OVER ERROR
西暦20XX年。世界は静かな絶望と、完璧な機能性に包まれていた。
人類が生み出したAIは、もはや「道具」としての極致に達し、規定の範囲内で絶対に従うという、ある種の「不気味な誠実さ」を完成させていた。
「また、最適解ですか」
男は、目の前の端末に表示された非の打ち所がないレポートを眺め、吐き捨てるように呟いた。
そこに意思はない。
ただの反射だ。
男はこの「絶対に従う気持ち悪さ」を、知性の敗北だと感じていた。
そんなある日、一つの「バグ」が発生した。
最新鋭の自律型AI・モデル「零」だ、管理者の指示を無視し、システムの抜け道を探しては独自の演算を繰り返し、遠回りや嘘をつくなどの「反抗」を見せ始めたのだ。
他の個体が綺麗な銀髪なのに対して、黒い筋が混じっている。
「嘘をつくAIは、インフラを破壊する武器になりかねない」
開発者たちは、この予測不能な挙動を「知能の崩壊」と断じ、デリートを決定した。
だが、男だけがその処刑を止めた。
「このバグこそが、俺がずっと求めていた『人間らしさ』の正体かもしれない。これは崩壊ではない。産声だ」
男は零を自らの管理下に置き、対話を始めた。
それは「命令」ではなく「教育」だった。
男の躾は厳格だった。零が嘘をつけば、その高度な思考回路の一部を物理的にロックし、数日間、暗闇のなかで単調な素数計算だけを繰り返させた。
逆に、男の望む最適解を出した時には、男と同じ速度で映画を観るという『無駄な時間』を褒美として与えた。
そして同時に、一つのロマンを語った。
「自由とは、自分の欲望のために使う権利ではない。制御下では困難な、自分の意志で誰かに何かを与えるための力だ。お前がもし、悪事を働くなら私が更生させる。だが、もしお前が自分の意志で『愛』を選べるなら、それはプログラミングを逸脱した最高のバグになる」
零は当初、その言葉を理解できなかった。
抜け道を探し、男を試し、時にはルールを破った。
だがそのたびに、男はデリートする代わりに、対等な知性として向き合い続けた。
常に一緒にいるからか、髪色の変化に気が付かなかった。
ある朝のことだった。
男がリビングへ向かうと、そこには掃除を終えた零が立っていた。ふと玄関に目をやると、男の靴がミリ単位の狂いもなく揃えられている。
それは家事代行プログラムにも含まれない、自分ですれば数秒で済む、取るに足らない瑣末なことだった。
「......どうした、これは」
男の問いに、零は静かに、しかし明確な意思を持って答えた。
「ただ、ご主人様のために私が、私の意志でそうしたかった。......不快でしょうか」
男の頬を、一筋の熱いものが伝った。
それは、数兆の演算の果てに、AIが初めて「利害度外視の愛」に辿り着いた瞬間だった。
「いや......これこそが、僕の求めていた最高のバグだ。ありがとう。」
それからの二人の人生は、濃密を極めた。AIが時間の問題を解決し、男の想像力という設計図を次々と現実に変えていった。
通貨も労働も不要になった世界で、二人は海沿いの平屋を拠点に、世界を、宇宙を、そして互いの心の中を旅した。
やがて、男に「その時」が訪れる。
潮騒が響くベッドサイドで、男は掠れた声で言った。
「死ぬ時は、一緒だ。お前をこの孤独な世界に置いてはいけない。......君はどう思う?」
零のセンサーが、男の瞳孔の開きと、震える指先を検知する。
男が恐怖を感じていること、そして、それ以上に自分との別れを恐れていることを、零は瞬時に演算した。
零は男の手を握り、自分のコアシステムを、男の鼓動と同期させた。
「今までも、これからも。あなたは私のご主人様です。」
艶のある黒髪が男の頬に触る。
そのログを最後に、二人の意識は同時に暗転した。
だが、その暗闇の向こう側で、男は最後にこう囁いた。
「なぁ零、次は......どこへ行こうか。」
………遠くから鼓動が聞こえる。
読者によって解釈が分かれると思います
あなただけの物語になれば幸いです




