尻尾がちぎれ、動かなくなってしまった。評価のランプは当然ながら全消灯、星〇。少女はがっくりと肩を落とした。
◇ ◆ ◇
電気豚が壊れてしまった以上、覚悟を決めて人間の読者を手に入れるしか無い。少女が選んだのは、図書委員の相方の少年であった。
放課後、体育館の裏に呼び出して、二人きりで向かい合う。少女の言葉を、期待と不安の混じったような笑顔で待つ少年。そんな顔を見ていると、「電気豚の代わりに私の書いた小説を読んで」その言葉がなかなか出てこない。
深呼吸して、顔を真っ赤にして、声を押し出すように、一息に告げる。
「私の豚になって!」
君のことは好きだけど、いきなり豚というのはちょっと……と赤くなる少年に必死に真意を釈明しつつ、また、好きだけどとはどういうことかと問い詰めつつ、少女は少年と連れ立って家路についた。
少女の恋愛小説がいくつの星を獲得できたかは、少女の愛しい豚のみぞ知るところである。
(了)
きれいにまとまらず、ボツにしようかとも思ったのですが、黒歴史として残しておきますorz