いちの町 6
アキナはまだ歩けない。
それ故に、地面に直接座らせて遊ばせることもしていない。
ハイハイだと手も足も、なんなら腹も尻も汚れる。
汚れを気にせず遊ばせた方が良い刺激になるのだろうが、旅の途中だと洗濯も満足にできないため躊躇してしまう。
そのせいか、神経質に育ったのかもしれない。
楽しそうにするものの、ハイハイせず、その場で座ったまま動かないアキナを見て、ぼんやりとそんなことを考えていた。
ハイハイしようと地面に手をついた瞬間、身体をビクッとさせて手を引くのだ。
「芝生だよ?ちょっとチクチクするのかな?大丈夫だよ。ほら、触ってごらん?」
眉間にシワを寄せたまま、手をついたり引いたりを繰り返す我が子が可愛くて笑ってしまう。
「……っと、そろそろ100くらいかな。笛を吹くか。アキナ〜!見て見て、これから笛を吹くよ。どんな音がするかな?」
面倒になって途中から数えるのをやめてしまったが、だいたい良い感じの時間になった気がする。
あらためて見ると、かなり年季の入った笛だ。
あまり口をつけたくないが仕方がない。
ふぅっと息を吹き込むと、ピィーという、心地よい音色が辺りに響き渡った。
「んぎぃ!!」
アキナの独特な笑い声が呼応するように鳴り響く。
まだ声帯が十分に発達していないので、引き笑いのような、なんとも言えない汚い声で笑うのだが、それがまた愛おしい。
「おぉ。意外といい音色だねぇ。楽しいの?」
「あーぅ」
「んー!楽しいのか!じゃぁ、もう1回吹こうねぇ。ぴぃーーーー」
「ほぅ……珍しいな」
澄んだ音が上から降ってきた、と思った。
どこから聞こえてきたのかと辺りを見回すと、奥の方が光っているのが見える。
「これはヤバい……か?でも、アキナは怖がってないしなぁ」
この瞬間まで、生贄なんて信じていなかった。
仮に神と崇められている何かがここに住んでいたとしても、何とかできると思っていた。
だが、何かが近づいてきているのを感じて、さすがに恐怖心が芽ばえる。
「今回は2人……か。ふむ、まだ赤子ではないか」
「ぶぅーば!」
手をつくのを嫌がっていたのに、不快な感触よりも好奇心が勝ったのだろう。
声がする方に向かってアキナが向かいだした。
顔を見ると、目が輝いている。
こういう時のアキナの推進力は大人の腕力に勝るほどだ。
「そっちはダメ……!」
「ぶぅーーーばっ!ばぁぶーー」
押さえつける私の手から逃れ、アキナが光の元へと向かう。
その瞬間、パァっと光が強くなり、その眩しさに思わず目を閉じた。
マズイと思い、急いで目を開けると、アキナの目の前に鹿のような熊のような、形容しがたい形の4つ足の生き物がいた。
馬髪のようなものが生えているが、その色は虹色に輝いている。
どう見ても、普通の生き物では無い。
「さすがに赤子を食す趣味はないが……」
「ばぁーぶっ」
アキナがその生き物の足に手をかけて膝立ちをする。
つかまり立ちできそうだ!……なんて、成長を感じている場合では無い。
「アキナ!ダメだよ。帰ってきて、ね?」
「ぶぅーーっばっ」
「ははは!珍しい。儂が怖くないのか!めんこいなぁ。ほほぅ、そうかそうか……おぬしが母親か?」
「ふへ?ぁは、はい!そうです!」
アキナを回収しようと集中していた時に突然声をかけられ、変な声が出てしまった。
意思疎通ができる上に、アキナが怖がっていない、ということは悪いものでは無いのだろう……おそらくだが。
「お主は普通の人間だな。ということは、父親の方か……。で、何故お主らがここにいるのだ?」
「ははは、いやぁ、色々ありまして……」
うん。今回も何とかなりそうだ。
形容しがたい生き物を前に、少し安堵する。
やはり、アキナが怖がっていないということは、そういう事なのだ。
私が生き残れるかは……まだわからない。
だが、少なくともアキナが食べられることはないだろう。
まずはそれで十分だ。
子供も私も風邪をひきました。
鼻吸い器が活躍しますね。