2話 後の話
そして、そんな日から3年が経ったある日。
…………彼女が死んだという報せが、自宅のアパートのポストに投函されていた。
交通事故だったらしい。病があったわけでも、精神が病んだわけでもなくて。
本人の不注意でもなく、居眠り運転の車が歩道に突っ込んできたらしい。
子供はすでに託児所に預けた後だったらしく、本当に巻き込まれただけの死だった。
通夜の間、残された子供だけがたらいまわしにされていた。
「そも、貴方の子供でしょう?父親なんだし、引き取っておやりなよ」
周囲一帯が黒尽くめで、怪しい組織の集団の一人がそんな言葉を俺にかけてきた。
白い棺を何の感情も見せることもなくただ見つめるばかりの幼児を指して、そいつは帰ろうとしていた俺を呼び寄せた。
誘導されるままその小さな生き物を視界に収めれば、その瞬間言いようのない吐き気が、嫌悪が俺の中で込み上げた。
背中を冷たい何かが下から上へと伝い、胃が逆さになったように錯覚した。
まるで、今話題にされているのが自分のことだとわかっているように。
そのガキは何の感情も映さないまま、その虚無の目で俺を振り返った。
「…………る」
「なんだってぇ?」
……やめろ。こっちを見るな。
「……てる」
おぞましいその生き物を、俺は。
「……っすてる!」
受け入れ、られなかった。
人差し指で、そのガキを指して、次の瞬間俺は言い切った。
「捨てるっ!」
不思議と、ガキが目を見開く瞬間がスローモーションで見えた気がした。
泣くこともなく、口を閉ざしたまま。
壊れた映像がコマ送りされるように。
その姿はまるで、泣き方を知らない。意地でも泣くまいとするような。
いつしか見た、もう死んでしまった彼女が。
子供を庇った時の表情に、重なった気がした。
男が拒絶の言葉だけを残し子供を置いて行ったあと、残された親族たちはその子供を押し付け合った。
もともと子供が生まれてから縁のなかった男が、葬儀に参列しただけでも驚きであった。
しかし結局、子供を引き取ろとしないのは予想通りだった。
最終的に、親族ではなく故人の生前親友だった女性が子供を引き取ることで事態は収まった。
身内の誰もが味方になってくれず、血の繋がる人たちに置いてけぼりにされた子供は、最後まで。
泣き声を上げることは、一切なかった。
3歳の誕生日を迎えたばかりの娘は、ずっと狭いアパートで二人暮らしだった母親の死を。理解するにはあまりに幼すぎた。
しかし、それから12年後の秋。
その娘を引き取った母親の友人が病で倒れ、亡くなった。
(…………また、置いて行かれたな)
あまりにひっそりとした葬儀ではあったが、それもあっけなく終わり12年前と同じ問題が浮上した。
中学3年生の娘を誰が引き取るのか、と。
「────もぅ、貴方もいい年なのだし。身を固めた方がいいわよ」
「……………………」
来年には推薦で入学確定した高校にも入る。高校生になれば独り立ちもできるし、せめてそれまで預かってほしい。
そんな内容をベラベラと勝手な都合で語られ、その後ろでは人形のように何の感情も見せない少女が俯いている。
わかってくれたようで安心した、あとはよろしくね。と、これまた勝手に満足してアパートから出ていく面識のない元恋人の親族の背を見送り、そのまま置いて行かれた少女の方を振り返る。
元恋人と自分を混ぜたような顔の少女に、男は溜息を吐いた。
三十路も超えたからと言って、突然面識のない娘を押し付けられどうしろというのだ。
わかったも何も、こちらが何かを言う前に勝手に置いて帰ったんじゃないか。
こちらに有無を言わせる気など、鼻からなかったのだ。
────あぁ、やはり────
「…………ご厄介に、なります」
────あの時────
「…………」
少女の声を無視し、男は奥の部屋に入っていく。
────殺しておけばよかった。────
そして、扉で閉ざした。
それから数日、少女と会話をすることは一切なかった。
夜間の仕事から帰ってすぐに布団に横になれば、そのまま寝入るし、その次起きるのは昼頃だ。
夕方ごろに近くのスーパーで買ったインスタント食品やおにぎりを食っているとき異様に部屋の広さを感じれば、長い間ほったらかしていたゴミの山が消えていた。
食事の残骸を捨てようとキッチンを覗けば腐って異臭を放っていたゴミが消えていた。
この家に食器などあるはずがないのに、白く汚れのないコップや皿が並んでいた。
どういうことだ?
仕事に行くとき玄関で靴を履いていれば、後ろからそっと近づいてきてラップで巻かれた握り飯を3つも出してきた。
何かを言うでもなく、俺がいらんとでも言えばすぐ引っ込めそうなほど暗い顔だった。
チッ
一つ舌打ちをして2つ受け取れば、俺は相手の顔を見ることもなくすぐに玄関を出た。
暗い闇の中に自ら飛び込んでいくことを自覚しながら。
それからしばらくして、雪が降り始めたころに俺は昼間に少女の姿が見えないことに気が付いた。
かと思えば夕方ごろに帰ってきているようなので、単純に学校に行っているのだとその時初めて思い至った。
この頃にはすでに、少女の作る夕飯を有無を言わず食うようになっていた。
勝手にアイツが用意しているんだ。
仕事に出る前に風呂に入ろうと思って自室から出れば、ほんの数か月前までゴミが散乱していたはずの四つ足のテーブルに焼いた魚の切り身が乗った皿が並んでいた。
俺が呆然としていれば、キッチンから炊けたコメの入った器を2つ抱えて少女が戻ってきた。
俺の姿を見て少女も驚いているようだった。
「…………ぁ、お、お箸、今、用意します」
器をおかずの皿に合わせるように別々に置いてすぐに少女は台所に戻った。
はっきり言って必要ないし、こんな飯誰が食うか。
そう言ってやりたいがすぐに戻ってきたと同時に箸を渡してきた少女に、何かを言うのも嫌だった。
仕方がないのでそのままテーブル前に座って適当におかずをつついて口に運べば、それはほのかに温かかった。
まさか、いつも作っていたんだろうか。
いつから?握り飯を渡された日からか?
今まで飯の匂いに気づかなかった自分にも驚いた。
金はどうしてるんだ?バイトはまだできないはずだ。だから俺に押し付けられたんだ。
なら何故、何も言ってこない?
わからないことでいっぱいだった。読めなさすぎた。
考えるのも面倒になり、思考を放棄しようと思えば、一つ気が付いたことがあった。
そういや、コイツがしゃべったの初めて見たな。いや、2回目か?
ヘッタクソなしゃべり方。
不思議と、懐かしい何かを、感じた気がした。